8 逡巡と決断
ちょっとだけシリアス回の2話目です。
空は曇天に覆われている。中庭は静寂に包まれ、時折、遠くで鳥の鳴き声が聞こえるだけだった。
クール侍女の表情は厳しいが、俺に向ける視線には、過ちを犯した子どもを諭すような慈しみの色も見て取れる。
「方や30年で1割減、方や10年で10割増――比べるべくもないでしょう?」
「そうだな。やはり、ぼんくらの能力は高――」
「違います。おかしいのはあなた自身です」
「私、か……?」
クール侍女の断言に、俺は一瞬たじろぐ。彼女の目には、強い感情の光が燃え上がっていた。
「ぼんくらの記憶力は確かに悪くはありませんでした。でも活用する状況と言えば、他人のあらを探すことだけ……彼の取り巻きにちょっと笑え……いえ、心が浮き立つあだ名をつけただけなのに、烈火のごとく怒る上に減給してくるし!」
「そ、それは災難だったな……」
どうやら、ぼんくらとのやり取りでたまっていたものがあったらしい。
まぁ、主人の側近に笑えるあだ名をつけるって大概なので、自業自得な部分も多分にある気がしなくもないが。やぶへびなので言わないけど。
「おまけに、お前の言葉には知性が感じられないとか……。しゃべると女としての価値が減ずるなとか……! 卑しい出身の者に聡明さを期待するべきではないなとか! どの口が言ってるんですか頭の弱いでか乳女に浮気した下半身男のくせに!?」
「よし、分かった分かった、少し落ち着こう。深呼吸しようか」
本当にたまっていたらしい。でか乳女て。
ヒートアップしていたクール侍女は、素直に深呼吸をする。
「ふぅ……。失礼しました。少しばかり興奮しました。――非才たる私には、殿下のおっしゃることが、本当に実現可能なのかは分かりません」
でも――と、ぐっと視線で俺の目を射抜く。
「官吏も、大臣も、王でさえも……私が知る限り、この国の政治中枢には何かを改善して行こうという気概や考えはありません。過去の記録文書を読み込むなどという、酔狂――いえ、正気の沙汰ではな――いいえ、頭のおかしなことをするのは殿下くらいです」
「お、おい……声が大きい!」
さすがに権力に対する不敬さを感じ、周りを見回す。幸いにも、声の届く範囲には誰もいなさそうでほっと息をつく。
というか、酔狂を「頭のおかしな」って言い換えなくてもよかったのでは?
思わず慌ててしまった俺の姿を見たせいか、クール侍女はふふんと鼻を鳴らした。満足そうな顔が復活する。
「普通の王族なら、事実を述べた今の言葉で怒り狂うでしょう。でも殿下は違います」
クール侍女は言葉を切ると、真面目な表情を作る。
「殿下。殿下は優秀です。見目もいいし、度量も広い。それに、周りの貴族の反応から見ても、復権は間違いないでしょう」
「そうだな――」
正直、そこは大した話ではない。関係者に相応のメリットを示せばいいだけだからだ。
軟禁の身ではあるが、クール侍女が協力してくれているので、主要な人物との協力が確約できている。根回しって大事だよね。
「そうなれば次期国王です。それもおそらく、近年の中では最高の。それでもまだ、『推し』とやらには不足していると思われるんですか?」
「当然だろう?」
だってそうでしょ? こっちは代替可能だけど、彼女は唯一無二なんだよ?
