第三話 「ハハオヤ」 前編
「利絵子の夏」
第三話 前編
この町には、人が少ない。
……いや、正確に言えば、人が少ないように「感じさせられる」町だ。
ある時私が町の人と出会った時、その人は私を見るなり足早に居なくなってしまった。
最初は私がこの町の部外者だから避けられているのだろうか? と思ったのだけれど、実際の所は、町の人どうしもかかわり合いをなるべく避けているということが分かった。
町の人と町の人が会っても、挨拶することはなく、決まり悪そうにわずかに下を向いて素通りしていく。
まるで、赤の他人以上、顔見知り未満の関係。
私はそんな町の人の様子を目にして、しごく単純に不思議だ、と思った。
そんな中、私に優しく接してくれる人も居た。
三原多恵さんという、小さな個人食品店を営む女性。結婚して、一人の子供が居る。
私が勉強を終えて、散歩の途中に多恵さんが営む食品店に立ち寄りパンや飲み物を幾度か買ううちに、話しかけてもらい親しくなった。
そして今日も私は、最近見つけた海辺に行く途中で、多恵さんの食品店に寄った。
「あら利絵子ちゃんじゃない! いらっしゃい」
多恵さんはニコニコした表情で私を迎えてくれた。
私は「こんにちわ」と挨拶してから、パンとペットボトルのジュースを手に取る。
そしてレジスターの前に行くと、多恵さんは手慣れた手つきで商品の金額をレジに打ち込んでいく。そして、最後におまけのお菓子を少し袋に放り込んでくれる。
「それじゃ、320円ね」
私が320円を出すと、毎度、と多恵さんは言った。
そして私がお店を出ようとすると、後ろから多恵さんが、
「ねえ、今時間ある?」
「時間は……大丈夫です」
私が言うと、多恵さんは顔をほころばせて、
「よかった。昨日ね、友達がゼリーのお中元を送ってきたんだけれど、全部は食べきれそうになくって。よかったら利絵子ちゃんに、一つ二つ食べていってほしかったのよ」
多恵さんはそう言うと、多少強引に私の手を取ってお店の奥の部屋に私を引き入れた。
それから、私と多恵さんは居間のような部屋でゼリーを食べた。
私は柚子ゼリー、多恵さんはマスカットゼリー。
その中で、世間話も交わした。
「今ね、ちょうど利絵子ちゃんと同じくらいの子供が居るんだけれど……なかなか子育ても大変だなって感じちゃうわ」
多恵さんはそう言って軽いため息をついた。
「大変なんですか?」
「そりゃあ、ね。ただご飯食べさせるだけじゃなくて、人間関係も子供の学校とかが始まると一気に複雑になってくるし……。私と夫だけだった時の……3倍くらいは大変になっちゃった気がする」
多恵さんはそう言って、昔を懐かしむ顔をした。
そして、少し流れる無言の時。
それから、
「実は私、結婚する気が無かったのよ」
私はそれを聞いて驚いた。
「そんな……今の多恵さんからは、考えられません」
私は、明るい笑顔で接客をしている多恵さんをいつも見ていたため、信じられない思いがした。
多恵さんは、
「まあ、いつもの私を見てる人はみんなそう言うわ。……でもね、私、昔は男の人が苦手だったの。……正確に言うと、恋愛っていう概念そのものが苦手で。レンアイって結局は、男女間の駆け引きゲームっていうような気がしてね……うそのつきっこ比べ、みたいな」
多恵さんはそう言って、少し寂しげに笑った。
「それでしばらくの間結婚しなかったんだけれど、結局紆余曲折あって結婚することになって。そんな感じ。」
多恵さんはそう言ってから、私にもう一つゼリーをくれた。
「ごめんね。なんか途中で湿っぽい話になっちゃって」
「いえ……」
私の考え込むような表情を見て、多恵さんはあわてて、
「まあでも、あれよ。後悔とかはぜんぜんしてないから。だから……利絵子ちゃんは、素敵なお嫁さんを目指しなさいな!」
多恵さんはそう言って私の背中をポンッ、と叩いた。
多恵さんの最後の言葉の中には、「はんぶんのほんとう」と、「はんぶんの……ほんとうではないこと」の両方があった気がした。
(後編に続く)