図書室では大声を上げない
そういえば、今は何年だったかな?
俺は本を見ながら、ふとそんな初歩的なことを考える。
昨日は忙しくて、そういうすり合わせを行っていなかったことに、今更ながらに気が付いた。
トルトワ歴739年。それが今の年代だ。
セディが死んだのは、確か724年……。
そうだ、俺は死んですぐにセリーヌとして産まれたんだ。
十五年しかたっていないということは、アレンはまだ生きている可能性がある⁉
あの子のことだ。そう簡単には死なないはずだ。
俺は希望を持ち始める。
生きていてくれたら、生きてさえいてくれたら……。
俺はアレンの生存を確かめたくなった。
だが今は、先に魔法使いに何があったのか。それを調べるのが先だと本に視線を向ける。
やはり終戦前までは、魔法使いは酷い扱いだったようだ。
俺は知らなかったが、拷問に近いような人体実験までされていたらしい。
微々たる魔法しか使えない平民を魔法使いと呼べるランクにまで上げるために、魔法使いの体を使って研究していたのだ。
それも城内で、だ。
自分がいた場所でそのようなことが行われていたと知った俺は、吐き気がこみ上げた。
昔の出来事とはいえ、昨日記憶を思い出してしまった俺にとっては、終わった話だと無視することはできなかった。
はぁはぁと荒い息をしながらも、俺はページをめくる。
苛烈を極める戦場に、一人の魔法使いが現れた。
その魔法使いは一瞬で戦場を灰にした。
人間だけではなく、建物も自然も何も残らない荒地へと変えたのである。
トルトワ国が関わっている戦場は、次々と灰になっていった。
その惨状にトルトワ国をはじめ敵対していた各王国は国同士で戦っている場合ではないと、敵はその魔法使いだと刃を魔法使いに向けた。
だが、一瞬にして勝敗は決まる。
全てが灰になるのだ。
どんな魔法使いも歯が立たない。
絶望に打ちひしがれる中、立ち上がったのがトルトワ国の王族の一人。
彼は庶子で王宮では立場がないに等しい存在だったのだが、嬉々として戦争を広げていた王族の全てを殺害し、二度と戦争を起こさないと魔法使いに誓った。
魔法使いは、トルトワ国の魔法使いの扱いについても言及した。
徹底した改善を約束させた魔法使いは、トルトワ国から姿をくらませたのである。
魔法使いが人権を取り戻し、今のように庇護されているのはそのような出来事があったから。
おれは、体が冷たくなった。
その魔法使いとは、まさかアレンではないだろうな。
記述には魔法使いの容姿も性別も何も書かれていない。
ローブを着ていたとはいえ、何かしらの特徴は書かれていてもおかしくはないはずだ。
それがわからないとなると、それは他者が自分の存在を識別できない状態にする認識阻害の魔法が使われていたに違いない。
一般の人間は知らない。
魔法使いでさえ、その魔法を正確に知る者はいないだろう。
だがそれは、アレンの得意とする魔法だったのだ。
俺の様子に気が付いたアクネが、心配そうに近寄って来た。
「セリーヌ様、ご気分が優れませんか? お顔が真っ青ですよ」
「あ、ちょっと、キツイ記述があってね。もう大丈夫」
「無理はされないでくださいね」
「うん。もう少ししたら部屋に戻るね」
心配するアクネを遠ざけて、俺はもう一度本に集中する。
今は戦争を終わらせた魔法使いと約束した王族が、国を治めている。
オクモンド様は、その息子なのだろう。
彼と次兄は二十歳なので八歳の頃に終戦し、落ち着いた四年後に次兄はオクモンド様の遊び相手として選ばれた。
高位貴族や王都に近い貴族では、先の戦争狂いだった王族の禍根が根強く残っている。
コンウェル伯爵家ならば王都より離れているし、何より穏健派なので戦争をしないと約束した王家の意思に沿ったのだろう。
