私達のそれは愛ではなかった
物心が付いた時から、私達はとても近い存在だった。
父親同士が貴族学院時代の親友、母親同士は遠縁に当たる為、しょっ中屋敷を行き来していたから。
両親達が狩りを楽しんだり、お茶を飲みながらお喋りに花を咲かせている間、私達はよく一緒にいた。
特に何を話すでも遊ぶでもなく、ただ一緒にいた。
はしゃぐこともなければ、喧嘩もない。両親から帰ると告げられるまで、それぞれ本を読んだり、おやつを食べたりして大人しく過ごしていた。
同い年の男女。
成長する内に何かが芽生えれば……と両親達は期待していたらしい。けれども、そんな恋愛小説みたいな関係にはならなかった。
幼い時から少しも変わらない。
ただ当たり前に一緒にいるだけ。
私達のそれは愛ではないと、いつからか両親達は諦めたようだ。
十六歳の時、たった一度だけ、変化があった。
熱いお茶をうっかり飲んでしまった私の唇に、彼のそれが重なったのだ。
彼は氷の浮かんだアイスティーを飲んでいたから。自分の唇で冷やそうと、咄嗟にそうしてしまったのだろう。
冷たさに、すうっと引いていく痛み。あるのは物理的な心地好さだけで、それ以上は何も感じなかった。
けれどせっかく重ねてみたのだ。若さゆえの好奇心から、互いに角度を変え、吐息の先をもう少し深く探ってみる。
……雨上がりの地面みたいに、柔らかく湿った口内。
それでも何も感じることはなく、ゆっくりと離れていく。残ったのは、自分が飲んでいたものとは違う、茶葉の香りだけだった。
向こうも全く同じことを思ったのだろう。何事もなかったかのように、黙ってアイスティーに視線を落としていた。
十八になった年、私達はそれぞれ婚約した。
彼は友人の妹と。私は夜会で心惹かれた人と。
吐息がかかるだけでときめく胸。
夫の唇は、いつかの彼とは全然違った。
熱く、甘く、痺れる。
これが恋であり、愛というものなのだろう。
結婚してからしばらくは、人生で一番長い間、彼と離れていた。
互いの子供が上手に喋れるようになった頃、彼の妻と、王室主催のバザーを通して偶然親しくなる。それをきっかけに、家族ぐるみでの付き合いが始まった。
彼の妻は朗らかで行動的で、彼とも私とも真逆だ。そして私の夫も明るく豪快で、私とも彼とも真逆のタイプ。だから伴侶としても、友人としても惹かれ合ったのかもしれない。
私達は互いの伴侶を通して、幼い頃よりもずっと沢山話をし、沢山笑い合った。
誕生日、記念日、子供の祝い事、親の葬儀。
二つの家族は、人生の色々な節目を共に過ごした。
子供が巣立つと、四人で外国へ旅行したり、若い人達の為に様々なイベントを開いたりした。
自由な心とは反対に、どんどん不自由になっていく身体。そんなもどかしさすら笑い合える、かけがえのない存在だった。
数年後、最愛の夫が天に召された。
覚悟はしていたのに、心がバラバラになる程寂しかった。
その僅か一年後、最愛の親友も天に召された。
老いた身体までバラバラになりそうだった。
そして私達は、また二人になってしまった。
幼い頃みたいに、何をするでも話すでもなく……
ただ一緒にいた。
その時が来るまで、ただ一緒にいた。
先に召されたのは彼だった。
私よりひと月先に生まれたのだから順番通り。
何も問題はない。
白い薔薇の中、彼の娘の手で紅を引かれた唇が、ぽっかりと浮かんでみえる。
思い出されるのはいつかのキス。冷たかったキス。
今はもっと冷たいのだろう。
その瞬間、大きな悲しみが押し寄せた。
私達のそれは愛ではなかった。
確かに、愛 “ なんか ” ではなかった。
私達の魂は二つで一つ。
性別が違うだけの同じ形が、互いの器にピタッと嵌まってしまった……そう、残酷なパズルのように。
片方の魂が生から離れたことで、初めてその喪失感に気付いたのだ。
どこかで、ほんの少しだけでもずれていたら。
それを愛と呼ぶことが出来たのだろうか。
たとえばあの時、貴方の頬に触れて、冷たい唇を悪戯に噛んでいたら。貴方は私の熱を求め、力強く抱き締めてくれたのだろうか。
足りない部分を補おうと、互いの魂を求めたのだろうか。
悲しいのに心地好い。
初めて出来た、この歪な隙間が愛おしい。
ここを埋められるものは、もうどこにもないのだと。
しとり……しとり。
高い空から涙が降る。
私を生に置き去りにした貴方も、初めて隙間に気付いてしまったのでしょうね。
最初で最後の生温い雨が、私の唇を懐かしく濡らした。
ありがとうございました。
* タイトル画作製・あき伽耶様 *