#81 可能性
ウォーリントの内乱――その大規模な内乱は、場所が場所なだけにリテルの記憶の中にもあった。
ウォーリント王国は、このラトウィヂ王国の南にあるヨクシャ王国、そのさらに南にある。
一応、間に一国挟んではいるのだが、ディナ先輩が逃げ来ることができたように、ラトウィヂ王国東南部と接する辺りのヨクシャ王国は地図的に「薄っぺらい」のである。
幸いヨクシャ王国とラトウィヂ王国との間にはそれなりに高い山々が立ち塞がり、というかヨクシャ王国自体が山の中にある小国であり、軍隊が行進できるほどの道がストウ村方面へは整備されていないがために、ウォーリントがラトウィヂにまで攻めてきたことはないのだが、それでもウォーリントで内戦が起きる毎に、ストウ村を有するクスフォード虹爵領はピリついていた。
なぜウォーリント王国に内戦が多いのかは、噂話によれば「腐った貴族が多い」かららしい。
もちろん腐った貴族が腐ったままでいられるほど魔法の存在するホルトゥスにおける民衆は無力ではないのだが、腐った貴族に加担することで共に腐ってしまった民衆も少なくないらしく、土地もそこに住まう人々も荒んでいるという。
直近の内戦は、王が怪しい死を遂げた後、王子派と王弟派とに分かれて後継争い、というものだった。
結果的に王子派が勝利し、王の暗殺の原因が王弟側にあるとして王弟および王弟派の主要貴族は粛清されたようだが、ウォーリントにおける「粛清」は一族郎党皆殺しというわけではなくトップのすげ替え――強制的な世代交代を行うだけで、財産の没収は多少あるものの身分と領地は保証されるそうだ――二代続いて問題を起こさない限り。
そういえば、ディナ先輩とそのお母さんを酷い目に合わせたモトレージ白爵領は、ディナ先輩が復讐で前白爵を殺した後、どうなったんだろう。
ウォーリント王国の有力貴族らしいけど――っと。今は目の前のことに集中だ。
場合によっては戦闘になるかもしれないし。
「いかにも」
折り紙兜の猿種が持ち出した革袋の口に取り付けられた木栓を抜き、直接口をつけて中身の何かを飲んだ。
「すまんな……俺たちは傭兵だ。いつどこで敵同士になろうとも、再び味方になろうとも、恨みなんざ持っちゃいけねぇ……だがな、噛み千切る壁、あんただけは別だ。俺が、俺を囚えて離さない過去の牢獄から抜け出すには、あんたとの勝負が必要なんだ。受けてくれるか?」
折り紙兜の猿種は、革袋を若い方の馬種へと渡すと、右手をすっと横へ伸ばした。
小柄マッチョなカブトムシ兜の両生種が、向こうの馬車から持ち出した槍のような武器を折り紙兜の右手へと渡す。
よく見ると穂先が真っ直ぐではなく刀のように湾曲しており、槍というよりは薙刀とか、中国の武将が持つ矛とでも言うべきか。
対するメリアンは円盾とスパイク付きのプレートナックルを両手に装備済。
そして無造作に、あのゴツい小剣を二本とも抜いて構えた。
「金も貰えないのに勝負を受けるんだ。理由ぐらい聞いてもいいだろうよ」
メリアンは、相手の矛がギリギリ届かないくらいの距離を保っている。
「この兜はもともと俺のじゃねぇ。俺の……俺たちの仲間の形見だ。戦場で心を病んで戦えなくなった仲間の……あのとき、俺が……俺が守りきれるはずだった」
折り紙兜の男は両足を少し開き、矛の柄を自身の右脇腹へと引き込む構え。
その動きに合わせてメリアンは一歩前へ出る。
そこへさらに合わせたかのように男は矛をぐっと引いてから突き出す――早い。
だがメリアンは二本の小剣でその矛先をいなし、さらに数歩詰め寄る。
矛を鋭く回転させながら男は距離を取ろうとしたが、メリアンの方が素早く距離を詰める。
なるほど。対槍戦の経験はなかったが、あの距離だと相手は矛を振るいにくそうだ。槍でも同じだろう。
知識としては理解できていたが、実際に目の当たりにするのとでは理解の深さが違う。
見た感じ明らかにメリアンの方が優勢だが、向こうの仲間たちは二人の戦いをじっと見守っている。
距離の近さがメリアンに矛いなしを左手のみで可能にさせている。
空いた右手の小剣は空中で順手から逆手へと持ち替え、握りしめたかと思うと相手は大きく体勢を崩した――今のなんだ?
