#77 知っているのか、メリアン
頭にもやがかかったみたいに、集中力が削がれる。
『超ぶっ飛ばす』分を集中しきれそうになく、とっさに『倍ぶっ飛ばす』一発分へと切り替える。
それをポーがルージャグの右腕へ、下から打ち上げるように当ててくれる。
どんどん増してゆく頭痛のなか、今のでバランスを完全に崩したルージャグの上体が大きく向こう側へ倒れるのが見えた。
毒か魔法かはわからないが、俺の意識はもうそろそろ限界だ――リテルの体を守ると決めたのに、俺は何をやっているのだろうか。
なぜ逃げなかった?
自分の力を過信していたのか?
そんな傲慢な挑戦で、リテルの体を危険にさらしてしまっている。
俺は全然、紳士じゃない。
込み上げてくる自身への失望と怒り、そしてそれ以上の嘔吐感。
堪えきれない胃からの逆流物に抵抗する気力が、意識と共に途切れた。
「リテルっ!」
ルブルムの声が聞こえた気がして目を開き、目を閉じていたことに気付く。
飛び起きる。
俺の顔を覗き込んでいたルブルムやレムの顔にぶつかりかけたがなんとか回避する。
死なずに済んだという安心感と、心配かけたこと、やらかしてしまったことへの猛烈な後悔。
「すみません」
その口が嘔吐物にまみれていることに気づいて起き上がる。
服がやけに濡れている。
「ゲロまみれだったからな、ちょっと流したぞ」
メリアンの笑顔は、ルブルムやレムの笑顔とはちょっと違う。
なんというかニヤニヤ感がある。
「すみません」
「なぁに。酒を飲み慣れていない奴が瘴気にあてられるとそうなるもんだ」
ああそうか。瘴気か。
すっかり忘れていた。
瘴気――知識としては把握していたが、実際にくらう「酩酊状態」ってのはこんな酷いものなのか。
あんなにも思考と運動能力とが阻害されるなんて、大人はよくこんなになってまで酒をやめられないもんだな。
手を貸してくれようとするルブルムとレムに離れるよう伝える。
俺の嘔吐物まみれになってしまう申し訳無さと恥ずかしさと。
立ち上がろうとして、まだかかとがふわっとしていることに気付く。頭痛もしっかり残っている。
そんな俺の制止を振り切ってルブルムが俺の手を取った。
「対策を知っているから」
ルブルムが消費命を集中する――そして発動された魔法のイメージが伝わってくる。
『瘴気散らし』――なるほど。ちゃんと専用の解毒魔法があるのか。
頭痛がすっと消え、体のふわつきもなくなった。
この『瘴気散らし』はいつでも使えるように後でしっかり復習しておこう。
「ありがとう」
「リテルさま! 追加の水です!」
マドハトから重たい革袋を渡される。
わざわざ水を汲んできてくれたのだろうか。
とにかく自分の体にまだ残っている恥ずかしい汚れを水で流す。
「ありがとう……それで、状況は……」
「ルージャグの心臓はまだ動いていたから、トドメは刺しておいた。いやしかし、ルージャグを一人で無力化まで追い込むたぁ、やるねリテル。見直したよ。んで、ウォッタもカーンもメドも無事、ルージャグが子どもらを追いかけて村を離れたからと、クーラ村から何人か大人も来ててな。今は感動のご対面ってやつさ」
そのクーラ村の人々がわらわらと俺の周りに集まってきた。
村人集団の中の一人が一歩前へと出ると、全員が揃って膝をついてのお辞儀。
「さすがは寄らずの森の魔女様のお弟子さんだ」
前へ出た人は、柔和な顔の老人。
クーラ村の村長さんとかだろうか。
「お初にお目にかかります。私は濡れ森の魔男、ハードンと申します。話したいことは色々とありますが、お急ぎの旅の途中と伺っております。詳しくはまたお時間のあるときにクーラ村へとおいでくださったときにでも。改めてお礼をさせていただきたいと皆さん申しておりますゆえ……とりあえず、こちらを」
濡れ森――ここの森の名前は知らないが、ここいらの居付き魔術師なのだろう。そのハードンさんが傍らの木の幹に触れた手へ、俺の手を重ねるよううながしている。
