爺、船旅にてかく語りき
明けましておめでとうございます。
今年も宜しくお願い致します。
相変わらず亀更新になってしまいそうですが、ひとまず新章開幕です。
薄暗い闇の中、蝋燭のぼんやりとした灯りに照らされた影法師たちが壁から天井へと背を伸ばす。中央にはもうすっかり使い込まれてささくれだった木製の長テーブルが一つ。
「なあ」
もう随分と続いている沈黙に耐え切れず、向かいに座る大男、剃髪した頭に龍の鱗の入れ墨を走らせた益荒男に声をかける。
しかし男は応えない。ただテーブルに両肘を付き、口元を隠すように手を組んで神妙な顔つきでじっとテーブルの中央で揺れる蝋燭の火を見つめていた。
「なあ、おい」
そんな様子に尻尾を一振り、私は背もたれのない丸椅子をがたつかせて背後に控える女に視線を投げた。くすんだ金髪がこの薄暗がりでより鈍色を帯びており、どこか哀愁を湛えた蒼い瞳は陰鬱とした夕立の空を彷彿とさせた。
がたがた。
がたがた。
まるで駄々を捏ねる子どものように椅子を鳴らす私であったが、返ってきたのは何かを諦めたような小さなため息だけだった。静かに目を伏せ、首を横に振る女、シエラ嬢の様子に私は眉を歪める。ならばと向かいの大男、ローズ団長殿の後ろにいる盲目の美女に視線を投げるも、これも柳に風といった様子。では少し離れたところで、我関せずを貫いている眼鏡の男はどうか。
「なあ、なあ、おい」
今度は翼も広げて主張してみたが、これも駄目。男は指先で眼鏡の位置を直すふりをしながら、困った様子で腰から上ごとそっぽを向いてしまった。
先程から、もう随分とこんな感じである。私は神妙になってしまった雰囲気の中でこれ見よがしに眉間に皺をよせ、ため息を吐いてみせると丸椅子から立ち上がり、テーブルから身を乗り出すように翼を向かいに座る大男――その後ろで垂れ下がっていたカーテンに伸ばし、勢いよく開け放った。
「うわっ」
背後でシエラ嬢が焦ったような声をあげる。
カーテンの奥から勢いよく飛び込んできたのは、目の覚めるような爽やかな陽の光であった。嵌め込まれた窓枠の向こうには澄み切った青空が広がり、甲板からは慌ただしく走り回る男たちの喧騒が聞こえてくる。
そうしてカーテンを全て開け放ってしまえば先程までの陰鬱とした雰囲気はもうすっかり取り払われ、何とも困り果てた女が二人と男が一人、そしてそんな中でさえいまだ神妙な構えを崩さずにいる女(仮)が一人。
「あのな、話はわかったが、まだ漫才を続けるなら私は自分の船に帰るぞ」
「あらやだ。こういうのは雰囲気が大事なのよシエラちゃん」
私がため息混じりに眉間を揉めば、ようやく顔をあげた団長さんが科を作りながらこちらにウインクを投げる。そして、まるで親が子どもを咎めるような様子でそのごつごつとした人差し指を立ててみせた。
「それにほら、さっき決めたばかりじゃない。口調と、立ち振る舞い。ダメじゃないちゃんと意識しなくちゃ」
「いや、そう言われてもなあ」
「団長、本当にこれで上手くいくのかよ。言っちゃなんだけど、龍とはいっても獣みたいに生きてきた奴だぞ」
本当に失礼だな。いや事実なのだけれど。
――無人島から旅立って早くも三十日が経とうとしていた今日。船長室に呼び出された我々を待っていたのは先程までの、団長さん曰く雰囲気たっぷりの暗がりが一つと、重要な議題が一つ。
その内容とは、もう今日にも到着するであろう彼らの母国においての、私の身の振り方であった。
今更言うまでもないことだが、私は龍である。それも、おとぎ話などに登場するような生易しいものではない。人では抗いようのない嵐や洪水、津波、地震、あるいは火山の噴火のような、自然そのものが形を持ったような超常的な存在が龍であり、故にこの世界の人々はそれを畏れ、己たちに害が及ばぬようにと祈り、どうか我々を御守り下さいと奉ってきたのだ。
時が経ち、その存在が伝承となり半ば風化した今でなおその信仰は根深く、聞くところによると彼らの国には立派な教会まで建っているという。
そんな存在が、私なのだ。
いや、正確には日本という国で百年近く生きた爺の魂を取り込み、混じり合った異端ではあるのだが、ともかく私はそういったものである。しかし二十八年も無人島で暮らし、人恋しさからシエラ嬢、団長さんに引っ付いてきた私ではあるが、ここで問題となったのがまさにそこだった。
