デビュタントが近い
結局、拉致事件は想像以上に尾ひれが付いて、面白おかしく噂されているようだ。
アレンとの婚約に渋っていた次兄であったが、俺の噂の酷さに最終的には自らが率先して婚約書類を処理した。
オクモンド様も渋々受け入れてくれたとのこと。
どれほど酷いことを言われているんだと気にはなったが、誰も俺の耳には入れなかった。
俺がショックを受けると思っているらしい。
過保護過ぎると思いながらも、その気持ちは素直に嬉しかった。
因みに婚約式は断った。
俺もアレンも派手にすることは苦手だし、今の状態じゃあ妨害されるのがオチだ。
下手すれば、デビュタント前に一戦生じる恐れがある。
誘拐を依頼した人間はまだ捕まっていないのだから。
アレンは俺さえ傍に居てくれたらなんだっていいと言い、長兄は結婚式をコンウェル領で挙げるならと頷き、次兄とオクモンド様に至っては、ギリギリまで諦めたくないと逆に挙げないことを喜ばれた。
国王陛下がこれほど頑張って良い国に導いてくれたというのに、結局王都は魔の巣窟だと俺はセディの頃より抱いていた苦手意識を再発してしまう。
ああ、早くお家に帰りたい。
とうとうデビュタントも三日後となった日、闇夜の蛇尾のお頭の候補者の姿絵が用意できたと、屋敷でアクネ率いるエステ隊の玩具になっていた俺は、城に呼び出された。
城内を歩くと噂の的になるからと、アレンに転移魔法で送迎してもらう。
いつものように第一王子の執務室にオクモンド様、次兄、長兄、アレンと俺が揃う。
そうして一枚ずつ確認していると突然、扉の外が騒がしくなった。
次兄が確認しようと立ち上がった瞬間、外からいきなり扉がバタンと開かれた。
「お兄様、セリーヌ様がいらっしゃってるんですって⁉」
エリザベート様の乱入に皆が目を丸くする。
後ろから警護の騎士や侍女たちが騒いでいたが、オクモンド様は彼らを制止してエリザベート様を叱る。
「エリザ、不躾にもほどがある!」
「ごめんなさい。でも、そんなことはどうでもいいのよ。セリーヌ様、貴方どういうつもり?」
――またですか。
オクモンド様の叱責も形ばかりの謝罪を口にして、エリザベート様は俺に詰め寄る。
さっとアレンが俺の前に出て彼女の歩みを制すると、露骨に顔を歪めた。
胸倉でも掴まれそうな勢いに、溜息を吐きそうになった俺は悪くないと思う。
俺はわざとゆっくりと、エリザベート様に応える。
「……何のことでしょうか?」
「しらばっくれないで。アーサーとの婚約のことよ」
ああ、それですか。
俺はアレンの背中にそっと触れた。
その姿にキッと目を吊り上げるエリザベート様。
「私、言ったわよね。アーサーには私がいるから、貴方はお兄様の胸に飛び込めって」
彼女の言葉に、俺以外の皆が驚いた表情になる。
アレンは不愉快そうに眉を顰めている。
「はい、聞きましたね」
肯定すると、エリザベート様は俺に向かってビシッと指差す。
「だったら何故、貴方がアーサーと婚約したのよ」
「同意した覚えはありませんけど?」
「何言ってるの⁉ 私がそうしろと言ったのだから、そうするのが当たり前でしょう」
とんでもない命令にオクモンド様が「お前こそ何を言ってるんだ⁉」とギョッとする。
「自分で言っていることが、わかっているのか? なんでお前の命令をセリーヌ嬢が聞かないといけない⁉」
「お兄様こそ、格好つけてる場合じゃないでしょう。好きなのよね、セリーヌ様を。だったら奪えばいいじゃない。それこそ王命にすればいいのよ」
無茶苦茶な発言に、オクモンド様は眩暈を起こしたのかフラリとよろめいた。
「エリザベート様、申し訳ありませんがいくら王族でも、個人の気持ちを無視してその者の人生を決めることはできません。それは現国王陛下が最も厭うことであります」
現国王陛下、セディの兄であるヨハシュトは魔法使いの差別を改善させた男である。
むろん、魔法使いだけではなく全ての人権を守るという取り組みに力を注いでいる。