まるでメリアンの拳が飛んだかのような、それが相手に当たったかのような動き。
魔法代償の発生も感じた。
もしかして今のが『戦技』ってやつか?
なんて驚いているうちにメリアンは男の右手を切り落とし、矛が地面に落ちたときにはもう男の首筋に小剣を突きつけていた。
「あの戦場は、兵士か傭兵しか居なかった。非戦闘民ならともかく、戦場において守りきるだのなんだのってのは、その形見を持っていたお仲間への侮辱にはならないかい? 例えどこかを病んだ状態だとしてもだ」
男は複雑な表情でメリアンを見つめている。
そのとき、男の後ろに立っていた初老眼鏡が消費命を集中した。
俺は即座に矢をつがえて弓を引いたが、射るよりも早く初老眼鏡の魔法が発動した。
魔法発動時にそいつが叫んだ言葉を聞いて、俺はとっさに弓の狙いを空へと逸らしてしまった。
逸らしてから気づいたが、初老眼鏡の指先はメリアンではなく自身の仲間である折り紙兜の男へと向いていた。
魔術師の放つ魔法は基本、触れられる位置にて発動される。
距離の離れた者へ当てる場合、『魔法転移』で魔法の発動場所を正確に動かす必要がある。その際、少しでも位置計算を単純化するのに方向を定める方法として指先を対象へと向ける、というのがある。指鉄砲の指先を相手に向けるみたいに。
でも俺が初老眼鏡から狙いを外した理由は、初老眼鏡が精神集中のために叫んだ魔法名のせいだった。
それは『カマイタチ』だった。
ホルトゥスの言葉ではなく日本語の「かまいたち」と全く同じ発音。というかホルトゥスには「かまいたち」に似た単語はない。
矢は、初老眼鏡のわずか上を飛び、彼らの馬車の外壁へトンと刺さった。
俺が矢を放つのを止められなかったせいで、にわかに向こう側も殺気立つ。
もちろん、こちら側も同様だ。
「落ち着け!」
メリアンが叫んでいなかったら、きっと集団戦が始まっていただろう。
「普通、あんな状況で決闘の当事者以外が魔法を使ったら反撃をするのは当然だろう。同士討ちと気付いて矢を逸らしたんだ、ほめて欲しいくらいだね」
この場にいる皆の寿命の渦から殺気がわずかに減る。
メリアンは折り紙兜から数歩下がり、草を薙いで小剣についた血を落とすと、二本とも鞘へと戻す。
その取り残された折り紙兜の方は肩口から出血している。けっこう激しい出血。
男の足元には、あっという間に血溜まりができる。
「すまない。私だ。私がトレインへ『カマイタチ』を放った」
初老眼鏡が両手を天へと向け、無抵抗を示す。
しかも初老眼鏡の寿命の渦が馬種から山羊種へと変わる。偽装の渦か!
確かに改めて見れば、あの耳は馬じゃなく山羊だ。さっきまで馬のように立っていた耳は、いまや大きく垂れ下がっている。
なるほど。偽装の渦を解いたのは敵意がないことを表すためか。
「どういうことだ! ムニエール!」
カブトムシ兜の両生種が、手にした戦槌を構えたまま、ムニエールと呼ばれた初老眼鏡のもとへと駆け寄る。
「チケを……スマコを殺したのは、噛み千切る壁じゃない。トレイン自身だよ。こいつは、スマコの言うことを信じなかった。私たち傭兵団の頭でありながら、その自覚もなく、自分が理想とする美学の中へ一人で突撃していって……その決断がスマコを殺したんだ」
なんだなんだ。チケ――スマコ?
