美神は目に悪い
肩の痛みで突然蹲った俺を見た兄ルドルフは、中腰になりオロオロする。
「セリーヌ、セリーヌ、どうしたの? オクモンド様に胸を鷲掴みにされたショックで落ち込んでいるの? それとも寒い? お腹空いた? お兄ちゃんに話してごらん」
「いや、待てルドルフ。鷲掴みなどしていない。確かに私はその、セリーヌ嬢を傷付けてしまったかもしれないが、決してわざとでは……」
兄に責任を押し付けられた第一王子は、真っ赤な顔で弁解を始める。
狼狽える男二人に、部屋の隅で様子を見ていた侍女と護衛も動揺し始める。
ああ、もう煩い。
俺は少しだけ痛みが和らいだのを見計らって、顔を上げた。
「申し、訳ありません。実は先ほど、地面に倒れたのですが、どうやらその時に強く打っていたようです。ちょっと肩に痛みが……」
えへへと笑うが、あまりの痛みに脂汗がにじみ出る。
やせ我慢丸出しの俺に、兄と第一王子が同時に目をむく。
「「どうして黙ってた? すぐに医師を!」」
兄と王子の声が重なった。
二人はすぐに行動に移す。
兄が隣室にある寝台まで俺を運ぼうと抱き上げ、第一王子が護衛に医師を、侍女に肩を冷やすための水とタオルの用意を指示する。
護衛が王子の命令の元、医師を呼びに廊下の扉を開けたところで「わっ!」と悲鳴が上がった。
ふと、そちらに視線を向けると……神々しい美形がジッとこちらを覗いていたのである。
ドクン! と俺の心臓が音を立てた。
美しいホワイトブロンドの長髪に水色の瞳の、恐ろしいほどの美形。
彫刻のような美しい顔立ちに、滑らかなシミ一つない真っ白な肌は女性のようでもあるが、その体形は細身であるにもかかわらず、しっかりとした筋肉が付いているのがわかる。
ラフなシャツの上には、魔法使いをあらわす黒いローブを羽織っていた。
その神秘的な佇まいに部屋の中の者が一時、現状を忘れて息を呑む。
痛みも忘れて呆然と見惚れる俺と、何故か目が合った。
美神は何も言わずにツカツカと俺の方へと歩いてくる。
そこでやっと第一王子が声を出した。
「ちょうどよかった、アーサー。その子の怪我を治してやってくれないか?」
美神は何も言わずに兄に横抱きにされた俺の前まで来ると、ジッと何かを探るように見つめてくる。
ちょっと……ほんのちょっとだけだが、彼を見ているとあの子を思い出す。
あの子も恐ろしく美しい子供だった。
ただあの子の髪色は、美しい稲穂のような金髪だったはず。
第一王子が呼んだ、名前だって違う。
それにあの子が、王宮にいるはずはないのだ。
嫌がって、逃げた場所に、その身を預ける訳がないのだから。
でもこの澄んだ水色の瞳は、あの子の色と似ていて……。
ジッと見つめ合う俺と美神に、我に返った兄が痺れを切らした。
「アーサー殿、治してくれるのなら早くお願いしたい。先ほど肩を強打して痛みに震えているのだ。無理ならすぐに医師を手配しないといけない」
兄の焦りの声を聞いた美神は、すっと隣の部屋を指差した。
「……寝台に座らせて」
「治してくれるのか⁉ ありがたい!」
俺は兄の手により、そっと寝台に下ろされる。
枕をクッション代わりに背中に置いて、寝台に座る。
兄が避けるのと同時に、美神が俺が座る寝台の左横に腰を掛けて、俺が押さえている左肩から手を離させると「脱いで」と言った。
……その場にいる全員が、固まった。
えっと、それは怪我を見るために服を脱げということだろうが、傷んでいる場所は肩。
俺が着ているドレスは首が詰まったもので、肩を見せるには背中の釦を外してドレスを肩まで脱がなくてはいけない。
正直、今の現状を理解していないおっさんのままの記憶でなら躊躇なく脱いでいたかもしれないが、今はセリーヌである自分を思い出し、しかもこんな美形に見せるとなると、流石に困惑するのは仕方がない。
十五歳はお年頃だ。
先ほどの第一王子による胸鷲掴み事件は、この際横に置いておく。
「ま、待ってくれ、アーサー殿。直接見ないと治せないのだろうか? 前に治療している姿を見た時には、服の上からだったはずだが」
隅に避けていた兄が、真っ青な顔をして飛んでくる。
いくら治療のためとはいえ、妹の玉の肌を初めて会った男に見せるのは、兄としても許しがたいのだろう。
「……治せるけど、どんな怪我か一応見て見ないと」
美神は俺をジッと見つめたまま、兄の言葉に返答する。
いや、できるのかい!
