#96 繋がり
待て、落ち着け、俺。
こういうときこそ状況を整理しろ。
俺の記憶や意識は恐らく現状ではまだクラーリンに伝わっていない。
今のうちに自身がすべきことをまとめておくんだ。
クラーリンの使用した『つながれ、魂の形』は、『テレパシー』やポーとの会話と違って伝達情報量が多くないので、通常の会話のようにしかやり取りができない。
さっきクラーリンの記憶が垣間見えたのも俺が、「『テレパシー』同様に相手の記憶を参照できるのか」試してみた瞬間だけだった。
ということは、クラーリンがその方法に気づいてアクセスしてくる可能性も、俺がそれをガードしきれない可能性もあるはずなのだ。
なので嘘でクラーリンを騙したり誤魔化したりという方法は、その後のリスクが高すぎるので避けたい。
次に重要なのは、そもそも他人の寿命の渦を操作したり切断したりできるのかってこと。
このとてつもなく細く伸びたグリニーさんと目の前のアメリカ人女性(仮)とをつなぐ寿命の渦は、クラーリンには「塔」に見えたままで、俺には光輝く「糸」に見えている。
しかもその「見えている」のは同時に、だ。
ということは、俺たちのような部外者が勝手に自分たちの感覚を投影しているだけで、彼女らの寿命の渦はずっとそのままの形で存在している、という考え方もできる。
今、触れている俺は、なんというかスクロールバーのマウスでつまむ部分ってイメージなんだよね。
端から端まで動くことはできるけれど、長さを調節とかどこかで分割とか、そういう機能はないって感じ。
それにここが本当に地球なのかもいまいち信じきれない。
彼女らの寿命の渦が俺には「糸」に見えているように、この地球と思われるこちら側全体も単に俺のイメージが投影された結果なのだとしたら――急に色々と不安になった。
いやいや、思考を止めるな。
できるかどうかで迷う前に、何ができるのかを把握する必要がある。
もしもクラーリンと切り離された場合に、自力で戻ることが可能かどうか、というのも含めて。
そもそもこの「糸」を操作できるのか?
消費命を操作するように、「糸」の形を変えようとしてみる。
ほんのちょっとだけたわませるイメージで。
ぬ。
ぬぬぬ。
ぬぬぬぬぬっ。
うーん。
キッツいな。
なんというか凄まじい力で両側へ引っ張られている釣り糸を、指先でたわませようとしている感じ。
できなくはない気はするけれど、指の力じゃ到底パワーが足りないし、そもそも指でやれば指の方が先に切れちゃいそう。
(リテル君、どうだい?)
寿命の渦の「糸」とは別に、俺とクラーリンとを繋げていると思われる影の「糸」が――こっちを「影の糸」、グリニーさんたちの「糸」を「光の糸」と呼ぼう――クラーリンの声を伝えてきた。
その声には焦りが感じられる。
(切るどころか動かすこと自体も難しそうな印象を受けます。例えば鍛え抜かれた剣の刃部分を指の力だけで折ろうとするような。こちらが先に傷つく感覚です)
この辺は正直に伝えよう。
クラーリンはグリニーさんを助けたいだけで、俺やこの女性に害を与えたいわけじゃない。
思考を止めずに最善の方法を探すには、情報の共有も必要だろうし。
(そうか。思っていた通りだ)
(思っていた通り? じゃあ、何か対策を用意してきたのですか?)
(実は、もう一つ魔法を用意してある。内容が内容だけにまだ試したことはないから、成功するかどうかはわからないのだがね)
(それはどういう……)
(自分の寿命の渦を、他人へ譲渡する魔法だよ。ほら、魔術師組合で犯罪者から「汎用消費命」を吸い出して魔石へと格納するだろう? あの思考を一部使っている。僕は一時期、魔術師組合で働いていてね。あの吸い出しに携わっていたことがあるんだ。現在は寿命の渦を差し出すのが「常識」となっているから従わない犯罪者は滅多にいない。実は制約もあるんだよ。本人が差し出すという気持ちにならないと、吸い出すことができない。昔の記録を見たらね、そういう「常識」が根付く前は大変だったようだ。今でこそ小遣い稼ぎに寿命を売る人も少なからず居るし、寿命の提出という文化は広く受け入れられているが、かつては頑なに同意を拒む者も居て……そういう者は、本当は寿命の渦を吸い出せていないにも関わらず、吸い出したことにして殺していたらしい。寿命の渦が尽きたようだ、と偽って。それだけ他人の寿命の渦の操作は困難なのだ。「ひとつまみの祝福」どころか「本人の許諾」がないと到底無理でね)
本人の許諾――まさか。
嫌な予感がした。
(僕の『つながれ、魂の形』で君は今、グリニーの寿命の渦へ触れることが出来ている。なので僕の寿命の渦を君に渡す。僕の寿命の渦を継ぎ足して、グリニーたちの寿命の渦を延ばして欲しい。僕の寿命が尽きても構わない。グリニーという「僕の癒やし」さえ助けることが出来るのであれば)
俺の寿命の渦を使われてしまうのでは、という可能性を考えてしまい変にドキドキしてしまった俺は、つくづく紳士じゃない。
こんなときでも自己保身が先にくる。
クラーリンはとっくの昔に自分の命を使ってグリニーを助ける覚悟をしていたのだ。
俺は警戒心を強くするあまり、人としての尊厳が残念な感じになってしまっていやしないか?
