誘拐犯の正体は
とにかく現状を確認しよう。
ありがたいことに一人で放置されている今は、状況確認にうってつけだ。
この部屋の荒れ具合からして、普通の屋敷などではなく廃墟であることは間違いない。
窓の妙な位置や壁の雰囲気からして貴族の屋敷などではなく、倉庫などの可能性が高い。
そして俺は、猿轡こそされていないが、手足はしっかりと縛られている。
せめて手くらい前で縛ってくれていたら動きやすいのだが、ご丁寧に後ろ手だ。
俺はグッと海老反りにして、靴の踵に仕込んでいる小さな二つ折りのナイフを取り出した。
ちょうど俺の手の中に納まるほどの大きさだ。
これで縄を切るのは容易いが、あの扉が開かない以上、逃げ場はないかもしれない。
最悪、アレンの名を呼べば助けに来てくれるが、もう少しだけ状況を知りたい。
せめて犯人の目星くらいはつけたいものだ。
はてさて、このまま縄を切るべきかと悩んでいると、複数の足音が微かに聞こえた。
俺は咄嗟に手を握りナイフを隠し、目を瞑った。
まだ目が覚めていないフリをする。
乱暴に扉が開かれる音がした。
「あれ? まだ起きてないのか?」
「当然だろう。アレは熊でも三日は起きない代物だぞ。こんな小さくて細い女が一日そこらで起きられるものか」
どうやら俺が嗅がされた薬は、相当強い物だったようだ。
セディの頃は、常に命の危険にさらされていたので毒やこういった薬はわざと体に慣らし、効きにくい体に仕上げていたのだが、セリーヌの体ではそういった物とは無縁だったため、それほどキツイ薬の効果なら効くはずなのだが……おかしいな?
俺はバッチリ目が覚めている。
男たちの会話からして、拉致られてからまだ一日ほどのようだが、自分の体の頑丈さに感心してしまう。
「しっかし、本当に綺麗な女だな。しかもめっちゃいい匂いがする。場末の娼婦どもとは違った匂いだ。クンクン、これは花の匂いか?」
一人の男がスンスンと、俺の匂いを嗅ぎに顔を近付けてくる気配がした。
反対に俺は、男のすえた体臭が鼻につき、吐きそうになる。
「サーカス小屋にいたんだ。自然の匂いが着いたんだろうよ。それよりも、それ以上近付くなよ」
「なんだよ、ジャン。情が湧いたか?」
他の男の声がして、この部屋には少なくとも三人の男がいることに気が付く。
「馬鹿言うな。どんなに可愛かろうと、これは商品だ。依頼主に見せるまで、無事な姿でいさせろとのお頭の命令だ」
「依頼主は、いつここへ来るんだ?」
「三日後らしい」
「そんなに先かよ?」
淡々と説明する男の言葉に、他の男たちは驚いているようだ。
「この女がいなくなって、すぐに動くと目を付けられる恐れがあるそうだ。何でもかなり高貴な男たちが、この女を気に入ってるらしい。実は別部隊が先にこの女に手を出そうと何度か試みていたそうだが、どれも邪魔されている。それに三人ほど行方不明にもなっている。依頼主もお頭も慎重になっているのだろうな」
「そんな難しい仕事だったのか? 俺たちは簡単に拉致られたけどな」
「運が良かったんだ。たまたま馬鹿な男が乱入して、騒動を起こしてくれたからな。俺たちはその騒動に紛れて動けばよかった」
「がはは、神様が俺たちに味方したってか」
「どうせ、三日はこの女も目が覚めないんだ。寝っ転がしておけばいい」
どうやら、こいつらには仲間が複数いるようだ。
それも、ちゃんとした組織として動いている。
そう考えれば、こいつらの正体はおのずと決まってくる。
〔闇夜の蛇尾〕
以前に聞いていた、暗殺も平気で請け負う盗賊団で間違いないだろう。
しかし、バトラード公爵が片付いた今、誰の依頼で俺に手を出したのだろう?
