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掘る

お待たせしました。


 翌日。

 寝床から這い出して見上げた空にはもう浮島の姿はなく、雲一つない気持ちの良い青空が広がるばかりであった。

 ぐっと背伸びをし、ついでに翼と尻尾もぴんと伸ばす。そのままラジオ体操をするように体中をしっかりとほぐした後に泉の冷たい水で顔を洗えば、微睡んでいた頭もすっかりと冴え、四肢に力が漲ってくる。


「さて、今日も今日とて働きますか!」


 両手で頬を張り気合も十分、私は森へと入る。もはや毎日の日課となりつつある薪集めやら木の実拾いをさっさと済ませると、集めたそれらを洞に放り込んで足早に海岸へと向かった。

 今日は食料集めなど必要最低限のことは昼までに終わらせて、残った時間で粘土を集めて土器作りに手を付ける予定であったのだ。

 何度も往復するうちに踏み慣らされて獣道になりかけている川辺の道を進み、いつもの潮だまりで貝を集める。今回は、いつもよりも大きなヤドカリを何匹も見つけることができた。

 しかし、あまり獲りすぎると生態系のバランスが崩れ、安定して手に入れることができなくなってしまう。この辺りの見極めが、素人の自分にはひどく難しい。

 人の手が入っていない、命に満ち溢れた環境であるが故に、自身が周囲に与える影響がどのような変化をもたらすのか。

 今は生きることに精一杯でそこまで考える余裕もないが、やりすぎて手痛いしっぺ返しを食らう前に、ある程度の自制は必要だろう。

 それこそ前世において美味であるから、利用価値が高いからと乱獲され、人間の手によって絶滅した生物は嫌というほど見てきたのだから。

 

「うん、これぐらいならば大丈夫だろう」


 あくまで最低限、昼と晩に食べる分だけをココナツの殻に入れて拠点へと戻る。

 日はもうすぐ天辺まで登ろうかというところ。拠点で腹ごしらえを済ませたら、さっそく土器作りに取り掛かるとしよう。

 そう息巻いて拠点へと戻ってきた私であったが、待っていたのは予想だにしなかった信じがたい光景であった。

 あちこち掘り返され、でこぼこになった地面。なぎ倒されたシェルター。寝床にしていた洞からは枯草が放り出され、あろうことか保管していた木の実は根こそぎ食い散らかされていた。

 さらには鼻を突くような異臭が辺りに漂い、私は思わず顔をしかめた。

 どぶ川にも似た、強烈な獣の臭いである。

 放心。

 五秒かけて現状を理解し、十秒かけて過去の経験から似たような出来事を引っ張り出す。

 そうして、私は頭を抱えた。


「参ったな、こりゃあ。猪がおるのか」


 穴ぼこの傍にあった足跡を見て、確信する。

 二本指で引っ掻いたような溝の後ろに、押し付けたような丸い跡が二つ。

 田舎で何度か目にした、猪の足跡と一致する。

 地面が荒らされているのは虫を探して鼻先でほじくった後だろう。まさかここに来て、生前手を焼いた獣害に頭を抱えることになるとは思ってもみなかった。

 それも足跡を見る限り、それなりの大物である。

 いやはや、本当に参った。

 木の実が根こそぎやられているのを見るに、十中八九、この辺りも餌場として認識されてしまっただろう。となれば、ここで私が安心して暮らしていくには元を断ってしまうしかない。