その申し出を受けるべく手を重ねると、魔法のイメージが流れ込んでくる。
『森の寂しさの離れがたき想い』――ポエティックな魔法名称に意識を取られそうになったが、その内容は、植物内の水分を表面へと染み出させて強力な接着液化するという有用性が高そうなもの。
発動のきっかけは、魔法発動後にこの手を離してから次に寿命の渦を持つ生物が触れたとき。その対象寿命の渦のサイズも決めておくことができる。
「この通り、私は設置罠系の魔法を得意としておりまして、直接戦闘は苦手でして……このあたりはお客さんが滅多に訪れませんで、来たとしてもあれほどの大物は本当に珍しく……ああ、言い訳ばかりで申し訳ないです。とにかく今回は大変助かりました。私の方からも寄らずの森の魔女様へ直接お礼をお伝えさせていただきます」
それを合図とばかり、子どもたちも本当に嬉しそうにお礼を叫びまくる。
嬉しさと照れくささと、さっきまで酩酊状態で倒れていたということへの恥ずかしさとで顔が赤くなるのを感じる。
「それでリテル、これはどうする?」
ヒーロー扱いに戸惑っている俺を気遣ってくれたのか、メリアンが話題をそらしてくれる。
メリアンが指している「これ」とは、ルージャグの死体。
「酔いどれの魔物の皮は、移住者のよりも高く売れる。こいつは図体がデカいから取れる革の量も少なくないだろう」
酔いどれというのは瘴気にまみれた魔物の俗称だっけ。
それがホルトゥスに居着いて世代交代すると以降は移住者と呼ばれるようになる。
で、改めて見るルージャグの死体はかなり大きい。
とてもじゃないが馬車には乗らない――それに、クーラ村には被害も出ている。
そもそも俺が彼らを助けようとしたのも、もしも襲われたのがストウ村だったらと、重ねてしまったからというのもある。
「こちらは急ぐ旅ですし、クーラ村の皆さんで死体の処理をしていただけるとありがたいです。その際に売れる部位などありましたら、そちらについては全額、クーラ村の復興に役立ててください」
メリアンが口笛を吹く。
と同時に衝撃。レムが俺に飛びついたのだ。
「お兄ちゃん、かっこいい!」
「当たり前だ! リテルはかっこいい!」
ルブルムまで走ってきて俺にしがみつく。しかもものすごいドヤった笑顔で。
子どもたちまで走ってきて皆、俺にしがみつく――ちょ、ちょっと待ってくれ。
ひとしきりもみくちゃになっている間、そんな俺たちを尻目にメリアンとハードンさんとで色々と調整してくれた。
例の四人組のうち、ルージャグに食われた二人については、ルージャグ解体中に胃から取り出した後、レムが殺した一人と共にクーラ村の人たちが強盗として処理してくれるとのこと。
俺が麻痺毒で無力化した奴は運良く生き延びていて、そいつについては、俺たちが馬車で直接クーラ村の所属するライストチャーチ白爵領都ニュナムまで移送して突き出すということに。
その際、村側の目撃者としてウォッタも同行するということ。
ウォッタについては、先行したクーラ村の村長の息子、ペックさんへ託せば良いということ。
概要についてはハードンさんからニュナムの魔術師組合へ連絡しておいてくれること。
落ち着いたらクーラ村を訪れて歓迎を受けるということまで。
急ぎの旅であるのは事実であったため、彼らの感謝の嵐をほどほどで振り切った俺たちは再び街道へと戻った。
そこからは急ぎ気味に馬車を走らせる。
ウォッタはずっとあの麻痺している山羊種を睨みつけている。
この罪人は縄で縛り上げてはあるが、実はウォッタの方も縛り上げておきたい気分。
まだ若いウォッタから目を放すと、この罪人に何かしそうで――それだけの怒りをウォッタの寿命の渦から感じているから。
「一人殺された」と言っていたのはブールという猫種の少年で、ウォッタとは仲が良かったらしい。
そんなに大きくない村なら歳の近い子は皆、仲が良いだろうが、ブールの双子の妹であるボーアは、ウォッタと恋仲だったようで、ウォッタからしたら将来の義理の兄という、もうほとんど家族のような存在だったそうだ。
