無理矢理が過ぎる
酒か薬かわからないが、どちらにせよ俺が意識を飛ばすことは確実な何かが含まれた飲み物を、見ず知らずの令息を連れたバトラード公爵夫人は、不遜な態度で差し出している。
俺は差し出されたグラスを見つめながらも、チラリと夫人の横にいる男を盗み見た。
ザムト男爵の四男と紹介された男は、小柄でこの国では珍しいニキビ面した丸い体形の男だった。
俺を上から下まで嘗め回すように見ながらニヤニヤと下卑た笑いをする令息は、すでに俺とのアレコレを頭の中で想像しているのかもしれない。
背筋をゾクッと悪寒が走る。
いや、ありえんだろう。
俺が素直に応じるとでも思っているのか⁉
自然と体が後退するが、令嬢の背中にぶつかって退却を阻まれる。
数人の令嬢がこちらに背中を向けて、俺が逃げられないように壁を作っているのだ。
イザヴェリの子分の仕業かと内心で舌打ちしていると、そんな俺の様子に気付かない二人はペラペラと話し出した。
「貴方が入場してから、ずっと気になっていました。美しい蝶が私のためにこの場に舞い降りたのだと。どうか私と一時ともにお過ごしくださいませんか? きっと忘れられない時を過ごせますよ」
「あら、熱烈なお誘いですわね。うふふ、若い方は羨ましいわ。どうぞ、好きなだけ二人で愛を語ってくださいな」
「ありがとうございます、公爵夫人。部屋は、あちらですか? では参りましょう」
「あ、少しお待ちを。その前にこの果実水をグッと飲み干してちょうだい。今から沢山汗をかくのだから、水分補給は必要よ」
「これはお気遣い感謝いたします。では、どうぞご令嬢。一息にお飲みください」
二人は目配せすると、俺に無理矢理果実水という名の薬を飲ませようと、にじり寄って来た。
もうこれって、殴ってもいいよな?
身の危険を感じた乙女の防衛本能で、勝手に体が動いたことにしよう。
俺は騒ぎになることを覚悟して、拳を握りしめた。
……が突然、俺の肩に手を伸ばしたアレンがぐんっと後ろに引き寄せ、そのまま自分の腕の中に抱き込んだ。
あれ、いつの間にこちらに来たんだ?
先ほどまでバトラード公爵に捕まっていたはずだったけど。
俺が先ほどまでアレンがいた場所を、彼の腕の中から顔を上げて人垣から覗き込むと、兄とオクモンド様がバトラード公爵と話している姿が目に入った。
どうやら彼らが公爵を引き受けてくれたらしい。
アレンの、俺を抱きしめるという突然の奇行に驚く周囲とバトラード公爵家の面々、とニキビ面。
「しゅ、淑女に突然なんてことをするんだ⁉ 失礼だろう、この魔法使い風情が。即刻離れろ!」
ニキビ面が俺の大切な息子を貶しやがった。
奴に飛び掛かりそうになった俺を、アレンはそっと引き寄せる。
そしてアレンから俺を引き離そうと手を伸ばしてくるニキビ面に、絶対零度の眼差しを向けた。
先ほどの令嬢と同じように「ひっ!」と悲鳴を上げて手を引く男爵令息。
「ま、まあ、どうしましたの、レントオール様。具合でも悪くなったのかしら? 別室でお休みになられます? そうだわ、イザヴェリ。ご案内して差し上げたら⁉」
公爵夫人がさっと果実水を庭に零すと、アレンの行動を具合が悪いものだと決めつけた。
夫人はあくまでオクモンド様と兄には気付かれないように、俺を男爵令息に引き渡したかったのだろう。
俺の意思で彼について行ったと思わせ、事を成し遂げたかったに違いない。
そのためにバトラード公爵がアレンに絡んでいたのだ。
男爵令息とのやり取りや果実水について探りを入れられたくなかったのが、公爵夫人の行動でわかる。
しかしアレンの出現により俺を秘密裏に男爵令息に引き渡せなかった夫人は、あろうことか娘にアレンの介抱をするよう別室へと促した。
いや、あんたの娘は王子と結ばせたいのだろう?
ここぞとばかりに王宮魔法使いに狙いを変えるなんて、どんだけ節操ないんだよ?