恥ずかしい。
紳士であれよ、俺。
(おや、おかしいな。リテル君、僕は今、君と本当に繋がっているかい?)
(繋がって……)
(ツナゲテイル)
突然、ポーが会話に割り込んできた――いや違うか。
俺にだけ伝えてきている?
(ポー?)
(クラーリン、コチラヘコレナイ、ダカラツナゲタ)
(まさか、この「影の糸」ってポーが?)
(ソウダ)
そうなのか。
ポーがここに居てくれたのか。
俺は一人じゃないんだとわかった途端、熱い気持ちがこみ上げてくる。
これ、体があったら絶対に泣いてたやつ。
ありがとう、ポー。
本当に心強い。
(リテル君? この魔法は君と繋がっていないと発動しても意味がないんだ)
(クラーリンがこちら側に来れていない、というのが問題なのかも。今、そこまで戻ります)
「光の糸」に触れながら、「影の糸を」を手繰りながら、俺はクラーリンの居る場所まで移動した。
(ああ、おかえり、リテル君。今はつながっている感覚がするよ)
クラーリンが「途中から行けなくなった」と言っていた場所には、確かに何かを感じる。
その何かはうまく言語化できないのだけど、地球とホルトゥスを隔てる何らかの結界なのだろうか。
だとしたら、転生者だけが通れるというのも一応、納得感は出てくる。
(グリニーの苦しみを早く減らしたい。リテル君、僕の寿命の渦を受け取り、グリニーの寿命の渦へそのまま継ぎ足してほしい)
(一つ条件があります)
(何だい? 僕の魔法研究の成果なら、グリニーの部屋に隠してある。それを君にあげよう)
(いえ、クラーリンさんの寿命の渦は、全部を差し出さないでください)
(それは無駄だ。あの大虐殺で犯人に協力したとなれば、相当量の寿命を提出しなければならなくなるだろう。そんなもののために寿命を消費するくらいなら、その分もまとめてグリニーに譲渡したい)
(寿命の問題だけならば、確かにそれは最も効率が良いでしょうし、問題が発生したときの回避も容易な方法だと感じます。しかし、クラーリンさんがグリニーさんを想うように、グリニーさんもクラーリンさんを想っていますよね? グリニーさんがクラーリンさんを喪った哀しみを考えたら、クラーリンさんが生き残る方法を考えるべきだと思うのです)
(それは理想だが、その方法を見つけるまでの時間が僕には惜しい。グリニーの寿命の渦がいつどうなるかもわからないというのに)
それはそう。
俺は対案を持たないままクラーリンの意見を否定しているようなものだから――でも。
グリニーさんの気持ちを考えたら、絶対にクラーリンには生き延びて欲しいはずなんだ。
(時間が惜しい。もう発動する。後はよろしく頼む)
(ま、待ってください)
しかしクラーリンは魔法を発動した。
『寿命の渦譲渡』――もう、流れ込んで来てしまった――これが、クラーリンの寿命の渦。
なるほど。同じ魔法を一緒に発動する手法「魔導合一」の思考も使っているのか。
俺がカエルレウム師匠に魔法を教えてもらったときのあの手法。
後で名前を教えていただいたのが「魔導合一」だった。
「魔導合一」は、「○○という魔法の消費命として用いる」のように、事前に使用方法を限定して消費命を合わせるのだけど、クラーリンの『寿命の渦譲渡』も、渡した寿命の渦の使用方法を限定して渡された。
もしも異なる使い方を試みた場合は、譲渡しようとした術者本人へ寿命の渦が戻ってしまう仕様っぽい。
渡されてしまった以上は、これを無駄にするわけにはいかない。
「光の糸」へ触れている右手へ、まずはほんの少し、クラーリンから譲渡された寿命の渦を流し込んでみる。
糸だけに巻き付けて、編んでゆく感じで――うーん。
これは絡みつきはするけれど、あくまでも絡みついたまま。
ただのコーティングみたいな状態じゃ、グリニーさんの寿命の渦自体には何も影響しない。
この方法ではないな。
クラーリンの寿命の渦をいったん戻す。
次は、糸のイメージならば、染み込ませる感じで。
しばらく流し込んでみたが、これもちょっと違った。
