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#38 勉強会は続くよ湯けむりの中で

「ルブルム、風邪をひくよ」


 よく見ればルブルムはわずかに肩を震わせている。

 『虫の牙』の傷ムカデの痛みに耐えるべく、歯を食いしばりながらの俺と、それを生暖かく見守る二人とでは体の冷え方が違うのは当然だ。

 だいたいルブルムってば、俺とディナ先輩がしゃべっている間、ずっと俺の股間見ているだけだもんな。

 見られ耐性もついてきた気がする――ついていいものなのかそれ、とは思うが。

 それに俺はどちらかといえば痛みに耐える方や、ディナ先輩から学ぶことの方に集中しているし、二人の裸も正直それほど直視できていない。

 つまり、この修業はそろそろ終了でもいいんじゃないかってこと。


「ディナ先輩。俺の方はもうだいぶ慣れました。冷えてきましたし、もう服を着てもよいのではないでしょうか」


「そうか……そうだな」


「トシテル。服を着る前に触ってみたい」


 ルブルムってば蒸し返さないでくれ。


「い、いや、風呂も入ってないし、汚いし……」


「そうか……風呂か。明日は虹爵(イーリス・クラティア)様にお会いするのだ。風呂も必要だろう。お互いに洗いあえばちょうどよいだろう」


「へ?」


 洗いあう?

 思わず変な声が出てしまった。

 洗いあうって、あの洗いあう、ですよね?

 混乱してて自分でも何言っているのかわからない。

 それに何がちょうどいいのだろうか。

 本来ならば男として喜ぶべきことなのかもしれない。

 ただ、少しでも粗相してしまったら、本当に切り落とされかねないという恐怖と、そもそも童貞としての不安とが入り混じって、とてもじゃないけどそんなラッキー状況を楽しめる気分ではない。


「トシテル、入り口脇に置いてある灯り箱(ランテルナ)を点けろ。二人ともブーツ以外は脱いだままでついてこい」


 ディナ先輩の指示に従い、暗く寒い廊下をとぼとぼ歩く。

 灯り箱(ランテルナ)が照らす範囲には、自身は裸足のディナ先輩のかかとから背中にかけてまでが白く浮かび上がる。

 ディナ先輩は現在、ご自身の寿命の渦(コスモス)を隠さずに見せてくれている。

 脂肪がほとんどついていないディナ先輩の体は、筋肉の動きをしっかり確認できる。

 さっき教えていただいた通り、体の細かな筋肉の動きと寿命の渦(コスモス)のリズムとは、何も隠蔽しなければ同期しているのがわかる。

 さっきまで傷ムカデが這い回っていた体は、今は本来の美しさのみで完結している。

 俺が引き取った呪詛は、簡単に背負えるものでは決してないけれど、それでもディナ先輩のあの嬉しそうな表情を見れただけでもよしとしたい。紳士だからさ。

 ところでルブルムさん?

 あなた、さっきから俺の股間ずっとガン見で、もはやその姿勢には潔ささえ感じます。


「トシテル、歩くと揺れるものなのだな。走るとき、邪魔じゃないか?」


 真横から覗き込んでいるルブルムの胸元だってよく揺れていらっしゃいますよ――と言いそうになってぐっと堪える。

 紳士は下品な物言いはしないのだ。

 とはいえ、喉まで出かかるというのは集中力が低下しきっている証拠。

 痛みだけじゃなく、睡眠不足が続いているのもあって……少しナチュラルハイ気味になっているのかな。

 こんな時こそ気をつけないと。


「普段は下着をはいているから、そこまで揺れたりはしないよ」


 寒くて縮こまってはいるし――いや、そこまで言う必要はないか。

 でもルブルムの視線には冗談抜きで慣れたと思う。

 ルブルムは本気で純粋に知的好奇心で見ているし、真面目に質問もしてくるから、こちらも恥ずかしさはだいぶ薄れてきてはいる。


「ここだ」


 ディナ先輩が立ち止まったのは、屋敷内の他の扉よりも一回り小さな扉。

 その扉が開かれると、中から湯気がもわーっと廊下へ溢れてきた。

 前屈み気味に扉をくぐり抜けると、そこは四畳半くらいの小部屋で、正面奥の壁には大きなガラスがはめこまれたアーチ状の扉がもう一つ。

 どうやら湯気はアーチ扉の向こうから来ているようだ。


灯り箱(ランテルナ)はそこのテーブルの上に置け」


「はい」


 小部屋の中央、縦に細長いテーブルの上に灯り箱(ランテルナ)を置く。

 左右の壁面には木の棚が置かれていて、タオルかけに似た手すりがついていることから、この小部屋は着替え用の部屋なのかもしれない。

 ディナ先輩はそのままアーチの向こうへと行ってしまう。

 扉は開け放したまま。

 俺とルブルムもアーチをくぐる――けど、ブーツをはいたままでいいのかな?

