悪巧みにも困ったものだ
何なんだ、こいつは?
俺は美神にジト目を向ける。
馴れ馴れしく呼び捨てにしてきたり体に触れたり、特別だと言うくせに一目惚れはないと言う。
じゃあ、どういうつもりだと思うが答えそうもない。
俺はこれ以上構っていられるかと不毛な会話を終わらせるべく、話題を変えることにした。
「本日は兄の付き添いに来られただけですか? それとも他に何か用事がおありでしたか?」
「あ、ああ。そうだね。ルドルフから伝えてもらっても良かったんだけど、一応君の耳にも入れておきたい話があってね」
俺の質問に、第一王子が居住まいを正して真面目な顔をする。
これは先ほどの雰囲気のまま聞いてはいけない内容だな。
俺と兄も居住まいを正すが、美神は相変わらず俺の顔をジッと見つめたままである。
よく飽きないなと思うが、気にするのも面倒くさいので俺は知らんふりを決め込む。
その様子に第一王子は苦笑した。
「イザヴェリ嬢に付けている密偵から報告があってね。彼女に怪しい動きがあるそうだ」
「怪しい動きですか?」
俺は目を丸くする。
第一王子が、話があると言ってイザヴェリの名前を出したことには驚きはしなかったが、彼女に密偵を付けているというのには普通に驚いた。
イザヴェリ・バトラードから第一王子に助けてもらった俺は、間違いなく彼女に目を付けられている。
何かしらの動きがあるだろうと懸念はしていたが、だからといって第一王子自ら公爵令嬢に密偵を放つとは、思いもよらなかった。
俺が傷付けられた責任を、と喚く兄に対する第一王子なりの対処法だったのかな?
「彼女の公爵家はかなり力のある家ですよね。密偵など送って大丈夫ですか?」
見つかったら大変なことになるのではないかという俺の心配に、第一王子はニヤリと笑った。
「これでも王族だからね。優秀な密偵を飼っているから、いくら公爵家でも絶対に気付かれない」
自信満々の第一王子に「そうですか。それは心強いです」と頷く。
どうやら王家は、着実に力を付けているようだ。
味方を得ながらあの人は一人で頑張ったんだと、俺は少しだけいたたまれなくなる。
本来なら、俺も側で支えなくてはならなかったのに……。
「それで、イザヴェリ嬢は何をする気なのですか?」
兄が第一王子に話を促した。
「近いうちに私の妹に茶会を開かせるつもりのようだ。王女に誘われたら、誰だろうと断れないからね。まだ妹の耳には届いていないが、取り巻きを使って仕向けようと画策している。それにセリーヌ嬢、君も招待される。その茶会で何があるか、想像できるよね。除け者にされるか、些細な意地悪をされるか……」
「些細ってなんですか⁉ 私の妹に少しでも変なことをしたら許しません!」
「ああ、わかっている。どんな些細なことだろうと、悪意を向けられることがわかっているのに、容認するつもりはない。妹にもそんな話が出たら断るように、事前に説明しておく」
兄が叫ぶと、第一王子はわかっていると頷いた。
だけど些細な意地悪と第一王子は言うが、初対面でいきなりグラスの破片を顔に近付けてくるような女が、些細なことで済ませる訳がない。
除け者にするという案も却下だ。
そんな軽いもので、あの女が満足するはずがないだろう。
俺は彼女らの行動は些細な虐めで済ませていいものではないと考えている。
それこそ法律で罰せられるものであると。
そんなことを王女主催のお茶会で行おうとする彼女たちの神経がわからない。
「あの、いくら私に断らせないためとはいえ王女様を利用してこちらに悪意を向ければ、周囲に邪魔される恐れがあるとは考えないのでしょうか? 城で開かるのなら警備の騎士の眼もありますし、王女様だって自分の開くお茶会で騒動があれば黙ってはいらっしゃいませんでしょう?」
公爵家で開く方が自分の思い通りになるのでは? と俺が訊ねると、第一王子は溜息を吐いた。
「彼女は私の婚約者を気取っていてね。いや、もちろん婚約などしていないが、勝手にそう振舞っている。バトラード公爵も周囲もそのように扱うから、勘違いしているんだろう。公爵家でできることは、城でもできると思っている」
あ、馬鹿なのか。
書類上の証明どころか本人同士の意思疎通もされていないのに周囲がそう持ち上げるからといって、それを鵜呑みにしてすでに婚約者と同じように扱われると思っているなんて、馬鹿としか言いようがない。
たまにいるんだよな~、そういう女。
第一王子もあんな女に狙われて可哀想にと、俺が憐憫の眼差しを向けると「憐れまないで」と叫ばれた。
