同一人物のはずがない
部屋中が冷気に覆われ、全員が寒さに震える中、絶対零度の眼差しで第一王子を見つめる美神。
この冷気は、美神の魔法によるものらしい。
だが、それを向ける相手はこの国の第一王子。
何事もなければそのまま王太子を経て、いずれは国王になる存在。
魔法使いとはいえ、明らかに自分より上の存在に喧嘩を売るような真似をして大丈夫なのかと、関係のないこちらがハラハラする。
「もう一度訊くね。あれに何をしたの?」
「ちょ、ちょっと落ち着け。あれって、セリーヌ嬢のことを言っているのか?」
「そうだよ。早く教えて」
どうやら先ほどのこちらの会話から、第一王子が俺に何をしたかを聞きたいらしい。
俺は首を傾げる。
「あの、別にそんな面白い話ではないですよ。貴方が私を男と疑ったので、先ほど偶然殿下と私が接触したので、女である証明をしてもらおうとしただけです」
ほうらね、全然たいした話ではないでしょうと笑うと、俺に視線を向けた美神の眼がますます細められた。
え、怒ってますか?
けど、何に?
俺が立場も考えずに、第一王子と触れ合ったから?
でもそんなことで、なんでお前が怒るの?
てか、さっきからマジで怖いし、寒いんだけど、いい加減にしてくんない?
美神の怒りを察した俺は、寒さも相まってブルブルと兄の腕の中で震えだす。
そんな俺を兄がギュッと抱きしめる。
その様子に、何故か冷気が威力を増した。
「いい加減にしてください、アーサー殿。この場にいる者を凍らせる気ですか?」
兄の苦言に、わずかに眉間に皺を寄せる美神。
「アーサー、一体どうしたというのだ、お前らしくもない。簡単に魔法を使うのは嫌だったのではないのか?」
第一王子が窘めると、チラリと彼に視線を向けた後、目を閉じた美神が冷気を霧散させた。
通常の温度になった部屋に、全員が安堵する。
俺はまだ兄にくっついていたのでマシだったかもしれないが、一番薄着の侍女たちは可哀想だった。
心なしかまだ震えているようだ。
「殿下、侍女たちをいったん下がらせてあげてください。今の寒さは女の身ではこたえます」
俺の言葉に第一王子はハッとして、侍女に振り替える。
「そうだな。お前たち下がっていいぞ。少し休むがいい。別の者に温かいお茶の用意をするように伝えてくれ。こいつらの分も頼む」
そう言って護衛騎士の分も頼む第一王子は、気遣いのできる上司のようだ。
侍女たちは頭を下げて部屋から退出していった。
残った俺たちは、とりあえず寝台のある部屋からソファのある部屋へと移動する。
第一王子と美神が一人掛けソファに腰を下ろし、俺と兄が二人掛けのソファに座った。
護衛騎士は再び、扉付近へと移動する。
「セリーヌ、君は大丈夫か?」
兄が俺の腕を擦りながら、心配してくれる。
「ありがとうございます。お兄様が抱きしめてくれていたおかげで、私は大丈夫です」
「ああ、なんて可愛いことを言うんだろう、私の妹は」
兄が俺の頭に頬を寄せてスリスリし始める。
禿げるかもしれないから、やめろ。
「これは、ルドルフの妹なの?」
美神がコテンと首を傾げた。
先ほどまでの怒りはどこにいったのか、その幼い仕草に思わずキュンとなる。
うぐっ、なんだその変わりようは。
可愛いじゃないか。
――しかし先ほどから美神は何故か俺のことを、あれとかこれとか言っているが、どういうつもりなのだろう?