ブールを殺したのは食われた奴の方らしいが、被害者からしたらそう簡単に割り切れるものでもないだろう。
都市部では刑罰を与えて寿命の渦を金銭に返させて賠償させるというのが一般化しているが、魔術師組合がないような小さな集落では、私刑による処刑も少なくないとは情報としてディナ先輩から聞いている。
実際、自分がウォッタの立場だったなら。
ケティに兄が居て――ビンスン兄ちゃんみたいに――そして、俺たちを守って殺されたとしたら。
気持ちでいえばウォッタを止めたくはない。
ただ、この罪人はハードンさんから魔法代償徴収刑にしたいので殺されないよう気をつけてと釘を刺されている。
ただでさえドマースに対する警戒を解けないでいるのに、周囲への警戒に加えてウォッタへの注意と、麻痺っているとはいえ意識は消えていないであろうこの罪人への注意と――ああ、頭が痛い。
この頭痛は酩酊状態と違って『瘴気散らし』じゃ消えないやつだし。
一瞬たりとも気の抜けない急行軍ではあったが、その日は途中でニュナムへ向かう定期便を追い越した以外、特に事件もなく、夕方にはニュナム直前の共同夜営地「ニュナム一・アイシス四」へ到着。
ただ、この共同夜営地では食事を取っただけですぐに出発した。
双子月はほぼ三日月。夜中に馬車を走らせる明るさとしては難ありなのだが、ここから先はニュナムへの一日道となり、街道も石畳で舗装されているため、松明を灯せばなんとかなる。
石畳は白い石が使われているのと、定期的に補修されているのとで、夜間走行にも耐えうる環境なのだ。
夜通しの御者はメリアンが引き受けてくれた。
俺たちは交代で休んでくれとのことだったのだが、俺自身は状況的に寝ようと思っても眠れない。
ウォッタもずっと寝ていないし、逆にドマースはぐっすり寝ているが魔法を使うから油断ならないし。
まんじりともせず、空が白み始めた頃、夜の街道をこちらへ向かってくる集団と遭遇した。
クーラ村へと向かうライストチャーチ領兵の一団だった。
「ウォッタか? 無事だったか?」
クーラ村の村長の息子、ペックさんがウォッタの頭を撫でる。
ウォッタは知り合いと再会できて緊張の糸が解けたのか、いきなり泣き出した。
でも泣き出したい気持ちもわかる。
ウォッタにしてみれば、恋人の兄であるブールを殺されているのだから「無事」とは言えないのだろう。
俺たちはペックさんと、それからクーラ村で死亡した領主直属監理官の後継という方とに状況をかいつまんで説明した。
ライストチャーチ領の領監さんは、ハードンさんからの連絡も把握しており、話は早かった。
ということでウォッタはここで別れることになり、心配のタネが一つ減ったのは嬉しいのだが、念のため、ライストチャーチ領兵が二人、ウォッタの証言代行も兼ねて同行することとなった。
人が多いと神経も使う。
まだまだ気は休まらなさそうだ。
そこからさらに半日が経過し、昼飯も抜いて馬車を飛ばした昼過ぎ、ラビツ達に早く追いつきたい――その逸る想いのまま、俺たちはライストチャーチ白爵領都ニュナムへと到着した。
「開門!」
ライストチャーチ領兵のお二方が馬車から降りて叫ぶと、陽の光を浴びて白く輝く城壁上方の小窓が開き、中からお二方と同じ兜を被った人が顔を出す。
「連絡があったのはその馬車か!」
「そうだ!」
領兵同士のやりとりを横目にドマースが壁の白さについて解説してくれる。
普通は石やレンガを建材として使うときの接着剤として使われるカエメンを、都市壁の表面に塗装として用いることで、あのような美しく白い壁になるのだと。
その説明を聞きながら、ドマースが特に報復めいたことをしてこなかったことに胸をなでおろす。
結局、魔法は使うものの、ただの育ちの良い貴族の子息という仮面を外すことはなかった。
油断をしない、というのは実際に行動に移すと驚くほどしんどい。