思わず裏拳で突っ込みを入れたくなったが、グッと耐えた。
「セリーヌ、どういう状況で怪我をしたのか話して。それで大体の怪我は想像がつきますよね」
兄は服を脱がなくても治せるという美神の発言に、一瞬額にピキッと青筋を立てたが、すぐに彼と俺を交互に見て訴えた。
俺はコクコクと兄に頷き、美神に何か言われる前にと早口で説明した。
「ちょっと人に突き飛ばされて。咄嗟のことで受け身が取れなくて、肩から地面に倒れたんです。ですから打ち身とは思うのですけど、想像以上に痛みが強いかなって」
「肩の関節を脱臼している恐れがあるね。わかった。そのままでいいから、じっとしていて」
美神は俺の話を聞くと、右手で怪我をしていない方の肩を抱き寄せ、そっと患部に左手で触れた。
その行動にドキッとした俺は美神に抗議の声を上げそうになったが、すぐにふわっと穏やかな光と共に患部が暖かくなる。
その暖かさに、痛みが引いていくのがわかった。
自然と目を瞑り暫くその暖かさに身を委ねていたが、隣からの視線に落ち着かなくなる。
そろりと目を開けると、端正な顔がありえないほど至近距離にあった。
いつの間にか光は消えていたが、俺は視線を逸らせなかった。
蛇に睨まれた蛙。
タラリと汗が背中を伝う。
「アーサー殿、もう終わり? 終わりましたよね? セリーヌ、どうだい、痛みは?」
兄が俺から美神を引きはがした。
治ったのならこれ以上、美神が俺にくっついている必要はない。
シスコン兄なりに、ずっと耐えていたのだろう。
俺もあの美貌に耐えたよ、うん。
俺は肩を軽く回してみる。
先ほどの痛みが嘘のように引いている。
「治った。全然痛くない、です」
ホッと兄に向き直ると「良かった、セリーヌ。お前にもしものことがあったら、兄上に殺されるところだったよ」と言って抱きつかれた。
領地にいる長兄は俺が王都に来る際、保護者はルドルフだと言って、俺に対する全責任を次兄に任せた。
要するに、ここで俺に何かがあれば次兄が責任を取らなければならないということ。
お転婆な妹の全責任を押し付けられた次兄。
流石に可哀想ではある。
「あー、本当に治ってよかった。アーサー、ご苦労様だったね」
今まで傍観していた(というか、美神の行動に唖然としていた)第一王子が、労いの言葉をかけた。
それを聞いて俺も慌てて、兄の腕の中から美神に向かって礼を述べる。
「あ、あの、ありがとうございます。助かりました」
「君、男じゃないよね?」
「は?」
治療の礼を言ったら、いきなり男と間違われた。
一瞬、唖然としたものの、そのうちフツフツとした怒りがこみ上げてくる。
いくらなんでも、それはないんじゃないのか?
そりゃあ、お前の神がかった美しさと比べたら、俺の愛らしい顔だって単なる子猿にしか見えないかもしれないが、それにしたって男と間違えるには無理があるぞ。
百歩譲って動物でもいいから、雌にはしろ。
セリーヌとして生きていた十五年にも、矜持はあるのだ。
俺の剣呑な雰囲気を感じ取った第一王子が、ハッとして美神を自分に引き寄せた。
「ハハハ、アーサー、君は何をいっているのかな? こんなに愛らしいセリーヌ嬢が男のはずがないだろう」
「そうですよね。殿下も先ほど、確認しましたよね」
「え⁉」
鼻息荒く同意を求める俺を見て、じわじわと頬を染め動揺する第一王子。
俺の胸に直に触った王子が一番理解しているはずだと思って言ったのだが、どうやらその感触を思い出させてしまったようだ。
すまん、王子。
「そうです、オクモンド様。責任取ってくださいよ」
「いや、責任って……」
自慢の妹が男と間違われたショックに放心していた兄が、我に返って第一王子を攻撃し始めた。
あれは俺がテーブルにダイビングしそうになったところを助けてくれただけだから、別に王子に責任を取らす気など毛頭ない。
ただ、セリーヌ嬢は本物の女! と断言してくれればそれでいい。
そう口にしようとした瞬間、部屋中が一瞬にして冷えだした。
さ、寒い。
俺は兄に抱きしめられていた身を、ますます寄せた。
床を見ると、白い冷気が漂っている。
その冷気の出所を追うと、それは美神に辿り着く。
「オーク、あれに何をしたの?」
――美神の眼が据わっていた。