なんというか、「光の糸」の内側に注入する感じになってしまう。細長いエクレアにクリームを詰めてるみたいに。
ダメだダメだ。
溶けないといけないんだ。
再び寿命の渦を回収する。
もっと一体化させるには――クラーリンの寿命の渦を、今度は光のイメージに集中してみる。
今までは形にしかこだわっていなかったけど、質というか状態というか、もっと根本的な集中はできてもいいと思うんだ。
イメージしたのは刀の鍛造。
異なる金属を混ぜて熱して叩いて伸ばして、そんなことを繰り返して一体化させるイメージで。
クラーリンの寿命の渦を、右手で触れている「光の糸」と同じ状態へと――うわ。
イメージ通りに全然なってくれない。
そりゃぁ、そう簡単に上手くはいかないか。
でもこの「光の糸」が、グリニーさんたちのが寿命の渦なのだとしたら、同じ状態に換えることはできるはずなんだ。
思考を停止させず、諦めず――ああ、そうだ。
『同じ皮膚』と同じ思考でいこう。
ただしこちらは皮膚じゃなく、寿命の渦を揃えて繋げる。
急に、俺の内側にある、クラーリンから譲渡された寿命の渦が流れ始めた。
「光の糸」へと。
うまく繋げたのか?
浴槽の栓を抜いたみたいに、ぐいぐい吸い込まれてゆく感じ。
すると次第に、「光の糸」に柔軟性が戻ってきたっぽい。
うまくいったのか?
となると次は、「光の糸」へ溶けさせる量だ。
寿命の渦の総量は、獣種の肉体年齢を遥かに超えているとカエルレウム師匠から習っている。
地球人の年齢だって獣種とそう変わらない。
寿命の渦の初期値がカエルレウム師匠から教えていただいた「四百年」として、例えばざっくりクラーリンが今までの魔法の研究に百年分を使用していたとしても、グリニーさんと、地球人とに百年分ずつ継ぎ足してもクラーリンには百年分が残る。
クラーリンは地球人に寿命の渦を分け与えるつもりはないだろうが、繋がっている以上は勝手に両方に分かれて蓄積される可能性は考慮しておかないとな。
コップの半分だけに並々注ぐとかすごく難しそうだから。
ということで、ざっくり計算しただけでも、クラーリンの寿命の渦は百年分残る。
全て使う必要はないのだ。
ならばどうしてクラーリンは全て使うと?
思慮深い人だから、何か理由があるはず――なるほど。
全部使ってもいいとか言っていたのは変換効率を気にしているのか。
クラーリンの寿命の渦に触れているせいか、クラーリンの記憶も流れ込んできている。
彼の危惧は、クラーリンの寿命の渦の百年分が、グリニーたちの寿命の渦へ同化させることが可能であったとしても、そのまままるっと百年分として同化させられない場合を考慮していたっぽい。
そうだな。
今の俺は流せた、という所で思考を止めていた。
少し不安になったので、寿命の渦が流れる量を少し絞ってみた。
口の狭い容器に水道から水を入れる場合、水の勢いが良すぎるとその全部を容器に入れることができずにこぼれてしまう。
俺が今扱っているのは、人様の寿命なのだ。
最新の注意で、丁寧に、無駄なく、流す必要がある。
俺がうまくやれば、クラーリンの寿命は残すことが出来る。
いや、残せるようにやるんだ。
譲渡寿命の渦を「光の糸」に溶け込ませてゆくイメージを維持し続ける。
時間はかかるけれど、これならイケるかもしれない。
そんな希望を持ったばかりの俺の前に、突如、絶望の象徴のような姿が現れた。
死神。
それが第一印象。
黒いローブをまとった人影のようだが、その裾はこの宇宙のような空間に溶け込んでいる印象がある。
というかその影の部分だけ、背後の星々がかき消されているというビジュアル。
そしてもう一つ、その影の中央から、大きく黒く長い鎌のような影が伸びている。
影の内側には光や他の色は見えない。
つまり、目の光とか、骸骨の手とか、そういうものも見えていない。
一般的な死神のイメージのシルエットだけ、という印象。
見間違えじゃないよな?
だとしたら、何で出現した?
