適応力はあるようだ
でっかいなぁ、豪華だなぁ、ピカピカだなぁとは思っていたが、どうやらここはこの国、トルトワの城の客間だったようだ。
改めて俺は周囲を見回した。
テーブルには、美味しそうなお茶とお菓子が並べられている。
侍女が二人残り、護衛騎士が三人、部屋の隅に控えている。
そうして目の前に座っている赤髪の青年が先ほど助けてくれた、オクモンド・ハイネス・トルトワ、この国の第一王子だ。
俺の手を握って隣に座るのが、今しがた部屋に飛び込んできてひと騒動起こした兄のルドルフ・コンウェル。
目の前の第一王子の側近にしてコンウェル伯爵家の二男。
紺色の髪に青い瞳を持つ、シュッとした顔立ちの美青年である。
そしてセリーヌ・コンウェル伯爵令嬢。
それが今の俺の名前だった。
やっと事態を把握した。
俺はどうやら、この美少女に生まれ変わっていたらしい。
前は三十一歳の子持ちのおっさんだったのに、今は十五歳の可憐な令嬢になっているのだから、混乱して然るべきである。
ただ、俺にはちゃんと十五歳までの記憶もある。
ちょっとやんちゃな田舎娘ではあるが、普通の令嬢として可愛がられて育っていたのだ。
要は先ほどワインをかけられた衝撃で、前の記憶を思い出したということだ。
そして十五年の歳月より、三十一年の歳月の方が長くより濃い人生を送っていた所為で、前の記憶に引っ張られた結果、人格が前のおっさん寄りになっているのではないかと推測する。
ちゃんと令嬢としてのマナーができて女言葉が喋れるのも、兄の扱い方を熟知しているのもセリーヌの記憶。
まあ、人格がおっさん寄りではあるけれど、セリーヌの人格も割と大差ないかもしれない。
コンウェル伯爵領は王都から離れた田舎のため、割と自由に野山を駆け回っていたのだ。
母に厳しく淑女教育を施されたので令嬢のフリはできるが、本性は根っからのお転婆娘である。
鳩尾一発は、この兄に今まで何度も試している。
興奮した兄を落ち着かせるには、これが一番いい方法だ。
そういったことから少しの混乱はあるものの、俺の感情は割とすんなり今の状況に馴染めてはいるようだ。
「セリーヌ嬢は、デビュタントのために王都に来たんだね」
「はい。直接、王都の屋敷に向かってもよかったのですが、兄が案内してくれるというので甘えてこちらに来てしまいました。ですが、まさか兄に会えずに彼女たちに囲まれるとは……」
第一王子に話しかけられたので、城に来た理由を述べながらチラリと兄を覗うと、俺の左手を両手でスリスリと撫でながら、ごめんよ~、ごめんよ~っと言っている。
ちょっと、キモイ。
俺が兄を半眼で見ていると、第一王子が神妙な顔つきになる。
「それについては私にも非がある。どうしてもルドルフに処理してもらわないといけない仕事があって、それを優先してもらったのだ。代わりに私が迎えに行ったのだが、探していたら遅くなってしまった。すまない」
どうやら、待ち合わせ場所には兄の代わりに第一王子が来てくれたようだ。
しかし俺がその場にいなかったため、探してくれていたらしい。
ということは、あの場に来たのは偶然ではなかった。
俺を知っていたからこそ助けて、この場に連れて来てくれたのだ。
――どっか行けとか思って、悪かった。
第一王子の謝罪にいたたまれなくなり、俺は慌てて兄に握られていない右手を左右に振る。
「いえ、私の方こそ。兄と待ち合わせの場所で大人しくしていればよかったのですが、初めてのお城に好奇心がうずいて、ついフラフラと動いてしまい申し訳ありませんでした」
俺の謝罪に、手を撫でていた兄が「セリーヌは悪くない」とくわっと顔を上げる。
その行動に、思わず第一王子と二人で苦笑してしまう。
「彼女たちとは、知り合いかい?」
先ほどの騒動を第一王子に訊ねられたので、俺はう~んと考えながら話し出す。
「そうですね。中央にいた女性、イザヴェリ様と仰いましたか、その方の横にいたサリアンヌ・バードン伯爵令嬢、彼女とは以前に面識がありまして、それで目を付けられたのかもしれません」
「何かあったのか?」
「あ~、いや~、別に……」
第一王子の問いに言葉が詰まる。
素直に話すのはちょっとなぁ~っと思っていると、兄が鼻息荒く答えてしまった。
「八つ当たりですよ。セリーヌは何もしていません。彼女の婚約者という奴が、勝手にセリーヌを見初めて彼女に婚約破棄を言い渡したそうです。セリーヌは相手の顔も知りません」