まるで物のような言い方に、つい不満顔になる。
「……アーサー殿、貴方の性格はある程度把握しているつもりなので、悪気がないのは十分理解しておりますが、私の可愛い妹をあれこれ呼ばわりするのは、やめていただけないでしょうか。気分が悪いです」
眉間に皺を寄せた兄が抗議する。
ああ、流石は妹馬鹿の兄。よく言ってくれた。
言い返せない立場にある俺の代わりに、ちゃんと兄が守ってくれるのだと嬉しくなる。
俺は無意識に兄に擦り寄った。
そんな兄の抗議に美神は、またもやコテンと首を傾げた。
「ごめん、ね?」
「なんで疑問形なのですか? まあ、いいでしょう。先ほどは妹の怪我を治してくださり、ありがとうございます。後ほどコンウェル伯爵家から改めてお礼いたします」
兄は不服そうにしながらも、治療のお礼はしっかりと述べた。
俺も兄に倣って、隣で頭を下げる。
人として感謝するべきことは、ちゃんとしなければならないよな。
俺たち兄妹の礼儀正しい謝辞に、美神もぺこりと会釈した。
ちょうどその時、侍女がお茶とお菓子を持ってきたので、一旦話は中断して温かいお茶をいただくことにした。
護衛も立ちながらではあるが、お茶の温かさにホッとした表情を見せる。
芯から冷えていた体が温もりを取り戻して、やっと人心地着いた。
「改めて紹介します。この子は私の妹でセリーヌ・コンウェルと申します。セリーヌ、こちらは王宮魔法使いのアーサー・レントオール殿だ」
皆が落ち着いたころを見計らって、兄が俺を美神へと紹介した。
「セリーヌ・コンウェルと申します。以後お見知りおきを」
すぐに俺も挨拶したのだが、美神はジーッと俺を見つめたまま会釈もしてくれない。
何だ、この野郎。喧嘩売る気か?
思わず臨戦態勢をとりそうになって、いかんいかんと内心で首を横に振る。
だが先ほどからこの美神は、どうしてこんなにも俺の顔をジッと見るのだろうか?
俺の顔に何かついているのか?
周囲に気付かれないように顔を触っていると、第一王子が美神に声をかけた。
「どうした、アーサー。いやにセリーヌ嬢を気にしている様子だが、彼女を知っているのか?」
「知らない。いや、知っているかもしれない。わからない」
「なんだい、それは?」
美神の回答に、王子と兄が目を丸くする。
だが、俺だけは一瞬ドキッとした。
先ほどの考えが頭をよぎる。
あの子に似ていると……。
俺はあの子の名前を呼びそうになったが、呼んだところでどうする?
今の俺は超絶美少女セリーヌちゃんだ。
三十一歳の親父とは、何もかもが違う。
それにもしも美神があの子だとしても、一緒にいたのはたった一年。
七歳の時に一緒にいたおっさんを、覚えているかどうかも怪しい。
美神が俺に会ったことがあるかもしれないというのは、そのこととは違う話だろう。
俺はニッコリと微笑んだ。
「もしかしたら、どこかでお会いしましたでしょうか? それとも姿絵でも見て、それが朧気に記憶の中にあったとか? お兄様の仕事机に飾ってあるのではないですか?」
兄がポンッと手を叩く。
「確かに妹の姿絵は置いてあるし、アーサー殿も執務室には出入りされたこともありますね。それを目にされたのでしょう」
「三枚も飾ってあれば、誰でも目に入る。私もそれでセリーヌ嬢を迎えに行けたからね」
ハハハと第一王子が半眼になる。
マジであるのかよ。と呆れるが、妹大好きな兄ならばむしろ置いてないはずがない。
想定内だなとは思うが、まさかそれが三枚もあるとは流石に思わなかった。
仕事机にそれならば、兄の部屋にはどれだけ飾ってあるのだろう?
王都の屋敷に行くのが、ちょっとだけ怖くなった。
けれど、美神があの子と同一人物と考えるよりは、姿絵の方がまだ説得力がある。
俺たちに姿絵だろうと結論付けられた美神は納得していないのか、まだ首を傾げているが、それでも反論はしなかった。




