怒れる魔法使い
声をかけてくださった王妃であるエメルダ様は、セディの頃に何度かお目にかかっている。
クリーム色の髪に青い瞳の凛とした女性。
元は子爵家の出て、庶子と蔑まれていたヨハン兄上に二十歳で嫁いできた。
それは前王の一声で無理矢理決められた婚姻ではあったが、彼女自身そう裕福ではない子爵家の五番目の女子ということもあり、兄上を見下すことはなかった。
そしてヨハン兄上の人柄に触れた彼女は、想像以上に仲の良い夫婦となった。
その後の夫の行動で、まさか自分が王妃になろうとは思ってもいなかっただろうが、それでもエメルダ様は周囲の期待に見事に答えた才女なのである。
そんな王妃様が夫である陛下の発言をフォローするかのように、アレンに声をかけた。
国王陛下はアレンを通じて俺を知ったと、周囲には思わせたいのだろう。
「ありがとうございます。かけがえのない婚約者です」
ニッコリと微笑むアレンに、王妃様の目が丸くなる。
「あらあら、貴方がそのようなことを言うとはね。フフフ、本当に大事な人なのね」
「もちろんです」
アレンの態度に微笑む王妃様の後ろで、エリザベート様の眼が据わる。
「アーサー、貴方が優しいのは知っていたけれど、無理して婚約までしなくても良かったのよ」
突然、そんなことをほざくエリザベート様。
元から集まっていた周囲の眼が、好奇心に歪む。
「エリザ!」
隣にいたオクモンド様が止めようとエリザベート様の肩を掴むが、彼女は兄の手を振りほどいた。
「確かにお兄様が招待した場所で彼女は盗賊たちに誘拐されたけど、その責任を王族に忠誠を誓う貴方が取らなくてもいいのよ。招待したのと誘拐されたのは、あくまで別の問題だもの。セリーヌ様、貴方魔法使いなら貴族の命令を断れないとわかっていて、アーサーに無理強いしたのでしょう⁉ 弱い立場の者に婚約を迫るだなんて、どんな育ち方をしたのかしら? ああ、貴方ほどの容姿なら田舎ではお姫様扱いだったのでしょうね。貴方の望むことは全て叶えられる。だけど、ここは王都。本物のお姫様は私。貴方の思い通りにはならないわよ」
そう言って王妃様の後ろから走り出したかと思うと、勢いのままにアレンに抱き着いた。
「アーサーと私は愛し合っていたのよ。それを私たちの弱みに付け込んで引き裂こうとする貴方は、悪女よ! このまま王都から出て行って!」
ありったけの声量で叫ぶエリザベート様に、唖然とする。
これが彼女の本性か。
多分、エリザベート様はアレンに構われる俺を最初から気に入らなかったのだろう。
だけど、兄であるオクモンド様が好意を向けていたので、俺を貶めるような行動はしなかった。
俺が素直にオクモンド様と一緒になれば、形だけでも普通に対応するつもりでもいたのだろう。
しかしオクモンド様に背を向けアレンを選んだ俺を、彼女は許しはしなかった。
盗賊に誘拐されたことを口にするということは、俺が傷物にされたという噂を肯定したも当然で、それを王族の責任として俺がアレンを無理矢理モノにしたと捏造したのだ。
挙句の果てに自分はアレンとは恋仲だったと叫ぶのだから、大したものだ。
皆、驚きながらも真実だと思ったのだろう。
嘲笑と嫌悪が入り混じった瞳が、俺に集中する。
周囲の剣呑な雰囲気に、長兄と次兄が走って来た。
俺を守ろうと、エリザベート様の前に立ちはだかる。
けれどその前に、アレンが自分にくっついているエリザベート様をぺいっと引きはがした。
よろめくエリザベート様には目もくれず、国王陛下に視線を向ける。
「ヨハン、僕、王宮魔法使い辞める」
「!」
突然、辞職を願い出るアレンに全員が驚愕する。
俺はもちろんのこと、長兄と次兄も王族方も、当然集まった貴族も全員で目を見開く。
突き放されたエリザベート様がポカンと口を開ける中、辞職を願い出られた国王陛下が考え込むように額に手を当てた。
「アーサー、いや、エリザの行動に怒っていることはわかる。だが、それはあまりにも極端ではないかな?」