何が始まった?
「悪い。ムニエール。僕の解釈は違うよ。もともとトレインと恋人同士だったチケが、よりによって戦場でトレインを捨ててムニエールと急に仲良くなった……そういう痴話喧嘩の類だと思っていたよ」
声が異様にしわがれている若い馬種は、今、まさにゆっくりと倒れた折り紙兜、トレインのもとへと駆け寄る。
手早くトレインの右手を紐できつく縛ってから布を巻く。
肩の傷にも布を当てて押さえつけている。
「いつか、こうなると思っていた。それが戦場じゃなくて良かったと、僕は考えている」
仮にも自分たちのリーダーが倒れたってのに冷静だな。
「おい! アスペールっ! 今、そんなこと言っている場合かよ! このままだとトレイン死んじまうぞ! ムニエール! 魔法で傷口塞いでくれよっ!」
御者をやっていた猿種が、甲高い、だけどか細い声で叫びながら、慌ただしく仲間たちの間を動きまわっている。
そして、懐から紫色に光る魔石らしきものを取り出し、今度は俺たちの方へ。
「すまない。あんたらの中に回復系魔法を使えるやつはいるか? ここに紫魔石がある。魔術の糧がそこそこ入っているはずだ。これを使っていいからトレインを治療をしてくれないか?」
そのトレインはもう意識を失っているようだ。
猿種は必死な表情で俺たち一人一人に紫魔石を手渡そうとする。
しかしルブルムもレムも動こうとはしない。
どうするべきだろうか。
戦いはもう終わったと考えて良いだろう。
だがただでさえ無駄に時間を使わされている俺たちには、そこまでやってやる義理はない。
ディナ先輩だってそう言うだろう。
それでも俺は、猿種の手から紫魔石を受け取ってしまった。
何かの手がかりになれば――そう思ったのは、あの折り紙兜もそうだし「スマコ」という聞き慣れないけれど日本人女性の名前と思えなくもない名前のせい。
敵対までした彼らに自分の素性を明かすつもりは毛頭ないが、もしも地球から、日本から、転生してきたって人の情報が聞けるのであれば聞いてみたい。
俺は弓をマドハトへ渡し、倒れているトレインへと近づいた。
「あっ、ありがとう! トレインは、俺にとっては恩人なんだ! 頼む。せめて止血だけでも!」
中に入っている魔術の糧を確認する――確かに、このくらいあれば右手と肩の傷を塞ぐくらいは問題ないだろう。
まずは肩の方から傷口を塞ぐ。
血管に、神経、それから筋肉に皮膚。何度かに分けて少しづつ『生命回復』を。紫魔石内の格納魔術の糧を消費命として。
次に右手の方だけど――これ、手をくっつけるとかはできるのか?
「手伝う」
横からルブルムが紫魔石を受け取り、傷口に魔法を――『血止め』。
ルブルムの腕が俺の腕に触れていたおかげで、その魔法の構成イメージが伝わってくる。
なるほど。流れた血で大きなカサブタを瞬時に作って出血を止める魔法か。
『生命回復』は患者の治癒力を利用して傷を治す方向へ塞ぐ魔法だが、こうやって切断された傷口については「回復」しようがないから、塞ぐということだけに重きを置いた魔法か。
「右腕は止血しただけ。しばらくは激しく動かさないで」
ルブルムと俺とに何度も礼を言う猿種。
地面に落ちていたトレインの右手を拾ったカブトムシ兜の両生種も俺たちに礼を言い続けている。
あの右手――人の体の一部だったものを目の当たりにしても動揺が少ない自分に驚く。
慣れたのか?
