寛ぎタイムのはずだったのに
「大丈夫かい、セリーヌ? 一気に見学して疲れただろう」
兄が俺の横で労わりながら、俺の口にクッキーを放り込もうとしている。
あ~んと口を開けてと催促してくるが、俺は口を閉じたままである。
俺をダシに使って、まんまと魔法塔に入り込んだことは許していないのだ。
プイッと横を向くと兄がこの世の終わりのような表情をしていたが、俺は敢えて無視をして、一人掛けのソファに座るアーサーに向かって礼を述べた。
「ありがとうございます、アーサー。とても興味深く楽しい一時でした」
「どういたしまして」
すると向かいからオクモンド様が、俺と同じように礼を述べた。
「本当に助かったよ、アーサー。魔法塔を直接確認できて現状を把握できた。報告書だけではわからないこともあったからね」
「そう。それは良かった」
コクリと頷くアーサーは、勝手についてきた二人に怒ってはいないようだった。
まあ、彼らを案内するのは仕事の内なのだから、そこは割り切っていたのかもしれない。
ちゃんとした大人の対応だ。
彼が許しているのなら、おっさんの俺がいつまでも拗ねた態度をとっているのはよくないなと、俺は兄の口にクッキーを放り込んでやる。
「むぐっ!」と驚く彼に、俺はニッコリと微笑んだ。
「お兄様も食べてください。仕事はまだ残っているのでしょう? 甘いものを食べて、また頑張ってください」
「私の体を気遣ってくれるなんて、セリーヌ、君はなんて優し子なんだ~」
兄が感動して、力一杯抱きしめてくる。
ぐぇっと胸が圧迫されて命の危機を感じた俺は、慌ててクッキーを手に取った。
「ケホケホッ。ほら、お兄様もう一枚どうぞ」
食わしている間は力が緩まるだろうと、俺はひらひらとクッキーを振った。
それに気付いた兄は、肩を掴んだまま距離を開ける。
「うん。ありがとう。あ~ん」
あ~んって言うな。
俺を解放して満面の笑みで口を大きく開ける兄。
その様子にちょっと引きながらも、クッキーを放り込む。
兄は嬉しそうに咀嚼する。
その様子をジッと見ていたアーサーが、チョンチョンと自分の唇に人差し指を当てた。
……待て。それは自分の口にもクッキーを放り込めということか⁉
俺が固まっていると、チョンチョン、チョンチョンといつまでも突いている。
……………………。
魔法塔を満喫できたのはアーサーのおかげ。
しかも今こうして俺たちは、もてなしてもらっている身だ。
そしてこのクッキーはアーサーの物だ。
半眼になりながらも覚悟を決めた俺は、アーサーの近くに移動してクッキーを摘まむ。
「……食べますか?」
「うん」
そうして目を閉じて口をうっすらと開いたアーサーに、ぐっと唸ってしまう。
やばい、なんだ、この無防備な顔は。
無駄に良すぎる顔に色気まで醸し出されては、中身がおっさんといえどもためらってしまう。
ううう~っと、震える指を伸ばしてサッと薄く開いた口に放り込む。
むぐむぐむぐっと心なしか嬉しそうに咀嚼するアーサーに、真っ赤になりながらも一仕事終えた感を出す俺。
隣では兄があんぐりと口を開いて見ていた。
そんな俺たちを無言で見ていたオクモンド様が、拗ねたような口調で訊いてきた。
「私にはしてくれないのか?」
……何を言っているんだ、この人は?