特にその期間が長くなればなるほど。
頑張り続ければ、注意力も集中力も落ちてゆく。
信頼できる仲間がいてくれることは本当にありがたい――そんな感謝の気持ちを胸に、ようやく重たく開かれた門の向こう、ニュナムの街へと馬車を乗り入れた。
俺たちが入ってすぐ門が閉じられる。
「随分、警備が厳重なんですね」
「祭りだからね」
ライストチャーチ領兵のお二方が笑顔で答える。
「祭り?」
マドハトとメリアン以外の全員で聞き返す。
「ええ、祭りです。今日の前夜祭と、明日の本祭終了までのまる二日間、ニュナムの全ての門が閉ざされるのです。魔物が出て領兵を派遣しなければならない非常事態でもない限り」
ひょっとしてまた足止めなのか?
「あー、すまない。そうか。王冠祭か」
メリアンがすっかり忘れていたという感じでため息をつく。
「王冠祭を知っているのか、メリアン」
「ああ」
メリアンが解説をしてくれたのは、だいたいこんな内容。
王冠祭とは、ライストチャーチ白爵領の領都ニュナムにて、星の月夜週の七日目と八日目の二日間にかけて行われる祭り。
その起源は、現在ライストチャーチ白爵であるモノケロ様がまだ白爵を継ぐ前、当時まだ恋人だったレーオ様が行ったプロポーズに由来する。
モノケロ様が、自分に追いつけたらプロポーズを受けようと走り出し、レーオ様が二日かけてなんとか追いつき、結婚承諾の証となる王冠をもぎ取ったという。
去年、モノケロ様が白爵を継いだのと、結婚十周年とを記念して、このエピソードを元にした領都あげてのお祭りを作ってみたところ、これが大ウケで今年以降も毎年開催することになったという。
プロポーズのときと同様にモノケロ様が市内を逃げ回り、レーオ様が追いかけるというもので、街の者はモノケロ様を匿ってもよいが、二ホーラ毎に鳴る鐘が領都内に響いたら、モノケロ様は場所を移動しなければならない。
「去年、我々は運良くレーオ様が追いついて求婚の再現をなされたところを目撃したんですよっ!」
ライストチャーチ領兵の二人――プラさんとムケーキさんとが興奮しながら詳細を補完してくれる。
モノケロ様に滞在していただきたい人たちは一年かけてお迎え用の場所を用意しているらしく、祭りの前日までに届け出が受理された「お迎え処」は、モノケロ様の現在のご年齢と同じ三十三箇所にも及ぶという。
三十三は十進換算で三十九。その若さでもうご領主というのはモノケロ様はさぞかし有能な方なのだろう。
「白爵様とその奥方様が街の中を巡られるとのことで、祭りの期間中は街の門を閉ざしているのですよ。魔物退治任務が入って今年は無理かと思っていたのですが、まさかのこの特別任務で祭りに参加できるとは! いやはや本当にリテルさんたちには感謝ですよ!」
プラさんもムケーキさんもテンションが高い。
門を閉ざしたところで、御領主やその奥方様に危険はないのかとレムが尋ねたところ、二人のテンションはさらに上がった。
「モノケロ様も、奥方のレーオ様もお二人とも並々ならぬ武勲のお持ち主ですよ! 我々二人がかりだとしても、レーオ様お一人に全く敵いません!」
思わずメリアンを見てしまったが、メリアンはなぜか納得顔で首を左右に振っている――肯定だ。
相当お強く、それも有名なのか――じゃなくて。
ラビツたちも閉じ込められていたら良いのだが、もしも祭開始前にニュナムを出ていたのならば、また余計に一日遅れを取ってしまう。
とはいえ、今からニュナムの外に出るという選択肢は取れなさげなので、アイシスのとき同様、まずは宿の確保と聞き込みに走るしかない――はずだったのだが、祭りの恐ろしさを俺たちはまだわかっていなかった。
実績紋の書き換えと、罪人の引き渡しとで最初に訪れた魔術師組合でまず言われたのが「今からなんて宿は取れないよ」という話。
それどころか、馬車を置いておくスペースすらも確保できないだろうと。
マジか。
今からでも街の外へ出してはもらえないですかね?
