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死闘の末

熱が入って少し文字数が多くなりました。

少しでも臨場感を楽しんで頂ければ幸いです。


 巨鳥との戦いは苛烈を極めた。

 飛び交う炎と風、そして咆哮が二つ。

 甲高い、金切り声に似たものと、地を震わせるような獣のもの。

 足元の雲に映し出された二つの影が交差する。

 迫りくる突撃槍のような鉤爪を胸元すれすれ、紙一重で躱しながら私は思わず舌打ちをした。

 失敗した。

 もしもあの時、あの巨鳥の首元に一撃くれてやった時に少しでも冷静であったならば、今回ここまで苦戦することはなかっただろうに。

 というのも、目の前にいる巨鳥は体格こそ常軌を逸しているものの、その身体の構造そのものは他の鳥類とそう大差ないということがここまで戦ってみてわかってきたからだ。

 であるならば弱点もわかりきっている。

羽の一番外側にある風切羽。これを失えば、鳥はその飛翔能力を著しく失うことになる。

 インコなどの小型の鳥であれば、このクリッピングを行うことで飛べなくすることも可能らしいが、今回に限っては翼自体がジャンボジェット機並みの相手であるので果たしてどれほど効果が出るかはわからないが、少なくとも行動を制限することは出来る筈である。

 しかし、出会い頭に見舞ったあの一撃、湧き上がる怒りに任せ振るったあの一撃で、巨鳥は私が自身に危害を加え得る存在であると認知してしまった。不用意に攻撃を許せば、己の命すら奪いかねない強敵であると。

 対して私は、怒りに支配されていたとはいえ侮った。

 たかだか身体がデカいだけの鳥風情、そう手こずることもないだろうと。

 そしてその結果、私は相手に互角以上の戦いを許してしまっている。

 再びの交錯。

 巨鳥の鉤爪に(ひび)が入り、私の頬に赤い一文字が刻まれる。

 胸いっぱいに空気を吸い込む。身体中の紋様がより一層輝きを放ち、胸が赤熱する。


「があっ!」


 振り向き際、吐き出した。

 (ほとばし)る龍の息吹は赤熱する巨大な(あぎと)となり、触れるもの全てを焼き尽くし溶かし尽くさんとばかりに巨鳥へと迫る。いかに分厚い羽で守られた巨鳥といえど、まともにこの火炎を浴びればひとたまりもないだろう。奴は確かに図体に見合わずすばしっこいが、動き出しの初速は遅く反応が鈍い。私の火炎もそう早くはないが、この距離、このタイミングであれば避けようはない。

 決まった。

 そう確信する程の一撃はしかし、巨鳥の甲高い一声でその勢いを失い、見えない何かに巻き上げられるようにして頭上へと立ち昇り、雲を突き抜けてその姿を消した。

 それは、竜巻であった。

 明らかに自然発生したものではない。だがしかし、巨鳥がその大きな翼を使って生み出したものでもない。何より竜巻が発生した瞬間、あの巨鳥は羽ばたいてすらいなかった。

 前兆も何もなく、ただの一声であれほどの竜巻を呼び出す理解を超えた技、摩訶不思議な能力。

 魔法。

 その単語と共に脳裏に過ぎるは、かつて嵐を操り、嵐と共に現れた龍の姿。

 その規模こそ違えどその根本は恐らく同じもの。

 馬鹿な、とは思わない。

 私だって何の変哲もない喉の奥から火炎を吐くし、明らかに揚力の足りていない翼で空を舞う。

 ここは前世の、地球の常識が通用しない異世界。であるならば、馬鹿げた大きさの鳥が風を操ったところで不思議ではない。

 問題は、その操る風をどう突破するか、ということ。

 炎の吐息はもうあてにならない。相性が悪すぎる。

 いや、要は出力の問題であって、炎と大気という組み合わせ自体は悪いように見えてどうにでもなるのだが、そう易々と切る手札でもない。


「ならばっ!」


 翼を力いっぱい打ち鳴らし、高度を上げていく巨鳥を追う。空中での戦い方などこれっぽっちも知りえない私であるが、頭を押さえられたらまずいことぐらいはわかる。

 距離を取っての戦いは五分かジリ貧、ならば接近戦、取り付いての取っ組み合いなら小回りの利くこちらが有利である筈。

 さらには加速力もこちらが上。馬力はあちらが上だろうが、鳥とはいえあの巨体、重量に加え空気抵抗の差は如何ともしがたい。結果、足元から迫る私に対し、巨鳥は頭上からの迎撃を選択した。迫る鉤爪、早い、が、捉えきれない程ではない。


「っ、の、ちぇえすとおー!」


 急降下し、こちらを串刺しにせんと迫る鉤爪をすれ違いざま一閃。四本のうち一本を切り飛ばしながら胴体を巻き上げ、裂帛の気合と共にその肩口へと切り抜けた。

 太陽の熱がじりじりと身体を焼く。眼下では巨鳥が悲鳴をあげ、もんぞりうって赤く染まった羽をまき散らしていた。

 いける。やはり接近戦では圧倒的にこちらに分がある。

 そしてこれは好機だ。奴が体勢を立て直す前にけりをつける。

 

