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雪、竜、無人島にて


 秋である。

 実りの秋。食欲の秋。そして、芸術の秋。

 私としてはもっぱら食欲の秋といった心持ちなのだが、しかし赤や黄に染め上がった芸術的な山肌を見やれば、やはり元日本人としては風情を感じずにはいられないというか、あるいは愛郷心を著しく刺激されるというか、まあ、少しぐらいはセンチな気持ちにもなるというか。


「おっ、これは栗か。素晴らしい、拾って帰って食ってみよう」


 しかしまあ、そういった繊細な気持ちを食い気が押しのけて勝ってしまうのもまた私であると呆れるべきか、環境に慣れてきて逞しくなったと誇るべきか。

 恐らくは前者である。

 新たに見つけた栗の実を背中の編み籠に放り込みながら、私はまた森の中を行く。

 しかしこうして秋になり、実り豊かになった森の中を歩いてみて実感するが、この島は本当に、驚くほど豊かな自然に恵まれている。

 先ほどの栗に加えてノビル、アケビにクルミ、さらには山椒と、日本でも目にすることの多かった山菜が、ここでは文字通り山ほど採ることができた。 

 まるで日本の里山さながらの豊かさに当初は我が目を疑ったが、採って食えればなんでもいいと、私は早々に開き直ることにした。

 確かに、この島の生態は不可思議極まりない。

 初めは、海外の熱帯雨林によく似た植生であった。しかしそれから時間が経ち、探索を進めてみると驚くことに日本の里山にも似た姿をとっている場所まであるではないか。

 これがこの世界では普通なのか、あるいはこの島の持つ何らかの不可思議な力が作用しているのかは定かではないし、地球の学者さんでも連れてきたら実に有意義な見識を述べてくれるだろうが、まあ、その原因を解き明かしたところで私の腹が満たされる訳でも、この島から解放される訳でもない。

 であるならば、その恵みを最大限に活用し、味わった方が合理的というものだろう。

 勿論、森がもたらす恵みは何も植物だけではない。


「お、いたな」


 森の香りの中に混ざる、僅かな獣臭。

 それを鼻先で感じ取った私は息を潜め、物音ひとつ起こさず背中の弓を握った。

 狙うのは三十メートルほど離れた、藪の中。

土の中に鼻先を突っ込み、木の根や虫を貪っている猪に向けて弓を引く。

 体長おおよそ百三十センチほどか。

 かつての大猪に比べると随分と小さく感じるが、それはあの大猪や虎、蛇が非常識なだけであって、これでも猪としては十分立派な個体と言えるだろう。

 (やじり)の先、狙いをしっかりと見定めて。

 息を吸って、吐いて、また吸って、ぴたりと止める。

 澄んだ弦の音が響いた。

 放たれた矢は甲高い風切り音を響かせて、瞬きの間に獲物の首筋、頚椎を貫通した。

 断末魔は一瞬。

 即死である。猪は痛みを感じる間もなかっただろう。

 先の大蛇との戦いでは活躍させることができなかったが、この大弓もまた、並みの獲物相手であれば十二分の威力を持っている。


「さて、これだけあれば当分は大丈夫だろう」


 仕留めた獲物を担ぎ上げると、私は翼をはためかせて帰路に着く。

 集めた山菜を小屋(チセ)の中に放り込むと、川で猪の解体を済ませ、肉を燻しながら道具の手入れをする。

 弓の弦を張り直し、鏃の点検を行いながら考えるのはもうすぐ訪れるであろう冬のこと。どれぐらい冷え込むのか、どれぐらいの期間続くのか。

 保存食は十分に、それこそ三、四か月は食い繋げる程度には用意したが、逆に言えばそれ以上の期間冬が続けば、最悪の場合待っているのは餓死だ。

 勿論、冬であっても猪や兎は獲れるだろうし、ハマダイコンをはじめとして冬に採れる植物も存在するので実際はもう少し生き永らえるだろうが、それでも未知というものは恐ろしい。

 寒さに関しても対策は重ねてきたが、それも十分であるかはっきりするのは冬になってから。つまりは出たとこ勝負である。

 住処こそ寒さに強い、アイヌの人々が暮らしたチセを参考して作り上げたが、所詮は爺の頭からひり出した素人仕事。本格的な冬にどこまで耐えられるか。

 だが実際のチセと同じく、部屋の中央に囲炉裏を作ったことで室内はかなり温かくなり、断熱効果の高い(アシ)などを壁材に使ったお陰でそう冷え込むこともなくなった。

 唯一の想定外といえば、その暖かい囲炉裏の傍を陣取る毛玉が一匹いるぐらいか。


「こりゃ、ごん小僧こら。お前また人の家でだらけてるのか」


 手入れの終わった弓を壁に引っ掛けながら、私は腹を見せて寝転がる狸にそう言って呆れ顔をして見せた。

 おおかた、その敏い鼻で私が獲物を仕留めたことを察して、あらかじめ先回りしていたのだろう。野生などまるで感じないその腹を私はひとつ撫でると、ちりちりと燻る囲炉裏へと新しい薪を放り込んだ。