身分制度はもちろんあるが、前王族派が行っていたように上位の者が下位の者を好きにできるというようなことは、徹底的に見直しさせているのだ。
前王族派の意思がまだ根付く王宮で、それを行うことはとても難しいが、現国王陛下の側にいる者は率先してその意向を取り入れて行動している。
それなのに当の陛下の娘が王命まで持ち出して、伯爵令嬢の人生に口を出せと喚いているのだ。
オクモンド様が眩暈を起こし、次兄が厳しく苦言を呈するのも仕方がない。
「私が言っているのは、そんな大袈裟なことじゃないわよ。第一王子が妃にと望んでいるのよ。名誉なことじゃない。断る方がおかしいと教えてあげているの。それにアーサーが本気でセリーヌ様を望んでいると勘違いしているのよ。それだって現実を教えてあげなきゃ可哀想じゃない。後で恥をかくのはセリーヌ様よ」
エリザベート様の反論に、人の婚約に口を挟んでおいて大袈裟じゃないとはよく言えたものだと、その支離滅裂な思考に唖然としてしまう。
皆がポカンと口を開く中、アレンの低い声が部屋中に響く。
「僕の想いの、何が勘違い?」
エリザベート様を半眼で見つめるその姿は、彼女の後ろに控えている侍女が「ひっ!」と悲鳴を上げるほど冷たいものだが、その視線を向けられている王女様は一向に気付いていない。
「もちろん、貴方がセリーヌ様を好きだということよ。どうせ物珍しさで干渉していただけでしょう。貴方も罪な人ね。田舎の令嬢を揶揄っちゃいけないわ」
私はわかっているわよと頷くエリザベート様に、アレンの眼がますます細められた。
それと同時に、部屋全体が寒くなる。
また冷気を飛ばす気か⁉
俺は慌ててアレンの服を後ろから引っ張った。
「アレン、駄目だ。冷気は飛ばすな」
「アーサー殿、それは被害が尋常じゃないからやめてください」
俺の静止に次兄も同調して、アレンを止める。
アレンは不貞腐れながらも霧散させて、冷気を止めた。
前回の冷気を経験した俺と次兄とオクモンド様は、心底ホッとした。
「エリザ、なんでお前がアーサーの気持ちを決める⁉ 彼の気持ちが本物なのは、残念ながら私が一番理解している。疑いようがない。それをセリーヌ嬢が受け止めた。お前が口を挟むことではない」
アレンの暴走が止まったところで、オクモンド様が言いにくそうにしながらも、ちゃんとアレンの気持ちは本物だと説明する。
だが、エリザベート様はハッと小馬鹿にしたように笑った。
「お兄様は本当に優しい方ね。でも優しいだけじゃ王は務まらないわよ。自分の主張を通すには、時には厳しい言葉も必要なの。お父様に頼んで王命を出してもらいましょう」
「それとこれとは違うだろう。そんなことで王命など使ってたまるか。父上にも呆れられるぞ」
「そんなことはないわ。お父様は私を可愛がってくださっているもの。それにアーサーには私が必要なの。彼には心がないのだから」
そう言ったエリザベート様に、俺は目を開く。
は? アレンに心がないとはどういうことだ?
俺が凝視する中、エリザベート様は胸を張ってあたかもそれが真実だというように話し出す。
「昔からアーサーには喜怒哀楽など存在しなかったわ。感情を表に出したことなど一度もないもの。だから彼はお父様に命令された通りに動くだけ。逆らったところなど見たこともないわ」
確かに王宮で再会した時、アレンは人形のように無表情だった。
けれどすぐに、冷気を飛ばしたり笑ったりしたのだ。
感情がない訳がない。
それをこの王女様は自分が見たことないからと勝手に決めつけ、アレンを人形扱いしている。
国王陛下の命令通りに動く人形だと。
「だからね、お父様に可愛がられている私が、これからは彼の行動を管理して、時には命令してあげる必要があるの。なんて言ったって、アーサーは賢者の称号を持つ魔法使いの長だもの。この国の王女である私が、彼に道を示してあげなければいけないのよ」
仄かな恋心は確かにあるのだろう。
だが彼女の言っていることは、アレンを人として認めていない言葉だ。
綺麗な人形を欲している小さな子供。
俺は気がついたら叫んでいた。
「この馬鹿娘‼」




