予期せぬ逃亡
オクモンド様が血迷った発言をして、目に見えて落ち込んでしまったので、俺は青少年にはよくあることさと慰めようと思ったのだが、口を開く前に兄に肩を叩かれた。
「今は何も言うな」
え、放置でいいの?
俺は首を傾げたが、オクモンド様のことを一番理解している兄がいいと言うならいいのだろう。
俺はオクモンド様から視線を逸らすと、何故か陛下と目が合った。
暫しの沈黙。
フッと笑みを零したのは陛下。
「君は不思議な魅力の持ち主だね。オークがこのように我を忘れるなど、初めてのことだ。それにアーサー。彼とも長い付き合いだが、これほど感情を剝き出しにした姿を見たのも初めてだ。君は彼らにとって特別な存在なのだろうね」
陛下の言葉に、確かにアレンにとったら生き返らせるぐらいには特別だろうが、オクモンド様は別にそういうのではないと思った。
まあ、父親とはいえ一国の王の前では、オクモンド様も素を出す訳にはいかないのだろう。
いくら親子でも、王族である以上それは仕方がないことだ。
だからオクモンド様の自然な姿を見て、新鮮な気持ちになったのだろう。
俺はそんな関係に寂しく思いながらも、陛下に笑みを向けた。
「オクモンド様もレントオール様も優しい人ですから、風変わりな私を気にかけてくださっているのでしょう。特にオクモンド様は実の妹のように心配してくれています。きっと陛下のお優しいところに似ているのでしょうね」
そう言うと、陛下は目を見開いた。
え、何? 俺なんか不味いこと言ったっけ?
陛下の驚く顔に困惑していると「君は……」と陛下が呟いた。
「君は、私が怖くないのかな?」
唐突にそんなことを聞かれて、戸惑いながらも俺は首を横に振った。
こんなに優しい陛下の、どこを見たら怖いなどと思うのだろうか?
国王陛下だから緊張はするかもしれないが、怖がる人間などいるはずがない。
そう思って俺はニッコリと微笑んだ。
「陛下を怖がるなど、ありえません。何故、そのようなことを?」
俺が本心で言っているのを感じたのか、陛下は苦笑したまま呟いた。
「私は〔血まみれ王〕だからね」
「!」
かつて、王族を皆殺しにしたという十二年前の事件。
それは現在、目の前にいる陛下の手によって引き起こされたもの。
だがそれには、正当な理由がある。
それなのに、まるで自らが好んで行ったような二つ名を付けられ、尚且つ陛下はそれを耳にしていたのか⁉
俺は眉間に皺を寄せた。
そんな俺の表情を見て、陛下は苦笑する。
「君のような若いお嬢さんは知らないかもしれないな。怖がらせたようで、すまない」
「いいえ。陛下にそのような二つ名を付けた者が許せません」
怒りのままに答えると、陛下は柳眉な眉を上げた。
「陛下はこの国のために、なされたのです。自らの手を汚された尊きお方です、私は陛下を尊敬こそすれ、怖がることなどいたしません」
「!」
国のためにその手を血に染めた人。
陛下は誰もができなかったことを、一人で成し遂げた英雄だ。
その後も、身を粉にしてここまで平和な国に導いた名君を、誰が恐怖など抱くものか。
俺は憧れと尊敬の念を込めて、ジッと陛下を見つめた。
俺のそんな視線に、陛下はハッとした目を向けた。
「セディ……」
陛下の声はか細く、周囲には聞こえなかっただろうが、傍に居た俺の耳にだけは届いた。
兄上……。
声には出さなかったが、唇だけにその名をのせる。
兄上、彼をそう呼ぶのはセディだけ。
セディだけの特権だった。
その言葉をもう一度口にできれば、それはどんなに幸せなことだろう。
ご苦労様です。ありがとうございます。よく頑張ってくださいました。と感謝と労いの言葉を口にしながら抱きしめられたら……なんて馬鹿なことを考える。