 つまり、捕獲して殺す。

 私が別の場所に移住するという選択肢もあるが、この島にここと同等以上の恵まれた場所があるとも限らない。やるしかない。

 幸い、これほどの大物となれば、得られる肉は相当な量になるだろう。それこそ、うまく燻製などにすれば一週間以上は食うに困らない。

 では次に考えるべきは、どう捕らえるかだ。

 食うためならば、括り罠だろう。

 罠を踏んだり、鼻先を突っ込んだら引き金が落ち、輪っかにした縄が獲物を捕らえる。

 これならば生きたまま捕獲できるので、絞めた後すぐに解体すれば新鮮な状態を維持できるので味が落ちにくい。

 しかし暴れまわる獲物にトドメを刺す必要があるので、多少のリスクも伴う。

 安全にやるなら、落とし穴型(ピットフォール)が確実だ。

 2メートルほどの深さの穴を掘り、底の部分に尖った木の棒を並べるだけの簡単な罠だが、獲物を落下させ、刺殺するので自らトドメを刺す必要がない。

 ただこちらの場合は獲物が死んでから発見するまでの時間差で肉が悪くなってしまうことが多い。食べられなくはないが、味は相当に落ちる。

 味か、安全か。悩むべくもなく、結論はすぐに出た。

 落とし穴型でいく。

 この小さな体で、巨大な猪を相手取るのはあまりにも無謀と判断した。

 そも、プロの猟師が銃を使ってなお苦戦する相手なのだ。素人が石槍や石斧でどうこうできるようなものではない。

 さて、そうと決まれば早速罠作り、の前に腹ごしらえである。

 腹が減っては戦はできぬ、ではないが、空きっ腹のままで作業にも身が入らないというもの。

 幸いなことにまだ燻ったままであった焚火に薪をくべ、大きくしてからいつも通り貝たちを石焼きにしていく。

 そうして貝を焼いている間に、私は猪に荒らされた拠点周辺の手入れを始めた。

 掘り返されたところを埋めなおし、とっ散らかった薪を集めなおす。

 そうしているうちに浮かんできたのは、何故今になって猪がやってきたのか、という疑問であった。

 見た目によらず猪は非常に賢く、警戒心の強い動物だ。

 飛び越えられる高さの柵があっても、その向こうに何があるのかがわからなければ決して侵入してこないし、下手な罠なら易々と回避してしまう。

 場合によってはウリ坊(我が子)に罠がないかを確認させ、罠だった場合は自分だけ逃げてしまう、なんて話があるほどだ。

 真偽の程は定かではないが、まあ、それほどにずる賢い奴なのだ。

 そんな猪が、明らかに人の気配が残っているこの場所にやってきて、餌場にするだろうか。

 あるいはずっと以前から私を観察していて、脅威にはなり得ないと判断されたかだが、自分で言うのもなんだが今の私の姿はそれなりに攻撃的だと思う。爬虫類的な尻尾もあるし、足にはいかにも武器になりそうな鋭利な爪だってある。

 野生の動物ならば、それこそ警戒されそうな見た目をしている。

 となると考えられるのは、この島に天敵となる動物がおらず、他の生物への警戒心が退化しているか。

 地球においても、一部の地域に生息する生物は周囲を警戒することもせず、まるで殿様のように我が物顔で生き続けているものがいる。

 それは自身が生態系の頂点に君臨しており、他の生物から害されることが一切ないことを自覚しているからだ。

 今回拠点を荒らした猪も、その類なのかもしれない。

 もっとも、そもそもこの空の孤島でどうやって猪が誕生したのか、という根本的な疑問が残るが。


「ごちそうさまでした。うし、それじゃあひと働きするかね」


 昼食を平らげた後は、さっそく罠作りに取り掛かる。

 石斧を片手に森へと入ると手ごろな木々を切り倒し、拠点まで運んだあと枝を落とす。

 十分な量の木材を集めたら、次は罠を仕掛ける場所に穴を掘っていく。無論、スコップやシャベルなんていう便利な道具があろうはずもなく、使うのは手ごろな大きさの石のみである。

 これがまた重労働で、拠点から海岸まであれだけ歩き回っても息すら切らさなかったこの肉体をもってしても、腰ほどの深さまで穴を掘ったころには体中に玉のような汗をかき、腕など僅かに痙攣するほどであった。

 しかし、収穫もあった。

 つい先日雨が降った後、随分と水はけの良い土地だと驚いたものだが、掘ってみればその土質は粘性の低いさらりとした砂質の層が多かった。おそらくは、この土質も水はけの良さに繋がっているのだろう。

表面には腐葉土が積み重なっているし、上手く手を入れれば良い野菜が育ちそうである。

 まあ、その育てる野菜が手に入ればの話ではあるが。

 そうして一休みした後、私はまた穴掘りの作業へと戻る。

 相手が予想以上の大物だった場合も考慮すれば、せめて私の背丈ぐらいまでは深くしておかなければならない。

 痺れる腕を振り、じんわりと痛み始めた腰をさすりながら穴を掘り続けること数時間。

 ようやく頭のてっぺんまで隠れるほどの穴を掘り終えた頃には、辺りはすっかりと暗くなっていた。

 あとはここに先端を削って鋭くした木の棒を仕込んで完成なのだが、暗がりでの作業は危険な為、続きは明日の早朝から始めることにする。

 

「まあ、とりあえずはひと段落だなあ」


 穴倉からよっこらしょと這い出した私は、そう言ってぐっと背筋を伸ばした。

 長時間身を丸めて作業していた為か、全身の骨が小気味のいい音を立てる。

 それにしても、今日は随分と汗をかいてしまった。

 こんな時は熱い風呂にでも入ってさっぱりしたいものだが、残念ながらこの島にそんなものはない。泉での水浴びぐらいがせいぜいだろう。今はそれで十分だ。

 焚火に薪をくべ、焼きヤドカリに舌鼓を打ちながら、私は猪を捕らえたらどう食らってやろうかと、そんなことを考える。

 まだ姿すら見てもいないのに、我ながら呑気なものだ。

 とらぬ狸のなんとやら、そんな風に笑いながらも、やはり食い気のほうが勝ってしまう。

 焼くか、茹でるか、食いきれない分は燻製にして保存食に、油はラードに加工できるかもしれない。

 さらにその毛皮は着てよし、敷いてよしと用途は様々、骨も道具の素材にでき、加工すれば釣り針にもなる。

 今の私にとっては、まさしく宝箱のような存在だ。

 しかしそれも、仕留めることができればの話。

 相手は武装した人間すら返り討ちにすることすらある大型の獣だ。油断すれば、食う食われるの立場はあっさりと逆転する。

 まさしく弱肉強食。自身が自然の生態系の中に立っているのだと自覚し、私は震える手を固く握りこんだ。

 空を見上げる。

 星々は相も変わらず、みっともなく足掻く私を嘲笑うかのように可憐に瞬いていた。


要約「貴重なたんぱく質です。捕まえて食べたいと思います」

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