冬の蒸し竜娘
冬。森の木々たちは真っ白な雪化粧に包まれ、川も凍てつき穏やかな静けさが島を支配する季節。
肌を刺すような冷たさを感じながらも、しかし骨身に染みるほどの寒さではなく、真っ白な息を吐きながら私は今朝も日課の薪割りに精を出していた。
身に着けるものは大猪の毛皮で作った防寒着と、尻尾巻きと翼掛け。
防寒着はともかく、後の二つは急ごしらえで用意したので見てくれは悪いが、これでなかなか便利だったりする。というのも、これが無ければ身体が冷えてしまって仕方がないのだ。
翼に張られた薄い皮膚の部分、飛膜というのだが、ここには細かな血管が無数に走っており、ここを冷やすことで放熱板のような役割を発揮して夏場はそれはもう大活躍だった訳だが、冬に入ってこれが完全に裏目に出た。
このまま放り出しておくと芯まで凍ってしまいそうな程だったので、用意したのが肩掛けならぬ翼掛けである。これがどうしてなかなか便利で、まるでジャケットを一枚羽織っているような温かさがあった。
尻尾巻きはこちらも毛皮をぐるぐると巻き付けただけの簡素な物だが、こうしておくことで尻尾に雪が積もっても腰まで冷えることはない。
重ね着をしたおかげで少しばかり空が飛びにくくなったが、元々この寒空の下を飛び回るつもりも無く、今は以前よりも随分とのんびりとした時間を過ごしていた。
そしてチセ、新しく建てた住居の住み心地も素晴らしく、流石は先人たちの知恵、古くから脈々と伝わってきた伝統というべきか、中央に据えた囲炉裏の熱は外に漏れることなく部屋中を暖め、あらかじめ用意しておいた木炭のおかげで頻繁に薪をくべる必要もなくなった。
ちなみに時折忍び込んでくる狸は湯たんぽ代わりに使っている。獣臭いのが難点だが、冬毛になってその内部に熱を溜め込んだごんは身体を暖めるのに最適であった。
そんなこんなで割と快適に過ごしてはいるのだが、困ったことが一つあった。
それは、川の水が凍ってしまった為に満足に水浴びが出来なくなってしまったこと。
もっとも、常に泉の底から地下水が湧き上がっているため完全に凍ったわけではなく、表面の氷を砕けばいくらでも水は手に入るのだが、流石の私も真冬に冷水を頭から被るほどの根性は無く、冬に入ってからというもの、一度も身体を清めることが出来ていなかった。
幸いなことにまだ不快に感じるほど体臭は悪化していないが、嗅覚疲労といって人間の嗅覚は疲労しやすい。これは自らの体臭によるストレスを緩和するた為の、一種の防衛本能であるのだが、もしや自覚していないだけで自分は相当不潔なのではと、そう思うと何とも気持ち悪く、全身がむず痒くなる。
それに、清潔はサバイバル環境下でも重要な要素だ。
定期的に身を清めることで感染症、寄生虫のリスクを減らし、ストレスも軽減させる。身を清める、清潔に保つということはつまり、己の生存に繋がる行為なのだ。
何なら水ではなく、馬などのように砂を浴びることでも寄生虫の予防にはなるが、今やっても身体中が雪まみれ泥まみれになるだけだろう。それでは逆に不快感が増してしまう。
なので、今日は早速その解決策を拵えてみた。
まずは冬でも葉を茂らせている木々から枝を拝借し、ドーム型の小さなテントを建てる。
大きさは大人四人が収まるかどうかといったところだが、小柄な私であればこれでも十分だ。
次はテントの中の雪を掻き出し、中央に何本か杭を打ち込んで籠を作る。
そうして丸太で椅子を作り、出入り口を塞ぐ戸を作れば簡易的なサウナの完成だ。
洒落た風に言えば、フィンランドのロウリュに近いだろうか。
元日本人としては暖かい湯船に浸かりたいところであるが、これも立派な蒸し風呂ではあるので、贅沢は言わないでおこう。