「なんだい、それは?」
目を丸くする第一王子に俺も、ねぇっと同意したい。
本当になんだい、それは? なのだ。
一年ほど前のことだ。
隣の領地へ両親と共に茶会に参加した俺は、そこでバードン伯爵令嬢の婚約者に姿を見られた。
隣の領地の令息と友人だった婚約者は、俺を一目で気に入ったらしく声を掛けようとしたそうだが、俺のガードは堅かった。
両親と兄二人がいる俺は、溺愛されて育っている。
次兄を見ればわかるだろう。
この日も両親と兄にガッチリ守られていた。
領地以外では常に護衛が三人側にいて、婚約者がいる男など俺の視界に入ることさえ叶わなかったのである。
男は思い悩んだ末に、今の婚約者とは婚約破棄して俺に求婚することに決めたそうだ。
だがそんな簡単に婚約者を捨てる男など、俺の家族が許すはずがない。
俺の耳に届く前に、求婚の手紙は処理されている。
それを知らなかった俺は、突然別の茶会でバードン伯爵令嬢に盗人呼ばわりされたのである。
誰? と首を傾げる俺に衆人環視の中、扇を振り上げ殴りかかろうとしてきた令嬢に、俺はそれを素手で受け止めた。
慌てて茶会の主催者である屋敷の主が飛び出してきて、俺たちは引き離されたものの、バードン伯爵令嬢は俺を血走った眼で睨みつけていた。
それが今回の騒動の元だろう。
彼女が周囲にいる令嬢に、俺の悪評を振りまいたのだ。
どうせ俺が色目を使って婚約者を奪ったとか何とか。
それにまんまと乗せられたのが、あのイザヴェリ嬢なのだろう。
貴方の仇はとってあげると言わんばかりに、俺を痛めつけようとした。
ワインをかけるぐらいはご愛敬。
だが、グラスの破片はいただけない。
それで婚約者が一目惚れした俺の顔を傷付けようとしたのだろうが、流石にやり過ぎだ。
第一王子があと少し遅かったら、俺はイザヴェリ嬢の顔面に拳をめり込ませていただろう。
……うん、ありがとう王子。狂暴令嬢にならなくてすんだよ。
「私の妹は確かに可愛い。儚げな風情に庇護欲はくすぐられるだろう。一目惚れ⁉ 大いにありうる。だが、婚約者のいる身で言い寄るなんて、貴族として正気の沙汰とは思えない。こちらは全く相手になどしなかったというのに、あの女どもは何を勘違いしたのか言いがかりをつけてセリーヌを傷付けようとした。コンウェル伯爵家として、正式に抗議させていただく!」
興奮した兄がガバッと立ち上がる。
勢いのまま部屋から出て行こうとするので、慌てて両手で兄の腕を掴んだ。
「落ち着いて、お兄様。私は何ともなかったですし、殿下のお陰でこの通り、お風呂に入れてスッキリしています。ですからもういいですよ」
そう言って止めたつもりだったのだが、兄の勢いが思ったよりも強かったようで、俺はその腕に引っ張られるように前のめりになって、転んだ。
思わず目を瞑る。
「危ない!」
前にはお茶菓子の乗ったテーブルがあり、俺は勢いよくその上に倒れた……はずだった。
だが、全身に衝撃はなく、代わりに胸元に圧迫感を感じた。
「え?」
「あ、いや、あの……」
狼狽える声に、そろりと胸元を見る。
第一王子が両腕をテーブルの上に突き出していて、俺はその上に乗っかっていたんだ。
胸から。
「うっぎゃあぁぁぁ!」
――俺の声ではない。
俺の現状を見た、兄の悲鳴である。
兄は慌てて、王子の腕に乗っかっている俺を引き上げた。
「な、なんてことしてくれやがるんですか、オクモンド様。妹の、妹の純潔を……」
「いや、別に汚されてないから……」
「私だって、私だって、触ったことのない聖域を……」
「兄よ、意図して触ったら大問題だ」
「すぐに引き上げたから大丈夫だよね。三十秒ルール、大丈夫。ばい菌はついてない」
「床に落ちた食べ物じゃないんだから。まあ、とりあえず落ち着け」
そう言って鳩尾に一発を決め込もうとして……。
ズキイィィ!!!
左肩に激痛が走った。
俺は肩を押さえて蹲ってしまう。
先ほど地面で打った肩が、ズキズキと痛みを発していた。
今まで何ともなかったのに、急にどうして?
思い当たるとしたら……。
部屋から出て行こうとした兄を止めようと掴んだ両手が引っ張られ、兄に助け起こされた時に肩を掴まれ、その後混乱した兄により叫びながら肩を揺すられていた。
うん、十中八九、兄の所為だ。