「私は、魔術師組合で臨時雇われの仕事をすることにします。相当忙しいらしく、人手も足りなさそうなので……」
ドマースは俺たちに相当の額のお金を押し付けると、魔術師組合の奥へと消えてしまった。
そのお金はメリアンの勧めで、そのまま持ち歩くのではなく信用証を契約して預けることにした。
ラトウィヂ王国内の魔術師組合のある街であればどこででも引き出せるという便利なシステム。
当面の旅費として必要になりそうな分だけ取り分けると、残りは全部預けることにした。
そして万が一ということを考え、生死確認の契約者自体は俺ではあるものの、受け取り可能な契約者にはルブルムも指定させてもらった。
ルブルムは「俺に何かがあった場合」という前提をとても嫌がったのだが、一番信頼できるのはルブルムだからと説得して、いざというときはこのお金をリテルの家族とケティとに渡してもらうようお願いした。
用事を終えて魔術師組合を出ると、ムケーキさんが笑顔で話しかけてきた。
「リテルさん! 我々が戻れたお礼と言っちゃなんですが、馬車と馬だけならば、領兵宿舎で預かるよう調整できました! 領内巡回に出ている馬車の置き場がちょうど空いておりますし、リテルさんたちのご功績ならばと特別に認めていただきましたよ!」
「それはありがたいです!」
プラさんは肩で息をしている。この短時間で領兵宿舎まで走って確認しに行っていただいた様子。
ルージャグの死体素材をクーラ村復興のためにと寄付しておいて本当に良かった。
お二方に感謝して馬と馬車とを預け、俺たちは改めて、浮かれまくっているニュナムの街へと繰り出した。
「さて。馬車と馬の件は片付いたが、今晩の宿は本気で探さないとな」
メリアンが浮かない顔をしている。
王冠祭の間、街の中の建物についてどこであろうとモノケロ様とレーオ様は出入り自由――必然的に娼館街はどこも開店休業状態だという。
そんな状況ならばこそラビツたちが残っている可能性は極めて低そうで、気持ちが萎える。
なので聞き込みは早々に後回しにして、まずは宿の確保に全力を傾けることになったのだが、この人混みったら。
「祭りというのは初めて見るが、人が多いのだな」
ルブルムが心なしか嬉しそうだ。
いや、そわそわしているのはレムやマドハトも同じ。
「ルブルムさん、あっちの方で聞いてきたのですが、宿を取れなかった人は一晩中路上で飲んだり踊ったり、というのも少なくないらしく……」
ロッキンさんも疲れた表情だ。
そりゃそうだよな。祭りだからと集まってきた領民や観光客なんかも居るだろうし。
全く間が悪い。
街に着けば休めるだろうとアイシスからニュナムまで無理して飛ばしてきたからこそ、余計に。
それにエクシの疲労が半端ないのが心配だ。
ドマースへの補償として、けっこうな年数の寿命の渦を提出したらしい。
もともと、エクシ自身がアイシスの娼館へ頻繁に通うために寿命売りをしていたらしく、エクシが冗談めかして言った「そんなに長くもないかもね」という言葉が、どうにも不安を誘う。
祭りに心を奪われがちの人たちと、疲弊しきっている人たち。
俺とメリアンとレムは、どさくさ紛れのスリや物盗りへの警戒も。
ある意味、魔物が出る街の外よりもよっぽど疲れる。
そんなときだった。
俺があの声を聞いたのは。
「ツギ、トマリマス」
この世界の言葉ではなく、日本語だった。
