流れる月日と鳥と子と
『結果』だけだ! この世には『結果』だけが残る!
あの別れから、三年余りの月日が流れた。
光陰矢の如しとは言うが、この三年は正しく矢のような早さで過ぎ去り、私の、この島を取り巻く環境も少しばかり勝手が変わってきた。
「どっこら、せいっ!」
手にした、身の丈を超える大戦斧が唸りを上げる。大岩をそのまま削り出した刃が獲物の胴へと喰らい付き、斬る、というよりは抉るような手応えと共に腰と胴が泣き別れになる。
断末魔の声をあげ、二つになって落ちていくのはいつぞやかの三羽烏、もとい大鷲と同じ種類の、しかし記憶に残るものとは一回りは大きな形をした獣であった。
これで五つ。
この十日の間に、これで五羽目だ。
多い。あまりにも多い。
私は石斧を担ぎ直しながら大きく息を吐いた。
一つ目の変化が、これだ。
あの三年前のあの日から、この手の、生前の世界では見たことも聞いたことも無いような生物の姿を目にすることが多くなった。
勿論、以前から大猪をはじめ虎、蛇、熊と規格外の化物たちもいるにはいたのだが、何というか、質が変わったというか、時が経つほどに私の記憶にある生物たちの面影が薄れていくというか、いよいよ以て正真正銘、化物染みてきている。
この間などは罠にかかった兎に角と牙が生えていたものだから、年甲斐もなく大声を出して腰を抜かしてしまった。
しかし、まあ、そういうことなのだ。
いよいよ以て、異世界染みてきたと、そんなところなのだ。
これまでどこに潜んでいたのか、あるいはこの島にそういった存在を寄せ付けるような何かがあるのか。その原因はともかくとして、確かなことがひとつだけ。それは、これまで以上に気の抜けない環境になってきたと、極限へと一歩近づいたということ。
だが、何も悪いことばかりではない。
そういった新顔、映画や小説の中から抜け出してきたような生物たちはやたらと凶暴な、敵意を剥き出しにした個体が多いが、私の肌に傷をつける程の力を持つものは今のところ出現していない。
そしてこれは嬉しい誤算ではあったのだが、彼らの肉は毒性も無く、味はともかくとして食べても問題の無いものばかりで、そして往々にして巨体、つまりは可食部が多い傾向があった。
食料の確保でさえ苦労する島の生活において数キロ単位の肉が定期的に手に入る。そのメリットは獣と格闘するデメリットを補ってあまりにも余りあるものと言えるだろう。
勿論それ以外にも毛皮、羽毛、骨などなど、利用できる箇所は全て余すことなく有効利用し、お陰様で島での生活もそれなりに豊かになってきた。
皮の服も夏用、冬用と使い分けられるようになったし、寝床は大鷲の羽毛を詰め込んだふかふかの羽毛布団に変わった。
そして豊かになったと言えば、忘れてはならないものがあった。
ミード。
最古の酒と言われている、蜂蜜で作った酒だ。
とはいえ、その作り方自体はいたって単純で、蜂蜜と水を混ぜ合わせて発酵させるだけである。度数としてはおおよそ十パーセント前後だろうか。まろやかな口当たりと香りが楽しめ、今では島での数少ない娯楽となっている。
蜂蜜酒、というよりも蜂蜜自体の話でもあるが、その素となった、蜂たちが好む花の種類によって味や香りがまた変わってくるので、様々な場所の蜂蜜を集めるというのもまた一興かもしれない。
いや、いっそのこと養蜂も考えてみるべきだろうか。
最近になって実を付け始めたりんごの木の近くに巣箱を作れば受粉しやすく、実りもよくなるだろうし、ありだろう、養蜂。
まあ、そんな風に島の環境が変わり始めた。
これが一つ目の変化。
そして二つ目。
こっちは実にめでたい話である。
なんと、うちの居候たぬき、ごんの奴に嫁が出来た。
ついこの間、何気ない顔をしてしれっと連れてきたのである。
ごんの奴よりも恰幅の良い、毛艶のよい雌であった。
そして旦那同様、あるいはそれ以上に肝が据わっているようで、初見であるにも関わらず何ら警戒することなく私の身体の匂いを嗅いだり、小屋の中を覗き込んだりしていた。
夫婦仲も良く、順調にいけば来年辺りには泉の傍で子狸たちが走り回る光景が見れるのではないかと楽しみにしている。
まあ、当然のことながら自分たちの巣にいる時間が増えたのでこっちに顔を出す頻度が少なくなってしまったのだが、しっかりと食っていけているのだろうか。
いや、奴のことだから今頃はしっかり者の嫁さんに尻でも叩かれていることだろう。
しかし家族、家族か。