 湯気の多さと今までの流れからして、ここが浴室なのだろうけれど――なんだこれ。思ってたんと違う。


 奥に向かって細長い長方形の部屋。

 浴槽らしきものは見当たらない。

 床も壁も天井も総タイル張りで、ブーツのままだと滑りそうだ。

 足元が濡れているってことは、どこからかお湯が湧き出ているのだろうか。


 片側の壁にはくぼみが三つあり、それぞれには座れそうな出っ張りまでついている。

 よく見ると各くぼみの上部には小さな穴がいくつも空いていて、そこからお湯が出ているっぽい。

 この出っ張りに座ってくぼみに寄りかかったら、背中から温まりそうだ。

 なるほど。湯船じゃなく、そうして温まるのか。

 お湯はずっと流れ続けているし、座りシャワーみたいな?

 あとこのお湯――臭いからすると温泉ぽくはないけど、ずっと流れ続けているのはどこかから湧いているんだろう?


「ウェスに気を遣わせたな……この湯は、もとは地下水道だ。フォーリーは地下水道が発達していてな、この辺の住宅は全て上下水道を引いてある。あと足下に気をつけろ。テグラは濡れると滑りやすくなる。ブーツで歩いて感触を確かめたら、前室へ戻って脱いでこい」


 テグラ――その単語はリテルの記憶の中にある。

 いわゆるタイルのことだ。

 脳内ではずっとタイルという単語でそれをとらえていたけれど、それについてホルトゥスの言葉で耳にするまではリテルの記憶のテグラと(としてる)の記憶のタイルとが結びついていなかったように感じる。

