お姫様の言い分
突然エリザベート様にトイレに誘われた俺は、少年と少女が互いに乗っていたブランコを空中に飛んで、交換したところを見逃した。
おおーっというどよめきの中、見せ場を見逃した悔しさと今まで俺を相手にもしなかったエリザベート様の誘いに唖然としてしまう。
こんないいところで何故、俺をトイレに誘う?
オクモンド様が眉間に皺を寄せて、エリザベート様を窘める。
「後にしなさい。もう少しで休憩に入る。その時でいいだろう?」
だが、エリザベート様は頬を膨らまし「えー」と不満げに声を上げた。
「休憩時間になったら混むじゃない。貴族用のトイレを用意しているとはいえ、複数の令嬢が連続で使うのは嫌よ。それに私が途中で行ったら迷惑がかかるわ」
エリザベート様の言わんとすることは、わかる。
確かに王族であるエリザベート様が使用したならば、規制がかかって他の令嬢は暫く使えなくなる。
ただでさえ短い休憩時間と少ない場所にそれでは迷惑この上ない。
仕方がないかと諦めた時、オクモンド様が俺を手で制した。
「だったら侍女と一緒に行けばいいじゃないか。セリーヌ嬢を誘う必要はないだろう」
せっかく楽しんでいるのに可哀想だと言うオクモンド様に、ほろりとする。
はしゃぐ俺に気を使ってくれているのだ。
ありがたくて涙が出るよ。
だがエリザベート様は、こちらの言い分がおかしいというようにキョトンとする。
「だって護衛が必要じゃない。侍女ではいざという時、役に立たないわ。その点セリーヌ様ならお強いし」
「護衛ならそこら中にいるじゃないか。今日のセリーヌ嬢は私の賓客だ。護衛扱いするな」
「トイレに男性を連れて行くなんて嫌よ」
「じゃあ女性騎士を呼べ」
「配置が遠いじゃない。来るまでに休憩時間になってしまうわ」
「それなら、どうして近くに配置しなかったんだ? そんな要望は聞いていない」
「外でトイレに行きたくなるなんて思わなかったもの」
今までだって公務で外に出ることはあっただろうに、どうして今日に限ってと、チラリとエリザベート様のテーブルを見ると、そこにはお茶のポットが二つも並んでいた。
――要するに、飲み過ぎである。
ああ言えばこう言うエリザベート様に、俺は内心辟易した。
ある意味、イザヴェリより質が悪いかもしれない。
先ほどの座る場所と同様この方は引かないだろうと、俺が顔を上げると、彼女の後ろにいるアレンと目が合った。
アレンが何かを言いそうになったのを俺は遮って「わかりました。お供いたします」と言った。
正直、こうして口論している時間も勿体ない。
俺が了承すると、エリザベート様は嬉しそうに微笑んだ。
「そう、悪いわね。じゃあ、すぐに戻ってきますわ」
オクモンド様にそう言うと、エリザベート様は侍女を連れてさっさと出て行った。
俺は慌てて後をついて行く。
「セリーヌ嬢、我儘な妹ですまない」
オクモンド様が俺の後姿に声をかけるのを、俺は笑顔で返しておく。
視界の端にアレンのもの言いたげな顔が目についたが、俺は何も言わずに出て行った。
曲芸を行っている大きなテントを出て、飲食のテントが立ち並ぶ中を通った先に、貴族用のトイレは設置されていた。
今は演目中。
外を歩いている者はいないので、俺はすぐにエリザベート様に追いついて、後をついて歩く。
飲食のテントを抜けると、何もない広い場所に出た。
ここには警護の騎士が配置されていなかった。
メインテントから離れている為、見回ってはいるだろうが、常に配置する必要はなしと判断されたのだろう。
しかしこれでは、エリザベート様が護衛を連れ歩かない以上、俺を呼んだのは正解だったかもしれない。
このような人気のない所で何かあれば、容易に助けることはできない。
俺が周囲を警戒しながら歩いていると、エリザベート様がクルッとこちらに振り返った。
「ねえ、セリーヌ様。貴方、お兄様の何が不満なの?」
「え?」
腰に手を当てて、仁王立で訊いてくるエリザベート様に、一瞬何を言われているかわからなかった俺は目を丸くした。
側に居る侍女二人も、驚いた表情をしている。