例えるならば、どこぞの宗教のシンボル的な聖人が、また復活しちゃった、なんて言いながらひょっこり聖地に顔を出すようなものだ。これで偽物扱い、おふざけ扱いで相手にもされないならまだいいが、まあ棒で殴られるか、石を投げられるかはするだろう。
一番最悪なのは、本物扱いされて神輿に担ぎ込まれた時だ。シエラ嬢たちの故郷は王国、つまり単純に言えば王様が一番偉い国だ。投票で決まった民主主義的な代表ならまだしも、国のシンボルとして王が君臨するところに私が龍ですと大手を振って出ていくのは大変宜しくない。
宗教というのは力だ。私が生きていた世界では宗教戦争という言葉があったぐらい、宗教というものは恐ろしい。ただでさえ龍という、いつ爆発するかわからない歩く核爆弾のような存在だというのに、ここに信心という厄介なものまで加わってくるともう歯止めは効かないだろう。
まず崩落する。国が。
私を、龍を神輿に乗せて国を都合よく動かそうと、あるいは作り変えようとする者が必ず現れる。或いは龍という核弾頭を御しきれると思い上がった人間が、必ず。
そういうものだ。そういうものなのだ。
だからこそ、団長が提示してきた案はその内容こそ、それはもう、私が苦虫を百匹単位で嚙み潰したような渋面を晒すようなものであったとしても、その価値は計り知れないものであった。
しかし、だからといって――
「世界の果ての果てで見つけた異種族の姫君って、それはちょっと、張子の虎にしてもお粗末すぎやしないか」
つまりは龍じゃないですよ、角と翼と尻尾がありますけどそういう種族なんですよと、そういう風に収めてしまおうというのだ。現にそういった、角があったり羽が生えていたりトカゲのような尻尾を持っていたりと、その全てを含むものはまだ見つかっていないが、似たような種族は確認されているし、交流もあって人々の認知度もそれなりに高いらしい。
まあそれはいい。名案だとも思う。
だがしかし、それで私がなんぞ高貴な身分にされてしまうのはまた話が別ではないだろうか。
「ダメよ。シエラちゃんったらすっごく綺麗なんだから。それに、お姫様ってことにしておかないと色々と辻褄が合わなくなるだろうしネ」
「いや、だからといって、今からそれらしくしましょうというのは……」
それらしく。
あえて濁した物言いでそう口にしたのは、それが私に残された最後の砦というか、超えてはいけない分水嶺というか、そういうものであったからだ。
いやもう、三十年近くもこの身体で生きてきて今更何をという話ではあるのだが、私にだって心の準備をする余裕ぐらい欲しいというか、そういうことである。
「ダメダメ。もう時間もあんまり無いし、ここにいる皆でびしびしイクわよ」
「ええっ、僕もですか!?」
思わぬところからの飛び火に、部屋の隅っこで縮こまっていた男がぎょっとして目を丸くした。たしかフライデーという名前だったか。背丈はそれなりにあるが、気弱そうに丸まった背中と肩のせいで一回りは小さく見える、いわゆる学者さんというか、あけすけなく言ってしまえば根暗な印象を受ける人物である。
「当り前じゃない。フライデーちゃんには王国での一般常識、まあ座学ね、その辺りをお願いするわ。貴方が一番、そういうのは得意そうだし」
「そんな、そういったことならアイビスさんだって得意じゃないですか!」
「アイビスちゃんには風読みのお仕事があるからダメ。もう王国は目と鼻の先だけれど、だからこそ気を抜くわけにはいかないわ。船長ちゃんは引き続き、身の回りのお世話をお願いネ」
「団長はどうするんだよ」
「私は淑女としての立ち振る舞いを、ネ。さあ、のんびりしている時間も無いし、びしびしイクわよ!」
「いや、私の意見は。私に拒否権はないのか」
「ないわネ!」
言い切ったな。
それはもう、清々しい程のイイ笑顔だった。
背後で揺れていた尻尾が、力なく床へ垂れる。
「まあ、団長の言うことにも一理あるしな。諦めろ」
そう言って私の肩を叩くシエラ嬢の顔には、どこか諦観したような色があった。どうやら彼女自身色々とあったらしいが、この期に及んで藪蛇は真っ平ごめんであるので私は見て見ぬふりを決め込もうと心に誓った。
王国まで、あと三日。
これまでにはなかった類の試練に私はほんの少し、爪の先ほどだけちらりと、この船に乗ったのは間違いであったと、そう後悔するのだった。