「王族は誰もイザヴェリ嬢のことなど認めてないし、貴族もバトラード公爵派閥の貴族以外、私の婚約者候補に彼女の名前が挙がることさえ阻止している。選ばれることなど決してないのだが、冷たい態度をとるとすぐに公爵が出て来て騒動にしてしまうのだ。それで少しの我儘ぐらいは目を瞑っていたのだが、それを爆発的に勘違いしているのだろう」
第一王子の説明を聞いて、ちょっと納得した。
イザヴェリに絡まれた日、彼女は王妃様のお茶会に出席していたと聞いたが、その主催者である王妃様が公務で退出なさっているのに取り巻きたちと居座っていたと聞いた時は、何様なのだろうと不思議だったが、王族がちょっとした我儘を許していたのなら、居座るぐらいは許容範囲だったのだろう。
まあ、許した所為で俺が絡まれたのだとしたら少しは責任を感じてもらいたい。
第一王子がこの件に関して何かと心を配るのに申し訳ないと思っていたが、そういうことなら心苦しく思う必要もなさそうだ。
「では、私は何もしなくていいということでしょうか?」
「今のところは。ただ、あのイザヴェリ嬢のことだから、妹が断ったとしても素直に引き下がるとは思えない。何かしらの方法で君を呼び出すかもしれないから、注意していてほしい」
俺はわかったと頷いた。
基本的には、王女様には当分公務を与えてイザヴェリたちが会えないようにはするそうだ。
「王女様にもご迷惑をおかけしますね。お兄様、お目にかかれるようなら一度謝罪をしておいてくれませんか」
「そんな必要はないよ。妹は歳が近いだけあって、こういう目には何度もあっている。一々気にしなくていいし、本人も気にしていられない」
「……兄妹そろって、お気の毒です」
「だから、憐れまないでくれるかな」
話は以上、ということで仕事もあるので城に戻ろうと兄と第一王子が腰を上げるが、美神は変わらず俺を見つめたまま、動こうとしない。
「……アーサー殿、行きますよ」
「うん」
「「「……………………」」」
返事はするものの動かない美神に、兄の額に青筋が浮かんだ。
俺から目を逸らさない美神に、いい加減我慢の限界のようだ。
フルフルと震える兄が爆発するのも時間の問題かと、俺は美神に振り向いた。
「魔法使い様は、私に何かご用ですか?」
「名前、まだ呼ばれてない」
どうやら美神は俺に名前で呼ばれたかったらしい。
だが、何故だ?
いや、質問しても先ほどの繰り返しになるなと俺は諦めた。
聞いても答えないものは仕方がない。
魔法使いの名前を呼ぶくらい何の問題もないだろう。
俺は一呼吸して美神を見つめた。
「レントオール様」
「アーサー」
「アーサー様」
「様、いらない」
「流石にそういう訳には……」
礼儀として様を付けて呼んだのだが、ジッと見つめられた。
ああ、もう勝手にしやがれ。
「アーサー」
すると美神は、その表情のない顔にパア~ッと満面の笑みを浮かべた。
うおぉぉぉ~、眩しい!
思わず手で視界を遮ると、兄と第一王子も同じような動作をしていた。
そうだよな、眩しいよな。
人外離れした美しさは、人間の美しい者の眼にも凶器のようだ。
ゲーテとアクネは目を瞑っている。
この二人は本当に賢いな。
俺が名前を呼んだことで気分を良くしたのか、美神は帰ると言い出した。
無表情に戻っている。
兄はとうとう俺に名前呼びをさせた美神を苦々しく感じているようだが、それでも俺と美神を離せることにホッとしたようだ。
扉に向かう三人を見送りに行こうと腰を上げると、今度は第一王子がこちらを向いた。
「アーサーを名前で呼ぶなら、私もオクモンドと呼んでもらえるかな?」
「は?」
「貴方まで何を言っているんですか⁉」
「だって仲間外れは寂しいじゃないか」
「仲間外れとかそういう問題ではありません」
第一王子が美神に対抗意識? を燃やしている?
意味がわからない。
兄が俺の代わりに喚いているが、こうなってはもう、どうでもよくなってきた。
だって疲れたし……。
「オクモンド様。流石に様は付けさせていただきますよ。不敬罪で捕まりたくないので」
俺は溜息を吐きながらも、第一王子の名前を口にした。
けれど呼び捨てだけにはできないと、そこはキッチリ線引きさせてもらう。
「こちらが呼んでくれと言っているのだから、不敬罪など言う訳がない」
粘る第一王子だが、それだけは了承できないともう一度「オクモンド様」と呼んでやる。
残念そうではあるが、それでもわかったと頷いた。
全くこの美形たちは一体何を考えているのか?
凡人にはわからないし、わかりたくもない。