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水も滴るいい女?

楽しんでいただけると、嬉しいです。

 ポトポトポトポト……。


 頬に雨粒が当たっている。

 先ほどうっかり屋根に大きな穴を開けてしまったからかもしれない。

 雨粒なのにまったく冷たくないところが、温かいとさえ感じてしまう。

 ……なんて、俺って奴はこんな時でもふざけてしまう。

 雨なんて降っていないことくらい、本当はわかっている。

 これは涙だ。


 俺の隣で息子が泣いている。

 ああ、女顔だからってこんな風に泣かすつもりはなかったのにな。

 最後にこいつの顔を見ておきたかったが、視界がぼやけて、こんなに近くにいるというのにもう輪郭しかわからない。

 でも、泣いているのだけはわかる。

 大粒の涙をぬぐいもせずに、ポトポトと俺の頬に落ちるぐらい流している。


 最後の力を、右手に集めて持ち上げる。

 ぽふっ。

 どうにか息子の頭に手が乗った。

 その手をいつものようにわしゃわしゃと動かしたいが、どうやらそんな力は残されていないようだ。

 だが息子は頭に置かれた手を、己の涙で濡れた頬に持っていく。


「お願い、死なないで。僕を一人にしないで」

 切実な願いに心が痛くなる。

 ごめんな。俺だってこんな冷たい世界にお前を一人、置いていきたくない。

 だけど、もう俺には力が残されていないんだ。


 せめて俺の代わりにお前を守ってくれる者を見つけておくべきだったが、もう遅い。

 ごめんな。酷い父親で。

 こんな所でくたばって、最後まで面倒もみられないくせに、お前を連れて来てしまった。

 連れ歩いて、親子の真似事をして……。

 だからお前は、最後まで俺を父さんとは呼んでくれなかったんだな。

 少し寂しいけれど、こんなにあっさりとお前を見捨てていくような俺だから、仕方がないか。


 ――でもどうか、悲観しないでくれ。

 俺がいなくなっても、決して死を選んでくれるな。

 お前には誰も持ちえない力がある。

 それを盾にお前を見下す奴、利用する奴、手に入れようとする奴、全員ボコってしまえ。

 お前には、それができる力があるのだから。



 ああ、もう輪郭さえ薄れてきた。

 俺の手が落ちるのを、その小さな手で必死に掴んでいるのがわかる。


 ごめんな。最後にお前の名前ぐらい呼びたかった。

 俺が付けた、お前が初めて笑顔を見せてくれた、二人の大切な名前。

 俺が呼ぶと、彫刻のような表情のないその口が、かすかに上がる。

「何?」と仏頂面で答える割に、その声はとても柔らかくて……。


 短い時間しか一緒にいられなかったけれど、大好きだったよ、俺の息子。

 立派に成長した姿を見たかった。

 俺の瑣末な死は、お前を傷付けるかもしれないけれど、それでも生きて、幸せになってくれ。

 それだけが俺の願い。

 俺の最後の願い。

 幸せに……幸せにな……俺の大切なアレン……………………。




 びしゃん!


 ポトポトポトポトと盛大に俺の頭から水が滴っているのは、雨ではない。

 うん、空は晴れ渡り、眩しいくらいの日差しだ。

 では、これは何の水かというと……うまっ!

 口に流れ込んできた水を舐めると、普通に美味い。

 クンクンと匂いを嗅ぐ。

 爽やかな酸味と芳香な香り。

 これは白ワインか。

 それもかなりお高いヤツじゃないかな⁉

 でもなんで俺はワインを頭からひっかぶっているんだろう?

 俺は頭を上げる。

 そこにはゴテゴテに着飾った、見るからに意地悪そうな貴族の女が三人、こちらを見てクスクス笑っている。

 その手には空のグラスが握られている。


 うん、状況確認をしよう。

 俺に白ワインをかけた犯人は、真ん中の金髪碧眼で美人ではあるが吊り上がった眼付きの鋭いグラスを持った女。

 その女に付き従うかのように二人の女が、両脇を固めている。

 俺はこの三人の前で座り込んでいて、頭からワインをかけられたんだ。

 そして周囲には他にも数人の貴族の女が、俺を囲んでニヤニヤと笑っている。

 ここは、どこかの屋敷の庭の片隅か?

 わざわざ人目を忍んで、こんな所でこんなことをされているなんて……え、今俺って、虐められている???


 ハッと我に返った俺は、その手の下に大きな膨らみのあるたっぷりの生地があるのに気が付いた。

 てまさか、これって、ドレス⁇

 俺はそのまま頭や肩をペタペタと触り、最後に胸元を触る……いや、握った。

 なんすか、このありえない膨らみは???


