6 推しの豹変
推しは、またこれも珍しくぽかんと口を開けて俺のことを見つめ返していた。
場がなんとも言えない沈黙で満ちる。
そして、急に立ち上がる推し。
「わっ、わたくし、帰りますっ!」
「ジェ、ジェニファー?」
「お嬢様?」
唖然とする俺たちを置いて、ずんずんと歩いて行ってしまう。
ちなみに、ぬいぐるみはしっかりと抱きかかえたままだ。
「あー、その、なんだ」
ヤンキー侍女が気まずそうに頭をかく。
「ぼんくらからあんたになって、まぁ少しマシになったかなと思ったんだが――よく分からなくなってきたよ」
「すまない。やらかしてしまっただろうか……」
さすがにオタクのマシンガントークはキモ過ぎたか……?
引かれたにしろ、嫌われていないといいんだが。
「やらかしというか、なんというか……。あー、なんだ、きっとあんたには意図はないんだろうな?」
「意図? 特には……聞かれたから正直に答えただけだったが」
「だろうなー。うーん、しかしあの反応は解釈に苦しむな……。とりあえず私も引き上げるよ。お嬢様を追いかける」
「ああ、そうしてくれ」
じゃあなと言って、ヤンキー侍女は推しが歩いていた方向に向かって走っていった。
「――殿下」
それを見送ったのち、クール侍女が話しかけてくる。
「先ほどの口上は、なかなかに気持ちが悪くてよかったです」
「それは、褒めているのか、けなしているのか……」
「さぁ? でも、『キモ殿下』とお呼びするのもいいですね」
クール侍女が、やはりなぜか満足そうに変なあだ名を検討している。平常運転で何よりである。
*
「キモ殿下」
「その呼び方だが、さすがに何とかならないだろうか」
「なりません。ジェニファーさまがお越しになりました」
お茶会から3日後、なぜかまた推しからお茶会の誘いが来ていた。
ちなみに前回からずっと、呼び名はこれで固定されている。
クール侍女の先導で中庭に向かうと、推しが無表情で迎えてくれる。
え、無表情?
「あ、あのっ! あの……今日はお呼びだてしてっ、えっと……そ、その――感謝いたしましゅっ」
声は裏返るし、セリフは飛ばすし、噛むしで、普段の推しなら考えられない醜態である。ええ……なにこのかわいい生き物。
もしかして俺の理性を崩壊させにきたんだろうか。全面的に降伏するしかない。
「あ、あの、あのこれっ!」
手をぷるぷる震えさせながらそう言って、推しが何かを手渡してくる。
両手で握りしめたそれは、ぐっしゃぐっしゃな状態の布だった。
受け取って広げてみると、しわだらけのハンカチだ。
よく見ると隅の方に、王家の紋章とぼんくらの――というか今は俺の――名前のイニシャルが小さく刺繍されている。
「もしかしてこれ、ジェニファーが私のために、し――」
「べ、別に殿下のためじゃないですっ!」
食い気味に推しが叫んだ。後ろで控えていたヤンキー侍女ですら、いつもの泰然とした様子が崩れてぎょっとしている。
「そ、その……喜んでもらえるかなって思いながら、綺麗に仕上げようと頑張って刺繍はしましたけど! しましたよ? しましたけれども! そ、そう! いつも王家の方々にはお世話になってるので、代表して殿下に差し上げるだけです! だ、だから勘違いしないでくださいましっ!」
「……そ、そうか、感謝する。大事にさせてもらおう」
こちらに目を合わせず推しが叫ぶ。その勢いに戸惑いつつも、感動で泣きそうになるのを抑えながら受け取った。
推しの手作りプレゼントとか、家宝にする以外で取りうる選択肢なくない?
きれいに飾らなければ。まずはアイロンがけかな? クール侍女に借りよう。
思わずほころぶ口元を感じながら、感謝の思いを込めて推しを見つめると、眉根を寄せて唇を引き結んだ。
え、何その表情。ゲーム中や設定資料集の中にもそんなのなかったよ?