そりゃ裸への耐性もついたんだ。グロへの耐性もついてるよな。
俺は確実にこの世界に馴染んできている、ということなのかな。
ふと思う。
馴染む、ってなんだろうな。
そのとき気づいたというか、ようやく向き合えたというか、地球での俺はよくよく考えたら、地球でも周囲に馴染んでなかった気がする。
少なくとも実の家族には。
家族とは不和があったが、家庭そのものがギクシャクしていたわけじゃない。
俺が異物だっただけで、他の人たちはうまくやっていた。
仕事に夢中で子供に関心は薄かったが母のことは愛していた父、自分の言う通りに動ける子は優遇していた母、母や周囲からのプレッシャーやストレスのはけ口として俺を見下すことで発散していた姉、要領も顔もよく才能があり家庭内でうまく立ち回りながらも俺に呆れていた弟。
一緒に居る時間が長かったからこそあの家族がまるで世界そのものに感じていたし、それゆえに利照はあの世界でも、自身を異物のように感じていた。
その事実に今、目をつぶらずに済んだ。
異物感はこの世界に来てから感じたのではなく、ずっとずっと前から、俺の中にあった想いだったのだと。
もちろんハッタや丈侍たちのような救いもあった。
だけど、それはあくまでも一時的な「救い」であって、俺の日常というか基盤ではなかった。
世界っていうのは物理的な空間のことじゃなく、自分を取り巻く人間関係のことなのかもしれない。
世界に馴染む、というのは、その人間関係の中に自分が居てもいいのだという安心感を持てること、そんな世界を構成する人たちを信頼できるということ――なのかもしれない。
リテルの家族は暖かったけれど、あの世界はリテルの世界であって俺の世界ではなかったから。
「ありがとな! ありがとなっ! その紫魔石はお礼には足りないかもだが、せめてもらっとくれ!」
トレインを静かに抱き上げてオンボロ馬車へと運ぶ彼らを見て、家族みたいだなと思ってしまった。
それは同時に、今の自分にとってのルブルムやレムやマドハトが家族同然なのだと、俺の失いたくない居場所なのだと再認識させる。
リテルに体を返したい。
当然、返すつもりだ。
だけど、そのために俺が消えるしかなかったら、俺はこの大切な仲間と離れられるのだろうか。
「お、おい。ムニエールにアスペール。お前ら何してるんだよ」
甲高いか細い声の方を見ると、初老眼鏡ムニエールともう一人、若いしわがれ声の馬種とが、馬車から何やらゴソゴソと荷物を持ち出していた。
甲高いか細い声の猿種も、カブトムシ兜の両生種も、二人とも小柄なために、トレインを馬車へ運び上げるのに苦労している様子だが、残りの二人はそれを手伝う気配もない。
「お互いに信用できなくなったら一緒には居られないだろう。チケは確かにトレインの恋人だったよ。だけどスマコの魂はあのとき突然降って湧いたわけじゃない。ずっと……私たちが出会ったときから既に、チケの内側に感じていた。スマコはチケの、双子の妹のようなものだった」
一つの体に二つの魂。俺やナイトさんと同じだ。
そのチケさんというかスマコさんって人が、恐らくは転生者なのだろう。
話は詳しく聞きたいが、どうしたものか。
「魂が降って湧いたわけじゃないって話、聞きたい。私の死んだお母さんも、そうだったって村の人たちから聞いたから」
そう言い出したのはレムだった。
既に立ち去りかけていたムニエールとアスペールは立ち止まる。
「なるほど。そういうことなら話しても良いかな」
ムニエールはその場に立ったまま話し始める。
レム、グッジョブだよ。
「チケが変わったのは、ウォーリントの内乱の最中だった。私達は王弟派の傭兵団として参加していた。前日までは確かにチケだった……しかしある晩、チケは高熱を出し、そして目覚めたときはもうスマコだった。私は魔術師だからね。判ったんだよ。チケの内側にはもともと二つの寿命の渦があった。しかし、スマコへと変わったとき、活性化している寿命の渦が昨日までとは違う方になっているのだと」