してはいけないことをした?
地球とホルトゥスとを隔てるこの結界みたいなものより先へは、クラーリンは行けなかった。
そのことと関係しているとしたら、もしかして俺は攻撃されたりするのか? ――その瞬間、右手の先、「光の糸」が触れている部分に滞りを感じた。
慌てて集中を取り戻すと、再び流れるようになった。
これは厳しい。
魔法代償が大きな魔法を偽装消費命で集中するよりも必要とされる集中力はハードかもしれない。
(……)
死神の影が何かを言った気がした。
しかし辺りは静寂のまま、何も聞こえはしない――いや。
なんだコレ?
頭の中にいきなりイメージが伝わってきた。
『テレパシー』で大量の情報を伝えられたときと似た感じ。
右手から流す寿命の渦のコントロールを緩めないように気をつけつつ、受け取った内容を理解しようと試してみる。
・この繋がりを切ってはいけない
・繋がりは昔より減ってしまった
・繋がりとは地球と方舟とを結ぶもの
・この繋がりに触れる利照はノアの一族
幾つもの情報が同時に送られてきた感じだった。
コミュニケーションが取れる感じなのは一安心だが、そもそも気になるパワーワードがあったぞ?
方舟って、ノアの方舟?
ノアの一族って言っているくらいだから、きっとその方舟だよね?
俺が見ているあちら側は地球で間違いないってことで、えっと。
死神の影が伝えてきたことを整理すると、俺がノアの一族で、ホルトゥスが方舟ってことになる?
(……)
あっ、また。
今度のも複数の情報。
・ノアの一族とは方舟に乗ったノアとその親族の子孫
・ノアの一族は「洪水」ののち地球と方舟とに分かれた
・繋がりを結ぶのは地球と方舟とに居るノアの一族同士の魂
・利照もリテルもグリニーさんもローダもノアの一族
ローダ、というのは、あのアメリカ人女性っぽい人のことかな?
というかコミュニケーションが可能であるならば、それよりも先にもっと重要なことを尋ねよう。
ホルトゥスと呼ばれているあの世界が方舟なのか、というか「洪水」ってあの神話に出てくる洪水?
繋がりってやつを増やすことはできないのか?
というかそもそもなんで繋がりが出来たのか?
聞きたいことは多過ぎるんだけど、質問の回数制限とかあるんかな――ってこれを質問一回に使用しちゃったらもったいない。
(……)
来た。
・方舟は地球の生命が脅かされたときに避難させる世界として創造した
・かつての地球は保護対象ではなかったために我々以外の一部の移住希望者により環境が改変された
・その際に地球の生命を保護するべく地球の一部を方舟へと一時的に避難させた
・避難者の大半はその後地球へと戻したが一部の生命は方舟へ残した
・方舟自体を我々以外の移住希望者により占拠されないよう地球次元から隔離した
・現在は地球と方舟とは魂レベルでの移動しかできない
・次回の避難が発生した場合は魂のみの避難となるために方舟では魂の受け皿となる肉体を繁殖させている
・繋がりが地球と方舟とでそれぞれ子孫を増やしたノアの一族同士でなければ結べなかったのはノアの一族の意思であるため
・今回はノアの一族ではない魂であったが強い意志を感じたので許可した
さらっととんでもない情報が流れ込んでくる。
情報量の多さとその内容自体のディープさとに面食らってしまう。
え、ちょっと待って。
ということは「我々」というのは、地球の神様なの?
(……)
・我々は「神」ではない
・しかし古代の人類は我々を「神」として崇めた
・我々は必要以上に干渉することを避けて離れたが人類は「神」という概念を都合良く育て続けた
・時には思考を棄て「神」に責任を転嫁して互いに傷つけ合う
・方舟を別次元に閉じた時に「神」は廃した
・我々は現在は「観察者」である
複数の思考が同時に流れ込んでくることに最初は圧倒されていたけれど、落ち着いて受け取って、それぞれの情報を「思い出そうと」するだけで受け取った情報を確認できるっぽい。
不思議な感覚。
受け取った内容にツッコミどころは激烈多いんだけど、重要事項を優先的に整理しよう。
まず、この繋がりを修復しようとしたのは問題ないどころか大事なことで、この繋がり自体を作成だか維持だかできるのはノアの一族であると。
俺やリテルはノアの一族だから繋がっていたが、ノアの一族という子孫たちが減っていて繋がりは昔から減っている。
クラーリンはノアの一族ではないが自らの意志でそれを望んだため、繋がりの維持に寿命の渦を使うことができた。
ん?
ノアの一族って何で減っているんだ?
