底なし沼の愛情
アレンに虐められてうっうっうっ、と泣く俺に当の虐めっ子は笑って「ごめん、ごめん、冗談だって」と後ろから頭を撫でている。
アーサーとして出会った彼は何を考えているのか今一つかめないような奴だったが、俺たちの関係を口にしてから人が変わったのかと思うほど感情を表すようになった。
いや、昔のアレンに戻った感じかな。
「そういえば、お前の本名はアーサー・レントオールというんだな。昔は教えてくれなかったから俺が勝手にアレンと名付けて呼んでいたけど、やっぱりアーサーと呼んだ方がいいかな?」
涙が引っ込んだ俺がそう訊ねると、アーサーは「いや、アーサー・レントオールは王宮魔法使いになった時、便宜上で勝手につけた名前。本名じゃないから、セディにはアレンと呼んでもらった方がいい」と答えた。
俺はこの期に及んでまだ本名は内緒なのかと呆れたが、アレンがそれでいいならいいかと頷いた。
「そうなのか⁉ まあ、アレンがいいならそう呼ぶよ。あ、因みに俺のことはセリーヌと呼べよ。二人きりの時はどちらでもいいけど」
流石にこの姿でセディと呼ばれるのはキツイ。
うっかり口を滑らせないようにと念押ししておく。
「うーん、わかった。まあ、呼び名なんてなんでもいいし」
変わらないなと、思わず笑ってしまう。
昔からアレンは、そういう細かいことは気にしないようだった。
それこそ「おい」だの「お前」だのと呼んだって、怒りはしなかったから。
「あのさ、アレンはどうして俺がセディだとわかった? ていうか、いつからわかってた?」
チラチラとアレンの様子を見ながら、俺は思い切って一番聞きたいことを訊いてみた。
アレンは「んー」と俺の頭に額をグリグリと押し付ける。
「気配、感じたって言ったでしょう。あれはセディの気配だった。だからその気配がセリーヌのものだってわかった時、セディがセリーヌとして生まれ変わったんだと理解した」
「気配だけで、そんな風に考えられるのか? 生まれ変わりなんて、なかなか信じられることではないだろう」
アレンがなんてことないように言うので、当事者である俺の方が驚く。
「普通ならね。でも、そうしたのは僕だから」
「は?」
「僕の魔法で、セディは生まれ変わったんだ」
さらっと爆弾発言されました。
「……いや、ちょっと待ってくれ。流石にそんな魔法は聞いたことがない」
信じられない言葉に焦った俺は、アレンの方に向き直るために膝から降りようとしたのだが、腰に回された手はガッチリと強められ、拒まれた。
チッ、どさくさに紛れて降りられると思ったのに……。
アレンはフーっと深い溜息を吐いて、後ろから俺の顔を覗き込んだ。
絶世の美貌が至近距離で迫る。
「そうだろうね。セリーヌの言う通り、そんな魔法は存在しないと思うよ。アレはたまたまじゃないかな? あの時セディが死んで、僕は絶対に死なせないと。生き返れと僕のありったけの魔力を君に注いだ。だけど死んだ者は生き返らせない。それでも生きろと願った僕の思いがセディの魂と共鳴して、その時寸分の狂いもなく死んでしまった赤子に君の魂が宿ったんだ」
――マジですか?
アレンの推理に、俺は呆然となる。
確かに彼の魔力は常人の魔法使いを超越したものではあった。
齢七歳にして、どの魔法使いよりも優秀だった。
だからこそ、狙われた。
俺が魔法使いを戦場へと送る馬車から捕まっていた全員を逃し、彼と旅してすぐに王宮からの追手がやって来たのだ。
まあ、俺もそれなりに腕っぷしには自信があったので返り討ちにしてやっていたのだが、その数が半端なかった。
倒しても倒しても次々に現れる。
同じように逃した魔法使いも同じような目にあっているのかと心配になったが、そんな噂は聞かない。
どうやら上手く逃げられたらしい。
そうなると、俺たちだけに迫るこれらの追手は一体何なんだ?
そう口にした時、アレンが申し訳なさそうに自分の所為だと言った。
「僕は、他の魔法使いより魔力が高いそうです。五歳の時に捕まって、それ以来ずっと戦場に放り込まれていました。でもいつも無傷で帰っていて、それを訝しんだ貴族が調べた結果、僕には通常の魔法使いよりも倍の魔力があることが判明しました。それからは休憩も与えられないまま、戦場へ送られる毎日です。その能力を惜しんだのでしょう。他の魔法使いよりも僕を捕まえた方が有益になると。追手は僕を捕まえるまで続くと思います」
アレンの告白は、俺の想像以上に過酷なものだった。
五歳の時に捕まって、そのまま戦場に放り込まれた、だと⁉
いくら魔法使いといえど、まだたったの五歳。
そんな幼子を平気で戦場へと送り出していたのか?
それも魔力が高いというだけで技術も教えずに、休むことも許さず延々と駆り出していた。
俺が逃すまで二年もの間……。
王族と貴族の卑劣極まりない冷血な行為に、俺は頭に血が上った。
そのまま城に飛び込みそうになる俺を、アレンが慌てて引き留める。
「駄目です。そんな無意味なことはしないでください。僕は、今のままでいたい。あんな追手ぐらい、僕と貴方なら蹴散らせるでしょう。王宮だって僕を大々的に捕まえることができないから、追手なんて送ってくるんだ。それなら二人で転々と旅していけばいい。僕はセディ、貴方と一緒にいたいんだ!」
確かに王宮はアレンを欲してはいるようだが、手配書を配ってまで捕まえることはしてこない。
それもそうだろう。
大人の魔法使いなら冤罪でもかけて大々的に大罪人として追うこともできるが、流石に七歳の子供にそんなことはできない。というか、世間がそれを変に思う。
魔法使いとはいえ、七歳の子供がどんな罪を犯したら王宮に追い掛け回されることになるのか?
例えば魔法で人を傷付けたとしても、そんな魔法をどこで覚えたのか?
小さな子供が攻撃魔法をどうして知っているのか、その背景を探ればおのずと戦場へ送り出し、人殺しをさせていることを感づかれるだろう。
子供を必死で追い掛け回す王宮に、ただでさえ戦争で疲弊している市民も不信感を募らせるのは必然だ。
それにアレンの魔力の高さは、一部の貴族しか知らないことらしい。
それを公表すると、他国もアレンに目を付けるだろう。
それはこの国と同じように戦争に利用するためか、研究するためかわからないが、確実に奪い合いになる。
それならば内密に追手をかけて、手に入れる方がいい。
アレンはそういった王宮側の思惑を考慮して、このまま二人で旅を続けようというのだ。
馬鹿な王族や貴族がやめない限り、戦争は続く。
セディが暴れたところで、戦争は止められないだろうと言われてしまえば、それはそうなのだ。
俺は無力で、何もできずに日々を過ごしていた。
せめて目の前にいる、この小さな魔法使いの支えぐらいにはなりたい。
そう考えて、俺はアレンを守ることに決めたのだ。
それなのに俺はその追手に騙されて、殺されてしまった。
アレンを一人置いて。
一緒にいたいと願ってくれた義息子を最後まで守ってやることもできずに、さっさと一人で死んだ俺は、情けなくてやりきれなくて、後悔しかなかった。
そんな俺を、アレンは魔法で生き返らせた。
いや、正確には魂を現世に残して生まれ変わらせたのだ。