 

「ほら、お前の駄賃だ」


 しかし私も、この狸(ごん)とはかれこれ数か月の付き合いだ。もうその扱い方も随分と慣れたもので、あらかじめ懐に忍ばせていた肉の切れ端を見せつけるように何度か顔の横で揺らしてやれば、今までのだらけた態度はどこへやら、ごんは号令を聞いた兵隊のようにしゃきっとその場にお座り(気をつけ)をして、くりくりとした丸い目を爛々と輝かせてこちらを見上げるのである。

 そんな様子にまた呆れながら口元に肉を放り投げてやれば、ごんは俊敏な動きでそれをキャッチし、また囲炉裏の傍まで駆けて行ってがつがつと食らい始めた。

 狸というよりは、完全に飼い犬のような姿だ。

 こちらに向けた丸っこい尻なんかは、何やら柴犬を彷彿とさせる愛らしさすらある。

 そういえば夏毛から冬毛に変わりつつあるのか、以前よりもその姿は全体的に丸くなったような気がする。

 そうして、その少しばかり丸くなった尻尾を眺めながら、私は串に刺した猪の心臓やら腎臓やらを囲炉裏の周りに刺していく。

 初めは食あたりのリスクがある為避けていた部位ではあったが、以前に一度だけ試しに食ってみて、その後しばらく様子を見ても腹を壊す様子がなかった為、最近では解体して真っ先に味わう、ある種の楽しみになっていた。

 勿論、徹底的に火を通して、表面が焦げる程焼いてから食っているのだが、濃厚な心臓(ハツ)は勿論のこと、腎臓などの歯応えのしっかりした部位もまた美味い。

 そういえば遥か昔、縄文時代を生きていた人々は主に冬の間に狩りを行い、春や夏などには狩りを控えていたのだとか。理由としては春、夏は多くの動物にとって繁殖の時期であり、そこで若い個体や繁殖期の雌などを狩ってしまえばゆくゆくは全体の数が減少し、結果的に自分たちの首を絞めることになるから、だそうだ。

 その他にも草木が生い茂って獲物を見つけにくかったりだとか、冬の方が雪の上に足跡が残って獲物の追跡が容易だったりだとか、色々理由はあるらしいが、たしかに、肉は美味いが狩りすぎて繁殖すらできなくなってしまえば、最悪の場合は絶滅すらあり得る。

 それが閉鎖された、この島のような環境であれば猶更である。

 肉が食えなくなるのは、非常に困る。

 で、あれば、春の狩猟は控えるべきだろう。

 あとはやはり、養鶏、養豚だろうか。

 猪は大食いなので畑の方が整うまで現実的ではないだろうが、鶏ぐらいならどうにかなるだろう。野生の鶏さえ見つけることが出来れば。

 この考えは前からあって、今回の探索でもそれらしい生物が見つからないかと期待してはいたのだが、残念ながらここ数週間、その姿はおろか影すら拝めないでいた。

 鶏が手に入れば卵と鶏肉の安定した供給が見込めるのだが、やはり自然はそう優しくはないらしい。


「新しい罠でも仕掛けてみるか。いやはや、いっそお前さんが連れて来てくれると助かるんだがなあ」


 そう言って、おかわりを要求するようにこちらを見つめるごんへと、新しい肉を放る。

 そうしてうんうん頭を捻りながら串焼きを頬張っていると、ぶるりと寒気が来た。


「やれやれ、年を取ると近くなっていかんなあ」


 溜息一つ、立ち上がる。

 何が、とは仮にも乙女の身体であるので口には出さないが、うちの便所は小屋から歩いてしばらくした場所にあり、夏場はともかく冬になればそこまで歩いていく間にすっかり身体が冷えてしまうだろう。

 もう少し近場に作ればよかった。

 そんな風に後悔しながら小屋の外に出てみれば、何やら空からはらりはらりと舞い落ちる白いものがある。

 それを見て、私はあっと声をあげた。


「こりゃあまた、随分と勇み足な将軍様もいたもんだ」


 空から舞い降りてくる真っ白な雪の結晶を眺めつつ、気付けばそう呟いていた。

 しんしん、はらはら、こんこんと。

 空に浮かぶ無人島に、初めての冬がやってきた。

くっそ暑い今日この頃、物語の中ぐらいは涼しげに。

冬は何をしましょうかね。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 何というか、ジジ臭い あ、この場合はババ臭い? [気になる点] 竜の胃腸は中毒菌や寄生虫に屈するか否か、 少なくとも生が基本の野生動物よりも繊細だとは思えない 人間時代の知識の弊害だろう…
[一言] これだけ日本の動植物が有るなら冬の野菜として水菜も欲しいな 育てられる期間が長く冬にも育ち成長が早く根元を残しておけば複数回収穫でき生食出来て煮ても焼いても美味く肉にも魚にも合うチート植物だ…
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