だけど、俺はセディではない。
セディは死んだのだ。
こんな姿で、そんなことが言えるはずもない。
けれど陛下は俺を見て、セディと口にしてくれた。
まさかアレンのように、俺がセディだと気が付いた訳でもないだろう。
アレンは自分が使った魔法が基本にあるから、気配で気が付き、こんなとんでもない現状をこじつけることができた。
だけど陛下はそんなこと、知る由もない。
俺がセディだと気が付くのは、決して無理なのだ。
それなのに俺を見てセディと呼んでくれたことが、こんなにも嬉しいだなんて。
会えただけでも十分だというのに……。
俺の眼が熱くなる。
じわっと浮かぶ涙に、陛下がハッと我に返った。
「だ、大丈夫か……」
「ヨハンなんて嫌いだ!」
陛下が俺の涙に狼狽えた途端、アレンが怒鳴りつけた。
「え、アーサー?」
「アーサー殿、どうしました?」
落ち込んでいたオクモンド様と、それを見守っていた兄が驚いてこちらにやって来る。
「セリーヌは、僕のだって言ってるでしょう。昔も今も僕だけのものだ。誰にもあげない」
そう言って、陛下とオクモンド様、兄をキッと睨みつけると俺を横抱きに抱えた。
「あ、アレン⁉」
「行こう、セリーヌ」
あっという間に、俺はアレンの魔法塔にある自室へと転移魔法で連れて来られた。
魔法が発動する瞬間、皆の慌てた姿が目に入ったが、どうすることもできなかった。
国王陛下と第一王子がいる場所で、何の断りもなしに消えるなんて……これって、かなり不敬だよな⁉
俺もとばっちりで、罰とか受けたりするのだろうか?
俺は目の前で不貞腐れるアレンを見つめながら、小さな溜息を吐いた。
王族専用の庭園からアレンに魔法で連れ去られた俺は、アレンの自室のソファでぼんやりとしていた。
転移してからアレンは少年のように、むっすぅ~っと頬を膨らませて黙り込んでいる。
これは嫉妬だろうな。
それはわかる。
だけど何に対しての嫉妬なんだ?
俺が陛下と話していたのが気に入らなかったのか?
それとも陛下が俺をセディと呼んだのが、アレンにも聞こえた?
いや、まさかな。
それにしても、と俺は不貞腐れる絶世の美貌を見つめながら、七歳の頃のアレンを思い出す。
俺が他の奴と話していたら、そっぽをむいていつもこんな顔をしていたっけ。
二十二歳にもなって七歳の頃と同じだなんて、全くしょうがない奴だな。
俺は苦笑しながら、アレンの座っているソファに移動する。
ちゃんと座れるように場所を開けてくれるところが可愛い。
「どうした、アレン? 何を拗ねている?」
俺がポンッと肩に手を置くと、アレンはこちらを向いて恨みがましい目で見つめてくる。
「……ヨハンと、仲良過ぎ」
「そうかな? 相手は国王陛下だぞ。失礼な態度はとれないだろう」
「そういうんじゃない!」
「じゃあ、どういうのだ?」
「………………………………」
アレンは膨れっ面のまま黙ってしまう。
「……もういい。それよりどうして、城に来たのに僕には連絡してくれなかったの?」
「オクモンド様が知らせていると思っていたんだ。俺だって、誘われたのは朝だったからな。てっきりいないのは、仕事が忙しい所為だと思っていた」
「そんな訳ないでしょう。どんなに忙しくったってセリーヌがいるなら、僕は行くよ」
「ああ、そうだな。すまなかった」
俺が素直に謝ると、アレンは拗ねたまま俺の肩に頭を乗っけた。
俺はポンポンッとアレンの頭を軽く叩いた。
暫くアレンの好きなようにさせていると、少しだけ機嫌は回復したらしい。
甘えるように肩に顔を摺り寄せるので、ゆっくり頭を撫でてやる。
まあ、仲間外れにされたら誰でも拗ねるよな。
俺はこうなった元凶を頭に思い描いた。