まさかウォルラースとかタールみたいな連中が、繋がりを切りたくてノアの一族を殺して回っているとか、もしくは純粋にあいつら自身の研究のためにノアの一族を捕まえて実験で使い捨てているとか?
(……)
うわ。なんだこれ。
今度は受け取った情報の質が変わった。
マジか。
これ、この映像――実家か?
利照として生きてきた俺の実家。
しかも、見える。
「光の糸」がつながっている、俺の家族――だった連中が。
なんだ?
なんで英志の部屋に丈侍が居るんだ?
二人の雰囲気が――あ、おいっ、これ見ちゃいけないやつじゃないのか?
うわ。
覗き見みたいでちょっと、なんというかいたたまれない。
これ、フェイクとかドッキリとかじゃないんだよな?
悪趣味な悪戯じゃなく、これが現実なのだとしたら、確かに英志は子孫を反映することはないだろう。
同時に受け取った情報の、次のを見る。
そこに居たのは――姉さん?
でも雰囲気がまるで違う。
あの自信に満ちた、人を見下すような表情だった姉さんが、すっかり痩せこけて布団にくるまって壁を見つめている。
部屋に置かれたピアノには幾つもの傷が付いていて、壊れた目覚まし時計やらスマホやら教科書やらその前に散乱している。
次の情報は、母さん。
寝ている。
けれどここは実家の母さんたちの寝室じゃない。
病院。日本の病院。
顔色がとても悪い。
その傍らには父さんが寄り添っているけど、ちょいちょい病室を出て電話をかけに行っている。
仕事を休んでいるのか?
どういうことだよ?
何がどうなって――と問いかける前に次の情報を先ず確認だけしておく。
ああ、そういうことか
英志も丈侍もそもそもそういう性愛衝動を抱えていた人だったのか。
まったくわからなかった。
丈侍が俺の死をきっかけに、英志がたまたましていた俺の小さい頃の想い出話をもっと聞きたがって、それで何度も会って話をするうちに、互いがそのことに気付いて。
親友だと思っていた丈侍が心の底に隠していた気持ちに、俺はまったく気付いていなかったのか。
丈侍がそういう想いを抱いていたことよりも、俺がそれに気付けないでいた、その無神経さが申し訳ない。
それに英志の気持ちにも。
小さい頃は確かに仲が良かった。
英志は俺だけ楽器の練習を放免されて遊び歩いていることや、俺ばかりがハッタと遊んでいることに怒っていたのだと思っていたけれど、俺と一緒に居られなかったことが寂しかったとか、沢地さんの件も女が嫌いだったから激怒したとか、なんか、俺って人の気持ち、全くわからなかったんだな。
姉さんも、母さんからのプレッシャーによるストレスを俺で吐き出してたのは俺が感じていた通りだし、いまだに思い出すだけでストレスを覚えるけれど、俺の死で周囲から随分と責められて、それで引きこもりになっていたなんて。
確かに俺が死んだのは、俺以外の家族四人が海外に行っているとき。
しかもその日程の真ん中がちょうど俺の誕生日だったりもした。
でもそれは俺が望んだこと。
母さんの演奏旅行の日程が最初にあって、父さんが本当は家族全員を集めて海外で俺の誕生日を祝う計画を立てていた情報もあった。
それを知っていたら俺は断っていたかな?
そう。あの海外旅行を断ったのは俺の方だ。
母さんの演奏旅行に姉さんや英志が付き合って三人で演奏会ってのは過去にもあって、もはや楽器や演奏から遠ざかっている俺がそこに混ざるのはなんというかバツが悪いというか、そんな程度の理由だった。
正直、自分の誕生日とかも家族が実際に出発するまで忘れていたくらい。
でも世間はそうは見てくれない。
誕生日に孤独死した長男を置き去りにして残りの家族だけで優雅に海外旅行、そんな見出しがゴシップ誌を飾ったようだ。
母さんは自殺未遂で入院中。
姉さんは引きこもり。
英志も不登校状態で、それを見かねた丈侍が見舞いを兼ねてしょっちゅう来ているという感じ。
父さんは仕事をしながらそんな三人の面倒を見ていて、いまさらながら父さんは家族を大切にしていたのだなと感じた。
ホルトゥスに来たばっかりの頃、俺は自分の家族の異物である気持ちをずっと抱えていたけれど、こうして俺が居なくなったことでここまでボロボロになっている家族を見てしまうと、俺も家族の一部だったのかな、なんて思えたりもする。
特に姉さんには憎しみに近い感情も抱いていたけれど、こんなざまぁ状態の姉さんを見ても胸がスッキリしないばかりか、余計に苦しい。
英志や父さんはともかく、母さんや姉さんは俺の死に心を痛めたのではなく世間からの誹謗中傷で心を痛めているだけかもしれない可能性を差し引いても、何というか気分がいいものではない。
俺にはどうにもできないのか?