「だらあーっ!」

 

 尾を丸め、空中で回転。十分に遠心力を乗せた大斧を、いまだ呻く巨鳥目掛け叩きつける。首を落とす、そんな生易しいものではない。頭蓋を割り、トサカから尾羽まで両断するつもりで放った渾身の一撃。

 だが、それほどの一撃でさえ、届かない。

 阻んだのは、またしても不可思議な、不条理な力。

 轟音を伴い撃ち放たれた一撃を止めたのは、不可視の壁だった。

 風の壁。

 唸り、ぎちぎりと不快な音をたてて大斧の刃を阻むそれは押し返す真逆の力ではなく受け流す横の力場。風の流れ。いや、巨大な重量を持つ大斧の刃さえ侵入を許さないそれはもはや激流、鋼鉄の風。

 流される。

 歯を食いしばり、何とか押し通らんとする私の眼前で巨鳥の、氷のように冷たい光を孕んだ黄金の瞳が妖しく光った。

 

「こ、のおっ、があああっ!」


 ああ、なんということか。

 力比べの結果、先に音を上げたのはこちらの方であった。

 目の前で大斧の刃、大岩を削り嵌め込んだそれが砕け散り、残った柄は風の鎧に巻き込まれ文字通り木っ端になる。まずいと思い手を放すも既に遅く、風の鎧は私の右腕さえも巻き込み、それに引き摺られた私をまるでヤスリに掛けるように乱暴に、無慈悲に削り取り、空中へと放り出した。

 幸いだったのは、鱗に守られた翼と足は無事であったこと。そして、風自体に私の肌を、肉を深く傷つける程の威力がなかったこと。

 そのお陰で私は全身から血を流しつつも意識を保ち、すぐさま体勢を整えることが出来た。

 しかし失ったものは大きい。奴に致命傷を負わせることが出来る武器は砕け、風の鎧に直接巻き込まれた右腕は筋肉や腱こそ無事なものの見るも無残な姿となっており、この身体の自己治癒力をもってしても完治まで数日はかかるだろう。 

 何ともまあ、厄介なことだ。

 厄介ではあるが、それは奴さんも同じはず。

 睨みつけるは、静かにこちらを見下ろす巨鳥の胸元。美しい、美しかった白い羽を赤く汚し、なおも流れ続ける深い傷跡。

 私は右手を失ったが、あちらはそれよりも大きなものを失い、そして未だそれを失い続けている。

 その出血量であと何分、何時間動いていられる。

 いかに巨大といえど生物は生物。血を流しすぎればやがて死に至る。

 そう、もうこちらに武器は必要ない。

 奴が動かなくなるまで時間を稼げば、逃げ切れば私の勝ちだ。

 ようやく見えた勝ちの目。

 しかしそれは、私をさらなる窮地へと引き込む悪魔の罠であった。

 ゆらりと、視界の端が僅かに揺らぐ。

 笛の音とも、鳥の声とも取れる高い音色が響いた。

 直後、視界の隅に映り込む異物。

 

「はっ……?」


 ぼろ雑巾のようなそれは、私の腕であった。

 正しくは、私の腕であったもの。

 慌てて己の右腕を見る。無い。肩の少し下、二の腕の真ん中からばっさりと。

 その切断面は、恐ろしく鋭い刃物で切り裂かれたような鮮やかなものであった。

 不思議なことに、その断面から血は流れない。しかし、だからこそその傷口はより一層惨たらしく見えた。

 そうしてくるくると回り、雲の下へと消えゆくそれを見送りながら、私の頭が状況を理解するには数秒の時を要した。

 目の前、巨鳥がその羽を翻した瞬間に大気が歪み、またあの笛の音が響く。

 ぞわりと、背を冷たいものが奔る。

 咄嗟にその場を飛び退いた直後、逃げ遅れた尻尾の鱗ががちりと耳障りな音を鳴らし、何者かを弾き返す感触が伝わってきた。


「くそっ、くそっ、あの野郎、やりやがったな!」


 どうやったか、なんてことは考えるだけ無駄だ。

 魔法。恐らくは風を刃に変えて撃ち出したのだろう。いわゆる鎌鼬のようなものだ。

 しかし満身創痍であったとはいえ、それなりに頑丈な私の腕を切り飛ばすほどの威力。流石に鱗には傷一つ付けられなかったようだが、それ以外の箇所に命中すれば下手をすれば致命傷になりかねない。

