愛称問題勃発
朝食が済み、応接室へと移動した俺たちは人払いをして、再び話し始めた。
因みに二人掛けのソファには、いつものように兄と俺が座る。
アレンはジッとこちらを見つめた後、一人掛けのソファを以前と同じように魔法で移動させて、俺の隣に座った。
苦虫を嚙み潰したような顔をする兄に、俺は気を逸らせるため「皆様の仕事は大丈夫なのですか?」と訊ねると、問題ないと三人は頷いた。
本当だろうかと半眼になるが、本人たちがいいと言うのならいいのだろう。
「本題に入る前に、一つ気になっていたことがあるのだが……セリーヌ嬢」
俺たちとは反対側の一人掛けのソファに座るオクモンド様がコホンと咳をして、俺に質問してきた。
「はい、何でしょうか?」
何を訊かれるんだ、と少し緊張した俺は咄嗟に身構えた。
「どうして君は、アーサーをアレンと呼ぶの?」
「あっ」
オクモンド様に指摘され、無意識にアレンと呼んでいたことに今更ながら気が付く。
兄もそういえばと、俺を見る。
二人の視線に戸惑う俺を見て、アレンがクスリと笑う。
笑っている場合かとジト目を向けると、アレンが二人に見せつけるかのように俺の左手を持ち上げ、指先にキスをした。
「「!」」
驚く二人にアレンは「僕はセリーヌの婚約者だからね。婚約者なら愛称で呼んでも不思議ではないでしょう」とニッコリ笑って言った。
「まだ婚約者ではありません!」
兄が慌てて俺とアレンの間に入ってくる。
そうして勢いよく、べりっと引きはがした。
「あー、いや。アーサーが求婚しているのは知っているが、その、アレンというのはどういう愛称なんだい? アーサー・レントオール……ああ、アーサーのアとレントオールのレンか」
オクモンド様がポンッと手を叩いた。
いやいや、それはたまたま、と俺が苦笑するとアーサーがニコニコ笑っていた。
おい、お前まさか……。
アーサー・レントオールという名前自体が、アレンを文字ったものか?
俺がギョッとアレンを見ると、彼はご名答と言わんばかりに笑みを深めた。
おいおいおい、王宮に届け出た正式名称がそんな適当でいいのかよ?
まあ、確かにアレンの経歴は正直に表に出せるものではないし、戦争に関わった魔法使いにまともな名前など残っているはずもない。
こいつは元から本当の名前を言いたがらなかったし、ある意味それでいいのか。
俺は呆れながらも、アレンという名を大事にしていてくれた事実に、少しだけ感動した。
「まあ、アーサーをアレンと呼ぶのはわかった。では私もオークと呼んでもらおうかな」
なんで?
オクモンド様が何故か自分も愛称で呼べと言ってきた。
目を丸くする俺と半眼になるアレン。
「何を言っているのですか? 第一王子様を愛称で呼べるはずないでしょう」
兄がちゃんと反論してくれる。
「そう言って、ルドルフも呼んでくれないじゃないか。呼んでくれたのはアーサーだけだ」
ちょっと拗ねたように言うオクモンド様に、あれ? となる。
「セリーヌに強要するのなら、僕も呼ばなくなるよ」
「強要する気はないけど、酷いなぁ。そんなに無理なことを言っているのだろうか?」
「普通に考えて無理でしょう。貴方は第一王子様なのですよ。この国の王族です。そんなに誰かに呼んでほしければ、早く婚約者を決めてください」
「あ、藪蛇」
オクモンド様が苦笑して、舌をペロッと出した。
精悍な顔つきのオクモンド様のそんな態度は、ちょっと可愛かった。
しかし、う~ん。
以前から思っていたけどオクモンド様って、寂しいのかな?