例えば魔法で――魔法で地球側に影響を与えることは可能なのか?
そう例えば――そうやって思いついた魔法イメージに対して、またもや何かが届いた。
(……)
● 主な登場者
・有主利照/リテル
猿種、十五歳。リテルの体と記憶、利照の自意識と記憶とを持つ。魔術師見習い。
レムールのポーとも契約。傭兵部隊を勇気除隊。ウォルラースのアジトを急襲し、今は地球のすぐ近くまで来ている。
・幕道丈侍
小三から高一までずっと同じクラスの、元の世界で唯一仲が良かった友達。交換ノベルゲームやTRPGでよく遊んだ。
彼の弟、昏陽に両親も含めた家族四人全員が眼鏡使用者。実は利照への秘めた想いがあった。現在は英志と仲が良い。
・英志
有主利照の一つ違いの弟。音楽の才能があり要領も良くイケメンで学業もスポーツも万能。実は兄さん大好き弟だった。
幼い頃は仲良かったが、ハッタを拾ってきたあたりから当たりが強くなった。現在は丈侍と仲が良い。
・(有主利照の)姉さん
才能がない人は努力していない人として厳しくあたる。自分に対しても厳しいが、利照に対する正論DVは苛烈を極めていた。
利照の誕生日に利照以外が海外旅行していた事実が週刊誌で報じられ、そのことで周囲に責められ、現在は引きこもり。
・(有主利照の)母さん
音楽以外の全てを音楽に全振りした。子供を音楽の才能でしか測らず、利照に音楽の才能がないとわかってからは興味を失った。
利照の誕生日に利照以外が海外旅行していた事実が週刊誌で報じられて責められ、自殺未遂で入院中。
・(有主利照の)父さん
利照の誕生日に利照以外が海外旅行していた事実が週刊誌で報じられた後、ボロボロになった家族を支えている。
本当は前出の旅行中に利照の誕生日のお祝いを計画していたが、利照に断られた。ちゃんと家族を愛していた。
・ケティ
リテルの幼馴染の女子。猿種、十六歳。黒い瞳に黒髪、肌は日焼けで薄い褐色の美人。胸も大きい。
リテルとは両想い。フォーリーから合流したがリテルたちの足を引っ張りたくないと引き返した。ディナ先輩への荷物を託してある。
・ラビツ
イケメンではないが大人の色気があり強者感を出している鼠種の兎亜種。
高名な傭兵集団「ヴォールパール自警団」に所属する傭兵。二つ名は「胸漁り」。現在は謝罪行脚中。
・マドハト
ゴブリン魔法『取り替え子』の被害者。ゴド村の住人。取り戻した犬種の体は最近は丈夫に。
地球で飼っていたコーギーのハッタに似ている。ゴブリン魔法を使える。傭兵部隊を勇気除隊。いつもリテルと共に。
・ルブルム
魔女様の弟子である赤髪の少女。整った顔立ちのクールビューティー。華奢な猿種。
魔法も戦闘もレベルが高く、知的好奇心も旺盛。親しい人を傷つけてしまっていると自分を責めがち。
・アルブム
魔女様の弟子である白髪に銀の瞳の少女。鼠種の兎亜種。
外見はリテルよりも二、三歳若い。知的好奇心が旺盛。
・カエルレウム
寄らずの森の魔女様。深い青のストレートロングの髪が膝くらいまである猿種。
ルブルムとアルブムをホムンクルスとして生み出し、リテルの魔法の師匠となった。
・ディナ
カエルレウムの弟子。ルブルムの先輩にあたる。重度で極度の男嫌い。壮絶な過去がある。
アールヴを母に持ち、猿種を父に持つ。精霊と契約している。ウォルラースを追ってやって来て、合流。
・ディナの母
アールヴという閉鎖的な種族ながら、猿種に恋をしてディナを生んだ。名はネスタエアイン。
キカイー白爵の館からディナを逃がすために死んだが、現在はタールに『魔動人形』化されている。
・ウェス
ディナに仕えており、御者の他、幅広く仕事をこなす。肌は浅黒く、ショートカットのお姉さん。蝙蝠種。
魔法を使えないときのためにと麻痺毒の入った金属製の筒をくれた。
・タール
元ギルフォド第一傭兵大隊隊長。『虫の牙』でディナに呪詛の傷を付け、フラマとオストレアの父の仇でもある。
地界出身の魔人。種族はナベリウス。『魔動人形』化したネスタエアイン内に居たタールはようやく。
・メリアン
ディナ先輩が手配した護衛。ラビツとは傭兵仲間で婚約者。ものすごい筋肉と角と副乳とを持つ牛種の半返りの女傭兵。知識も豊富で頼れる。二つ名は「噛み千切る壁」。現在はギルフォド第一傭兵大隊隊長代理。
