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打って、砕いて、磨いて

 最悪な朝だった。

 寝床である(うろ)の中で私は、どんよりと暗い雲が広がる空を睨みつけた。

 雨である。

 とはいえその規模は小雨程度で、ジャングルで発生するスコールのような強烈なものではないが、この天気では外で焚火はできそうにない。

 降り始めたのは早朝のことで、すぐに気が付いて火種と薪は洞の中に退避させたので火は無事だが、さてさてどうしたものか。

 あまり体を冷やすわけにもいかないが、雨が止むまで洞の中に引きこもっているのも時間がもったいないように感じる。

 それに事前にある程度集めていた薪はともかく、食料は備蓄していない為、どのみち外には出なければならない。

 意を決し、私は洞から出て海岸へと向かった。

 しとしとと降り注ぐ雨が体を濡らし、熱を奪っていく。なるべく雨に打たれないよう木々の密集した場所を選んで進んでみたが、それでもやはり、葉から零れ落ちる無数の雫までは避けようがない。

 雨の影響か先日よりも少し水位が高い気がするが、貝を採るのには何ら支障はない。

 狙うのは昨日採ったイシダタミガイ、カメノテだが、今回は新しい発見もあった。

 潮だまりの岩をひっくり返して見つけたのは平たく、楕円形の貝。

 外見はアワビそっくりだがその大きさは一回り以上小さい。


「これは、トコブシか」


 地方によってはその形からゴケンジョとも呼ばれる貝で、これも無毒で食べても問題ない。

 人の手が入っていない為か、この島は本当に自然豊かだ。

 この調子なら、少し潜ればサザエなんかも採れるかもしれない。

 さて、十分な量の貝も採ったし、ここからは拠点に帰って道具作りだ。

 帰り際、川の傍で利用できそうな石も集めておく。

 打ち付けた際に金属のような高い音を出すものが、打製石器としては理想である。

 黒曜石辺りが見つかれば万々歳であるのだが、あれはマグマが冷え固まって出来るものなのでこの辺りではまず見つからないだろう。

 まあ黒曜石といわず、薄くガラス質な鉱石ならどれでもいいのだが。

 せっかくの異世界なのだから、ミスリルやオリハルコンなどの如何にもファンタジー的な鉱石でも見つからないものだろうか。

 そうして十ほど手ごろな石を拾い集めると、それを両手に抱えながら拠点へと戻った。


「おお寒い寒い。やはり濡れっぱなしは冷えるなあ」


 ぶるりと肩を震わせ、ちろちろと燻る焚火を消してしまわないよう注意しながら体中の雨粒を振るい落とす。

 濡れ鼠ならぬ、濡れ蜥蜴(とかげ)となった私はずぶ濡れになった髪を束にしてぎゅっと絞る。   

 しとりと水気を含んだ銀の髪もまた艶やかで美しいが、乾かさないことには体中に張り付いてしまって色気も減ったくれもない。

 ああ、今回は腰みのまで水浸しである。これは少し干しておかないと痛んでしまうだろう。

 仕方がないので腰みのを外し、焚火の傍に石を置いてそこに寝かせておく。

 こうしておけば、焚火の熱でじきに乾くだろう。

 焚火に薪をくべ、火を大きくしたところで先日世話になった石板を置く。

 下からごうごうと熱し、調理に使えるようになるまでは持ち帰った石を使っての道具作りである。

 作り方はいたって簡単だ。硬い石で、柔い石の縁を叩く。

 だがこれがまた意外と難しい。力加減を間違えれば真ん中から二つに割れたり、刃として使えるほど鋭利にならなかったりする。

 重要なのは打点と、力の向き。

 ハンマー代わりの硬い石を正確に、最適な位置へ最適な角度で打ち込む。

 石に対し、直角に力を加えてはダメだ。

 イメージとしては斜め上から入り抜けていくような、石を掠めるぐらいの感覚で打つ。

 打って、割る。

 割って、割って、理想的な形へ整えていく。

 とはいえ、その形は金属製のナイフなどに比べると随分と武骨で、不細工なものだ。

 だがその切れ味はナイフに比肩しうる。人類最古の刃である。

 打って、打って、打って。

 真ん中で、ぱかりと割れた。

 こうなっては全てご破算。また一からやり直しだ。

 もんどりうって、苦々しいうめき声が喉の奥から絞り出た。


「くあー、なんとも細かい仕事だなあ」

 

