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養女が歌姫になる話

お母さん、どうしてみんなを愛してくれたの?

とヒロインが聞いちゃったりする、

愛のサクセスストーリーです。

何卒、どうぞよろしくお願いいたします。

私の生い立ちは、ほんのちょっとだけ普通と違っている。何が違うかって、お母さんと私は血の繋がりがなくて、私はお母さんのところに養子に行ったんだ。


お母さんは独り身だったけど、たくさんのボランティアをしてきたということを役所に申請して、養子を引き取れるようになった奇特な人だ。


何でも私は初めての養子じゃないらしい。なんでももう、一人を立派に成人させた後なんだとか。


お母さんは50歳にして、もうすぐ小学校にあがるところだった私を養子にして、その懐の深さですぐに私をお母さんお母さんと懐かせてしまった。


ちょっとくらい間違っててもどこかに愛があれば、なんとかなるものだ、なあ?例えば今は、友梨のことを私が愛してる。相手のご両親も今日もご飯を作ってる。だから安心してゆっくり友達と仲直りができる。みんなに甘えたらいい。。。

それより、友梨は何か大事なものを見つけて、幸せになりなさい。優しいとかっていうのは、その後でついてくるんじゃないかなあ。。。大丈夫だよ、友梨は優しいし、もっと優しくなっていける。

ちょっとくらい何かが足りなくってもいい。大事なものがあれば、きっと友梨は幸せだからね。


「友梨ちゃんって、優しくないねっ!」


ある日クラスメイトと喧嘩になった私は、その子に優しくないって言われたときに、お前にはなにもないだろうって言われた気になったんだ。


。。。お母さんに言われたことは嬉しくて、心の大きなバンソウコウになったけど、でも私、自分に何もないんじゃないかって思ったときのショックは、忘れることができなかった。


何かを作ろう、と思った。折り紙でもなんでも、何かを作った時は何かが手の中にあって、安心するから。


作るものは何でも良かったんだけど、とりあえず、なにもないところから始められる歌を作ることにしたんだ。


小学生くらいから、空虚な言葉をほうぼうから借りて歌を作った。しかし、いくらそうしていてもその曲たちが私を感動させるようなことはなかった。世界に対する理解も、表現も浅かった。

作るのは他愛もない何かでよいと思っていた。でも違った。私は年齢が上がり、いつの間にか精神的にもっと高尚な満足を欲するようになっていた。

いくら作っても、自分の心に、自分で到達できないようなもどかしさ。いや、もしかしたら、私の中身を割ってみることができたとして、自分って、なにも詰まってないのかなあ?とすら不安になった。


そんなとき、お母さんの夢を見たんだ。お母さんが私の曲を聴いてくれて、上手だねって褒めてくれる夢。私はそのあまりのあたたかさに、夢の中で泣いた。


起きて思う。あれは『愛』だ。愛はあたたかくて、私には無視できない『何か』としてしっかりとこの世にある。


愛は、なにもないとは、明らかに何かが違う。だから、私は、愛の歌になってしまおう。それはなにもない自分を、ついに終わらせることだ。


そこから中学生時代は、歌に生きた。

結局完成した曲は5曲ほどで、満足いく曲は2曲程度だっただろうか。でもそれらは確実に私の中身になった。フレーズを当て込む度、自分がちょっとづつ自分にわかっていくように感じていた。


私は高校生になった。

男友達が出来た。

一緒にクレーンゲームをして、カラオケに行って、歌手志望だって打ち明けて、そしたら路上ライブを企画してくれた。


恥ずかしかったけど、MCみたいなことも一生懸命頑張って、歌を歌った。


私達はそれを動画サイトにアップロードして、再生数はグングン伸びていった。


何年も頑張った。


チャンネル登録者数が10万人を超えてしばらくした時、スーツ姿の男女がライブ終わりに現れて、名刺を渡してくれた。有名なレコード会社の人だという。私はスカウトを受けた。


レコード会社に所属し始めた私は、高3の夏にデビューライブを行うことになった。


そうその男友達、結人なんだけど、ダメ元でマネージャーに推薦したら、本当に結人も会社も彼をマネージャーにつけてくれて、驚いたけど心から嬉しかった。


私は結人に自分の楽曲の方針をたくさん相談し続けた。彼は高校を卒業すると同時に私のマネージャーとして本格的に会社に入社してくれて、誰より私に近いところに居続けてくれた。


