5 気持ちの打ち明け
中庭に整備された水路から水のせせらぎが遠く聞こえる。新緑は目に鮮やかで、花々も競うように咲き誇っていた。
テーブルの上には、細かなレースで縁取られたクロスが広げられ、凝った装飾の施されたティーセットが並んでいる。
「その節は申し訳なかったと謝ればいいのだろうか」
ヤンキー侍女を見上げながらそう質問してみる。
彼女は、推しのカップに紅茶を注ぐついでに、俺のカップにも注いでくれていた。
カップからは、王家の領地で栽培されたファーストフラッシュの茶葉から、特有の香りが立ち上っていた。
「やめてくれ。それはそれでムカつく」
「厄介だなそれは……。というか、以前の王子の呼び名について提案なんだが、『ぼんくら』はどうだろうか」
「まさかの本人からきたかー」
「――いえ、ふふふ、いいんじゃないですかそれ。あれだけ自分の何もかもに無駄に自信を持ってた人に対して『ぼんくら』……でもちょうど実を表していて的確だと思います。ぶふっ」
何がどう琴線に触れたのか、クール侍女がツボに入って笑いが止まらなくなってる。笑いの感性が分からん。
もちろん俺がぼんくら案を出したのは、心の中で呼んでいたからというだけである。
「まぁ、あんたの侍女がこれだけ気に入ってるんだし、『ぼんくら』でいいよ私は」
「ふむ。では決まりだな」
「ぶふっ……『ぼんくら』、ぶふふっ」
そんなことを言い合っていると、ヤンキー侍女が眉根を寄せた。
「あー……お嬢様? なんでそんな生温かい表情でこっち見てるんだ?」
推しの方を見ると、確かに我慢しきれないという感じで口元がによによしていた。
クール侍女を含めて三対の視線を受け、両頬を手で挟んで困り顔になる。
「わ、わたくしそんな顔で見てました……?」
「見てた。なんとなく腹立つ顔で」
「は、腹立っ……ひどいですわ!」
きゅっと眉根を寄せて推しが突っ込む。
え? 怒った顔なのになんでそんなにかわいいの? おかしくない? おかしいよね?
「なんと言いますかその……殿下とあなたが、こんな風に仲良く話せる日が来るなんて思いもしませんでしたわ……」
「仲良く? どこをどう見たらそうなるんだ」
渋面を作ってヤンキー侍女がうなる。
「まぁ、話す価値のないクソ野郎から、話ができないこともないやつになったことは評価してもいいかもしれねー」
「認めていただいて光栄だよ」
「ああ、滅多にないんだから誇りに思ってくれよな」
ヤンキー侍女の絡みを適当にあしらっていると、推しのによによが復活する。
普通にコミュニケーションを取っているだけでうれしいのかもしれない。
「それよりお嬢様、本来の目的を忘れてるぞー」
「そうでしたわ……。あの、結局のところ、今の殿下の目的は何なのでしょうか?」
「――目的か、考えたことなかったな……」
まぁしいて言えば推しのために尽くすことだろうか。
軟禁されている身だし、できることは少ない気もするが。
ヤンキー侍女が呆れたような目でこちらを見る。
「あれだけ派手に行動を起こしたんだから、何か裏にあるんだと思ったよ……まさか何もないとは」
「私とて急にあの状況になったのだ。その場しのぎの判断や行動しかできないさ」
「その場しのぎが、かなり強烈だったんだよなー」
「そうだな。おかげで今、こうして軟禁の憂き目にあっているわけだからな。近く、廃嫡もされるだろう」
そう言うと、なぜか推しが表情を曇らせた。責任を感じているのかもしれない。
そんな必要はないんだけどなー。ちょっと言い方が悪かっただろうか。
「なに、ぼんくらとしては自業自得だし、私としても前の世界では庶民だったのだから、身分が変わろうがさして問題でもないさ」
正直、元のゲームのシナリオでも、そのまますんなり進んでいた気がしない。
王や宰相など、政権に関わる立場の人間から支持が得られる未来は考えづらいし、あのヒロインが王妃教育に耐えられる気はしないし。