 明らかな誤算。

 ほんの数秒の間に賽の目がころころと変わる、極めて不安定な状況が続く。

 連続して、笛の音が鳴り響く。

 舌打ち。この時ばかりはさしもの私も己の運の無さを呪ったが、いくら心中で罵詈雑言を繰り返そうが状況が好転することはない。

 躱す。

 躱す。

 右に左に、あるいは上へ下へと身を躱し続ける。

 無論、無傷ではない。

 限りなく不可視に近い風の刃を躱し続けることは、この身の超人的な動体視力をもってしても不可能である。

 裂かれていく。徐々に、徐々に。

 脇腹が削れ、指が飛び、耳が欠け、やがて眼球が割れて視界の右半分が真っ暗になった辺りで、不意にその攻撃が止んだ。

 ようやく、止んだ。

 ようやっと奴さんも限界かと、息も絶え絶えといった様子でぼんやりと頭上へ目をやると、そこには全身を真っ赤に染めて、しかしなお力強く羽ばたく巨鳥の姿が。

 その黄金の瞳と、目が合う。

 そして察した、これが最後であると。

 巨鳥の体力も限界。しかし何が奴をそこまでさせるのか、全身全霊、持てる全てを注ぎ込んで最後の一撃を、必殺の一撃を放とうとしている。

 甲高い、しかし先程までのものとは似ても似つかない、背筋が凍る程の風の音。

 生み出されたのは巨鳥の身体と同じか、それ以上はあるだろう巨大な風の刃。それはまるで断頭台に立たされたような、絶望的な光景だった。

 受けるか、避けるか。

 否、避けるなどという選択肢は最初から存在しない。

 何故ならば私の背後には島が、彼らがいる。

 あれほど巨大な一撃が当たれば、彼らは勿論のこと、その威力は島をも砕くだろう。

 ならばここで刃を躱して生き永らえたところで、帰る場所がなければ結果は同じ。

 受けるしかない。たとえそれでこの身が滅んだとしても。

 ゆっくりと息を吸い、吐き出した。


「来いっ!」


 断頭台の刃が、落ちてくる。

 雲を吹き飛ばし、ごうごうと唸りを上げながら、落ちてくる。

 その刃目掛け、飛び出す。

 全身の紋様が光を放つ。持てる力の全てを絞り出し、限界をも超える勢いで炎を放った。それはもはや炎というより熱線に近く、触れるだけで全てを蒸発させる熱量をもって大気さえも歪ませながら、一直線に刃へと喰らい付いた。

 一瞬の拮抗。風の刃がほんの少し、その動きを鈍らせた。

 しかし無情にも、全てを焼き尽くす炎が全てを切り裂く刃を呑み込むことは終ぞなく、風の刃はその炎さえも両断してなおも私を両断せんと迫る。

 次の手を考えている暇など無い。

 喉が焼ける感覚に顔を(しか)めながら、私は迫りくる刃へ左腕を突き出した。

 接触。

 瞬間、まずは指が吹き飛んだ。

 鱗に覆われた足を差し込む。まだ止まらない。

 翼を盾にして自身と刃の間に差し込んだ。まだ足りない。

 ついに左腕が吹き飛んだ。足と翼も鱗が剥がれ始め、その隙間からは鮮血が噴き出し始めた。

 

「まだ、まだあっ!」


 背後には、守るべき者たちがいる。

 私一人がくたばるのなら、まだいい。所詮は死に損なった爺の魂、ここで終わるのならば、死に際に見た束の間の夢とも思えるだろう。

 しかし、背後で見守る、私に祈りを捧げる者たちは違う。

 言葉を交わし、笑い合った者たち。

 私の膝で無邪気に笑っていた子どもたちもいる。

 爺が見る泡沫の夢で終わらせるには、彼らはあまりにも美しすぎる。

 守ってみせる。

 守ってみせろ。

 私は龍だろう。あの嵐を操る、超常の者と同じ存在だろう。

 ならば、負けるな。

 負けるわけにはいかないだろう。

 負けるわけには、いかないのだ。


「があああああ!」


 私はひたすらに叫んだ。

 それは咆哮。それは魂の叫び。

 そしてそれは、産声であった。

 かちりと、自身の中で何かが噛み合うような、あるいは何かが嵌るような感覚。

 視界が一気に回復する。閉ざされた右目は光を取り戻し、削れた脇腹が光の糸を編み合わせるように元に戻っていく。

 がちりと歯が、牙が鋭い音を立てる。

 角が軋み歪な音を奏でる。

 光の糸が、私の身体を這い回る。それは全身の傷を癒し、より強靭なものへと作り変えていく。

 黒曜石のような鱗が鎧となり腹を、胸を覆い、斬り飛ばされ、吹き飛ばされた私の両腕に新たな形を与えた。

 それは鋭い爪を持ち、強靭な鱗で覆われた龍の腕。

 何物にも侵されることのない、絶対的な矛であり盾であった。

 両腕に感じる、確かな感覚。圧倒的な力。

 より大きく、より逞しくなった翼を操り、前へ。

 風を手繰り寄せ、今まさに私を引き裂かんとしていた風の刃さえも巻き込んで推進力とし、次の瞬間には私は巨鳥の胸を食い破り、雲一つない晴天の下に立っていた。

 断末魔の叫びは、聞こえない。

 互いに全力を尽くし、自身の全てを賭けての死闘。

 その末の決着に、無粋な雑音などあろうはずもなく。

 私はただただ、暖かな日の光に身を預け、息を吐くばかりであった。

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[一言] 敵討ち! 生存者はいるかな?
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