そんな彼に、私は自然と体調を心配したり将来を気遣ったり、あったかい気持ちが芽生えていくのを感じていた。


これが優しいってことなのかもしれない。


心配されてるとか、大事にされてるとか、相手に伝わっちゃうくらい願ってることを『優しい』って言うのかもね。


「ねえお母さん。優しくなれるって、嬉しいなあ」


私は定期的にお母さんに会いに行っていた。お母さんは腎臓を悪くして、時々人工透析をしに病院に通っていたけど、まだ動物の保護活動だとかを精力的にやっていて、生き生きと生きていた。


お母さんは私の蕩けた表情に何か危険を感じ取ったらしく、少し目つきを厳しくしてこう口を開いた。


「誰にもどこまでも優しくしたらいいわけとちゃうんよ。もし危ないと友梨が思ったら『私の愛ある日常を壊されたくない』って、ちゃんと相手に言いなさい」


「お母さん、私ね、お母さんが優しくしてくれて嬉しかったから、優しくなろうってどこかでずっと思ってたんだよ」


「私、今ある人にそうなりたい。それでもきっとその人は、私を傷つけようって、思ったりしないよ。そのくらい、信じてる」


「。。。そうかい。それは、いい人を見つけたんだねえ」


「いやその、、、単なる友達なんだけどね!」


私は23歳になっていた。


活動も右肩上がりに順調だったある日。結人が珍しく仕事を早退した。


次の日会うと元気そうだったので、あまり気にしていなかったんだけど、今病院で精密検査をしてもらってるんだということではあった。


まだ結人も若いし、と、私はほとんど心配していなかった。


2週間ほどが経って。結人に個室に呼び出され、淡々と彼は話しだした。表情も淡々としていて、私はてっきり仕事の話かと思った。


「余命、1年だってさ。。。だからさ、マネージャー辞めて、療養に専念する」


「だから、、、もし、治らなかったりしたら、もう連絡とかは、これきりで頼むよ。というか、いつ治らないって確定するかなんてわからないから、連絡をこれきり絶っておきたい。友梨のこと、大事だからさ、それで終わりにして欲しいんだ」


え?なに?結人は、今なんて??

結人は、病気。余命宣告を、受けたんだって。


そんなの、、、酷いよ、酷いことだよ。今まで結人は私のことで頑張ってくれて、それで私がどれほど救われたと思ってるんですか?


どうすればいいか、、、正直良くわからなかったけど、私は出来るだけ冷静なふりをするため集中しようとした。。。いや、上手く、笑えないな。なんでだっけ?そう、結人が病気で。。。


「。。。病気の療養に専念するんだねっ!それは、、、とても賛成だな。お仕事なんて、やってる場合じゃないよ。。。」


「ありがとう。ごめんな、迷惑だったら」


「迷惑なんかじゃないよ、でも」


でも。。。?


私は思った。その思いが全く頭の中で止まらず、喉にまで否応なく登る。脳が上手く働かない。


「でもさ、もう連絡とらないの、なんで?」


「え?それは、、、友梨の歌は、特定の誰かのこと心配しながらやれるもんじゃ、きっとないだろ?友梨はみんなのために頑張って、人を感動させる。きっとそうだと思ったんだ」


私のためを思って、きっと彼ならそういうことだろうと思っていた。


「あ、ありがとう。友梨のことを思ってくれて。。。」


よかった。結人は私の親友だもんね。でも、それ、だったらなんで。。。?


「でもっ、私っ・・・」


「私・・・」


「でも私、それ、めちゃくちゃ嫌だなあ。。。」


「それで私が元気に歌手できるって思ってるなら、きっとおお間違いだよ。だから私が幸せなんて、裕也の勘違いだよ」


「私はそれは嫌だ。連絡取らなくなっちゃうの、嫌だ。嫌すぎて、なんにも出来なくなっちゃうかもって、くらい。。。」


「だって。だって私。。。」


結人、結人、結人。

ああ、自分でも、止められない。こんな状況で、こんな事を言ってしまうけど、他にどうしたらいい。。。?