それに、政権に関わらない遠方の領地でももらって、推しの活躍を遠くで眺めながら余生を過ごすのはなかなかに乙かもしれない。
「私としては、君の今後のことの方が心配だ。王太子妃教育はもう終わったと聞いているが」
「一応、休止という扱いですけれどもね」
俺と彼女との婚約は継続したままではあるが、近い将来に解消されるだろう。
そうなった時に、彼女が幸福になれる相手と巡り会えればいいんだが。
「わたくしの今後はお父様のお考え次第ですわね。近く、わたくしの家にとって利のある婚約者が割り当てられることでしょう」
「個人的には、できれば君の気持ちを優先して欲しいがな」
「わたくしの気持ち……でしょうか?」
このような世界観の中で、自分の気持ちといった自意識を持つのは難しいかもしれない。
それでも、推し自身の幸福を祈いたい。
「まぁ、何か手助けが必要なら言って欲しい。もはや私にできることは多くないが、できる限りの力を尽くそう」
「――どうしてそこまで、わたくしのために力を貸してくださるのでしょう? 先ほどの乙女げぇむ? の話をしていただいた際の、おし? が何か関係しているのでしょうか?」
あれ、俺、彼女が推しだってこと言っちゃってた? うわ、恥ずかしい。無意識だった。
まぁいいか。推しには隠し事はしたくないし。
「ああそうだ。君が私の『推し』だから、というのが力になりたい理由だな」
「その、おし? とは何なのでしょう?」
聞かれて思ったが、推しって概念を説明するのは難しいな……。
一般用語での概念というよりは、俺の彼女に対する思いを説明した方がいいかもしれない。
「なかなか言語化するのが困難な概念だな。平たく言えばすべてだ」
「す、すべて……?」
「ああ。君が喜べば私もうれしい、君が悲しめば私も憂鬱な気分になる。君から笑顔を奪う何かがあれば、それを排するために私のあらゆる能力を用いて尽力することは当然だし、辛苦など感じることはない」
「あ、あの……?」
「君の高潔さを見れば私も誇らしさを覚えるし、君の深い思議には常に驚きを禁じ得ない。逆境にも耐え抜く心の強さや、その中でなお感じる慈愛の精神には畏怖の気持ちさえ起きる。それに、その内面の美しさを表出させたかのような美貌だ。ただ単純に美しいということではない。常にたたえる微笑みは周りの心を穏やかにさせ、胸が温まる。考え事をするときに見られる瞳の中の知性のきらめきには、深い尊敬を覚える。だが時として現れる、驚いた顔や戸惑いの表情もかわいらしくて素敵だ。君の一挙手一投足、ちょっとしたしぐさや言葉で、私の心は安らかになり、そして救われる。それから――」
「ちょ、ちょっとお待ちください!」
気づけば推しの目がぐるぐるし始めていた。
しまった。オタクの悪い癖が出ちゃった……。
「……すまない。君への思いがあふれ出てしまった」
「い、いえ……」
「――そうか、話している内に整理がついた」
いろいろと考えながら言語化してしゃべった結果、簡潔な答えにたどり着いたかもしれない。
なんだ、端的に表現できるじゃないか。
「え……?」
会社で徹夜して始発で一時帰宅する電車の中。
理不尽な上司の叱責にやるせなさを感じている最中。
慎重に育てていた部下が同僚の嫌がらせで心を折られて辞表を出してきたとき。
現実で苦しことがあっても、いつも推しの言葉や誇り高さを思い出して乗り越えることができた。
過労で死んでしまったのは確かだけれど、それでも心が折れずに生きることができたのは、彼女のおかげだったことは間違いない。
ただただ、感謝しかない。万感の思いを込めて、推しを見つめる。
「つまり、君のことが好きだということだ、ジェニファー」
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