俺はアレンの腕の中から、イザヴェリに視線を向ける。
王子狙いだった公爵令嬢が、母親から蔑んでいた魔法使いに鞍替えしろという要求にさぞ不快な思いをしていることだろうと思ったのだが、イザヴェリは頬をうっすらと赤くして、まんざらでもないような顔をしていた。
俺はおやっ? となるが、そういえば以前にアレンが言っていたな。
バトラード公爵家は魔法使いを差別しているが、アレンほどの美貌と地位があれば愛玩用として手に入れたがっていると。
その証拠に、公爵も夫人の言葉に反論はしなかった。
呆れる俺を無視して、イザヴェリは人の間を通り抜けアレンの側に寄って来る。
「レントオール様、そんな小娘を支えにしなければならないほどお体の調子が悪いのかしら? 早く横におなりあそばせ。公爵令嬢である、わたくし自らお部屋へ案内して差し上げますわ」
俺を離して自分の手を取れというように、イザヴェリがアレンに手を伸ばす。
断られるなど微塵も思っていない不遜な態度だ。
魔法使いであるアレンを下に見ているのが丸わかりで、不愉快極まりない。
アレンの腕の中からうー、うーと唸る俺を視界にも入れないイザヴェリが、当然のようにアレンの腕に触れようとして……バチッ!
「いたっ!」と叫んだイザヴェリは、伸ばしていた手を引っ込めて唖然とした。
「どうしたの、イザヴェリ?」
「大丈夫か?」
すぐにバトラード公爵夫妻が娘の元に飛んでくる。
青い顔をしながら、化け物でも見るような目でアレンを睨みつけるイザヴェリ。
「何、今の? 触れようとしたら凄く痛かったんだけど……貴方、わたくしに何かしたの?」
「静電気」
「は?」
アレンはそれだけを言ってフイッと視線を逸らす。
少し離れた位置にいるオクモンド様が「ああ、なるほど」と言ってアレンの言葉を引き取ってくれた。
「静電気が走ったのだろう。自然現象だ。アーサーが何かしたのならば、腕の中にいるセリーヌ嬢が無事なはずがない。そうだろう、バトラード公爵?」
オクモンド様が公爵に同意を求めるように声をかけた。
だが、冬場でもなければ乾燥もしていないこの時期で、いきなり静電気が起きるのはゼロではないとはいえ少しおかしい。
そう思って見上げると、アレンは俺にだけわかるように口角を上げた。
魔法を使ったのがわかり、俺は先ほどまでの怒りを少しだけ抑えた。
バトラード公爵は納得いかない顔をしていたがオクモンド様に話を振られ、常識で考えて頷くしかなかったようだ。
先ほど絡んでいたようにアレンがどんな魔法を使うのかも知らない公爵が、魔法で娘を傷付けられたと叫んでも、説得力がないのだから。
「二人共、疲れているようだし、そろそろ帰りましょうか。オクモンド様も仕事が残っておりますよ」
ここで兄が無表情で帰りを促してきた。
あれ、兄の額に青筋が浮かんでいる。
俺が兄を見ていると、先ほどの男爵令息をジロリと睨みつけていた。
「ひいぃ~~~」
男爵令息がプルプルと震えているのを見て、ああ、兄も俺が連れて行かれそうになっていたのを怒っていたんだなと気が付く。
ザムト男爵には後ほどコンウェル伯爵家から正式に抗議させてもらうとして、バトラード公爵家をどうしようか。
オクモンド様のフォローでどうにか場は落ち着いているが、周囲は息を詰めているしイザヴェリも納得していない。
「側近殿は相変わらず融通が利きませんな。せっかくのお茶会に仕事の話を持ち出さなくてもいいではありませんか」
帰りを促した兄を、バトラード公爵は愚弄する。
どうやらオクモンド様以外は敵認定したみたいだ。
兄が眉間に皺を寄せるが、イザヴェリがここぞとばかりに声を張り上げた。
「そうですわよ、コンウェル様。まだ、ほとんどの方とお話しされていないでしょう。この際、縁を結びたい方はお話しなさったら如何でしょう。ご来場の皆様、遠慮してないでお引止めしないと、オクモンド様たちは退屈なさって帰ってしまわれますわよ」
そして近くにいた令嬢の集団に視線を向ける。
彼女たちは頷くと、一斉にオクモンド様、兄、アレンへと群がった。