「だって私、結人のこと大好きなのにぃ・・・!」


「嫌だよ、嫌だ、会えなくなりたくない!ずっと結人と一緒にいたい!」


「結人のことが、好きだ。。。!」


「ずっと前から、大事なんだ、よ。。。!」


泣き崩れ、膝を折りそうになる。感情が乱れきり、立っていることも覚束かず、よろける。

何秒時間が経っただろうか。時間だけはゆっくりといつもと平等に流れている事が頭の片隅で分かっていた。


きっと10秒。


絶望的な後悔が、胸を急速に支配しそうになる。


自分ってなんなんだ。こんなのが自分だったのか。こんな、みんな傷つくようなことを!人生、もっと頑張ってくればよかった。そうだったらいくら追い詰められても冷静でいられたんだろうなあ。。。


。。。そんな激しい自己嫌悪の時間が過ぎたあと、結人が少し身じろぎをした。


するとそれから、結人はそっと前に出て、私の頭を、温かな手のひらで、、、包みこんでくれた。


驚いたと同時に、いや、驚く間もなく、自然、呼吸が深くなる。


「。。。。。。愛してるよ、友梨。。。ずっと前から」


「結人!」


「。。。でも、こんな気持ちは友梨の邪魔になると思って、ずっと言えなかったんだ」


「俺は友梨みたいに、誰かに何かをあげれる人間じゃないんだろうって、思ってた。友梨は素晴らしい愛を歌えて、ファンを喜ばせてるのに、俺は、って」


「それから、、、まさかこんなにも、何も出来ずに死ぬんだって、愕然として、それで。。。」


「そんなことない!結人は、とっても、優しかった!何かが足りない時、いつもそれを埋めてくれようとした」


「大好き。愛してる。私のところから、いなくならないで。。。」


「。。。佳恵。。。」


「。。。。。。佳恵、こんな形で言って、ごめんな。もし、許されるのなら」


「長く一緒にいることは、、、叶わないかも知れないけどさ」


「俺と・・・交際して、くれませんか・・・?」


「。。。。。。はいっ、よろしく、お願いします!」


彼は優しく微笑んでいて、それに私も涙で濡れた笑顔を返した。


自然と抱擁して、2人とも深く深く呼吸をしていることが伝わる。


「私も、こんな形で、告白してごめんね。。。」


「でも、気持ちを言ってくれなきゃ、俺たちこれきりになってたかもよ?これで、よかったんだ。。。最高だよ」


「。。。大事に、するからね。。。」


それから、私と結人は交際2ヶ月で婚約をすることになって、私はその報告をお母さんにしに行った。


お母さんはその日、養護施設の子どもに読み聞かせる絵本を選んでいた。


私が来るとお茶受けと温かい緑茶を出してくれた。


私は事の経緯をお母さんに伝え終わる。お母さんはしみじみとその話に聞き入ってくれているようだった。


「。。。愛してるよ、友梨。あなたがより幸せになることなら、お母さん本当に心の底から嬉しいんじゃけん。これから2人で、たくさん幸せになってえな」


私はその様に嬉しさが込み上げ、つい、ある疑問が口をついてでた。


「お母さん、どうしてみんなのことを愛してくれたの?」


。。。お母さんは、横においてあった絵本を撫でながら、少しの間思案した。


お母さんの人生の、今までの、愛。

それを説明できる人がいるだろうか??


「どうして愛が湧いてくるのか、私にさえよくわからなくてねえ」


「ただもしかしたら、友梨たちを育てたからかもしれないねえ」


「誰かを育てるってことは、心の奥にある自分の幸せに気づかせてくれる」


「それで本当の幸せっていうのはね、独り占めしたくなるんじゃなくて、分けてあげたくなるものなんだよ」


「お母さん。。。」


「友梨が歌を歌ってるのも、そんな理由なんじゃないんかね?」


「よう来てくれるのもな、私のことは大丈夫じゃけん、聞いてくれる人のこと、たくさん考えてあげてな」


「お母さん、そんなことはないけん」


「最近、歌がなかったら、お母さんにももっと会いに来たいのになあってすごく思う」


「私、お母さんと結人が大事じゃけん。2人を優先して、そうして世界が終わってもいいってくらい、ほんとに愛しちょう。歌のことも最後には、どうでもいい。言ってしまえば、私の自尊心を満たす単なるツールだったんだんだよ。

私はお母さんと結人と3人でいれればいいけん。私はお母さんみたいな、博愛じゃなか。な?」


「友梨、人の生き方はね、そうやって世界が、続いていくって思えんとあかんよ。そのためにある程度、自分も誰かに何かをしてあげる。それが人間っちゅうもんやと、私は思うよ」


