お節介おばさん登場
爽やかな朝食の席に全く似つかわしくない表情の兄に一瞬ビビったものの、とりあえずとぼけてみるかと、努めて平然に食堂の中へと足を進めた。
「おはようございます、お兄様。眉間に皺など作られて、どうかされましたか?」
首を傾げて、できる限り甘えた声で兄の横に座る。
「こわ~いお顔。そんなのはお兄様には似合いませんわ」
握った両手を口元に持っていき、眉を八の字にする。
すると兄の顔は一気に笑み崩れた。
「ああ、セリーヌ。私の可愛い妹。おはよう。私を心配してくれるんだね」
内心でうっしゃ、昨日の外出はバレてない♪ と拳を握る。
「もちろんですわ。お仕事で何かありましたか? それとも何か別の悩み事でも?」
怒られる心配のなくなった俺は、気楽に兄の険しい顔の意味を訊ねた。
「うん、まあ、なんていうか……。見てもらった方が早いかな。これなんだけど」
そう言って、兄は机の上に手紙を乗せた。
「私が見ても、よろしいのですか?」
「うん、君宛てだ。バトラード公爵夫人からのふざけたお誘いだよ」
「へ?」
きっかり一分は固まった。
いやいやいや、先日までイザヴェリの子分からお茶会の誘いがわんさかあったというのに、それをすっ飛ばして親分が出てくるのか⁉
いや、全てに欠席の返事を出したからこそ親分が出てきたということか?
それも娘の方ではなく、親の方?
夫人ってなんだ?
娘だけではなく、母親まで娘の敵をいたぶろうって腹か?
……ふぅん、面白い。因縁を吹っ掛けるつもりなら、それ相応の覚悟をしろよ。迎え撃ってやる。
いい加減鬱陶しくなっていた俺は直接対決の場に闘志を燃やしそうになって、兄の視線で我に返った。
いかん、いかん。俺は優しくか弱いお姫様。次兄の夢を壊してはいけない。
さっと居住まいを正して、淑女らしくゆっくりとした所作で、握り潰しそうになった手紙をそっと開いた。
「……これは、なんですか?」
手紙を読んでみたが、意味がわからない。
とても簡単に、公爵家で夜会を開くから来なさい、という一文だけの命令。
うん、お誘いではなく命令なのだ。
最後に小さな文字で、デビュタント前でもわたくしが許すと書き添えられている。
いや、夫人が許してもこの国の法律が許さない。
一応、デビュタント前は子供であるから、夜会には参加できないのがこの国の法律だ。
だからそんな会に出席すれば、俺やコンウェル伯爵家が非難される。
バトラード公爵家は知らなかったと嘯くだろう。
手紙が証拠だと残していても、どうせ公爵家の圧力で握り潰すはずだ。
そんな問題だらけの手紙に、俺は半眼になる。
何を寄越しているんだ、このおばさんは?
俺はセディの時の記憶を掘り起こしてみるが、このおばさんや公爵に会ったことはない。
当時は二人共俺より若くて接触もなかったから覚えていなくて当然だが、公爵の父親が当時の国王の後ろにいて、嫌な笑みを浮かべていた記憶がある。
だから直接知らなくても、前公爵や娘のイザヴェリがあれでは現高公爵もろくでもないだろうとは思っていたが、夫人まで常識がないとは思わなかった。
俺は兄に向って「何様なのですか、このおばさんは? いつもこんな風なお手紙を書く方なのですか?」と訊いてみると、兄は額に手をやって「実はね……」と説明してくれた。
兄曰く、バトラード公爵夫人は以前から未婚の令息令嬢がいれば縁談を取り仕切ろうと、勝手に動くお節介おばさんらしい。
バトラード公爵家で夜会を開き、出会いの場を設けるのである。
それだけなら普通の夜会でもそういう目的で集まる場合もあるのだからまだ困った人で通るのだが、彼女の厄介なのは参加者には必ず気に入った相手の名前を聞き、いなければ相手ができるまで何度でも会に呼び出すことだ。
そして一番問題なのが、片方の意見だけを聞いて無理矢理まとめようとするのだ。
貴族の婚姻は家同士の問題でもある。
