オクモンド・ハイネス・トルトワ ③
その後セリーヌ嬢と会うたびに、私は彼女が王宮にいる令嬢とは違うことを理解する。
ルドルフが言うように男の夢のような可愛くてか弱いお姫様、ではない。
可愛いというのは合っていると思う。
だけどか弱いお姫様ではないはずだ。
だって彼女は逞しい。
ルドルフが混乱すると鳩尾に拳をめり込ませるし、悪意のある茶会に誘われても平然としている。
令嬢には見られない肝の据わった気遣いのできる令嬢。それがセリーヌ嬢だ。
そしてその気遣いで、私の心にも寄り添ってくれる。
私は親しくなっていくアーサーとセリーヌ嬢を見ていて、いつの間にか私も仲間に入りたいと思うようになった。
微妙に嫌そうな顔をするアーサーを説き伏せて、セリーヌ嬢の元へと行く時は同行した。
私も愛称で呼んでほしいと願うと、自分はできないがルドルフに呼んであげろと促す。
ルドルフが固辞すると、じゃあ自分が呼ぶと本末転倒なことを言った時には嬉しくなった。
単純だが、本気で私を気遣ってくれているのがわかる。
「公では無理でも、内々の時ぐらい息抜きしてもいいのではないですか? 始終そんな調子では、オクモンド様も息が詰まります」と言ってくれた時は、思わず顔が赤くなってしまった。
そんな風に私のことを考えてくれる女性は、初めてだったから。
そうしているうちに、問題のバトラード公爵家のお茶会に全員で出席することに決まった。
これ以上断っていると、公爵が〔闇夜の蛇尾〕と呼ばれる盗賊団に依頼して、セリーヌ嬢を傷付ける恐れが出てきたからだ。
私たちはセリーヌ嬢を守るためにも、彼らのテリトリーに入ることにした。
案の定、バトラード公爵家はセリーヌ嬢を除外しようと物理的に距離を取らせたり、誰ともわからぬ下卑た男をあてがおうとした。
しかし全てアーサーが阻止した。
私も助けに行きたかったが、公爵家の邪魔が入り側によることさえ難しかった。
隣ではルドルフも、ままならない状況に苦虫を嚙み潰したよう顔をしていた。
人目を憚らず、素直に助けられるアーサーが少し羨ましかった。
最後には集団で私たちを囲んだことを理由に、私に害をなそうとした者たちと、そんな騒動を起こしたバトラード公爵に罪を問うこととなった。
色々と恐ろしい目にあったというのに、帰りの馬車でもセリーヌ嬢は満足そうに笑っていた。
私はそんな彼女を眩しく感じた。
ひとまず安堵した私たちは、皆で街に買い物に出かけた。
本当はセリーヌ嬢とルドルフの二人だけの外出だったのだが、アーサーと話を合わせて無理矢理ついて行ったのだ。
少し子供っぽいことをしたと我ながら笑ってしまう。
それでもどうしてもセリーヌ嬢と一緒に出掛けたかったのだ。
お茶会の時に話した、チョコレートというお菓子を食べに行くことになった。
まだ王都でも、ごくわずかな店しか販売していないそれを作ったのが、二人の兄だと聞いた時には驚いた。
そしてその店で、セリーヌ嬢がチョコレートの新しい食べ方を口にしたのには、これまた驚かされた。
彼女を聡いと感じたことはあったが、柔軟な考え方もできるのだなと感心させられた。
気を使った彼女に行きたい所はないかと訊ねられた。
視察に行かなければいけない店を思い出して、ついそのことを口にすると彼女は楽しそうに、そこに行こうと歩き出す。
後から考えて、せっかく遊びに来たというのに仕事を優先させる朴念仁の自分に嫌気がした。
全く気にせずに楽しそうにしてくれる彼女に、救われる思いだ。
そこで私は、自分の気持ちに気付いた。
どうして私はこんなにも、セリーヌ嬢が気になるのだろうか?
どうして私はこんなにも、セリーヌ嬢が普通の令嬢とは違うと感じるのだろうか?
どうして私はこんなにも、セリーヌ嬢と一緒にいたいのだろうか?
答えは簡単だった。
私がセリーヌ嬢を好きだからだ。
「私のことは、兄の付属品だと思ってください」
「え?」
「兄の付属品ですから、兄と同じように気を許してくださいとは言いませんが、気を抜く場所の一つにしてください。私に気兼ねはいりませんし、気負う必要もありません」
そう言われて、私は彼女が好きな理由がわかった。
王族である私は、常に己の振る舞いを見られている。
前王家を滅ぼして、庶子と蔑まれた男が王になったのだ。
反感を買って当たり前なのである。
だからこそ、正当な王族よりも厳しい目を向けられる私たちには、他者に弱みなど見せられない。
常に威厳を保っていないとならないのだ。
そんな私に彼女は、自分の前では気を抜けと言ってくれる。
弱い私を理解しようとしてくれる。
絶対的な味方だと信じさせてくれる。
そんな女性に、心惹かれない訳がない。
だが同時に、この恋が難しいことに気付く。
彼女にはアーサーがすでに求婚しているのだ。
アーサーはすぐに彼女が自分にとって、唯一無二の存在だと気付いた。
猛攻撃の結果なのか、いつの間にやら彼らの距離は縮まっている。
目の前で当然のようにプレゼント交換をしている姿に、愕然とした。
一歩も二歩も出遅れている。
セリーヌは僕のだと言うアーサーに呆れていたが、彼はすでに牽制していたのかもしれない。
もう遅い? 遅いのだろうか?
