ルドルフ・コンウェル ①
私がルドルフ・コンウェルになったのは、四歳の頃。
もう顔も覚えていない両親が、馬車の事故で亡くなった時だ。
私はコンウェル伯爵の遠縁にあたる子爵家の生まれだった。
生みの母は大層美しい方で、父はそんな母を手元に引き留めるため、必死でお金を稼いだ。
その結果、身の丈に合わない努力は王都で詐欺まがいの商売へと間違った方向に進んだ。
もちろん、そんなものはすぐに暴かれる。
父は美しい母だけを連れて、逃げて逃げて逃げて、最後には崖から馬車ごと落ちた。
それは不幸な事故だったのか、それとも故意だったのかは、定かではない。
しかし、そんな両親の忘れ形見である私は、当然親戚筋に受け入れられるはずがない。
父方の祖父母は父の罪により罰を受けたし、母方の祖父母は父の所為で娘が死んだと思っている。
何より私は、その年の頃には妙に大人びていて可愛さというものを忘れていた。
そんな子供を、受け入れる気にはなれなかったのだろう。
親戚筋も犯罪者の息子を育てる義理はない。
兄弟もいない私は、突然一人放り出されたのも同じだった。
そんな中、奇特な男が手を上げた。
コンウェル伯爵。
王都から離れた領地の、母の遠縁にあたる父より偉い方。
私を引き取りに来た伯爵は、警戒する私にニカッと笑った。
まだその時はかろうじて覚えていた父の顔より美しいその男は、微笑むという動作の方が似合っているだろうと幼心にも思っていたので、砕けたその笑い方には拍子抜けしたのを今でも覚えている。
「初めまして、ルドルフ。私が今から君の父親だ。お父様と呼んでくれ」
「……こんにちは、伯爵様」
「はい、こんにちは。……ではなく、お父様」
「……伯、爵」
「……………………」
伯爵は上を向いた。
「ううう、泣くものか。まだこれからだ」
唸る伯爵が独り言を呟いた後、唐突に私を抱き上げた。
「わっ!」
「領地に帰るぞぉー。王都は空気が悪くてかなわん」
そうして私は、白い目を向ける大人が住む王都から、コンウェル伯爵領に移り住んだのだ。
コンウェル伯爵家は、とても気さくな家だった。
夫人は笑顔を絶やさない優しい方だし、私より五歳上のバーナードは小さなことにこだわらない大らかな男の子だった。
使用人も何が楽しいのか常に笑顔で、笑い声溢れるお日様のような暖かい場所。
宝石を身にまとった煌びやかな母以外は、陰湿で陰気な子爵家とは、何もかも真逆だった。
以前の家とのあまりの違いに、私はどう対応していいかわからなかった。
自ずと皆から離れて一人になる。
ある日、バーナードが引きこもっている私の部屋に来て、森に行こうと手を引っ張った。
「い、嫌だ、離して」
「大丈夫だって。俺がいるからルドルフに怖い思いはさせないよ。奥に綺麗な湖があるんだ。そこで釣りをしよう」
ニコニコと引きずるバーナードに、私は未知の場所に行く恐怖と、少しの好奇心を感じた。
森なんて行ったこともないし、湖って水たまりだろう。
どんな怖い場所で、どんな綺麗な湖があるのだろうか?