・レム
爬虫種。胸が大きい。バータフラ世代の五人目の生き残り。不本意ながら盗賊団に加担していた。
同じく仕方なく加担していたミンを殺したウォルラースを憎んでいる。トシテルの心の妹。現在、ルブルムに同行。
・ウォルラース
キカイーがディナたちに興味を示すよう唆した張本人。金のためならば平気で人を殺すが、とうとう死亡した。
ダイクの作った盗賊団に一枚噛んでいた。海象種の半返り。クラーリンともファウンとも旧知の仲であった。
・ナイト
初老の馬種。地球では親の工場で働いていた日本人、喜多山馬吉。
2016年、四十五歳の誕生日にこちらへ転生してきた。今は発明家として過ごしているが、ナイト商会のトップである。
・ファウン
ルージャグから逃げたクーラ村の子供たちを襲った山羊種三人組といっとき行動を共にしていた山羊種。
リテルを兄貴と呼び、ギルフォドまで追いかけてきた。傭兵部隊を一緒に勇気除隊した深夜、突如として姿を消した。死亡。
・フラマ
おっぱいで有名な娼婦。鳥種の半返り。淡いピンク色の長髪はなめらかにウェーブ。瞳は黒で口元にホクロ。
胸の大きさや美しさ、綺麗な所作などで大人気。父親が地界出身の魔人。ウォルラースに洗脳されている。
・オストレア
鳥種の先祖返りで頭は白のメンフクロウ。スタイルはとてもいい。フラマの妹。
父の仇であるタールの部下として傭兵部隊に留まっていた。現在もギルフォドで傭兵部隊の任期消化中。
・オストレアとフラマの父
地界出身の魔人。種族はアモン。タールと一緒に魔法品の研究をしていたが、タールに殺された。
タールの、ギルフォルド王国に居るアモン種族の「魔動人形」が、この父である可能性が高い。
・エルーシ
ディナが管理する娼婦街の元締め、ロズの弟である羊種。娼館で働くのが嫌で飛び出した。
共に盗賊団に入団した仲間を失い逃走中だった。使い魔にしたカッツァリーダや『発火』で夜襲をかけてきたが、死亡。
・コンウォル
スプリガン。定期便に乗る河馬種の男の子に偽装していた。タールの『魔動人形』の一体。
夜襲の際に正体を現して『虫の牙』を奪いに来た。そしてマドハトの首を刎ねたが、リテルに叩き潰されて焼かれた。
・クラーリン
グリニーに惚れている魔術師。猫種。目がギョロついているおじさん。グリニーを救うためにウォルラースに協力。
チェッシャーやリテルやエルーシに魔法や魔術師としての心構えを教えた。ホルトゥスと地球との繋がりを紐解くきっかけを作った。
・グリニー
チェッシャーの姉。猫種。美人だが病気でやつれている。その病とは魔術特異症に起因するものらしい。
現在かなり弱っており、クラーリンが魔法で延命しなければ危険な状況。クラーリン、チェッシャーと共にウォルラースに同行。
・チェッシャー
姉の薬を買うための寿命売りでフォーリーへ向かう途中、野盗に襲われ街道脇に逃げ込んでいたのをリテルに救われた。
猫種の半返りの女子。宵闇通りで娼婦をしているが魔法を使い貞操は守り抜いている。リテルに告白した。
・ローダ
グリニーと寿命の渦が繋がっている、地球側の魂。病気で入院しているアメリカ人女性である様子。
・レムール
レムールは単数形で、複数形はレムルースとなる。地界に生息する、肉体を持たず精神だけの種族。
自身の能力を提供することにより肉体を持つ生命体と共生する。『虫の牙』による呪詛傷は、強制召喚されたレムールだった。
・ショゴウキ号
ナイト(キタヤマ)がリテルに貸し出した特別な馬車。「ショゴちゃん」と呼ばれる。現在はルブルムが使用。
板バネのサスペンション、藁クッション付き椅子、つり革、床下隠し収納等々便利機能の他、魔法的機能まで搭載。
・ドラコ
古い表現ではドラコーン。魔術師や王侯貴族に大人気の、いわゆるドラゴン。その卵を現在、リテルが所持。
卵は手のひらよりちょっと大きいくらいで、孵化に必要な魔法代償を与えられるまで、石のような状態を維持する。
・ナベリウス
苦痛を与えたり、未来を見ることができる能力を持つ勇猛な地界の一種族。「並列思考」ができる。