だけどコンウェル伯爵家は、まだアーサーに返事をしていない。
正式な婚約者ではないのだ。
そう思ったが、彼女はデビュタントが終われば領地に帰ると言う。
うっかり失念していた。
私は慌てて引き留めたが、彼女は困惑しながらも残るとは言ってくれなかった。
アーサーは普通に魔法で会いに行くと言う。
この野郎。
心の中で下品な言葉で悪態をつく。
これほど魔法使いが羨ましく、そして妬ましく感じたことはなかった。
どうすれば、彼女の気持ちを変えることができるだろうか?
ルドルフを味方につけようと思うが、彼はそれが日常だと諦めている。
早い、早過ぎるぞ。もう少し粘ってもいいだろう。
血の涙を流すくらいなら、彼女の帰りを邪魔するくらいは考えてもいいはずだ。
私はどうにかセリーヌ嬢を、一日でも長く王都にいさせようと必死で考えを巡らせた。
「お兄様、本日は街に行かれていたのですか? お土産あります?」
妹のエリザベートが薄い赤髪を揺らして部屋の扉を叩いて、私の自室に入って来た。
扉の向こうでは、護衛が困惑している。
さもあらん。
いくら家族でも貴族が他者の部屋に入るのに、護衛や使用人を無視して、尚且つ部屋の主の許可も得ず勝手に入るなど聞いたことがない。
それが王族なら尚更である。
だがエリザベートは気にしない。
こういうところが、淑女らしくないと揶揄されるのである。
私は溜息を吐いた。
「エリザ、護衛を無視するな。彼らは職を全うしなければならない」
「はいはい、以後気を付けます。それよりもお土産は?」
「……菓子を買ってある」
「あら、クッキーね。ありがとう」
そう言って彼女は箱を開けてクッキーを口に放り込んだ。
「はしたない。せめて座ってから食せ」
「はぁい」
エリザが二人掛けのソファに座る。
なんとなくルドルフとセリーヌ嬢の兄妹のように、エリザの隣に座ってみた。
「なんですか、お兄様? 気持ちが悪い。離れてください」
見も蓋もない。
気持ちが悪いなと正直私も思ったが、口にするのはどうかと思う。
セリーヌ嬢なら決して言わない言葉を我が妹に平気で言われるとは、私と彼女の兄妹仲はあまりよくないのだろうかと心配になるが、こうして部屋に遊びに来るくらいなのだからそれほど悪くはないのだろう。
ルドルフとセリーヌ嬢の距離感が異常なのだ。
「どうなさいました? いつもより元気がありませんね」
「前途多難な恋に目覚めた」
私は妹に促されるまま、答えてしまった。
初めての恋に、ボ~っとしていたのかもしれない。
「は?」
妹は訝し気に私を見たが、私は構わず心のままに話す。
「彼女にはすでに言い寄る男がいて、そのうえ近いうちに王都から去ってしまうのだ」
落ち込む私に妹は半眼になりながらも、クッキーを咀嚼してゴクリと飲み込んだ。
「……よくわかりませんが、お兄様が恋をしたのはいいことです。イザヴェリが婚約者面したまま王宮に居座っているのが気に入らなかったので、私は応援しますよ。お兄様の初恋」
理由はどうであれ、意外にも妹が味方になってくれた。
第三者からの応援に気持ちが少し浮上したのも束の間、現実に悲観してしまう。
「だが、彼女がいなくなってしまっては元も子もない」
「確かに。それではその彼女を王都に残るように仕向けましょう。そうですねぇ、王宮で仕事を与えるとか如何ですか?」
「仕事?」
「ええ、何でもいいのです。人手不足で少しの間だけ頼むと帰る直前にお願いするのです。それならお兄様も一緒にいられるので、距離を縮めることができるのではありませんか?」
クッキーを頬張りながら微笑む私の妹は、天才か。
けれど私は少しだけ考える。
今まで一緒にいて少しも意識してもらえていないのに、数日一緒に仕事をしたからといって、良い方向に向かうだろうか?
「……先に気持ちを伝えるのは、早計だろうか?」
「あら、できるのでしたら伝えるに越したことはございませんわ。意図が見え見えになってしまうかもしれませんが、それでも意識したうえで一緒にいる方が効率的です。できますの?」
妹が馬鹿にしてくる。
少しイラっとした私は、力強く宣言する。
「もちろんだ。彼女は困惑するだろうし、もしかしたら速攻で断られるかもしれない。けれど、このままではみすみす彼女を手放すだけだ。無駄な努力になるかもしれないが、ギリギリまで足掻いてみせる」
「無駄な努力と言っている時点で、どうかと思いますけど……。まあ、頑張ってくださいまし」
妹のクッキーを咀嚼する音が響いた。