往く者と、残される者
難産でした。
少し短めです。
私が再び目を覚ました時、そこにはもうあの大虎親子の姿はなかった。
いったいどれぐらいの時間が経ったのだろうか。身体は汗と土埃にまみれ、外から流れ込んでくる風は心なしか少しばかり涼しくなったように感じる。
私は全身に纏わりつくような倦怠感に顔をしかめながら起き上がると、剥き出しの岩肌を伝いながら穴倉から這い出した。
虎たちの行方も気になるが、それよりも今は、たまらなく喉が渇いていた。
だが翼を広げ、泉の方へと向かおうとしたその時である。どかんと、まるで大地そのものを大槌で殴りつけたような揺れが島全体を襲った。
「なんだ、何が起こった!」
たまらず倒れこんだ私の頭上に、山頂から転がり落ちてきた砂利やら石やらが降りかかる。それらを翼で防ぎながらしばらく地面に這いつくばっていると、やがて揺れは収まり、辺りは元通りの静けさを取り戻した。
先程の揺れは、地震だろうか。
まさか。空に浮かぶ島で地震など起きるのだろうか。いや、先程の揺れはまるで何かにぶつかったような……。
はっとして、私は勢いよく空へと飛びあがった。
そうして島中を一望できる高さにまで昇った後、右手で庇を作りながら辺りをぐるりと確認する。
そして、見つけた。
海の向こう。そこに繋がる、新しい浮島。
先程の揺れは、あれがぶつかったことで生じたものだったのだ。
凄まじい。ただその一言に尽きる。
それぞれが流れる高度も、早さも、向きも違うというのに、正しく奇跡のような確率の出来事なのだろう。
あそこになら、人がいるかもしれない。
私の胸中から、抑えようのない期待と喜びが沸き上がる。
だが震える肩を抱き締め、新たな島へといざ行かんと翼へ力を込めたところでまた変化があった。
島が震え、轟音とともにその身を削りながら離れ始めたのである。
拮抗していた力が崩れたのか、あるいはどちらかの島が進行方向を変えたのか。その原因はともかく、今を逃せばもうあの島とは出会えないだろう。
私の胸を満たしていた希望が、滲むように絶望へと変わっていく。
「ま、待ってくれ!」
我武者羅に、藁にも縋る思いで翼を打った。
それが、いけなかった。
病み上がりの上に、身体が成長したことも忘れて以前と同じように扱ったばかりに力加減を間違え、私の身体はまるで出来の悪い紙飛行機のように錐揉み回転し、真っ逆さまに森の中へ。
枝を折り、木をへし折り、岩を砕き、地面を盛大に抉りながら何度も跳ね飛び、最終的には拠点の泉へ頭から突っ込み、特大の水柱を打ち上げたところでようやく止まった。
ぐったりとした様子で水面から顔を出した私を見て、泉の傍で日向ぼっこを決め込んでいた狸がさも不思議そうに首を傾げている。少しぐらいは心配してもいいだろうに、この狸は今日も平常運転らしい。
しかし成長した為か、あれだけ派手に墜落したのに骨はおろか、珠のような肌にも傷一つない。
ふと見れば、肘から手の甲にかけて、まるで籠手のように鱗がびっしりと並んでいた。腰から腹にかけても同様である。
また少し、人間から龍へと変わった、ということなのだろうか。
「いや、それよりも島だ!」
水に濡れ、陽の光を受けてきらきらと輝く鱗に見惚れることしばし、ようやく正気に戻った私は水面から飛び上がった。
だが時すでに遅く、先程まで島があったところには憎らしいほどの青空だけが広がり、その向こうにはもう豆粒ほどに小さくなった島の姿が。
がっくりと肩を落とし、泉の傍まで戻ってきた私を狸が出迎える。その頭をひと撫でしたあと、私は亡者のような声をあげながら青々と茂る草の上へと五体を放り投げた。
「ああ、やってしまったあ」
逃した魚は大きいと言うが、あの島はここと同じか、少し小さいぐらいに見えた。しかし人が暮らすには十分な大きさであり、それでなくとも何かこことは異なる動植物が手に入った可能性は高い。きっとあの大虎たちも、それを求めてあの新天地へと向かったのだろう。