「。。。ごめんなさい」


「ええんよ、ごめんな、水を指すようなこと言うて。でもお母さんは、友梨が幸せに、なってほしいんよ。友梨は歌うのがこんなに得意なんじゃけえ、出来れば今まで通り歌うのが、ええとお母さんは思う。そうして、世の中が大丈夫になれば、友梨も堂々と生きていけるんちゃうかなあって」


しばらくして私は、ファンの人たちにも、結婚をするご報告をさせて頂くことになった。


重大発表ライブと銘打ったそのライブで、ラスト1曲の前に私はみなさんに件のご報告をし、その日のために作った曲を最後歌わせてもらった。


お母さんと結人を思って作った歌だ。

私の今の愛の気持ちが、聞いてくれたみなさんにも共鳴してくれるように、心を込めて書いたこのときのための曲だ。


私は2人のことと、みんなの幸せを願いながら、歌い始める。


『傘から伝う雨が、あなたの愛に、見え、空に立つ飛行機雲が、あなたの線に見えた。

あなたのこと考えてると

誰かを幸せにするってことの、大事さを考えてしまうんだよ

好きにもなれない人を好きになろうとしたり、苦手なことばっかりをやろうとしてたのかな

いつから私わかったの?あなたを愛してるってこと

あなたが好きだって私の全てが言ってるの

線を描く虹を描く私の心

稜線を歩んでる2人の姿

誰かがきっとあなたに口ずさむ歌がある

みんな愛の下


肩にかかるコートに、あなたの影を見て、見えない鼓動を聴いて、あなたの声を聞いた

心から愛してるけどいつかはいなくなる君へ

だけど忘れない私あなたが好きだから

線を描く君を描くあなたの心

空に目を留める2人の姿

いつかは私も誰かに幸せを届けたい

愛をこの胸に』


。。。数日後、私はライブについてのインタビューを受けた。

そんな中で、記者のこんな質問があった。


「一番尊敬する人は?」


「私の、一番身近な人。母です。」


「私、本当はあんまり言ってはいけないことなんですけど、歌は自分の人生にはいらないものだって言ってしまったことがあるんです。でも、そう思うときっと私は不幸になった」


「母は世界を愛していて、世界が続くように何かの努力をして生きるのは、人間らしい幸せなのだと言いました。そんな風に考えることで、私に堂々と生きて欲しいと言ってくれました。母のようにはなれないかもしれませんが、私も何かをしたい、特にやはり、歌い続けたいと、今では強く思っています」


それから結人は1年半を生きていて、医者を驚かせた。しかし、残念ながらそろそろ山でしょうと、私は呼び出されて告げられていた。


奇しくも、70を迎えたお母さんの腎臓の調子もいよいよ悪くなってきて、私は2人の死を考えて、どうしても涙が溢れてくる夜をしばらく過ごした。


入院したお母さんに会いに行くと、よく入院中の子どもにあげるための折り紙を折っていた。


結人のことを相談すると、お母さんに任せなさいと、いつも胸を叩いた。


「お母さんも最後まで頑張るけえ。死んだら、お母さんの魂はきっと命のエネルギーになるけえな。それでみんなのところへいくけん」


「お母さん、死んでからも私たちのことを考えんでもええから。ゆっくり羽伸ばしいな」


「いやいいんよ。最近な、友梨たち子どものアルバムをよう見返すんやけど、不思議なことがおこってん」


「不思議なこと?」


「友梨のアルバムを見返すと、まるで音楽がなってるようだったよお。祐介は料理が好きやったからかなあ、祐介のアルバムを見るとまるでいい匂いがしてくるようやった」


「その時間は、最高としか言いようがないんよ。ありがとうとしか言えんのよ。お母さん、思い出にありがとうって、まだ言い切れてへんから、だから死んでからも、みんなのところへ行くけん。。。な?」


「あ、ありがとう。。。にしても、お母さんって、ほんまにどんな時でも生き生きと生きとるなあ。。。」


「友梨。いろんな世界をよく見ておいで。そうすればきっと心が死にそうなときでも、生き延びることが出来るようになっていく。この世に愛に満ちた、居心地のいいあり方はきっと何個もあるから、それらの存在を忘れないでねえ。死ぬことそのものじゃなくて、冷たい世界で死んだように生きることが、きっとこの世で一番辛いことだからね」