まあ、王族なんてものは孤独なものではあるが、そうだな。多分、幼馴染の兄に甘えている部分もあるのだろう。
それでついチョコチョコと、本音が出るのかもしれないな。
だったら兄が呼んでやれば、納得するのでは? と俺は兄に向って提案してみる。
「私が呼ぶには流石に問題がありますが、お兄様なら良いのでは? 呼んで差し上げれば如何です?」
「何を馬鹿なことを言っているんだ、セリーヌ。側近が主である王子様を愛称で呼ぶなど許されるはずがないだろう」
あ、兄は超がつくほど真面目だった。
いつもの俺に対する態度から忘れていた。
俺は少し、げんなりする。
オクモンド様も苦笑している。少し悲し気に……。
その表情に、昔を思い出してしまう。
孤独だったあの時代を……。
「でしたら!」
バンッと、俺は机を両手で叩いた。
「私が呼びます。オークと」
「は?」
兄が素っ頓狂な声を出し、アレンが眉間に皺を寄せた。
仕方がないだろう。
孤独の寂しさは、わかってしまうんだから。
愛称で呼んで、それで少しでも紛れるのなら安いものだ。
「お兄様が呼ばないから、私が呼ぶのです。いけませんか?」
「いけないに決まっているだろう。ただでさえ、イザヴェリ嬢をはじめとした多数の令嬢に目を付けられているというのに、そんな親密な態度を取ったら、大変なことになるよ」
「どうせ何かされるのなら、一緒でしょう。愛称ぐらい大丈夫ですよ」
「大丈夫じゃない! セリーヌ、ちゃんと考えてから発言しなさい! 君はそんな考えなしに行動をとるような子だったのか?」
初めて兄が、俺を否定的に言った。
けれど興奮している俺には、そんな言葉は効かない。
「では反対に訊きますが、お兄様はオクモンド様とは側近の前に幼馴染でしょう。公では無理でも、内々の時ぐらい息抜きしてもいいのではないですか? 始終そんな調子では、オクモンド様も息が詰まります」
「セリーヌ……」
俺の力説に兄が呆然となる。
オクモンド様も、俺がそれほど真面目に捉えるとは思っていなかったのだろう。
冗談で言ったつもりなのに、と思っているかもしれないが、その頬は少しだけ赤みをさしている。
そんなオクモンド様を見たアレンが「あー、もう!」と珍しく大きな声を上げた。
「ルドルフ、君がオークと呼べばいいだけのことでしょう。そうしなよ」
ビシッと指をさされた兄はビクッと肩を跳ねさせたが、なおもうじうじと言い淀む。
「ですが、それでは主従関係が……」
「つべこべ言わない。それとも何? セリーヌにオークと呼ばせるつもり?」
アレンの言葉にハッとした兄は、慌てて顔を上げた。
「そ、それは駄目です! わかりました。では内々の時だけという約束で。いいですか、オ、オーク」
「え、あ、うん」
ちょっと無理矢理感が半端ないが、まあ結果的には良しとしよう。
オクモンド様が少し困ったような表情で俺を見つめたが、俺は無言で親指を立てた。
それにキョトンとしたオクモンド様だったが、すぐにははっと笑う。
「確かに愛称で呼ばれるのは嬉しいものだね。セリーヌ嬢もいつでも呼んでくれていいからね」
「セリーヌで結構ですよ、オクモンド様」
「では、セリーヌで」
「いけません! 誤解されたらどうするんですか⁉」
兄からの猛反発により、お互いの愛称呼びは見送りとなった。
そんな兄にオクモンド様と二人で苦笑していると、アレンが俺の手を引っ張る。
そういえば何気に兄は、アレンと俺が愛称呼びをしているのに文句を言わないな。
自然過ぎて気が付かないのか、アレンには言っても無駄だと思っているのか、オクモンド様ほど重要に思っていないのか?
まあ、言い出されたらそれはそれで煩いので余計なことは言わないようにしようと、俺は体をくっつけてくるアレンに言葉をかけようとした。
「セリーヌは僕のだよ。オークは手を出しちゃダメ」
突然のアレンの真剣な言葉に、俺とオクモンド様は目をパチパチと瞬く。
「貴方のものでもありません!」
兄が俺を取り返そうとするが、アレンの手はしっかりと俺を捕まえている。
オクモンド様は顎に手をやり、少し考えるそぶりをしたかと思うと、おもむろに口を開いた。
「――でも、まだ婚約は成立していないのだろう」
アレンが一瞬、険しい目をオクモンド様に向けた。