少しなまってはいたけれど、女性の声で。
「ちょっと気になるものがある」
俺はルブルムたちにそう言い残すと、声のした方へと走った。
すぐに見つける。
この世界からすると異様なカラーリングの馬車を。
道の真ん中で酔っ払っているのかゴロ寝している馬種のおっさんと、その前で止まっている全体的に長方形な馬車。
全体的に白く塗られているが、馬車下部の前面から側面にかけて臙脂色ラインと紺色のライン。
馬車の真ん中くらいの高さにも、後ろ側から側面にかけて同じカラーリングのライン。
御者席の両脇には灯り箱と、サイドミラーみたいなものまで装着されている。
「バスだ」
路線名まではわからないけれど、見たことあるような気がするカラーリング。
すると御者が、首にぶら下げているラッパのような楽器を口にあて、プァーと大きな音を出した。
音に驚いたのか、おっさんはゆっくり起き上がり、馬車を見て慌てて道を空ける――が、馬車は発車しない。
それどころか側面の扉がバスのように折りたたまれながら開き、初老の馬種の男が一人、降りてきた。
じっと俺を見つめ、ニヤリと笑みを浮かべる。
「少年。君は今、バスって言ったのかい?」
これは答えていいものなのかどうか。
異世界から来た人を炙り出すための罠かもしれない。
うかつだった。逃げるべきか。いや、ルブルム達が追いついてきてしまった。
「うん……まあ、そうだよな。ここじゃ何だから俺の屋敷で話そう。俺の馬車……バス号に着いてきな」
男は再びニヤリと笑みを浮かべると、馬車の中へと戻る。
バス号?
偶然、名前が一致しただけ?
「どうしたんだ? また変なのに好かれたのか?」
メリアンが俺を見て笑っている。
バス号とやらは発車してしまう。
俺は慌ててルブルムとレムに向かって「ツテかもしれない」と告げた。
「ツテ」というのは、レムの母親や俺同様に地球から来たかもしれない人のことを外ではそう呼ぼうって、あらかじめ決めておいた隠語。
「行こう」
ルブルムが了承し、俺たちはバス号の後を追うことにした。
● 主な登場者
・有主利照/リテル
猿種、十五歳。リテルの体と記憶、利照の自意識と記憶とを持つ。魔術師見習い。
ゴブリン用呪詛と『虫の牙』の呪詛と二つの呪詛に感染。レムールのポーとも契約。とうとう殺人を経験。
・ケティ
リテルの幼馴染の女子。猿種、十六歳。黒い瞳に黒髪、肌は日焼けで薄い褐色の美人。胸も大きい。
リテルとは両想い。フォーリーから合流したがリテルたちの足を引っ張りたくないと引き返した。ディナ先輩への荷物を託してある。
・ラビツ
久々に南の山を越えてストウ村を訪れた傭兵四人組の一人。ケティの唇を奪った。
アイシスでもやはり娼館街を訪れていて、二日前にアイシスを出発していた。ギルフォドへ向かっている可能性が大。
・マドハト
ゴブリン魔法『取り替え子』の被害者。ゴド村の住人で、今は犬種の体を取り戻している。
元の世界で飼っていたコーギーのハッタに似ている。変な歌とゴブリン語とゴブリン魔法を知っている。地味に魔法勉強中。
・ルブルム
魔女様の弟子である赤髪の少女。整った顔立ちのクールビューティー。華奢な猿種。
魔法も戦闘もレベルが高く、知的好奇心も旺盛。親しい人を傷つけてしまっていると自分を責めがち。
・アルブム
魔女様の弟子である白髪に銀の瞳の少女。鼠種の兎亜種。