「ム、ムニエールッ! お前、あのときそんなことまで言わなかったじゃねぇかっ!」
トレインがいつの間にか上体を起こしている。
小柄な二人はトレインを両側から支えている。
「聞く耳を持たなかったじゃないか。その話をする前に、チケとスマコは別人だ、と言ったところで会話を打ち切ったのはトレイン、君だよ」
「くっ」
「話を続ける。魔法を使えた君たちなら知っているとは思うが、寿命の渦が人とは異なる者を魔術特異症と言う」
ムニエールは俺とルブルムとを見つめる。
自分の猿種への偽装がバレているのかと一瞬、不安になりはしたが、彼はそのまま続けた。
「魔術特異症の中でも寿命の渦が二つ交わっている形というのは、私の師匠が持っていた記録の中でも二例しか報告がない。かなり珍しいものだ。だから私はスマコへ興味を持った。恋愛感情ではなく、純粋に魔術的な興味からだ。スマコは、ニホンという国から来たと言った。天界でも地界でもない異界の国。そのニホンのコウベという所で生まれ育ったと言っていた……そして驚くことに、チケと記憶を共有しているとも言った。私はスマコに様々な質問をし、一貫性があるかどうかを丁寧に調べた。私がかけているこのメガネも、スマコに提案されたものだ。彼女の世界、ニホンでは、ガラスを透明に加工する技術が発達しており、視界がぼやける症状をこのメガネによって改善するのが普通だと教えてくれた。こちらでは一部の貴族しか使わないものだが、ニホンでは民衆が普通に使っている、とも」
「この兜も、そうだよな」
トレインが折り紙兜を脱いで膝の上に乗せる。
「ああ、食事の際、器代わりに使っていた大きな葉を四角く切り取り、折りたたんでその兜を作った。私がそれをもとに丈夫な革で同じ形の兜を作ってやったら気に入ってかぶっていた。スマコが死んだ後、トレインは形見といってその兜をずっと身につけているが、どういう気持でチケではなくスマコの遺したものを大事にしているのか、ずっと聞きたかったよ」
「……あのときは俺には何もねぇと思っちまっていたんだ。チケの関心はムニエールに、命は噛み千切る壁に持ってかれてよ……何もかも真っ暗な気持ちだったときによ、これのもとの葉っぱをさ、チケが一生懸命折りたたんでいたときの顔を思い出したんだよ。笑っていた……この兜にはよ、チケの笑顔の思い出が残ってたんだよ」
「そういうところだよ、トレイン。お前はずっとチケと呼び続けた。まるでスマコという存在を許さないとでも言わんばかりに。自分の存在を、話すことを、否定しかしないトレインと、自分の話を聞いてくれる私。彼女が本来居た世界とは全く異なるこの世界にたった一人で放り出されたスマコが、不安の中でより長い時間を過ごそうと考えるのはどちらだと思う? それでも、スマコはチケの記憶もちゃんと理解していた。チケがお前と恋仲だったことも……だから、私とどうこうしようだなんて全く考えもしていなかったよ。戦場から早く立ち去りたがっていただけなんだ。彼女は他者を殺す覚悟を持ちたがらなかった。トレイン、お前は噛み千切る壁がスマコを殺したと言ったな。違うんだよ。後ろから見ていた私にはよく分かる。スマコでありチケである彼女は、噛み千切る壁の攻撃に気づいていなかったトレイン、お前をかばったんだよ。お前はあのときもう負けていたんだ……私がさっき『カマイタチ』を使ったのは、お前の判断誤りによって、私たち全員が殺されるかもしれないと思ったからだ」
トレインはムニエールに向けていた目を見開いた。
その目からは大粒の涙がこぼれている。
ムニエールは、トレインからレムへと視線を移し、続ける。