 帰国子女の人が日本語の中にそれまで居た国の言葉が混ざるの、こういう感覚だったのかな。


「滑っ」


 ルブルムがとっさに俺につかまり、俺もバランスを崩しかけて――何とか踏みとどまる。

 マンガならこういう時、二人一緒に転んでラッキースケベ的な展開なんだろうけれど、もしそんなことになろうことなら、ディナ先輩をどれほど怒らせることだろう。

 よく耐えた、俺。


 でも確かにすごい滑りはする。

 この世界の靴は、サンダルかブーツ。

 季節や仕事内容によって履き分けもするが、靴底はどちらも同じただの革。

 ゴム製品がないこの世界で、単なる革な靴底は体重がかかると予想以上に滑る。

 氷の上を歩くのと似ているな。

 そういや氷の上、じいちゃんが生きてた頃はよく歩いたな。

 元の世界で、父方のじいちゃんは宮城の山奥の方だったから、冬に遊びに行ったときは近所の凍った池の上で遊んだりもした。

 懐かしいな……あの頃を、冬の池での思い出を、利照の記憶を呼び起こす。


 重心を下げ、体重は足にかけるのではなく体の中心に置くイメージで、その中心をキープしたまま体の向きを変えつつ滑り進む――そうそう、こんな感じ。

 ルブルムも俺の真似をして同じように移動し始めたけど、これ股をがっつり開く状態になるので、紳士としては視野を周辺へと広げて対応する。


「ある程度把握したら、靴を脱いでこい」


 言われた通り裸足で歩くと、さっきより全然歩きやすい。

 足の裏の天然グリップ力はすごいな。


「脱いだ方が歩きやすい!」


 ディナ先輩が俺たちに様々な経験をさせてくださるのは、俺たちのこの世界に対する経験値の少なさを補わせるためな気がする。

 寄らずの森の外へ出るのが初めてのルブルムに、村や元の世界での知識しかない俺。

 本当にありがたいことだけど……マジで洗いっこするんですか、これ。


 お湯の流れるくぼみの椅子。

 その一番出口に近い場所にルブルムは腰掛けた。

 俺はその前にしゃがまされ、傍らには洗い液(サーポー)の入ったコップ。

 コップから洗い液(サーポー)を手ですくい、泡立ててから、そのまま泡の手で体をこするとのこと。

 手で。直に。

 俺の手で、ルブルムの体を。


 俺の目の高さは、無防備に座るルブルムのへそのあたり。

 見るだけというのはかなり慣れたけれど、触るのはなんか紳士としてもヤバい気がしている。


「ど、どこから洗えばいいですか……」


 俺が戸惑っていると、真横に立っていたディナ先輩は自分の右足をルブルムの右足の甲の上に静かに重ねた。

 足先ならまだ楽勝と手を出そうとしたそのとき、ディナ先輩が消費命(パー)を集中するのを感じる。


「ルブルム、これから教える魔法を覚えろ」


 このタイミングで魔法?

 もしかして一瞬にして全身を綺麗にする泡の魔法――なわけ、ないよな。

 ディナ先輩がこういうタイミングで――いやどんなタイミングであっても教えるのは生き残るための(すべ)

 俺はすぐさま後ろへと跳び退(すさ)る。

 直後、ディナ先輩の右のつま先に、透明な刃状のものが現れた。

 その先端は、さっき俺が座っていた腰のあたりまで伸びている。

 刃は一呼吸置いたくらいで水へと形を戻し、流れて消えた。


「もしかして、水を、刃に変える魔法ですか?」


「ああ、その通り。触れている水を刃へと変える。『水刃』という魔法だ。刃の形は自在。効果時間はほんのわずかだが、その分、刃の硬度は高い。触れている水量が多ければ長い刃も作れるが、大きい刃を作る場合は一ディエスでは足りない。攻撃動作を最小限に抑えられるのと、魔法代償が一ディエスで良いのとで、気づかれにくい。とは言え、トシテルは避けられなかったらどうしてくれようという所だったがな」


 あっぶねー。

 油断できない。

 洗いっこに惑わされなくて本当に良かった。

 いくら傷は魔法で治せるといっても、急所直撃の痛みは、傷ムカデに咬まれるのに負けず劣らずなんじゃないの?


「ルブルム、大抵の男は、ぶら下げているものを切り落とせば狼狽(うろた)えて隙ができる。ちなみに袋の方は、切り落とすよりも叩き潰した方が、相手を無力化できる時間が長くなる。とはいえ服を着ている場合は、股間に小さな防具をつけている場合もあるから油断するな」


 ルブルムは熱心に聞いている。

 恐ろしい。

 ここは修羅の国だ。

 この人たちは天使の皮をかぶった修羅だ。

 無事だったってのに、俺の股間はまだソワソワしてる。


「トシテルも少しは惑わされないようになったか? 体を冷やさぬよう、お前も先に座れ」


 ディナ先輩はそう言うと、三つある窪みの一番奥へ座る。


「はい」


 俺は必然的に真ん中だ。

 ここは修行が終わったと思ったりはせず、警戒は継続した方がいいだろう。


 とはいえ、肩を打つお湯の温もりには癒される。

 左手に封じられた傷ムカデは、灯り箱(ランテルナ)の光によりできた影の側に蠢き続けている。

 魔法代償(プレチウム)の消費さえしなければ、多少(うごめ)かれても無視できるくらいには慣れた。

 しかしまだ、この腕で弓の精度を保てているかどうかまでは試していない。

 射る時には集中力がかなり大事だから……左手で弓を握る構えをしてイメージトレーニングしている俺の前に、ルブルムが突然しゃがんだ。


「私が洗う番だ」


 いや俺は結局ルブルムに触れてもいませんが――俺があっけにとられている間に、ルブルムは洗い液(サーポー)のついた手を、無造作に俺の股間へと伸ばした。


● 主な登場者


有主(ありす)利照(としてる)/リテル

 猿種(マンッ)、十五歳。リテルの体と記憶、利照(としてる)の自意識と記憶とを持つ。魔術師見習い。

 ラビツ一行をルブルム、マドハトと共に追いかけている。ゴブリン用呪詛と『虫の牙』の呪詛と二つの呪詛に感染している。


・ケティ

 リテルの幼馴染の女子。猿種(マンッ)、十六歳。黒い瞳に黒髪、肌は日焼けで薄い褐色の美人。胸も大きい。

 リテルとは両想い。熱を出したリテルを一晩中看病してくれていた。リテルが腰紐を失くしたのを目ざとく見つけた。


・ラビツ

 久々に南の山を越えてストウ村を訪れた傭兵四人組の一人。ケティの唇を奪った。

 フォーリーではやはり娼館街を訪れていたっぽい。


・マドハト

 ゴブリン魔法『取り替え子』の被害者。ゴド村の住人で、とうとう犬種(アヌビスッ)の体を取り戻した。

 リテルに恩を感じついてきている。元の世界で飼っていたコーギーのハッタに似ている。街中で魔法を使い捕まった。


・ルブルム

 魔女様の弟子である赤髪の少女。整った顔立ちのクールビューティー。華奢な猿種(マンッ)