「え? じゃなくて、お兄様、貴方に告白したわよね。それを速攻で断ったと聞いたわ。ありえないでしょう⁉ お兄様よ。この国の第一王子で顔も頭も性格、はちょっと頼りないかもしれないけど、それ以外は完璧な優しい民思いの自慢の王子様よ」
俺が理解していないと感じたエリザベート様は、口調をキツくしてオクモンド様を褒めだした。
まあ、それについては俺も同意見だから頷いておく。
「ええ、オクモンド様なら良い王様におなりになるでしょう」
「あら、わかってるじゃない。じゃあ、何の問題があるの?」
俺が同意したことに機嫌をよくしたエリザベート様は、最初の疑問に戻る。
これはどう誤魔化しても納得してくれそうにないなと思いながらも、一応本心を述べておく。
「オクモンド様に問題などあろうはずがございません。問題があるのは、私の方です。私は田舎の出て、真面に社交などしたことがありません。この度のデビュタントで社交を許される身になるとはいえ、今まで一切かかわっていなかった王都での生活を過ごす自信がないのです。そんな私が、王族の、しかも第一王子様のお相手など勤まるはずがありません。後からオクモンド様の足を引っ張るようなことは、したくないのです。ですから不敬とは存じながらもお断りした次第です。申し訳ありません」
そう言ってペコリと頭を下げた。
頭を下げたままチラリと侍女たちを見ると、彼女たちはうんうんと頷いている。
俺の言い分に納得しているようだ。
だがエリザベート様は「何言ってるのよ」と不機嫌そうに言い放った。
「お兄様の隣なんて、この国にいる令嬢で釣り合う者なんていないわよ。だけど他国の王族を選ぶほど、この国はまだ安定していない。国の内部から固めていくには、国内の令嬢を選ぶのが一番いいのよ。それもちょっとやそっとのことじゃへこたれない、心と体が強い人じゃないといけないわ。敵だらけの王族には、そういう強い人が好ましいの。社交やマナーなど二の次でいいのよ」
前王家を倒した兄上の子供であるエリザベート様の意見は最もだ。
表面上、この国は平和に栄えている穏やかな国に見えるが、内情はバトラード公爵のように、己の利益のみに慢心している貴族が多い。
寝首を掻かれる危険は常に付きまとう。
次代の王であるオクモンド様ならなおさらだ。
その伴侶には、淑女の鑑のようにオホホと品よく笑っている令嬢よりも、世界情勢を心得ている才色兼備な令嬢よりも、ただただ腕っぷしの強い、いざとなればオクモンド様を守れるような令嬢が好ましいのかもしれない。
だけど、と俺は言いたい。
「でしたら、女性騎士の中から選ばれては如何ですか? 私などより王族に忠誠を誓っている分、確実に守ってくださいます」
俺の言葉に、エリザベート様は目を吊り上げた。
「強ければ誰でもいい訳じゃないのよ。お兄様が安心して安らげる場所を提供できる人でないといけないの。貴方、本当に鈍いのね。それともお兄様が嫌でわざと言ってるのかしら?」
「そんなことは……」
「もしかして、先に求婚しているアーサーのことを気にしているの?」
「!」
何故かここでアレンの名前が出てきた。
ビクッと肩を跳ねさせる俺を、エリザベート様は見逃さない。
「馬鹿ね。アーサーのことなら気にしなくていいのよ。あの人は女に本気になったりはしないの。まあ、珍しく貴方に興味を示してくっついているようだけど、それも今だけのことよ。すぐに飽きるわ」
そう言ってケラケラ笑いだす。
「それにアーサーには私がいるから、大丈夫。彼のことを一番わかっているのは、私だもの。お兄様より私の方が彼との仲は深いのよ。だから貴方は何も気にせずに、お兄様の胸に飛び込めばいいわ」
ドンッと胸を叩くエリザベート様に、俺は呆然となる。
は?
アレンのことを一番わかっている?
仲が深い?
このお姫様は何を言っているんだ?
一番わかっているのも、深い仲なのも、俺以外にいるものか!
俺が口を開こうとすると、エリザベート様は「話は以上。私の言ったこと、ちゃんと考えておいて」と言って、トイレへと駆け込んだ。
ギョッとなって、慌てて追いかける侍女二人。
俺はその場で棒立ちになる。
おい、言うだけ言って放置かよ⁉
俺が頭を抱えていると、兄元にスッと数人の影が映りこんだ。