 向こう(・・・)に遺してきた、あの気立ての良い妻ならばうまくやるだろうか。

 あいつは粗野な私なんかと違って器用であるから、小さな細工や裁縫などそれはもう驚くほど綺麗に拵えていた。

 一度興味を持ってご指南を願い出たこともあったが、半日かけて手拭いではなくぼろぼろの雑巾が出来上がった時などは、妻と一緒に大笑いしたものだ。

 ああ、何とも、懐かしい。

 ふとそんなことを思い出した。

 ゴケンジョ。トコブシなんか獲ってきたからだろうか。

 志摩だったか、一部の地域では二枚貝に似ているのに一枚しか貝殻を持っていない姿から夫を亡くした未亡人、つまりは後家に例えてそう呼ぶのだそう。

 いやはや、なかなかうまいことを言うのもだ。

 いや、妻を未亡人にした私が言うべきではないのだろうが。

 あれは本当に良い、私の最期も笑って看取ってくれるほどの良妻であったが、まだ元気にやっているだろうか。

 娘や息子、孫たちに囲まれて幸せにやっているのなら、なによりであるのだが……。

 冷え切った体の奥の奥。ずっと深いところにじんわりと温かい何かを感じながら、また石を打つ。

 打って、打って、打って。

 持ってきた石ころの数が倍に増えようかというところで、ようやく一つ目の打製石器ができあがった。

 持ち手を含めても手のひらほどの小振りな石器ナイフだが、魚や動物の解体ぐらいなら問題はないだろう。

 次は薪などの木材を集めるための斧を作る。

 用いる石はナイフ用のものよりも大きく、楕円形のものが望ましい。

 そして用意した石の先端、刃となる部分をなるべく細かく、小さく打ち割っていく。

 ここで大きく割ってしまうと木材に打ち付けたと時に簡単に砕けてしまうし、この後の工程にも支障が出てしまう。

 細かく、細かく、のこぎりの刃を作るように。

 そうしてある程度成形した後は、その細かい刃を他の石で研磨(・・)していく。

 勿論、なるべく滑らかなものを砥石として選んだが、それでも細かな凹凸はあるし、なにより磨き上げるのは精錬された金属ではなく、川辺で拾ってきた石だ。それなりに時間はかかってしまう。

 磨き、磨き、磨き。

 時折、研磨剤として雨水や砂利をまぶしながら一心不乱に研磨を続ける。

 没頭し、かなりの時間が経ってしまったことに気が付くのは薪が少なくなり、焚火が白い煙を吐きだし始めた頃であった。

 

「ああいかんいかん。まったく、何かに手を付けだすとすぐにこれだ」


 参った参ったと笑いながら、燻る火種に薪をくべる。

 石板もちょうどいい塩梅に温まっているようだし、ひとまずは少し早い夕餉といこう。

 とはいえ食卓に並ぶのは昨日と同じイシダタミガイにカメノテ、あとは新しく発見したトコブシと貝尽くしではあるのだが。

 彩り、いや栄養的には野菜と、やはり肉が欲しいところだが、日が沈めば月明りだけの闇夜が広がるこの島では探索に割ける時間も限られてくる。

 時間をできる限り効率的に、計画的に使うことが肝要だ。

 ともあれ、朝はまず薪拾いと木の実集めに時間を使いたいので、そこから余った時間で探索、帰りの足で海岸に立ち寄り食料調達。今のところはこれが最善であろうか。

 雨の日はこうして道具作りに専念すれば良いのだが、そうなるとこの洞の中では少しばかり手狭だな……。

 雨が降る度に火種を移すのも手間であるし、先々薪を干したり調理をする場所も必要になってくるので、道具を拵えた後はまず拠点の拡張に手を付けるべきか。

 幸い材料は豊富にあるので、まあ、半日かそこら時間をかければ足りるだろう。

 そうしてうんうん唸っている間に貝が焼け、昨日の調子でほじくり出し、食らう。

 今夜のお楽しみは勿論、トコブシだ。

 見た目は小さなアワビそのもので、味もアワビに似ており肉厚で、しっかりとした歯ごたえがあり美味い。

 数が少ないのが残念だが、それでもこの見た目と味は、ちょっとした幸福感を得るには十分すぎるものであった。


 「ご馳走様でした。さて、もうひと頑張りするかあ」

 