「オクモンド様、そろそろ城に戻らないと魔法塔の内部変更の書類、今日中に間に合わなくなりますよ」
「明日では駄目なのか?」
「今日の分の執務を明日に回していますので、それをすると地獄を見ますよ」
「……わかった」
彼らは急遽、魔法塔の視察にやって来たので、本日の仕事を明日に回しているのだ。
ただでさえ明日の執務の量は二日分になるのに、そのうえ魔法塔の書類まで明日に回してしまったら、どえらいことになるだろう。
兄は咄嗟に俺がオクモンド様に〔あ~ん〕をするのを阻止したくて言ったのだろうが、よくよく考えたらその通り過ぎて自分で言ったにもかかわらず急に慌てだした。
アーサーの〔あ~ん〕を見過ごしたのは、きっと驚き過ぎて固まっていたのだと思う。
二人が帰り支度を始めたがアーサーは気にした様子もなく、また俺に向かって唇をチョンチョンと突き出した。
待て、まだやるのか⁉
俺が引きつっていることに気付いた兄が、慌ててアーサーに声をかける。
「アーサー殿、申し訳ないがセリーヌを送ってくれませんか?」
「セリーヌは、まだいいでしょう?」
「いえ、未婚の男女をこの部屋に二人きりで置いていく訳にはいきません」
「何故?」
あ、またこの押し問答が始まった。
これをやると、確実に兄の血管がキレる。
俺はすくっと立ち上がって、アーサーに会釈した。
「本日はありがとうございます。本当に有意義な時間でしたわ。あまり遅くなっては屋敷の者も心配しますので、私はここで失礼いたします。送ってくださいますか?」
「帰っちゃうの?」
うっ!
俺が立ちあがったから、座っているアーサーは少しだけ目線が低くなり上目遣いで俺を見てきた。
あの子と同じ目の色で見上げられると、あの頃を思い出す。
大人の俺を、あの子はいつも見上げていたっけ。
そして傭兵の仕事であの子の側を離れる時は、いつだって無表情のくせにどこか悲しそうな……そう、こんな目で見つめていたな。
うううっと唸り声をあげていると、オクモンド様が隣に移動してきた。
「アーサー、セリーヌ嬢は十五歳の令嬢だ。保護者であるルドルフが帰るように命じれば、それに従わなければならない。また、屋敷を訪問すればいいではないか。私も一緒に行くから」
オクモンド様がアーサーを説得してくれるが、どうして貴方まで一緒に来るのですか?
アーサーは魔法使いで人見知りの性格のようだから友達がいなくて俺にちょっかいをかけてくるのはまだわかるが、オクモンド様は違いますよね。
常に側に誰かがいる第一王子様が、側近の妹をちょいちょい相手している訳にはいかないだろう。
諭しているようで全く諭していないオクモンド様に、兄妹揃ってジト目を向ける。
はっ、いけないと先に気付いたのは、兄。
「ではアーサー殿、お願いします。私たちはセリーヌの帰還を見送ってから帰ります」
兄の言葉を聞いて、俺はオクモンド様に挨拶をした。
「オクモンド様、本日はご一緒できて楽しかったです」
「またね」
「はい」
ひらひらと手を振るオクモンド様にぺこりと頭を下げて、俺はアーサーに近寄った。
「では、アーサー。お願いします」
「……わかった」
まだ名残惜しそうな顔をしているが、それでも三人に促されてアーサーは渋々頷いた。
そして俺をスッと抱き寄せると、一瞬にして俺の自室へと転移した。
行きも思ったが、本当に一瞬だ。
すげーっと、またもや興奮してしまう。
だが兄たちが待っているのでアーサーはすぐに帰還するだろうと慌てて振り返ると、彼はいつものようにジッと俺を見つめていた。
――何か言いたいのだろうか?
なんとなくそう思った俺は、アーサーに話を促してみる。
「私に、何か伝えたいことがありますか?」
「……僕が前に感じた気配は、君かもしれない」
「え?」
前に感じた気配とは、初めて会った時、アーサーが大切な気配で尊いものだと言っていたものか?
それに引き寄せられて、あの客間まで来たと言っていたが、それが俺だと?
俺は首を傾げた。
「前はわからないと、言っていませんでしたか?」
「うん、あの時は確信がなかったんだ。けれどあれから君を見つめ続けていたら、その気配は君だとわかった」
おお、ずっと俺を見ていた理由は惚れた腫れたというものでは全然なく、気配を確認するためだったのか。
一目惚れ云々は、やはりこの男にはなかったようだ。
ん、残念だなんて全然、全く、これっぽっちも思っていないからな。
俺はアーサーに問う。
「それで、その気配が私だとして、何?」
「結婚しよう」
はいぃぃぃぃぃ~~~?!?