それを逃したとなると、口から草臥れたため息ばかりが漏れ出るのも仕方がないといえる。
そんな私の足元を、おっかなびっくり嗅ぎ回る狸が一匹。
私の身体に染み付いた虎の匂いを警戒しているのか、足の指をちょんと嗅いではおずおずと二、三歩ほど下がり、また嗅いでを繰り返している。
野生動物としては仕方のない反応なのだろうが、仮にも乙女の匂いを嗅いでその反応はどうなのか。
「はあ、しかし、でかくなったもんだ」
太陽に手をかざし、眺めてみるは一回り大きくなった己の手。
鱗は生えたがその肌は絹のように美しく、水に濡れて艶やかさが増した肘から二の腕へと視線は下り、肩を経由してご立派な双子山へと至る。
「本当に、でかくなったなあ」
その時に渦巻いた感情は、戸惑いが五割、驚きが二割。残りの三割は服やら防具やらの手直しをしなければいかんという間抜けな悩みが占める。
下手をすれば、妻よりもでかいかもしれぬ。
そんなことを考え、記憶の中の妻に尻を蹴り上げられながら、また一つため息。
ともあれ、いつまでもうじうじとしているわけにもいかない。
島があった場所の確認もしておきたいし、何よりここ数日は虎の巣穴にいたせいで薪も食料も集められていないので、手早く済ませておきたいところだ。
だがその前に、まずはさっと服の手直しをやってしまおう。
鱗の胸当てなどは大きさが合わないのでまた作り直すとして、腰巻きは肩掛けに使っていた毛皮を代用し、胸は余っていた毛皮と蔓を使ってさらしのようにして固定。揺れても邪魔になるだけなので、少しきつめに巻いておいた。
とりあえず、着るものに関してはこれでいい。
簡単に身なりを整えた後、私は空へと飛びあがり海岸線の向こう、あの島がぶつかっていた場所へと向かった。
そして結論から言えば、そこでは何ら新しい成果を得ることはできなかった。
島同士がぶつかった衝撃で海底が隆起し、新しい小島がいくつか生まれてはいたものの、そこもせいぜい釣り場として利用できるぐらいで、見たことのない植物だったり、人工物だったり、そういったものは残念ながら見つからなかった。まあ、これに関してはもし見つかれば幸運程度のものだったので、それほど落胆もしなかったが。
「ああ、しかし残念だなあ。もしかしたら人がいたかもしれないのに」
小島に腰を下ろし、足で海面をかき混ぜながらそう独り言ちる。
そして、ふと考える。この世界の人々はいったいどんな姿をしているのだろうか、と。
あの龍は、狂飆と名乗ったあの龍は、人がどんな姿をしているかまでは語らなかった。だが、私の姿は人を似せたものだとも言っていた。となれば、少なくとも足が八本も九本もあったりだとか、目玉だけの化け物であったりとか、カエルの姿をしていたりだとか、そういったことはないだろう。
それにこの島で出会った動物の姿を見る限り、地球と比べてそう大きく異なる進化を遂げているわけでもなさそうである。
となると、ほぼほぼ地球人と同じ姿、と考えてもいいのではないだろうか。
髪の色は金だろうか、あるいは黒だろうか。
地球と同じように、様々な人種が寄り添って暮らしているのだろうか。
言葉は通じるのだろうか。
狂飆とは問題なく話せていたが、あれは何というか、人の言語ではなく龍のそれであったので、あまり参考にはならない気がする。
私のこの姿は、この世界の人々に受け入れられるだろうか。
もし受け入れられたのなら、いったい何を話そうか。
前世の、こことは異なる世界の話をしたら、やはり驚かれるだろうか。あるいは信じてくれるだろうか。
楽しみだ。
本当に、楽しみだ。
空の彼方を眺めながら、私は未だ見ぬ誰かに思いを馳せる。
どこか遠くで、虎の雄叫びを聞いた気がした。
えっちベルトがやりたかった。