 手を合わせ、じんわりと温かくなった腹をひと撫で、作業を再開する。

 しとしと。

 しとしと。

 心地よい雨音に耳を傾けながら、ただひたすらに石を研磨していく。

 磨いては水を足し、刃の具合を吟味し、また磨く。

 持ってきた石が良かったのか、それともこの肉体が持つ底なしの体力のおかげか、研磨作業は想定していたよりも早く終えることができた。

 表面はとてもなだらかな、それでいて鋭利な石の刃。

 磨製石器の完成だ。

 あとはこれを木製の柄に嵌め込んで固定すれば、原始的な石斧が出来上がる。

 その柄の部分に関しても、もう材料は揃えてあった。薪拾いの時に、後々利用できそうな大きな枝も拾い集めていたのだ。

 勿論、このままでは使えない。先端に石器を嵌め込む為の穴を作る必要がある。

 本来ならば木材などを削る(のみ)やら、それに代わる石器やらを使うのだが、そこはそれ、己の体に便利なものが付いているのでそれを利用する。

 つまり、足の爪を使う。

 熊のような、いや、それ以上に頑強で、鋭利な爪だ。

 であれば、木の皮を剥いだり、獲物の皮を裂いたりなどの、熊が出来る程度のことはできるはずだと、まあそういうことである。


「それじゃあ、よっこらしょっと」


 少しばかりばっちいが、まあこれで食い物を扱うわけでもなし、このサバイバル環境下では四の五の言わず、使えるものは使っとくのが吉だろう。

 爪先を棒の先端、穴を開ける位置にあてがい、ぐっと力を込めてみる。

 すると驚くことに、まるで土に爪を立てたかのように、さっくりと爪先がそこへ突き刺さったではないか。

 ふと、足を浮かしてみる。

 よほど深く突き刺さったのか、棒は落ちる様子もなくぷらぷらと力なく揺れるままであった。なんとも間抜けな光景である。

 

「ははあ、こりゃあ便利だ」


 爪の大きさからして、さすがに細かな加工は無理だろうが、削ったり穴をあけたりする分にはまるで不都合しなさそうだ。

 大発見である。なぜ今まで使っていなかったのか。

 いや、必要となる場面が今までそうなかったからなのだが。

 足を下ろし、棒を両手で抑えながら爪先で少しずつ抉っていく。半分ほど掘り進めたら、ひっくり返して反対側から同じようにして穴を開ける。

 柄が完成したら次はまた石器を加工していくのだが、今度は刃の部分、頭ではなく尻の部分を整えていく。

 形としては三角形に近づけるように、柄に空けた穴にしっかりと嵌る程度の大きさになるよう、石を打ち付けて成形する。

 言うまでもなく、ここで力加減を間違えて石器を大きく破損させても、また一からやり直しだ。失敗は許されない。

 慎重に、慎重に形を整え、穴と合わせて大きさを確認し、また整える。

 何度かその作業を繰り返した後、ようやく私は大きく息を吐いた。


「ふう、よし、こんなものだろう」


 焚火に照らされ浮かび上がったのは原始人が振り回していそうな、絵に描いたような原始的な石斧の姿。

 それでもようやく手に入れた道具らしい道具であることには変わりなく、先程完成させた石器ナイフと並べてみれば、思わず笑みが浮かんでしまう程度には喜ばしい成果だった。

 また一つ、また一歩前へ。

 得も言われぬ高揚感を胸に、私は夜空を見上げる。

 雨は止み、そこには祝福するような満天の星空だけが広がっていた。


本来は剥片石器(薄い石の刃)を使って溝を掘り、炭で燃やしながら穴を空けると良いらしい

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[一言] 乾かさないことには体中に張り付いてしまって色気も減ったくれもない あります!むしろあります!
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