外見はリテルよりも二、三歳若い。知的好奇心が旺盛。
・カエルレウム
寄らずの森の魔女様。深い青のストレートロングの髪が膝くらいまである猿種。
ルブルムとアルブムをホムンクルスとして生み出し、リテルの魔法の師匠となった。『解呪の呪詛』を作成中。
・ディナ
カエルレウムの弟子。ルブルムの先輩にあたる。重度で極度の男嫌い。壮絶な過去がある。
アールヴを母に持ち、猿種を父に持つ。精霊と契約している。トシテルをようやく信用してくれた。
・ウェス
ディナに仕えており、御者の他、幅広く仕事をこなす。肌は浅黒く、ショートカットのお姉さん。蝙蝠種。
魔法を使えないときのためにと麻痺毒の入った金属製の筒をくれた。
・『虫の牙』所持者
キカイー白爵の館に居た警備兵と思われる人物。
呪詛の傷を与えるの魔法武器『虫の牙』を所持し、ディナに呪詛の傷を付けた。フラマの父の仇でもありそう。
・メリアン
ディナ先輩が手配した護衛。リテルたちを鍛える依頼も同時に受けている。ラビツとは傭兵仲間。
ものすごい筋肉と角と副乳とを持つ牛種の半返りの女傭兵。知識も豊富で頼れる。
・エクシ(クッサンドラ)
ゴド村で中身がゴブリンなマドハトの面倒をよく見てくれた犬種の先祖返り。ポメラニアン顔。
クスフォード領兵であり、偵察兵。若干だが魔法を使える。マドハトの『取り替え子』により現在、エクシの体に入っている。
・レム
爬虫種。胸が大きい。バータフラ世代の五人目の生き残り。不本意ながら盗賊団に加担していた。
同じく仕方なく加担していたミンを殺したウォルラースを憎んでいる。トシテルの心の妹。現在、護衛として同行。
・ウォルラース
キカイーがディナたちに興味を示すよう唆した張本人。過去にディナを拉致しようとした。金のためならば平気で人を殺す。
ダイクの作った盗賊団に一枚噛んだが、逃走。海象種の半返り。
・ロッキン
名無し森砦の守備隊第二隊副隊長であり勲爵。フライ濁爵の三男。
現在はルブルムたちの護衛として同行している。婚約者が居て、その婚約者のためにヴィルジナリスの誓いを立てている。
・ドマース
鼠種先祖返り。ハムスター似。貴族の十男だった魔術師。身なりのよさそうなコートに蝶ネクタイ。
スノドロッフの住民拉致事件の関係者に接触を図ったが、エクシへのアプローチに失敗。ニュナムで別れた。
・ペック
魔獣に襲われたクーラ村の村長の息子。親を殺されたり家を壊された子供たちを荷車に乗せ、街道まで避難させた。
単身、ニュナムへ助けを呼びに馬を走らせ、領兵の一団を引き連れて戻る際にリテルたちと遭遇した。
・ウォッタ
クーラ村の避難組。リテルたちの朝食タイミングで襲いかかってきた子供たちの一番の年長者。
ならず者の山羊種四人組を憎んでいる。ペックと遭遇した際に、引き渡した。
・タベリー
クーラ村の避難組。リテルたちに襲いかかってきた子供たちのうち、ウォッタの次に年長の猫種少女。
少女の姉がならず者たちに囚われていたカーン姉ちゃん。
・カーン姉ちゃんとメド
クーラ村の避難組。ならず者の山羊種四人組に人質として囚われていたが、そこにルージャグの襲撃を受け、逃げ出した。二人とも猫種。カーンはリテルより多少年上で痩せている。メドは五歳。
・ボーア
クーラ村の避難組。猫種の少女。女子ではタベリーの次に年長。ウォッタと良い仲。
・ブール