当たり前だが、この世界において私に家族と呼べるような者は存在しない。
妻も、子も孫も皆、あちらの世界だ。
仕留めた獲物の羽を毟りながら、ぼんやりと空を眺めてみる。
三年前に私が看取った男、ウィリアムもまた、苦境に耐え、死線の上でさえ娘を思っていた。
「家族、家族、なあ」
川の水で身を清めながら、紋様の浮かぶ下腹部を撫でる。
今の私は、年頃の娘の身体だ。
普通とは少し勝手が違うが、女性には違いない。
と、なれば、やることをやれば、子を成すこともあるのだろうか。
ううん。子、子かあ。
角の根元をがりがりと掻きむしりながら、生前考えもしなかったことに呻いてみる。
いや、思いはした。子が欲しいと思ったことはあるが、これはまた意味が違う。
その身に子を宿す。
生物であれば当然の機能であり、己の子孫を、遺伝子を残そうとするのは生物の本能ではあるのだが、ううん、うぬう。
「いや、どうにも形にならんなあ」
きっとそれは、素晴らしいことなのだろう。幸せなことなのだろう。
興味がない、こともない。
しかし、何というか、爺としての記憶が原因で男子と致すのが無理だとか、母としてやっていく自信がないだとか、そういうものではなく、もっと根本、本能的な部分として、どうにも子を成せる気がしない。
いや、まあ、一度死んで生まれ変わった身とはいえ私には妻も子も、さらには孫もいたわけで、新しい伴侶を迎えるということは彼女らへの不貞行為になるのではないかとか、そういった思うところもあるのだけれど。
そも、竜とは、龍とは子を成すものなのか。
そこからして、違う気がする。
そも、私とて外見上はまだまだ幼さの抜けない少女であるが、しかしこの島で親らしき龍がいた気配を感じたことがない。
いつぞやか狂飆の奴は言った。汝の良き巣立ちを祈っている、と。
また、奴はこの島を揺り籠に例えたが、私自身はこの島は卵に近いのではないか、と考えている。
で、あるならば、親とは。
島を卵として、その中で育つ私の、龍の親とは何ぞや。
わからない。わかるはずもない。
島が浮かび、舟が空を泳ぐこの世界で、私程度の理解が及ぶ筈も無い。
「まあ、あれやこれやと考えたところで埒が明かんか」
羽を抜き、下処理を済ませた鳥の肉を串に刺し、炭火でじっくり、皮が黄金色になり、甘い甘い脂が炭の上で弾け始めた頃合いで齧り付く。ぱりっと焼かれた心地良い歯応えと、奥から広がる濃厚な脂の甘さ。
拳三つ分はあった肉塊は、あっという間に胃へと収まった。
そうして二つ目を焼き始めた辺りで、とっておきの蜂蜜酒を手製の竹の酒器、ぐい呑みに注ぎ込む。量に限りがある為そうがぶがぶと飲むわけにはいかないが、数日に一回、特に島へやってきた何者かとどったんばったんやり合った日などにはこうして、一杯だけ楽しんでいる。
蜂蜜の濃厚な香りと、どこかビールにも似た風味。
この島で唯一の嗜好品を精一杯味わいながら、軽く焦げ目が付くまで焼いた鳥の皮を頬張る。
そして口いっぱいの鳥皮を飲み下し、手羽を骨ごと噛み砕いたあと、また酒を飲む。
うん。やはり酒は美味い。
ただ、欲を言えばバリエーションが欲しい。
というよりも辛口の酒、いや、日本酒が飲みたい。
米、あるいは芋の類があれば何なりと方法はあるのだが、これがまた、島中を探してもなかなか見つからない。
どうにもこの島にはそういった類の植物が自生していないのか、しかしそうなってくるとこれはもう、いつぞやのように空から木箱が降ってくることを祈るか、あるいは、そう、地球でそうあったように、他の生き物の力を借りてやってくるのを待ち続けるしかあるまい。
例えば、渡り鳥のような。
そこでふと、串に刺され焼かれた肉を見やる。
「渡り鳥、か」
これは、試してみる価値あり、か。
この鳥たちがどこからやってきたのかは知らないが、それがここ以外の島であることは間違いない。
で、あるならば、食っていた筈。
動物であれ、植物であれ、その島にある食料を。
完全な肉食性であればどうしようもないが、雑食であればあるだろう。食らった果実の種、それが腹の中で消化されずに残っているという可能性。
試してみる価値は十分にある。
焼き上げた最後の一本、脂に濡れた骨を丁寧に舐めあげながら、私は尻尾を揺らしながら立ち上がった。
「さあて、明日もまた忙しくなるぞ」
そうして私は、歩き出す。
遠くの空で、鳥たちの鳴き声が聞こえた気がした。
※まだ五年目