「か、帰りますっ!」
「え……?」
推しは、わめくようにそう言って、前回のようにずんずんと歩き去ってしまった。
いや待って、お茶会なのにお茶一滴も飲んでない……。
「あー、なんかうちのお嬢様がすまない」
微妙になる空気の中、ヤンキー侍女がそう謝ってくる。
「いったい何があったんだ?」
「何があったというか、前のお茶会が終わってから挙動不審でな」
「キモ殿下だったのにあんな反応になるなんて……」
クール侍女がよく分からないことをのたまっている。
「何かまずいことをしてしまったのだろうか……」
「あー、いや、少なくとも今回については、殿下が何かしたとかそういう話じゃないと思う。ちょっと刺激が強すぎたんだな」
「刺激……? どういうことだろうか?」
「うーん……まぁ少し様子を見よう。時間がたてば落ち着くかもしれないしな」
ほんとどういうことなの……。
わけが分からず戸惑う俺を尻目に、ヤンキー侍女は推しを追いかけると言って去っていった。
「キモ殿下」
「なんだろうか」
「贈り物をくれたのにすぐに帰ってしまったわけですが、これはどういう状況だと思いますか?」
「ううむ……義務感からお礼の品を持ってきたものの、不快感に襲われて我慢できなくなってしまった、とか?」
「0点ですね。これは、『鈍感殿下』と呼ぶ必要があります」
「いやいや、まさか……そんなわけないだろう?」
だって推しだぞ?
途方に暮れる俺とは裏腹に、クール侍女はとても満足そうだった。
*
再び3日後。
「鈍感殿下」
「来たか……」
「はい」
例によってクール侍女と一緒に中庭へ向かうと、逃げる推しの背中が見えた。
そう来たか……。しかし、気づくの早くない? 前回はあんまり長いこと顔を見られなかっただけに、ちょっと凹む。
「耐え切れなかったようですね」
クール侍女がしたり顔でそう言う。なんでその表情なの。
残されたヤンキー侍女は、頭痛を我慢しているかのように片手で頭を押さえていた。
「私は……避けられているのか?」
「ああ、まぁそうだな。前回はロクに話せなかったからって、『今回はちゃんとお話する』って張り切ってたんだけどな。無駄に。……ほんの、ついさっきまでは」
「そ、そうか……」
どう考えても、彼女に推しだということを伝えてから、関係がぎくしゃくしている気がする。
うーん、やはり言うべきではなかったのか。
「あと、また刺繍を完成させると息巻いてたんだが、何かを思い出したりもだえたりで手につかず、間に合わなくてな」
「……無理をしなくてもいいのだが。まぁ作ってくれようとしてもらえるだけ、ありがたくはあるな」
ヤンキー侍女は、なんだか疲れた表情をしている。
俺はクール侍女に目配せして、今回のために用意したプレゼントを持ってこさせてから、彼女に手渡した。
「これは?」
「挿絵が多めの大衆小説だな。対象年齢は低めで、かわいい絵が多いからきっと喜ぶ。本当は直接渡して反応を見たかったんだが……」
「そうか……ありがたく受け取っておく」
少しでも関係修復の材料になればいいんだが。
「あと悪いんだが、ぬいぐるみをもう1つ都合してくれないだろうか?」
「うん? 構わないが、どうしてだ?」
「前にもらったやつがね。お嬢様がずっと抱きしめたまま泣いたり寝たりするもんだから、だんだん汚れてきてしまってな。洗いたいんたが……離してくれないんだ」
え、なにそれ、かわいい。超見たい。
というか泣いてるってなんで? ヤンキー侍女に聞いてみても苦笑いされるだけだった。
「別の餌で釣って洗ってしまう作戦ですね」
「――事情は理解した。手配を頼む」
「かしこまりました」
クール侍女は今日も満足そうだ。
対象的に、ヤンキー侍女は疲れた様子で帰っていった。
「鈍感殿下、どうします?」
「計画を進めよう。まだどう転ぶかは分からないが……」
さすがに軟禁されていては取れる手段が少ない。
念のため下準備していたんだけど、そろそろ行動に移す覚悟を決めないといけないかもしれない。
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