クーラ村の避難組。猫種の少年。ボーアとは双子の兄。ウォッタとも仲が良かった。
山羊種四人組に逆らって殺された。
・ならず者の山羊種四人組
魔獣に襲われた村から避難してきた子供たちを襲い、人質を取り、残りの子供たちに襲撃を指示した。
リテルに麻痺毒で倒された一人以外は全員死亡。その生き残りの罪人はニュナムで引き渡した。
・プラとムケーキ
ライストチャーチ白爵領の領兵。大の祭り好き。リテルたちの馬車と馬を預かってくれた。
・モノケロ様
昨年、ライストチャーチ白爵を継いだ三十三歳。武勲に優れる。
・レーオ様
モノケロの妻。武勲に優れる。十年前のモノケロへのプロポーズが、王冠祭のきっかけとなった。
・初老の馬種の男
ニュナムの街で遭遇した、地球人の知識を持ってそうな謎の男。バス号と呼ばれる馬車に乗り、リテルたちについて来るよう言った。
・レムール
レムールは単数形で、複数形はレムルースとなる。地界に生息する、肉体を持たず精神だけの種族。
自身の能力を提供することにより肉体を持つ生命体と共生する。『虫の牙』による呪詛傷は、強制召喚されたレムールだった。
・ルージャグ
クーラ村を襲った魔獣。赤黒いボロ布をまとい、手当たり次第に人を捕らえて喰らう危険な女巨人。
その身長は普通の獣種の五、六倍はある。リテルにより無力化され、メリアンにトドメを刺された。
■ はみ出しコラム【領内巡回】
領兵は領主直属の兵士であるが、ラトウィヂ王国内においてはどこの領地においてもほぼ同様の給金と仕事内容となっている。
その仕事の中でも特に「領内巡回」について説明する。
・領内巡回
領兵の仕事の一つ。六人で一組の騎馬集団として定期的に領内を巡回する。少なくとも一人は偵察兵を含む。
今回の魔物討伐などの場合、複数組での行動や、騎乗のみならず馬車の併用もあり得る。
この領内巡回は緊急時以外も行われ、街道の整備が必要かどうかの確認、監理官の護衛、周辺地域への見回り、領内の居付き魔術師への協力などが主な任務である。
また、領内で犯罪者が出た場合、その護送を行うこともある。
ただし、その犯罪者が凶悪犯罪を犯した場合や、あまりにも再犯が過ぎる場合などは、監理官の指示のもと処刑を行ったり、村人たちの私刑を補助する場合もある。
・領内巡回時の持ち物
武具としては小剣と盾、鞍に取り付けられる程度の槍は全員が装備。六人のうち最低二人は弓を扱える。
捕縛にも使用できる縄や大きめの革袋、時期によっては毛布の類も持ち歩いている。
また、隊のリーダーは領都と通信できる魔法品を所持しているが、それ以外の魔法品は持っていない。
犯罪者の護送においては、凶暴であったり魔法の使用に長けていたり等の場合、麻痺毒を使用しての無力化もあり得る。
・麻痺毒
魔法を使える領兵もごくごく少なく、また魔法には効果時間という制約も発生するため、魔法による無力化は滅多に行われない。
ウォルラースやドマース(から手渡されてエクシ)が使用していた『魔法封印の首輪』などは非常に高価であり、運用コストもかさむため、麻痺毒が一般的な無力化手段である。
実は「カウダの麻痺毒」とされているものも、名無し森砦にて犯罪者護送用に使用される麻痺毒と全く同じものである。
いざというときに繋がり発覚を恐れ、同じ内容で『カウダの毒消し』という名称の魔法を用意した上で魔石に封じてあった。




