二つの顔を持つ男
俺がセディだと知った王妃様が死んでと言った瞬間、またもや何かがこちらに飛んでくる。
それをアレンがパシッと素手て掴んだ。
えええ~、素手⁉
弓矢のような物を、この魔法使いは素手で掴んだ???
目を剥く俺に、掴んだ物を見せてくる。
「氷の弓矢か。即席にしては、良くできている」
「賢者と呼ばれるアーサー・レントオールにお褒めいただけるとは、嬉しいですね」
その言葉は、王妃様の影からズズズッという気味の悪い音と共に現れた一人の魔法使いから発せられた。
「うわっ、きもっ!」
思わず叫んでしまった俺は悪くない。
めっちゃ皆の視線が『空気読めよ』と言っていたが、悪くないったら悪くない。
だって、本当に気持ち悪いんだもの。
「……思ったことをそのまま口にするところ、変わりませんね、セドリック様」
「お前、俺を知っているのか?」
セドリックと呼ばれて、思わずセディの口調が出る。
「セリーヌ様も、セドリック様も良く存じ上げております」
フードを取り、その顔をさらした魔法使いは、年齢不詳の黒髪黒目の美丈夫だった。
だがその顔には、額と両頬に大きなバツ印の傷跡がある。
痛々しさに思わず眉を顰めると、魔法使いは微笑んだ。
「フフ、その顔。初めて会った時のセドリック様も、そのような表情をなされました」
優しく笑う魔法使いに、何故か長兄がフラリと前に出る。
「クロム……お前、何をしているんだ? お前の仕事はセリーヌを守ることだろう?」
そう呟いた長兄に、クロムと呼ばれた魔法使いは突然「ぎゃはははは」と大声で笑いだした。
「ああ、小遣い稼ぎに小娘の警護をしてやっていたな。懐かしい気配に請け負ってやったが、まさかそれがセドリック様だったとはな。そりゃあ、俺が引き受ける訳だ」
あまりの豹変ぶりに、長兄は絶句する。
先ほどまでの優し気な雰囲気とはまるで違う人物に、どう対処していいのかわからない。
「お兄様、この魔法使いを知っているのですか?」
「……セリーヌの護衛に、俺が雇った男だ。先の戦争で生き残った優秀な男だと思っていた」
長兄の言葉に、魔法使いはまたもや「ぎゃはは」と笑う。
「ああ、俺は優秀だぜ。優秀だからこうして王妃様に飼われ、手足となり……動いています」
話している途中で、スッと丁寧な男に戻る。
何だ、この男は……⁉
「まさか生まれ変わってもなお、わたくしの影まで使っていたなんて……。本当に憎い男ですわ、セドリック様は」
先ほどまでの余裕ある微笑みが、少しだけ曇る。
すると国王陛下が彼女の肩を掴んだ。
「エメルダ、先ほどから何を言っている? 君がエリザを操って、この国を混乱させていたのか⁉」
真剣に問いただす国王陛下に、王妃様はニッコリと微笑んだ。
「わたくしは、貴方が大好きですわ」
緊張しかない空気の中、王妃様が場違いな発言をする。
空気読めよ! あ、いや、俺が言うなって話だけど、今は敢えて言わせてもらう。
「空気読んでください」
ジト目を向ける俺に、王妃様の笑顔が振り返る。
「わたくしはね、貴方が大嫌いでしたわ、セドリック様」
兄上が好きで、俺が嫌い。
もう何それ、ただのヤキモチじゃん。
要領の得ない王妃様の発言に、二重人格の魔法使い。
もう何が何だかわからないよ。
そこにクロムと呼ばれる魔法使いが突然、アレンに向かって炎を飛ばす。
サッと消し去るアレン。
二人は互いに睨み合う。
「お相手願えませんか、アーサー・レントオール。私が……お前の実力、見てやんよ」
「お前なんかに計られる謂れは無いけれど、セリーヌの側に魔法使いが居たことに、この僕が気付かなかったなんて、ちょっと心外だよね。相手してあげる」
そう言ったかと思うと、二人はその場から消え去った。
え、どこに行った?
そうして気付く。
城の庭から物凄い爆発音がするのを。
えええ~、城破壊する気かよ⁉
俺は国王陛下を振り返り、止めなくていいのかと身振りで問う。
だが国王陛下は王妃様の肩を掴んだまま、彼女の説明を待っている。
全て話すまで逃がす気はないようだ。
「フフ、貴方にそんな熱い目を向けられたのは初めてかしら。わたくしは空気のような存在でしたからね」
「何を言っている?」
眉間に皺を寄せる国王陛下の手を、そっと肩から振りほどく。
「貴方に嫁いできたのは、二十歳の時でしたわね」
ふと、遠くを見つめた王妃様が昔語りを始めた。
セディだった俺も、その当時を思い出す。
寄り添う二人に、俺はとうとう兄上に味方ができたのだと安堵したのを覚えている。
それなのに王妃様はうっそりと笑って、国王陛下を見下した。
「いくら子爵の、それも五番目の娘だからといって庶子に嫁ぐなど思ってもいなかった。裕福な平民の方がまだマシだったわ」
そう言った王妃様に、俺はカッとなる。
「何を言っているんだ⁉ 兄上は貴方を大事にしていたじゃないか!」
「そうね。だからわたくしも譲歩したの。庶子とはいえ、王族の貴方がわたくしに傅くのは気分が良かったから。だけど貴方は、本心ではわたくしのことなど見ていなかった」
そうしてずっと絶やさなかった微笑みを、その顔から消した。
「ヨハシュトがいつも気にしていたのは、セドリック様、貴方だけだったわ」
悲しむような、怒っているような、なんともいえない表情で俺を見つめる王妃様。
「知っていて? ヨハシュトがどうして王族を皆殺しにしたのか?」
俺にそう問いかける王妃様に、国王陛下が叫ぶ。
「エメルダ⁉」
「魔法使いを守る? 戦争を終わらせる? そんなものは、後からの言い訳。ヨハシュトはそんなことで行動したのではないわ。前国王陛下を切ったのはセドリック様、貴方のため。貴方だけのために、ヨハシュトはクーデターを起こしたのよ」
青天の霹靂、という言葉を聞いたことがある。
今の俺はまさにそういう心境で、身動きができなかった。
あの終戦は魔法使いを解放するため、戦争に疲弊した民を守るために起こしたものではなかったのか?
俺が動けない中、国王陛下が叫ぶ。
「エメルダ、虚言を申すな。私は……」
「前国王を切る前に、貴方が呟いたのよ。セディっと」
大きく目を開く国王陛下に、王妃様がクスクスと笑う。
「わたくしと貴方と前国王。三人しかいなかったあの玉座の間で、貴方は敵討ちをしたのよね」
何も言えない国王陛下を無視して、王妃様は楽し気に笑う。
「前国王陛下は元々わたくしの姉に気があったのだけど子爵家の身分から、側室ではなく愛人にしようとした。それでお父様の機嫌を取るために、ちゃんとした地位を娘の誰かに与えると約束したの。それが年のつり合いが取れたわたくし。貴方に嫁がせることで約束は果たしたと前国王は笑った。子爵家には十分だろうと侮ったのよ。けれどお父様は庶子に嫁がせるなんて話が違うと憤った。当然のようにお父様はわたくしに、復讐しろと命令したわ。そう、わたくしの力で庶子である貴方を国王にしろと無茶なことを言い出したのよ」
その日を思い出しているかのように遠くを見つめるその顔には、また笑顔が張り付いていた。