 槍を使った戦闘も得意で、知的好奇心も旺盛。念願のリテルとの見せ合いっこがようやくできた上に触ってます。


・アルブム

 魔女様の弟子である白髪に銀の瞳の少女。鼠種(ラタトスクッ)の兎亜種。

 外見はリテルよりも二、三歳若い。知的好奇心が旺盛。


・カエルレウム

 寄らずの森の魔女様。深い青のストレートロングの髪が膝くらいまである猿種(マンッ)

 ルブルムとアルブムをホムンクルスとして生み出し、リテルの魔法の師匠となった。『解呪の呪詛』を作成中。


・ディナ

 カエルレウムの弟子。ルブルムの先輩にあたる。重度で極度の男嫌い。壮絶な過去がある。

 アールヴを母に持ち、猿種(マンッ)を父に持つ。精霊と契約している。トシテルをようやく信用してくれるように。


・ウェス

 ディナに仕えており、御者の他、幅広く仕事をこなす。肌は浅黒く、ショートカットのお姉さん。蝙蝠種(カマソッソッ)

 リテルに対して貧民街シャンティ・オッピドゥムでの最低限の知識やマナーを教えてくれた。


・『虫の牙』所持者

 キカイー白爵(レウコン・クラティア)の館に居た警備兵と思われる人物。

 『虫の牙』と呼ばれる呪詛の傷を与える異世界の魔法の武器を所持し、ディナに呪詛の傷を付けた。




■ はみ出しコラム【病気の治療】

 ホルトゥスにおける病気として日常的に接するものは「虫歯」「風邪」「水虫」である。

 ペスト、天然痘、コロナなど菌やウイルスによる大規模な病気被害はホルトゥスでは発生していない。

 それ以外の細かな病気の症状については枚挙にいとまがないため、ここでは挙げない。

 ホルトゥスにおいて、病気の治療方法は主に以下の四種類となる。


・寝て治す

 基本であり王道の治療方法。

 生活にゆとりがある状況であれば栄養と睡眠とが推奨される。


・薬師

 その地域における薬草や毒の知識に詳しく、患者から症状を聞き、それに合った対処療法を行う。

 組合(コレギウム)はなく、それぞれの地域で細々と、徒弟制で代々受け継がれている場合が多い。

 治安の良い国の場合、王直属/領主直属の監理官を通じて、情報交換や、治療に必要な道具や素材の補助が行われる場合がある。

 また、大抵の貴族は独自の薬草園を所持し、国や領主直属の薬師も存在する。


・医師

 ホルトゥスにおける「医師」とは、主に国や領主に仕え、知識の管理をする仕事である。

 医師は組合(コレギウム)を作り、それぞれが見聞、経験した知識を蓄積し、定期的に交換している。

 医師の職に就く者は、薬師か魔術師を兼ねる者が多く、ときには治療も行うが、ウェイト的には研究が主である。

 彼らの管理する知識の中には、偶に転生者より持ち込まれる医学知識なども含まれ、また、医師の知識が魔法による治療を行う際の魔法代償(プレチウム)量で世界の真理(ヴェリタス)かどうかが判断され、日々取捨選択されているため、瀉血のような謝った医学知識は蔓延していない。


・魔法

 各種解毒や大きな傷の治療などを行う。

 大抵は対価として治療に必要な魔法代償(プレチウム)に色を付けて要求される。

 魔術により治療を行うことを明示的に掲げる魔術師は、基本的には魔術師組合が存在する都市部以外では見かけない。

 魔法が頼られるシーンは、命に関わるような速度が求められる場合や外科的な治療が必要になる場合が主で、軽微なものや薬による治療が確立されているものは薬師や自己回復力にて治療することがほとんどである。


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