あのイザヴェリのバトラード公爵家は、先の王族に近しい存在だった。
魔法使いを退くためとはいえ、先の王を殺して王の地位に就いた現在の国王をよくは思っていないのだろう。
今でも何かあると文句を言ってそうだもんな。
変に力があるために敵に回す訳にもいかず、オクモンド様も彼女の扱いに困っているのだろう。
俺は庶子だという王族を思い出す。
きっと彼だ。
彼は一人で、やつらに立ち向かったのだ。
俺が逃げ出した、あいつらとあの場所で。
彼に全てを背負わせた俺は、卑怯者だよな。
同じ立場でありながら、俺は……。
それから俺は、ざっと目を通して本を閉じた。
図書室から出た直後、兄が帰って来たらしい。
エントランスホールまで迎えに出ると、満面の笑みで抱きついてきた。
「ただいま、セリーヌ。会いたかったよ」
「お帰りなさい、お兄様。今朝はお見送りもせずに、ごめんなさい」
「疲れていたんだ。当然だよ。それよりも少しは元気になったかな?」
「はい。今日はゲーテに頼んで、お兄様の図書室で本を読んでいました」
「それは良かった。セリーヌが来るから流行の恋愛小説なんかも用意しておいたんだけど、気に入ったかな?」
あの恋愛小説は俺のために用意してあったようだ。
だがすまん、兄よ。全く興味がない。
「セリーヌ様は歴史の本を読んでおられましたよ。勉強熱心なところは、ルドルフ様に似てらっしゃるのですね」
自分と似ていると言われて、兄がパア~ッと顔を輝かせた。
「そうなのかい、セリーヌ。王都に来て早々、勉強するとは何て真面目な子だ。でも君は病み上がりだし、デビュタントも控えているんだから、勉強はほどほどにね」
そう言って俺の頭をいい子いい子と撫でまわす。
くしゃくしゃになった俺の髪を、アクネが後ろで恨めしそうに見ていた。
後で直すのはアクネの役目だからな。
エントランスホールで一旦、兄と別れ夕食時に再び食堂で顔を合わす。
「明日は、領地から注文していたデビュタントのドレスの手直しだよ。デザイナーのマダムリンドールがお針子を連れてくるから、よろしくね」
マダムリンドールは、ここ最近王都で人気のデザイナーだ。
俺のデビュタントに向けて、兄が二年前から予約していたのだ。
領地に何度もデザインを送ってもらい、両親とも相談して決めた。
サイズは領地から伝えていたのだが、微調整に明日この屋敷に訪れるらしい。
お転婆セリーヌもやはりお年頃。
おっさんの記憶があるにしても、美しいドレスには心ときめくものがある。
「私も時間を見計らって、顔を出すようにするよ」
「そんな、お兄様はお忙しいのに。城からわざわざ戻って来てもらうなんて、申し訳ないです」
デザイナーが来るのは午後。
兄は仕事を抜け出して、城から戻ってくると言っているのだ。
流石に第一王子に申し訳ない。
「そのために普段真面目に働いているんだから。妹の行事がある時ぐらい、融通利かせてくれてもいいと思うよ」
「それは親子の場合では? 兄妹間ではあまり使われないと思いますが」
「大丈夫、大丈夫。お兄ちゃんに任せておきなさい。セリーヌは何の心配もしなくていいからね」
ドンッと胸を叩く兄は、その後ゴホゴホと咳をしていた。
兄よ、強く叩き過ぎだ。
「ありがとうございます。ではよろしくお願いしますね」
ニッコリと微笑むと、兄は「任せて」とまた胸を叩いて咳き込んでいた。
学習しろよ。
ゲーテが水を渡している。
親馬鹿ならぬ兄馬鹿ではあるが、優しい過保護な兄に苦笑する。
セリーヌは幸せ者だよな。
この平和な世界で、今のアレンも幸せだろうか?
生きていたら二十二歳になっているはずだ。
幸せであってほしいと願いながら俺は席を立ち、兄の背を優しく擦るのだった。