しかも進行形で動いていたようだ。
誰かが阻止してくれていたようだが、俺は知らぬ間に危険にさらされていたのか⁉
考えられるのはアレンだが、あいつからは何も聞いていない。
怖がらせないために秘密裏で動いていた、という説は、俺がセディだと知っているアレンにしたら考えにくい。
サーカス場でぼんくら貴族を倒した件から言っても、アレンはかなりのことがない限り余計な手を出さない。
ある程度は俺の好きにさせるのだ。
そのアレンが狙われて俺が怖がるなど、思うはずもない。
そんなことを考えていると、男がすぅはぁと匂いを嗅ぎに、またもや近付く気配がした。
項に生暖かい息がかかる。
すると別の男まで近付いて来る。
二人の男に匂いを嗅がれるという変態行為に鳥肌が立ちそうになるが、起きていることがバレないよう必死で堪えていると、その様子に気付いたジャンと呼ばれた男が、語気を荒げた。
「おい、やめろと言っている」
「いいじゃないか。匂いを嗅ぐくらい。いや、どうせ起きないんだし少しくらい触っても問題ないだろう。あそこに入れなきゃいいんだしさ」
何を⁉
男が気持ちの悪い言葉を吐く。
いざとなったら、手の中にあるナイフで首を切りつけるしかない。
俺がギュッと手に力を籠めると同時に、止めに入った男が低い声を出した。
「お頭が手を出すなと言ってるんだ。命令は絶対だ」
「くく、ジャンは真面目だねえ。それでこそ、お頭の犬だ」
そう言って、俺の胸を鷲掴みにする。
いってぇー!
思わず叫びそうになって、グッと我慢する。
おいおいおい、こいつなんて馬鹿力で握ってくるんだ?
女の扱いも知らないのかよ。
と思って、ふと気付く。
違う、知らないんじゃなくて、物としてしか見ていないから乱暴に扱えるんだ。
昔の魔法使いと同じ……同等の人間として見ていない。
「お前、俺に喧嘩を売っているのか⁉」
ジャンの声がますます低くなる。
胸から手を離した男が、立ち上がる気配がした。
「おおーこわっ。俺は仕事を成功させたんだから、ちょっとくらい報酬をくれてもいいんじゃないかと言っているだけだぜ」
「報酬はお頭が後で分配してくれる。だが、待てができない駄犬には、やる必要もないだろうな」
「何だと⁉」
険悪になる男たちに、俺は内心でやれやれ、やっちまえとエールを送る。
こいつらが暴れてくれたら、どさくさに紛れて逃げられるかもしれない。
しかし、無情にも扉は再び開かれ、外から別の男が声をかけてきた。
「お前ら、こんな所に集まって何をしている? 早く持ち場に帰れ」
「この女が大人しくしているか見に来たんだよ」
「そんなことしなくても、どうせ起きないだろう。後でどうなっても構わないと大量の薬を嗅がせたんだ。下手すりゃ、起きたと同時に廃人だぜ」
がははと笑う男に、なんてことしてくれとんじゃー! と怒鳴りたくなる。
しかし話を聞くたびに、俺はどれほど酷い薬を嗅がされたんだと怖くなった。
今は平気でも、後から何かあるかもしれないと後遺症の不安に駆られる。
「とにかく、もう少ししたらお頭が来る。それまで持ち場で待機だ」
部屋の外にいる男の言葉に、部屋の中にいた男たちはゾロゾロと出て行く。
足音が去るまで暫く我慢する。
鍵をかけた音もしないし、扉の外に人の気配もしない。
俺が絶対起きないと確信しているのだろう。
どれだけ薬を信用しているんだ?
匂いを嗅いだり胸を鷲掴みにはされたが、誰一人として俺が起きているかもしれないと疑わず、確認もしなかった。
俺はムクリと起き上がる。
さあ、探検の始まりだ!