鳥種の先祖返りに似た外観で、頭部は烏。種族的にしわがれ声。魔法品の制作も得意。
・アモン
強靭で、限定的な未来を見たり、炎を操ることができるなどの能力を持つ地界の一種族。
鳥種の先祖返りに似た外観だが、蛇のように自在に動かせる尾を持つ。頭部は水鳥や梟、烏に似る。
・「我々」
「神」ではないが、太古の地球人類に「神」として崇められた存在。地球が保護対象となる前、地球を移住先とするために環境へ改変した存在から地球の生命を守るため方舟(恐らくホルトゥス)を作り、一時的に地球の生命を保護した。現在は「観察者」。
■ はみ出しコラム【クラーリンの魔法】
今回も、リテル以外の登場人物が使用する魔法を紹介する。
● ルブルムの魔法
作中においては未発表分も記載する。
・『鹿』:走る速さと跳躍力を強化する。1ディヴの間。
・『狼』:攻撃的な筋力を高める。1ディヴの間。
・『鼠』:一アブス以内にあるよく知っているモノを、自分の手の中へ戻す。自ら転がって戻って来る。
・『蛇』:自分が触れている植物の枝や蔦を獲物に対して絡めつかせることができる。効果時間は一瞬だが、その枝や蔦はその絡みついた状態のままの形に残る。
・『安心』:興奮している動物をなだめる魔法。警戒心を解くリラックス効果もある。ルブルムがかつて不安になったとき、ディナが(ディナ自身が母にされたように)ルブルムを撫で、それで安心できた経験から。撫でながらじゃないと効果は発揮しない。母に撫でられるイメージ。
● レムの魔法
(1) クラースト村に伝わる魔法
・『壁登り』:手足が露出しているのが条件。垂直に近い場所でも吸い付くように登れる。
・『遠耳』:超聴覚。離れた場所にある振動を感知する。十アブス離れた場所の心臓の音なども。ただし手のひらをかざした方向だけに限られ、距離に優れるが対象範囲は狭い。両手の方がよりしっかりと感じられ、幌程度ならばその向こうもおおよそ把握できる。
・『忍び足』:術者とその周囲(直径=半アブス)の範囲の音を極限まで小さくする。
・『早駆け』:馬の競争心を煽り速度を上げる。
(2) レムの母、ミュリエルが作ったオリジナル魔法
・『熱の瞳』:熱を見ることができる。サーマルカメラに近い効果。色つけ加工はない。暗闇でも熱源を見ることが可能。『魔力感知』を使える者ならば、視界を通常視界と切り替えることができる。
・『魔力感知逃れの衣』:『魔力感知』が触れたときに「何もない」として反応を返す魔法。『魔力感知』の密度などを変化させることで、「何もない」をあぶり出すことは可能。この魔法の利点は、消費命の集中もある程度はごまかせる点。ただし、「何もない」をあぶり出せている状態なら、消費命の集中もうっすらと感知されてしまう恐れはある。
・『同胞の導き』:触れている相手に鼓動の速度を合わせる魔法。
・『同胞の絆』:バータフラの中ではレムにしか使えない魔術。触れた相手に呼吸と鼓動速度を合わせながら使用すると、その相手と五感の一つを共有できる。一回使用すると、半ホーラは効果が継続する。魔法代償を余分に消費することで、対象五感を増やせる。いったん魔法を発動さえすれば、その後呼吸や鼓動が合わなくなっても問題ない。また、共有している感覚については、術者自身の感覚が一時的に失われる。例えば、対象と視覚を共有した術者はその共有中、術者自身の視覚機能を一時的に失う。また、共有された側は、共有されていることを感知できる。さらに、対象が意識を失ったりコントロールを失っていると、術者が能動的に動かすことができる。味覚を共有できると会話が可能であり、触覚を共有できると体を動かすことができる。
※ 睡眠や麻痺毒で意識を失っている者を動かすことはできることはレムも把握していたが、生前に魔法を発動していた場合はその死後も「まるで意識をなくした者を操作するように」死体を動かすことができたのは、カウダ盗賊団の襲撃時に初めて(レムが)気付いた。
※ 共有されるのは感覚だけで、思考は共有できないが、ただ意識はつながっているため、実は術者と対象とはそれを足がかりに寿命の渦もつながることができる。




