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転生しておっさんから伯爵令嬢になったら、前世の義息から溺愛されました  作者: 白まゆら


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オクモンド・ハイネス・トルトワ ②

 人気のない建物の隅で、私は我が目を疑った。

 以前から傲慢な態度で私をはじめ、王宮全体が迷惑を蒙っていたイザヴェリ・バトラード公爵令嬢が、ずぶ濡れで地面に座り込んでいる小さな少女の顔に、きらりと光る刃物のような物を近付けていたのだ。

 遠くからなので、それが何かはわからないが、決して楽観視できる状態でないことだけは確かだ。

 多くの令嬢が周りを囲んでいて、その様子を見ながらクスクスと笑っている。

 その異様な光景に、私は護衛の騎士たちを連れて急いで駆け寄った。


 状況を確認しようとするが、イザヴェリ嬢は決して本当のことを言わない。

 明らかに嘘だとわかる言い訳を、延々と繰り返す。

 それでいて私へ媚びるのも忘れない。

 彼女への嫌悪に吐き気がした時、ずぶ濡れの令嬢がスクッと立ち上がり、ヘラリと笑った。


 彼女は自分がドジったのだと軽口を言い、その場から立ち去ろうとする。

 私は一瞬、見送りそうになったが、よくよく考えると彼女がルドルフの妹であることは間違いないだろう。

 そして私は、この少女を探していたのだ。

 だがそれを、この状況で口にする訳にはいかない。

 そんなことが知られれば彼女がイザヴェリ嬢たちに、これからも執拗に絡まれるのが目に見えている。

 私は咄嗟に彼女を捕まえて、身支度を整えるように命令する。

 私にしてはちょっと強引な態度だが、ここで彼女を見失ったら、そのままいなくなってしまうように思ったからだ。

 すると周囲で見ていた令嬢たちが一斉に、聞き苦しい罵声を浴びせ始めた。

 淑女にあるまじき態度である。

 私は嫌悪を隠さずに説き伏せ、そのまま少女を連れて城内へと向かった。



 彼女が身支度している間に、仕事をしているルドルフに事の経緯を簡単に伝え、終わり次第こちらに来るようにと護衛の一人を送った。

 暫くして彼女の部屋へ挨拶に行くと、そこにはラベンダー色の髪に紫の瞳の美しい少女が大きな目でこちらを見ていた。

 ルドルフにはあまり似ていないが、姿絵よりも可愛いと見入ってしまう。

 これでは彼が溺愛するのも仕方がない。


 彼女はカーテシーをとると、しっかりとした挨拶をする。

 まだ十五歳と聞いていたが、受け答えは立派なものだ。

 そうしてセリーヌ嬢との会話に夢中になっていると、扉が乱暴に開かれた。


 妹が傷付けられたと聞いて慌てて来たのだろう。

 ルドルフは妹の体を隅々まで調べ始めた。

 だが混乱しているルドルフには自分が何をしているのかわかっていないのか、淑女にとるべきではない行動をとり始めた。

 妹のドレスの釦にまで手をかけたのを見て、流石に止めに入ろうとした私の目の前で、セリーヌ嬢はルドルフの鳩尾を殴りつけた。

 ……呆気に取られる。

 令嬢が兄を拳で黙らせた。


 だが二人の間には、すぐに優しい雰囲気が作られる。

 セリーヌ嬢も、自分を心配しての行動だとわかっているのだ。

 けれどイザヴェリ嬢にされたことを、そのまま何もなかったことにしそうなセリーヌ嬢に、私は眉間に皺を寄せた。

 あれは笑って済ませられるようなことではない。

 せめてルドルフには真相を話しておくべきだ。

 そんな私の考えをよそにセリーヌ嬢はルドルフを手懐け、そのまま帰宅しようとする。

 待て、と思わず止めてしまった。


 そして話を聞くうちに、先ほどの騒動は婚約破棄をされた令嬢の完全なる八つ当たりと、イザヴェリ嬢の単なる退屈しのぎだとわかった。

 とんでもないと憤慨したいが、当然ながらルドルフの怒りの方が強いので私は冷静に二人の様子を見ていた。

 すると、ルドルフに引っ張られるようにして転ぶセリーヌ嬢が目に入った。

 私は慌てて助けようと、両手を前に出す。

 ずっしりとした人の重みが両手に乗るが、その感触はなんとも柔らかい。

 え? とそれがなんであるか気付いた時には、もう遅い。

 私はセリーヌ嬢の胸を、手に乗せていたのである。


 怒り狂うルドルフは、何を言っているか最早不明。

 胸を触られた当の本人であるセリーヌ嬢が一番冷静である。

 正直あの時の私も混乱していて、よく覚えていない。

 ただ柔らかかったなと。

 侍女と護衛騎士からの生暖かい目だけが、妙に頭に残った。


 そして突然、肩を押さえて蹲ったセリーヌ嬢を見て、我に返った。

 ルドルフも同じで、どうしたのかと訊ねると、どうやら先ほどの騒動で怪我をしていたそうだ。

 何故、言わなかったのかと少し腹立たしく感じた。

 彼女はどうして、たいしたことではないように振舞うのだろう?