「スマコの語る物事は確実にこの世界のものではなかった。スマコは魔法は苦手だったが、スマコの語ってくれたことは私の魔法を多いに飛躍させてくれた。さっきの魔法『カマイタチ』のもとになったのはニホンに棲む魔物だ。風の中で人を切り裂く魔物……私はその魔物を想像しながら魔法を創造した。魔法はその効果を構成する概念に対する知識がないと魔法代償だけが恐ろしいくらいに嵩んでしまうものだが、カマイタチは姿が見えない魔物だということで逆に想像しやすかった」
カマイタチはやっぱりカマイタチだった。
ただ、大事なのはその先だ。
イメージできないものは魔法として成立させることができない。
でもさっき『カマイタチ』に消費された魔法代償量はそこまで多くなかった。
ということは、自分で体験したり知識を持っていないものでも、確固たるイメージさえ持てれば魔法として成立させられるということだよね。
しかもそれが、真実ではなくとも。
もしかして、物理法則とはまた違った世界の真理があるのだろうか。
実はカマイタチについては、俺も知識がある。
とはいっても、丈侍のお父さんの受け売りだけど。
風で真空を作って肌を裂くというのはガセだということ。
その話を聞いた当時、ちゃんと検索して調べて、カマイタチで皮膚が裂けるのは真空のせいじゃないってサイトを幾つか見つけたから――だから、カマイタチという魔物を聞きました、で、それを魔法化できるということは、真実を知っているからできるというよりは、そう強く信じ込めるから、と考えるのが重要で――ああ、でも、そっか。
俺は知識として『凍れ』の原理は、水分子の運動を抑えて結合させるというイメージを持っているけれど、それは実際にこの目で見たものじゃない。
学んだものだ。
ということはだよ。
俺がイメージさえしっかりできれば、リテルへこの体を返して俺は俺で存在を残せる方法を、俺は魔法で作れるかもしれないってことじゃないのか?
リテルやケティの想いを、俺がせっかく見つけた居場所を、両方とも守れる可能性が、わずかだが見えたかもしれない。
「なんでもお見通しなんだな、ムニエールは……お前がうちの傭兵団の頭をやれば良かったじゃねぇか。お前だったら、傭兵規約を破ってもチケを……スマコを、あの戦場から連れ出せたんだろ? 言ってたもんな。罰則の寿命提出が何年だろうと、全て失うよりはマシだって」
「その議論は既に結論が出ている。魔法には集中力が必要だ。仲間への指示出しと魔法発動を兼務できるほど私は器用ではない。トレイン、お前は団長をできるだけの実力は持っている。ただ、時として客観的な思考が苦手になるだけで……お前に足りないのは心構えだよ。何かあったらそうやってすぐ拗ねて。責任を持て。ビトルやナットはまだお前を慕ってくれている。その仲間まで失う前にいい加減、気付け」
厳しい言葉を並べるムニエールだが、その言葉の奥には温かいものを感じる。
ふぅ、とトレインが大きな溜息をついた。
それから両隣のビトルとナットに手をどけるように言うと、立ち上がり、それから片膝をつき、目線を合わせない丁寧なお辞儀をした。
「ムニエール、ご指導、ありがとうございました。またいつか、どこかの戦場で出会った時には、よろしくお願いする」
目線を地面へと外したまま、言葉使いまで丁寧なトレイン。
ビトルとナットも同様に片膝をつき、ムニエールから目線を外す。
当のムニエールは、俺たちに向けて片膝をつくと、それから再び――今度は本当に去っていった。ニュナムの方へと。
俺たちも出発の準備を始める。
トレインがお詫びにと金貨をいくらかメリアンへ握らせようとしたが、メリアンは面倒だからと突っ返す。
すると今度は俺に手渡してきた。
俺も断ったのだが、本当にしつこかったので仕方なく受け取った。
金貨を三枚。けっこうな大金だ。
もらいっぱなしってのもなんだか気がひけたので、別れ際に『腐臭の居眠り』をトレインの切り離された右腕へとかけてみた。
ドマースに教えてもらった、肉の鮮度を保つ魔法。
ニュナムで治療魔法屋を訪れてみると言っていたので、まあ気休め程度に。