 ちょっと、まてぇ⁉

 俺はバッと立ち上がり、俺の姿が見える物はないかと走り出そうとして、その手を掴まれる。


「ちょっと、どこに行くつもりよ。まだ話は終わっていないわよ」

「いや、あの、話なら後で聞く。とりあえず鏡、鏡はないか?」

「は、何言ってんの? そのずぶ濡れた醜い姿を、わざわざ見たいというの?」

「わかった。そんなことを言って、城の者に助けを求めるつもりなんでしょう」

「油断も隙も無いわね」

「言っておくけど、そんな都合よくオクモンド様の耳には入らないわよ」

「ほら、早く跪きなさいよ」


 俺が必死で自分の姿を確認しようとすると、周囲にいた女たちがこぞって喚きだした。

 そしてあろうことか、俺をその場に突き倒す。

 慌てていたため受け身が取れなかった俺は、体から地面に倒れこんで左肩をしたたかに打ち付けた。

 顔を顰めて「うっ」と声を上げる俺に、女たちの笑い声が聞こえる。

 そして空のグラスを持っていた女が、それを地面に落として叩き割ると、その破片を俺の顔付近に持ってきた。

 え、ちょっと待て。

 いくら何でもそれは……。


 下町のゴロツキかと思うような行動を、どう見ても貴族の令嬢であろう女がとろうとしている姿に、俺は驚きのあまり固まった。

 いや、ゴロツキなら遠慮なく殴り倒している。

 だが、目の前にいるのは女だ。

 流石に女に拳は……って、いや、今の俺の姿って女なんじゃないのか?

 何かの罰ゲーム中じゃなければ、女装している訳ではないはずだ。

 そしてこの胸は本物。詰め物ではない。本物だ。

 だって握ったら痛いし……。

 理由はわからないが、女なら女を殴っても問題なし!

 なしということにする。

 相手が貴族の令嬢なんてそんなもの、今この状況では関係ない。

 やらなければやられるだけだ。


 俺は女が破片を持つ手をガッと掴んだ。

 女は、まさか俺に反撃されるとは思っていなかったのか、ビクッと震える。

 と、その時……。



「そこで何をやっている⁉」


 凛とした声と同時に、数人の男が現れた。

 俺にグラスの破片を突き付けていた女は、咄嗟に破片を落とし、俺の手を払いのけ立ち上がった。

「あ、あら、オクモンド様、ご機嫌よう。これは、なんでもございませんわ。少しお話をしていただけですの」

「……話をしていただけにしては、妙な雰囲気だが……」

 男たちの中心にいる赤髪で緑眼の精悍な顔つきの青年が、どうやら先ほどの声の持ち主らしい。

 チラリと、俺と俺の足元に光るグラスの破片を視界にとらえている。

 男たちは皆、剣を腰に下げていた。

 どうやら赤髪の青年は高位貴族で、周囲の男は護衛騎士のようだ。

 青年は女に疑わし気な眼差しを向けるが、女はしらっとその視線を避ける。


「それは彼女が一人で暴れていらして、わたくしたちがお止めしていたのですわ」

「暴れて、一人、びしょ濡れになっているのか?」

「ええ。彼女はお友達の一人もいない変わったご令嬢ですから。わたくしたち見かねてお友達になってあげようとお呼びしたのですが、急に彼女、ご自分でワインを頭からかぶり暴れだしたのですわ。突然の奇行に、わたくしたちも困っておりまして」

 平然と嘘を吐く女は、俺にチラリと視線を向けた。

 困ったように眉根を寄せてはいるが、余計なことは言うなよと吊り上がった目が言っている。


「……イザヴェリ嬢、私は貴方を疑いたくはないが、その返答は些か乱暴ではないか。流石にそれを信じろというのには無理がある」

「あら、公爵令嬢のわたくしが嘘をついていると仰るのですか?」

 赤髪の青年が眉間に皺を寄せるのを、女は傷付いたような表情で見上げる。

 青年の眉間の皺がますます深くなる。

 これは青年の方が立場は上だが、女の方も軽くはあしらえない立場にあるのだろう。


 俺はスクッと立ち上がった。

 ここで俺が本当のことを言っても、男たちには女たちを罰することは難しい。

 どうせ有耶無耶にされるのならば、本当のことを話しても仕方がない。

 やられ損ではあるが、とにかく今は自分の身の確認の方が先決だ。

 早く一人になりたい!

 俺はキッと周囲に視線を送る。


「すいませ~ん、沢山の女性に囲まれて、恥ずかしくて逃げちゃいましたぁ。不注意でワインまで零すなんて、私ってばドジっ子さん。ということで、お疲れさまでした~。速やかに解散してください」

 えへっと笑う俺に、その場にいる全員が目を点にした。

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