 酷い目にあっている。

 辛い目にあっている。

 普通の令嬢ならば、ここぞとばかりに甘えてくる。

 私に助けてくれと守ってくれと、縋り付いてもおかしくはない。

 いや、私にできないのならば兄に甘えればいいのだ。

 それなのに、周囲を気遣うばかりで自分のことは大丈夫だと何も言わない。

 こんな令嬢に、私は初めて会った気がする。



 セリーヌ嬢の怪我は大変なものではあったが運よく、というか奇跡的に、賢者の称号を持つアーサー・レントオールが偶然にも居合わせて、治してくれた。

 普段、魔法塔から出ない彼がこんな所にいるのは、かなり珍しい。

 そして、人嫌いの彼が怪我を治してくれるということも。

 ただ彼の、セリーヌ嬢への距離感が尋常ではないほど近いのが気になる。


 そのうえ労いの言葉をかける私を無視して、彼は礼を言う彼女に向かってとんでもないことを口にした。

「君、男じゃないよね?」

 これには面食らうしかなかった。

 ハハハと笑い飛ばす私に、愛らしい唇を尖らせたセリーヌ嬢が「そうですよね。殿下も先ほど、確認しましたよね」と私に胸の話を思い出させる。

 彼女にしたら、直接触れた私への単なる確認の言葉なのかもしれないが、ぶり返された私は動揺するしかなかった。

 感触を思い出す。

 すると何故かアーサーの眼が据わった。


 そして、じわじわと冷気を漂わせ始めた。

 今までのアーサーからは考えられない行動の数々に私はどうした、らしくないとしか言えなかった。

 だがその言葉で、冷静さを取り戻してくれたアーサーは冷気を霧散させた。


 私が知っているアーサー・レントオールという男は、魔法に関しては右に出る者はいない、国内随一の術者だ。

 だが大の人嫌いで、簡単にはその天才的な魔法も使ってはくれない。

 一応陛下のお達しで、人前では極力使用は禁止とされている。

 だがそれは建前で、本当は彼が使うのを拒んでいるのだ。

 無表情の無感情、美しい人形のような男。それがアーサーだと思っていた。

 こんな風に感情のまま、魔法を漏れさせる姿など見たこともない。


 アーサーはセリーヌ嬢を異常に気にしていたが、それはルドルフの机の上にある姿絵の所為ではないかとセリーヌ嬢本人に言われて首を傾げていた。

 だが、それ以上は何も言わなかった。

 本人ですら、ハッキリとした理由がわからないらしい。

 私はどうしてアーサーが普段近寄らないこんな場所にいたのか訊ねたが、それについても気配を感じたからという訳のわからない答えが返ってきた。

 まあ、危険なものではないのならいいだろう、というルドルフの言葉で話はひとまず終了した。


 その後セリーヌ嬢が負わされた怪我について、イザヴェリ嬢を糾弾するというルドルフに、私は言葉を詰まらせた。

 イザヴェリ嬢のバトラード公爵家は、それはもう厄介な家なのだ。

 旧王族派であると同時に、卑怯な手で貴族たちを掌握していて口も手も出してくる権力の持ち主である。

 苦言を呈しても、しらを切られるか仕返しされるかだ。

 糾弾などしようものなら、どんな手で報復してくるかわからない。

 ルドルフもそれは十分わかっているはずだが、それほど怒っているということなのだろう。

 仕方がない。

 これほど溺愛している可愛い妹を、怪我が治ったからといって許せるはずもない。

 私だって、糾弾できるものならすぐにでもしたいのが本音だ。


 だけどそこで、またもやセリーヌ嬢が自分は大丈夫だから私を困らせるなと助けてくれる。

 私の態度からイザヴェリ嬢の家が厄介だと気付いて、気遣ってくれる姿はなんとも聡い子だと感心すると同時に、心が温かくなる。

 私はルドルフに、奴らの怒りを買ったらセリーヌ嬢のデビュタントで何をされるかわからないと話した。

 するとセリーヌ嬢が「このまま領地に帰るというのはまずいですよね?」と見も蓋もない提案をしてきた。

 ルドルフがこの世の終わりのような顔をした。

 私だって、このままセリーヌ嬢に帰られるのは納得いかない。

 それにデビュタントの宴に出席しなければ、社交界で大人として認められないのだ。

 それは困るだろうと思っていると、それまで黙っていたアーサーが口を開いた。


「僕が守るよ」


 ありえない言葉に、言われたセリーヌ嬢もルドルフも唖然とした。

 あの、人に興味のないアーサーが、先ほど初めて会ったセリーヌ嬢に無条件で守ると言ったのだ。

 驚くなという方が無理である。

 結局それは聞かなかったこととして、二人は逃げるように屋敷へと帰って行った。


 残された私は、アーサーに訊ねた。

「どうして、そこまで?」

 アーサーは何も言わずに、ただふわりと微笑んだ。

 初めて見た彼の柔らかい表情に、私はただただ呆然とするしかなかった。

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