それでは早速と、私は土器に水を汲んでサウナの中に設置し、赤くなるまで炎を吹き付けて熱した石を中央の籠に積み込めば準備万端。衣類を全て脱ぎ去って丸太の椅子に座り、土器の水を焼石へと振り掛けた。途端、水は焼石に触れた端から蒸発し、激しく音を立てながら熱々の蒸気を立ち昇らせる。
それを三度、四度と繰り返せば、サウナの中はむせ返るほどの熱気と蒸気で満たされ、額には玉の汗が噴き出すほどであった。
「かあー、効くなあ」
血管が拡張し、全身から疲れが汗となって流れ出る心地よい感覚に思わず頬が緩む。
だが、まだまだ。
サウナの醍醐味はこれからである。
私はサウナで十分に汗を流した後、そのまま雪が積もる外へと飛び出して泉の縁へ足を突っ込んだ。そこは前もって氷を砕き、冷水を張っておいた場所である。
「ひい、冷たい冷たい」
肩まで浸かれば、芯まで響く冷たさで全身が一瞬で引き締められる。
心臓に負担がかかるため晩年ではとてもとても出来なかった真似だが、この全身が冷やされ、引き締まる感覚がまた心地良い。
そうして数分じっくり冷やされた後は、サウナの外で小休憩。外気温に慣らした後、またサウナに入って温める。そして十分に温まったらまた水風呂へ。
サウナ、水風呂、外気温、これを三セット程繰り返す。
こうして血管の拡張、収縮を交互に行うことによって血行が良くなり、疲労回復や自律神経の調整など様々な効果が期待できるのだ。
「おっ、お前さんも一緒にやるかい?」
そうしてしばらくサウナを楽しんでいると、全裸で泉の傍を行ったり来たりする私の姿がさぞ珍妙に映ったのか、怪訝そうな顔をした狸が一匹、ひょっこりと顔を出した。
すっかり冬備えは済んだのだろう。ごんはこの間よりも一回りほど丸っこくなった身体でとことこと私の足元までやってきたが、一瞬サウナの中に鼻を突っ込んだ後、何やら草臥れたような顔をしてチセの方へと帰っていった。どうやらサウナはお気に召さなかったようである。
その様子を呵々と笑いながら私もその後を追い、囲炉裏の傍に腰かけた。
ごんはいつものように一番上座、もはや指定席となったそこで丸くなり、時折寝返りを打ってはいびきまで漏らしている。そのうち鼻提灯でも拵えそうな堂々とした寝相をぼうっと眺めながら、ふと思う。
「前から思ってはいたが、お前さん、こうも呑気で良いのかね」
聞いた話では狸が番を作るのは冬であり、さらには一度番になれば生涯その相手と添い遂げるのだという。どちらかが先に死んだ場合も、新しい伴侶は作らないというのだから相当な夫婦愛である。
逆に言えば、それほど嫁、あるいは婿探しには慎重なのかもしれないが、これは慎重だとか大胆だとか、そういった範疇ではない気がするのだが。
そう独り言ちながら尻尾の先でふくよかな腹を突いてみれば、肝心の狸様はむず痒そうに寝返りを打つばかりであった。
「まさかお前、私を番と思ってるわけではないだろうなあ」
そのまま、まったく反応しない図太い狸の腹をくるりと巻いて手元まで持ってきて、逆さになったその顔をじっと覗き込んでみる。
「いいか、ちゃあんと狸の嫁を見つけるんだぞ。もう嫁がいるのなら、一度ぐらい私のところに連れてこい。ちゃんと挨拶しておかんと後が怖いからな」
何せ、万が一ごんに嫁がいるのなら、こいつは嫁を放り出して別の女の家に入り浸り、あろうことか食い物まで強請るなかなかの浮気者ということになりかねん。
私は嫌だぞ、化けた嫁に背中を刺されるなんてことは。
しかし神妙な声色で語ってみても、逆さにされた狸はこてんと首を傾げるばかり。
わかっているのだろうか。
わかっていないのだろうなあ。
盛大に溜め息を吐き、私は囲炉裏で温めておいた茶を啜る。
雪に埋もれた森の中、くぐもった低い獣の声が、ひっそりと響いた。
※水風呂を用いた入浴方法は人により心不全などのリスクを伴います。
心臓が弱い人、体調がすぐれない人は真似しちゃダメ、絶対。