俺たちがショゴちゃんに乗り込むと、彼らのボロ馬車もニュナムへと引き返していった。
「そこのお二人さん! 次の街まで、護衛で雇われちゃくれないかね!」
乾いた空に遠くトレインの声が聞こえた。
俺たちもショゴちゃんを出発させた。
● 主な登場者
・有主利照/リテル
猿種、十五歳。リテルの体と記憶、利照の自意識と記憶とを持つ。魔術師見習い。
ゴブリン用呪詛と『虫の牙』の呪詛と二つの呪詛に感染。レムールのポーとも契約。とうとう殺人を経験。
・幕道丈侍
小三から高一までずっと同じクラスの、元の世界で唯一仲が良かった友達。交換ノベルゲームをしていた。
彼の弟、昏陽に両親も含めた家族四人全員が眼鏡使用者。一緒にTRPGでも遊んでいた。
・ケティ
リテルの幼馴染の女子。猿種、十六歳。黒い瞳に黒髪、肌は日焼けで薄い褐色の美人。胸も大きい。
リテルとは両想い。フォーリーから合流したがリテルたちの足を引っ張りたくないと引き返した。ディナ先輩への荷物を託してある。
・ラビツ
久々に南の山を越えてストウ村を訪れた傭兵四人組の一人。ケティの唇を奪った。
アイシスでもやはり娼館街を訪れていて、二日前にアイシスを出発していた。ギルフォドへ向かっている可能性が大。
・マドハト
ゴブリン魔法『取り替え子』の被害者。ゴド村の住人で、今は犬種の体を取り戻している。
元の世界で飼っていたコーギーのハッタに似ている。ゴブリン魔法を使える。最近は魔法や人生に真剣に取り組み始めた。
・ルブルム
魔女様の弟子である赤髪の少女。整った顔立ちのクールビューティー。華奢な猿種。
魔法も戦闘もレベルが高く、知的好奇心も旺盛。親しい人を傷つけてしまっていると自分を責めがち。
・アルブム
魔女様の弟子である白髪に銀の瞳の少女。鼠種の兎亜種。
外見はリテルよりも二、三歳若い。知的好奇心が旺盛。
・カエルレウム
寄らずの森の魔女様。深い青のストレートロングの髪が膝くらいまである猿種。
ルブルムとアルブムをホムンクルスとして生み出し、リテルの魔法の師匠となった。『解呪の呪詛』を作成中。
・ディナ
カエルレウムの弟子。ルブルムの先輩にあたる。重度で極度の男嫌い。壮絶な過去がある。
アールヴを母に持ち、猿種を父に持つ。精霊と契約している。トシテルをようやく信用してくれた。
・ウェス
ディナに仕えており、御者の他、幅広く仕事をこなす。肌は浅黒く、ショートカットのお姉さん。蝙蝠種。
魔法を使えないときのためにと麻痺毒の入った金属製の筒をくれた。
・『虫の牙』所持者
キカイー白爵の館に居た警備兵と思われる人物。
呪詛の傷を与えるの魔法武器『虫の牙』を所持し、ディナに呪詛の傷を付けた。フラマの父の仇でもありそう。
・メリアン
ディナ先輩が手配した護衛。リテルたちを鍛える依頼も同時に受けている。ラビツとは傭兵仲間で婚約者。
ものすごい筋肉と角と副乳とを持つ牛種の半返りの女傭兵。知識も豊富で頼れる。二つ名は「噛み千切る壁」。
・エクシ(クッサンドラ)
ゴド村で中身がゴブリンなマドハトの面倒をよく見てくれた犬種の先祖返り。ポメラニアン顔。
クスフォード領兵であり、偵察兵。若干だが魔法を使える。マドハトの『取り替え子』により現在、エクシの体に入っている。
・レム
爬虫種。胸が大きい。バータフラ世代の五人目の生き残り。不本意ながら盗賊団に加担していた。
同じく仕方なく加担していたミンを殺したウォルラースを憎んでいる。トシテルの心の妹。現在、護衛として同行。
・ウォルラース
キカイーがディナたちに興味を示すよう唆した張本人。過去にディナを拉致しようとした。金のためならば平気で人を殺す。
ダイクの作った盗賊団に一枚噛んだが、逃走。海象種の半返り。
・ロッキン
名無し森砦の守備隊第二隊副隊長であり勲爵。フライ濁爵の三男。