バーナードに引っ張られる手を必死で離そうともがきながらも、私は前に進んだ。
だが、途中で使用人の子供たちと出会った。
「おっ、若。どこに行くの?」
「湖だ。釣りをしに行く」
「あ、僕たちもお供する。今晩のおかずにしよう」
そう言って、五人の男の子たちが一緒に歩き出したのだ。
そしてバーナードに、皆が話しかける。
その楽しそうな姿を見ていた私は、ここにいる自分がとても場違いに感じた。
こんな楽しい場所に、罪人の子供である私などが居ていいはずがないと思ったのだ。
いたたまれなくなった私は思わず「痛い!」と叫ぶ。
驚いたバーナードが手を離すと、私はその手を胸に抱えた。
「え、手? 俺、そんなに強く引っ張ったかな?」
「痛い。折れたかも」
「え、そんな、ごめん。すぐに診てもらおう」
「僕、大人の人、誰か呼んでくる」
「いらない。部屋に戻る」
「え、待って、ルドルフ」
心配するバーナードや子供たちを無視して、私はそのまま部屋に飛び込んで鍵を閉めた。
私はここの人間とは違う人種なんだ。
私などが居て、いい場所ではない。
ずっと、ずっと……僕は一人なんだ。
そうしてその日から私は、部屋に引きこもった。
心配するコンウェル伯爵や夫人、バーナードや使用人の声を全て無視した。
食事も、部屋の前にワゴンを置いてもらい、他人の気配が消えてから扉を開けて、ワゴンごと引き入れて食べた。
お風呂は夫人が「人払いしたから誰もいないわ。入りなさい」という声を聞いて、そっと入った。
伯爵もバーナードも、無理に私を部屋から連れ出そうとはしなかった。
その代わり、部屋の前に呼び鈴を置いて「ルドルフ専用だ。何かあれば鳴らして。私かバーナードが必ず来るから」と侍女たちを呼ぶ鈴とは違う、硬めの音が出る呼び鈴を用意した。
当主である伯爵を呼びつけるなど、どこのお坊ちゃんだと驚きながらも、その優しい心に触れて、ますます私は……孤独を感じた。
私はこんなに人に優しくできない。
何もないのに笑うことなどできない。
人に囲まれるバーナードを見て嫉妬に駆られる。
私は四歳で、自分の中にある負を思い知ったのである。
引きこもって半年ほどが経った頃、バーナードが部屋の前にやって来て「赤ちゃんが産まれそうだ」と言った。
は? 赤ちゃん?
何のことだと首を傾げる私に、バーナードは部屋の外から話しかける。
「ルドルフの弟か妹が産まれるんだ。いつ産まれるかわからないけど、いつ産まれてもおかしくない状況だ。俺は母上の近くで待つ。ルドルフは一緒に居なくていいのか?」
バーナードの言葉に、そういえば初めて夫人と会った時、お腹に子供がいると言っていたことを思い出す。
だけど、そんなこと私に何の関係があるんだ?
「他人の私には関係ない」
そう言った私に、バーナードが突然、扉を殴りつけた。
ガンッと聞いたこともないような大きな音に、私は面食らった。
「他人じゃないだろう。俺たちは家族だ。それに赤ちゃんはお前と一緒に来た。お前の存在を知った時に、母上のお腹に赤ちゃんがいることを知った。父上はこれも何かの縁だと言って、ルドルフを家族として引き取ることに決めたんだ。それなのにお前はそんな赤ちゃんを迎えてやれないのか⁉」
初めて知った私を引き取った理由に、目を丸くした。
赤ちゃんができたから、私を引き取った。
赤ちゃんと一緒に、私はこの屋敷に来たのか?
一人じゃない⁉
私は恐る恐る扉を開いた。
そこには笑顔のバーナードがいた。
「……私も、待っていて、いいの、かな?」
「当然だ。むしろ待っていなかったら、赤ちゃんが拗ねるぞ」
私はバーナードに引きずられるように、夫人の部屋の隣の部屋へと移動した。
そこには祈るような仕草をしている伯爵の姿があった。
「おお、バーナード、ルドルフ。よく来た。お母様と赤ちゃんは頑張っているよ。ここで一緒に応援しよう」
そう言って、右手でバーナード、左手で私を抱きしめた。
伯爵は私の引きこもりを怒ることもなく突然現れた私に驚くこともなく、とても自然に受け入れてくれた。
使用人たちも何も言わずに、ただただ夫人と赤ちゃんの心配をしている。
その姿に、私はとても心が温かくなった。