「ずっと幸せでなあ、友梨。。。」


その時のお母さんの満面の笑み。その光景を、私は、生涯忘れないだろうと思った。

お母さん、お母さんは私の中で、本当に、愛の象徴だよ。


お母さんはそれからすぐにいなくなってしまった。まるで早く私達の命のエネルギーになってあげようとしたかのように私には思えた。


結人の病気は医者も驚くほど、まるでお母さんが来てくれたかのように、峠を越え、次第に良くなった。1年も経つと、寛解したと医者に宣言され、私と結人の心はきれいに晴れた。


お母さんがいなくて、世界があたたかさを失うことはなかった。だってお母さんがたくさん愛した世界には、たくさんのお母さんの思いが生きてるって思うことができたから。


お母さんは最後まで、愛の絶えない人で、色んなことをお母さんに教えてもらった。


それからしばらくして、夢を見た。お母さんに最後の花束を渡す夢だ、ってことが分かった。

お母さんに「お母さんのエネルギーは尽きてしまうけど、これから大丈夫?」って聞かれて、頑張って「うん」と返した。


「私がどれだけお母さんが好きか、分かってくれてる?」

「えぇ、十分、伝わってますよ」

「私、お母さんへの好きを、全部幸せになるエネルギーに変えて頑張るから」

「だから、私は大丈夫」


ぼやけて消えていきそうなお母さんに私は慌てて、「ねえ、お母さんってどのくらい幸せだった?」と聞いてみた。

するとお母さんは思い出の中そのものの笑顔を湛えて、「お母さんはね、世界一。祐介と友梨のお母さんでいれて、これ以上ない幸せよ」と最後に私を撫でてくれた。


たまらずまばたきをすると、世界はぱっとクリアに見えたけど、そこにもう母の姿はなかった。


夢だとか夢じゃないとか、もう関係はなかった。お母さんは確かに私のエネルギーになっていて、最後に幸せだったと言い残してくれた。

お母さんがそんな最期を迎えたことが、お母さんらしくて、とてもとても、嬉しかった。


起きたら目元がぐっしょりと濡れていた。お母さんが亡くなってから、初めてこんなに泣いたのではないかと思う。


結人が朝ごはんに出したパンケーキをつつきながら、気だるげに私に甘えてくる。


「パンケーキ、食べて」


「昨日食べすぎたんでしょ?もう、いいわよ、私が太ります」


「太っても可愛いけど、事務所が許すかな」


「大丈夫、ちょっとくらいなら、許してもらいますよ」


そんなことを言って2人で笑った。



母のあの無限のような愛は、私も持っているものなのか?と最近よく思います。


いや、きっと私は私なりに、何かを1つ2つ愛するだけでしょう。

結人を大事にして、音楽のことも、愛して。


そして、色んなことを経験して。


ちゃんとお母さんの言ってくれたこと、大事にするよ。


。。。そんな風にしていれば貴方の愛した世界で、私も幸せに生きていけるんじゃないかって思います。まあ、まだまだ、お母さんほどじゃないかもしれないけどね。


お母さんは結局、私の中の光になりました。

あなたは、母親だったり、命のエネルギーだったり、目まぐるしいものです。


それは、きっと辛い時はもっと輝くだろうし、成長すれば祝福してくれるだろう光です。

逆境の時は迎え入れてくれ、幸せになった時は涙を拭ってくれるだろう光です。


まるで、生涯のパートナーをもう一人得たよう。

それは、いつも傍らに寄り添ってくれる、あたたかさなのでした。

偉大な愛を持っていたあなたの残したものは、そんな身近なものでした。


私は普段は勿論、歌を歌いながら、そんな身近な幸せの大事さを思い出すことにしています。自然と私の心は温まり、まるで膨張した空気が出ていくように歌声になります。


最期まで頑張ったお母さん。こんなにもしっかりと世界に居た人を、私は他に知りません。


思い返す、お母さんの愛、愛、愛。

私にはやはり、お母さんの思いを説明することは、まだ出来ない。けれど、お母さんのような心の熱を持っている人のところの子どもになれて、私の心も生きたのです。


その熱がみんなにもうつっていったのだろうことが私には嬉しく、また、これからのことが楽しみに思われます。


お母さん、今度一度だけ、歌をお母さんのために、歌ってもいいかな。それがみんなの心にも届くって信じて。


愛してる、お母さん。

愛を嘲笑するやつもいるけど、やはり愛で世界は周るのだ。

そんなロックな気持ちを書きたかった短編でした(まだ表現が至れてないかもしれませんが。。。)


また人情や愛についてのお話を書いていこうと思いますので、何卒どうぞよろしくお願いいたします。

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