「何言ってるの? 僕、最初に約束したよね。僕にはかけがえのないモノがあるって。それを見つけた時、王宮魔法使いという立場が邪魔したら、すぐに辞めると。今のはまさに、それでしょう。こんな地位に僕は未練なんてないんだ。僕にはセリーヌだけ、いればいい」
キッパリと言い切るアレンに、国王陛下が王座から腰を浮かせた。
「待て! それは、後で話し合おう。今ここで決めることではないぞ」
「は? 寝ぼけたこと言わないでよ。先に喧嘩を売って来てのはそちらだよ。僕、何度も言っていたよね⁉ エリザの行動を窘めてって。なんで僕が、エリザごときに命令されないといけないの? 僕とエリザが恋仲? ありえないっていうか、気持ちが悪い。僕は昔からエリザを軽蔑している」
ハッキリとしたアレンの拒絶に、エリザベート様は目を大きく開いた後、ワナワナと震えだした。
そしてキッとアーサーを睨みつける。
「アーサー、貴方、自分の立場がわかっているの? 魔法使いの貴方が王宮で何不自由なく生きて来られたのは、ひとえにお父様の庇護のお陰よ。その恩を仇で返すなんて、やはり戦場でしか生きて来なかった魔法使いには、常識というものをがわかっていないのね。賢者の称号を剥奪するわ。貴方には自分の立場というものを、私が首輪をつけて一から教えてあげる」
エリザベート様がそう言い切った時、パチーンっという大きな音が鳴り響いた。
それはいつの間にか王座がある一段高い位置から降りていたオクモンド様が、エリザベート様の頬を叩いた音だった。
「お、お兄様⁉」
信じられないと目を見張るエリザベート様に、オクモンド様が静かな声で言った。
「お前には失望した。まさかこれほど愚かだったとは……。首輪をつけて一から教える? そうだな。私がお前にそうしよう」
騎士を呼んだオクモンド様は、彼らにエリザベート様を自室に連れて行くよう命じる。
騎士に両手を押さえられたエリザベート様は、屈辱だというように顔を赤くさせ、首を左右に大きく振った。
「い、いや、お兄様。どうして私がこんな扱いをされないといけないの? お兄様はいつだって優しくて、私に怒ったことなどなかったのに……」
「そうだな。後悔している。私が甘やかしたばかりに、お前をこんな愚かな王女にしてしまった」
目を伏せ、そう言い切るオクモンド様にエリザベート様は眉を顰める。
「愚かなのはアーサーの方でしょう⁉ そんな女に誑かされて、お父様にまで反抗するなんて……。そうよ、お父様、お母様。お兄様を止めて! 実の妹である私にこんな場所で、こんなことをするなんて。第一王子だからってお父様を差し置いて、王女である私を辱めるなんて許されないことよ」
オクモンド様に何を言っても通じないと思ったエリザベート様は、矛先を両親である国王陛下と王妃様に向けた。
しかし王妃様は視線を逸らし、国王陛下は眉間に皺を寄せた。
「エリザ、許されないのはお前の行動だ。オークの言っていることが理解できないのか?」
「理解って何? 私は何も間違ったことは言っていないわ」
「全て間違っている。私はアーサーに国の再生のために力を乞うたのだ。対等の立場として。魔法使いは決して貴族の玩具ではない。虐げられる存在ではないのだ」
「そんなことはわかっているわよ。だからアーサーの足りないものを私が補ってあげると言っているのに、お兄様が勝手に怒って……。あ、わかったわ。その女がアーサーだけじゃなく、お兄様まで誑かしたのね。お兄様、セリーヌ様になんて言われたのかは知らないけれど、信じては駄目よ。彼女は盗賊たちに乱暴されて、とうに純潔を失った汚れた女なのよ。手練手管でお兄様のような純粋な男を誘惑するなんてお手の物なんだから」
そうエリザベート様が悪態をついた瞬間、ボッとアレンの体から炎が舞い上がった。
「いつまでその汚い口を開かせる気? 全部、燃やしちゃうよ」