その価値は計り知れない。というか価値とかそういう次元ではない。
という話を、即答ですかとか言って呆れているクール侍女に語ってみたが、どうもピンと来ない様子……。
「なぜだ……」
「なぜだ、はこちらが言いたいです……。はぁ……いまいち伝わっていないようですし、この論法だと駄目ですか――というか、私からすれば逆なんですけどね……」
「何が逆なんだ?」
「殿下の逆鱗に触れそうですし、それはもういいです。――でしたら、別の考え方をしてみてください。このまま手をこまねいて何もしない場合です。ジェニファー様はどうなりますか?」
今のまま対策を打たない場合か……。
想定できる可能性に考えを巡らせてみる。
おそらく、公爵が想定している婚約者候補と推しの婚約――いずれは婚姻がなされるだろう。
本当に、そいつらよりもマシな条件で婚約が成立するような相手はいないか? このところ会話した国家中枢の連中から聞いた話や、文書を読み込んで記憶した国内外の貴族と提示してくれそうな条件をすべて思い浮かべる。
――いやいない。さすが公爵である。あらゆる意味で、一番いい条件で推しを購入してくれる相手を探し出したようだ。
というか現役の貴族どもへぼ過ぎない? 推しに見合わなすぎでしょ。
しかしそうなると、あまり想像したくはないが、奴らのいずれかと結婚した場合の推しの終着点は――。
「殺されるか、心を壊されるか、そのどちらかだな」
「ですよね。その2択よりは、殿下の妃――つまり王太子妃になるのがマシだとは思いませんか?」
「そう、だな。確かに……」
普段は意味が分からないほど優秀なのに、彼女が関わると途端にポンコツと化すの何とかなりませんかね……とクール侍女がひとりごちる。
「やはりポンコツか……」
「ああもう、面倒くさい! そういうところだけ拾って自信喪失しないでください。それより、どうなんですか? 状況が整理できたと思いますが、覚悟は決まりましたか?」
「――ああ、そうだな……他にいい選択肢はなさそうだ」
「はぁ……じゃあもう、それでいいです。ギリギリ許容範囲です」
まったく手間がかかる主人です、などとクール侍女があきれている。でも満足そうだ。よく分からないが、迷惑かけてすまんね……。
「では、私の王太子としての権力復帰と、彼女との婚約維持に全力であたる」
「はい。お供します」
*
1週間後。
「黒幕殿下」
「着いたか」
「はい」
クール侍女の呼びかけに従い、馬車から降りる。
公爵の邸宅前である。大きな正門の近くに立つと、どこか冷たい空気が肌をなでる。
軟禁はすでに解かれていた。
「いよいよ、最大の難関だな……」
「そう思ってるのは黒幕殿下だけですが」
「何を言う。これからのことに比べれば、他はすべておまけのようなものだろう」
正門へと向かう中、周りの木々が風にざわざわと音を立てて揺れているのが見える。まるで俺の心のようだ。
振り返ると、少し後ろを歩くクール侍女が俺をジト目で見ていた。
「主だった政権中枢の人物から後押しをもらい、関係が最悪になっていた王妃からでさえ協力を取り付け、公爵からも婚約を維持することをむしろ懇願されているわけですが。それがおまけですか」
「当然だろう。私はあくまで外堀を埋めたに過ぎない。本人からの許可を得なければすべてがひっくり返る話だ。彼女に直接関係しないことはむしろ些事だ」
「平常運転ですね……外堀が埋まってたら終わったようなものだと思いますが。というか私、公爵という非常に高い立場の男性が、冷や汗を流しながら震える姿を初めて見ましたよ」
クール侍女が、最近よく見る呆れ顔でつぶやく。
「まぁ我を通したいときに、他人の弱みを把握するのは基本だからな。本来であれば、今後の関係性を考えてもう少し穏便に片付けたかったところだが……急に婚約者から外すと言われては、打つ手が少なくなるのも仕方あるまい」
「本来、『仕方ない』の一言で済む話じゃないんですけどね……。さて、準備はいいですか?」
「少し待ってくれ」
深呼吸をして心を落ち着ける。さすがに緊張する。
涼しい顔で公爵や王妃と対峙した人間と同一人物とは思えませんね……と言ってクール侍女が肩をすくめた。
だってしょうがないだろう? あれはただの作業だもの。
「ようこそお越しくださいました、殿下」
公爵家の正門から敷地に足を踏み入れると、幾人かの家令が待ち受けてくれていた。
年かさの執事らしき人物に従って、邸宅の中へと案内される。
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