どの家も、より有益になるように相手を選ぶのだ。
それなのに爵位や関係性も考えず、バトラード公爵家の名前でごり押しする。
やんわりと断っても聞かないのでハッキリと断る当主もいるが、そうすると色々な社交場で公爵家の好意を断った愚か者として、あることないこと噂される。
他の貴族も悪評はデマだとわかっていても、公爵家に目を付けられた家だと恐れ、巻き込まれないようにと傍観する。
醜聞が収まるまでジッと耐えるしかないのだ。
昔は幼い頃に婚約者を決める貴族が多かったが、戦争狂いの王の所為で戦時中に婚約者が亡くなる事例が多発し、近年ではデビュタントを迎える十五歳から二十五歳までに決まれば良しとされていた。
だからバトラード公爵夫人が趣味と言い切り動き出したのもここ数年ではある。
始まりは自分の娘イザヴェリと第一王子であるオクモンド様をくっつけようとして、カモフラージュとして年頃の令息令嬢を呼び集めたのがきっかけらしい。
内々で打診しても王族には一向に相手にされないので、本人同士を無理矢理結ばせようとしたのである。
何度も何度も場を設けたが、オクモンド様本人や側近の兄などに軽くあしらわれ、結果は惨敗。
そのうち忙しいと、けんもほろろに断れらるようになった。
そうしてお見合い会場だけが残ったそうだ。
「ですがお兄様、そんなに断っているのにイザヴェリ様は勝手にオクモンド様の婚約者顔をして、王宮で自由にふるまっているのでしょう?」
俺は以前にオクモンド様から聞いた話を兄に問う。
「オクモンド様に受け入れられたとバトラード公爵夫妻が勝手に吹聴しているからね。イザヴェリ嬢も両親が言うから、それが本当のことだと錯覚しているんじゃないかな?」
「それって、不敬にならないんですか? 虚偽の噂ですよ」
「証拠を残さないのが、公爵夫妻のずる賢いところだ。そういうルートを作ったのが、あの会でもあるんだろう」
兄の説明によると、バトラード公爵家は前王族に近い古い貴族だ。
地位も権力も元々からあるうえに、新たにあの会で出会い運よく結ばれた貴族の家がバトラード公爵家と懇意になった。
いくら公爵家とはいえ、安易に高位貴族を手中に収めるのは難しい。
けれど息子や娘の婚姻で世話になったとすれば、無下にはできない。
傘下に入らずとも、友好な関係に持っていくことはできる。
そもそもバトラード公爵は、その会も自分の権力を脅かす高位貴族同士の婚姻より、高位貴族を下位貴族の者と結ばせ、力をそごうとして開いたのかもしれない。
下位貴族の者の意見を尊重する傾向にあったのだ。
そしてその会で結ばせた下位貴族は、公爵の思いのままに動く。
決して公爵家の名前が出ないように、手足になるのだ。
虚偽の噂ぐらい、簡単にやってのけるだろう。
噂はあくまで噂に過ぎないのだから。
そのいわくつきの会への誘いが、俺に届けられた。
では、イザヴェリの虐めとは関係ないのかというと、このタイミングで送られてきたのに全く無関係とはいえないだろう。
それこそ男爵家当たりの品格もない訳アリ男と、俺をくっつけようとしてくるかもしれない。
「お兄様、これは断ってもいいのですよね?」
俺は警戒マックスの手紙をひらひらと振る。
内心では暖炉に放り込みたい気分だ。
「もちろん。デビュタント前の未成年だから夜会の出席は無理で通すよ。けれど、その後にお茶会で誘ってくるかもしれない。それが悩みの種だね」
「あ、そうですね。確かに平気でそんなことを言ってきそうです。では他のお茶会と同じで病弱で通しますか?」
俺がそう言うと、兄は頷きながらも難しい表情をする。
「そうだね。けれどあのおばさんは引かないだろうな。きっとデビュタントの日まで毎日手紙を送りつけてくるかもしれない」
うっへぇ~、紙の無駄使いだと辟易していると、突然兄とは違う低い声が聞こえてきた。
「手紙だけで済むならいいけどね」
「「⁉」」