現在は護衛として同行。婚約者のためにヴィルジナリスの誓いを立てている。世界図書館に務めるのが夢。
・ナイト
初老の馬種。地球では親の工場で働いていた日本人、喜多山馬吉。
2016年、四十五歳の誕生日にこちらへ転生してきた。今は発明家として過ごしているが、ナイト商会のトップである。
・トレイン
折り紙の兜に似た兜を被った猿種。オンボロ馬車五人組のリーダー。矛を使う。
先のウォーリント内戦で王弟側に傭兵としてついた。チケの戦死をメリアンのせいにして決闘を申し込み、破れた。
・チケ(スマコ)
トレインたちの仲間であったチケの中にずっと存在していたもう一つの寿命の渦が、ウォーリント内戦中にスマコとして目覚めた。スマコは日本の神戸出身。今は亡き人。
・ムニエール
眼鏡をかけた初老の山羊種魔術師。普段は馬種に偽装の渦している。
スマコから聞いた情報から『カマイタチ』という魔法を作った。今回の事件を機にトレインから離反した。
・アスペール
しわがれ声の若い馬種。冷静。ムニエール派。
・ビトル
カブトムシ兜を被った小柄な両生種。戦槌を使う。トレイン派。
・ナット
ボロ馬車の御者をしていた猿種。トレイン派。
トレインを治してほしいと、紫魔石を手にリテルたちへお願いしてきた。
・レムール
レムールは単数形で、複数形はレムルースとなる。地界に生息する、肉体を持たず精神だけの種族。
自身の能力を提供することにより肉体を持つ生命体と共生する。『虫の牙』による呪詛傷は、強制召喚されたレムールだった。
・ショゴウキ号
ナイト(キタヤマ)がリテルに貸してくれた魔法的機能搭載の特別な馬車。「ショゴちゃん」と呼ばれる。
■ はみ出しコラム【ペリアン】
ホルトゥスにもダンジョンは存在する。
しかしそれはダンジョンコアがあってスタンピードの原因になって、というタイプのダンジョンではない。
まず最初に洞窟全般を「カヴェルナ」と呼び、そこに魔物が居着いたり、人々が居住区として中を掘り広げた洞窟を区別して「アントゥルム」と呼ぶ。
魔物が居着いたアントゥルムは特に「危険な洞窟」とも呼び、「ペリアン」という略語も存在する。
兵士や傭兵の間ではこのペリアンという略語が多用される。
・ペリアンの形成
カヴェルナに魔物が棲み着く経緯は大きく分けて先天的・後天的の二つに分かれる。
後天的というのは、もともとカヴェルナであったり、人が住み着いたアントゥルムだったりした場所に、魔物が後から棲み着いたパターンである。
先天的というのは、そもそもそのカヴェルナ内に異門が現れ、異門を通って出てきた魔物がそのまま棲み着いてしまうパターンである。
先天的ペリアンの場合、洞窟内に瘴気が満ちやすいので、後天的ペリアンに比べて危険度が増す。
元々、人の居住区であった場所に魔物が棲み着く例は洞窟以外にないこともない。例えば古城や、放棄された集落跡など。それら地上に存在する建物や地域に魔物が棲み着いた場合でも、ペリアンと呼ぶことがある。
・探索者
ホルトゥスにおいて「冒険者」という職業が存在しないのは周知の通りだが、ペリアンへの調査・探索に特に慣れた傭兵や兵士に対し、「探索者」という称号が贈られることがある。
あくまでも魔物を倒す強さではなく、魔物の生態への理解や知識といった情報面での称号である。
ペリアンに棲む魔物は積極的に狩られるわけではないが、脅威となる存在についての情報は有益であるし、ペリアンに隠るのをやめて人を襲うようになる場合は駆逐の必要性が生じる。
ホルトゥスにおける魔物の死体は、素材としてはそれなりに希少ではあるが、それはあくまでも他の生物に比べてであり、ゲームのように魔物由来の素材が強い装備や道具の材料に特になるわけでもないことがほとんどで、高価なものは剥製化したときに見栄えが良いとか、その程度の理由であることも少なくない。
基本的に討伐で得られる一番の報酬は「今後の安全」なのだ。




