火
少し短めです。
また朝が来た。
ぶるりと身を震わせて、私は粗末な寝床から身を起こす。
昨日はあれから火起こしにチャレンジしてみたが、結果は惨敗。くすぶって煙が上がるところまでは上手く行くのだが、そこから火種を大きくし、火口に移すまでがまるで上手くいかない。
やり方や道具が悪いのかと色々品を変えて試してみたが、結果は同じ。
あまりの歯がゆさに、昨夜は半ば不貞寝するような形で床に就いたのだった。
のそりと樹洞から顔を出せば、朝露に濡れた草花がきらきらと輝き、すぐ傍の枝先では小鳥たちが悠々と翼の手入れをしているのが見える。なんとも清々しい朝であった。
いや、相変わらず寝不足で頭の中はいまいち血の巡りが悪いし、腹も減っているのでまったくもって心の中は清々しくもなんともないのだが。
現に私はあの枝先に留まる小鳥たちを見るや否や、火があれば獲って食えるのに、なんて風情もへったくれもないようなことを考えている。
いやはや、貧すれば鈍する、とはよく言ったものだ。
「さてさて、今日も頑張って生きねばなあ」
川の水で顔を洗い、ぐっと背を伸ばす。
まずは周辺の散策を兼ねた薪集めから始めるとしよう。
まだ火を起こせたわけではないが、どのみち火を起こした後で大量に必要になってくるのだ。今から集めておいて損はないだろう。
泉を中心にぐるりと一周しながら、手ごろな薪を拾い集める。
この泉がある場所は片側が高い丘になっているのだが、そこだけ土質が違うのか周辺のように背の高い植物が生えておらず日当たりが非常に良い。
昨日までは拠点の近くを利用していたが、薪を干すならこちらの方がよく乾きそうである。
柔らかい土の上にどかりと座り込み、翼をいっぱいに広げて日の光を浴びながら、そんなことを考える。コウモリのような見た目通り翼に血管でも走っているのか、こうしていると体全体がすぐ温かくなり、とても気持ちが良いのだ。
うとり。
うとり。
暖かな日差しを浴び、体が左右に揺れる。
微睡みの中、とうとう体が前に倒れそうになってようやく私ははっと意識を取り戻し、舟をこいでいた頭をぶんぶんと振った。
「ああ、いかんいかん。うっかり二度寝してしまいそうだった」
ジャングルの真っただ中にあるというのに、我ながら呑気なものだと頭をかく。
しかしこの島で目覚めてからというもの、ろくに熟睡できていないのもまた事実。
そのうちにどうにかせねばと思いつつも薪を拾っていると、足元に何やら見慣れぬ物が転がっていることに気が付いた。
どうやら何かの果実であるようだ。緑色で楕円形、一見すると熟れる前のレモンに似ているが、表面には皴がある。
周囲を見回してみれば、同じような実がいくつも転がっていた。
二つに割ってみれば、ぎっしりと詰まっていたのは瑞々しい赤い果肉。
生前見たことのあるグアバの実によく似ているが、食べられるものだろうか。
匂いを嗅いでみる。特に刺激臭はしない。
周囲に転がった果実には虫や鳥が食ったような跡もあるし、食べられる可能性は高い。
高いが、念には念を押すべきである。
私は二つに割った果実の断面を、己の二の腕に刷り込むように押し当てた。
パッチテスト、または可食性テストと呼ばれる、アレルギーの検査にも使われている方法だ。
植物などをこうして肌に当て、腫れや炎症、痒みなどが出れば人体に悪影響を及ぼす、つまりは毒性の高いものである可能性が非常に高い。
今回は時計も時間もないので薪を拾いながら体感で計るが、本来はおおよそ十五分ほど経過を見た方が良い。
そこで問題がなければ次は舌の上に乗せ、十五分。その次は咀嚼して十五分。
最終的には少量食べてみて、八時間ほど様子を見る。
かなり時間がかかり面倒ではあるが、後々高熱にうなされたりだとか、腹を下して地獄を見るよりはましだろう。
ちなみに他の動物が食べていれば安全、というのを聞いたことがあるがあれは間違いである。
犬や猫に対しチョコレート、たまねぎが危険な毒物となるように、他の生物が食べられるからといって安全だという保障はどこにもないのだ。
同じ人間であっても、日本人は生の海藻を食べても平気だが、欧米人が食べると腹を壊したりする。
だからこそ、例え見覚えのあるものであったり、他の動物が食べているものであったとしても、しっかりと、自分に対し毒ではないかの確認は行うべきである。
そんなこんなで薪を拾い集め、拠点に帰ってきた辺りで腕に張り付けた果肉を剥がしてみる。見たところ赤くもなっていないし、腫れや痒みなどの症状もない。
指先で果肉を摘み、舌の先に乗せてみる。
痛み、痺れは感じない。少し青臭い香りが鼻に抜けていった。
大丈夫だろうか。
大丈夫なはずだ。
本来ならば慎重に時間をかけて調べるべきだが、今はとにかく空腹を満たしたかった。
肌に張り付けていた半身に、たまらず齧りついた。
実はかなり柔らかく僅かに粘り気があり、ザクロに似たような食感だ。だが甘味は熟れたメロンのようで、特徴的な強い香りが口いっぱいに広がる。
グアバの実より甘味が強いが、味はかなりそれに近い。
やはり世界が違う分、動植物も異なる進化を遂げているのだろう。
これは、かなり美味い。
昨日食べたココナツの実がかなり薄味だっただけに、脳髄を貫かれるようなこの甘味はまさしく麻薬のようであった。
あったという間に、もう半切れも食べつくしてしまう。
できればもっと食べたいが、今優先すべきは火の確保である。
未練たらたらで残った皮を捨てて、私は火おこしの準備を始めた。
今回は今までのきりもみ式ではなく、火溝式という発火法を試してみようと思う。
木の棒に溝を掘り、そこを木の棒で前後に擦って火種を作るという方法なのだが、こちらは太古の発火法とあってきりもみ式と比べると仕組みが単純な分、体力さえあれば成功しやすい、ような気がする。
生前から不器用な私ではあるが、体力に恵まれたこの体ならば、この火溝式でうまく火を起こせるのでは。そう思ったのだ。
相変わらず動機がいい加減だが、あながち間違いというわけでもないだろう。
溝を掘るのには、少しばかり行儀が悪いが足の爪を使った。このナイフのような爪先は、ちょっとした加工をするのにはうってつけなのである。
そうして作った溝に棒をあてがい、体重をかけながら前後に擦り付けていく。
何だろうか、まるでこびりついた汚れを必死になって拭き取ろうとしている時のような、そんな力加減だ。
ごしごし。
ごしごし。
ごしごしごしごし。
「おっ!」
しばらく続けていると、溝から白い煙が上がり始めた。
溝の端には黒く焦げたような木屑がたまり、今にも赤い火種が現れそうな様子である。
さらに擦る。
擦る。
擦る。
ばきりと、擦り続けていた木の棒が真っ二つに折れた。
どうやら、枝が柔らかすぎたらしい。
「くそっ、だめか……」
歯がゆい思いをしながらも、別の棒を用意して再び擦りつける。
次は溝を掘っていた方の棒が折れた。
声にもならぬ声をあげながら、私は手にした棒を力いっぱい投げ捨てていた。
惜しいところまではいっている。そう感じるのだが、肝心なところがうまくいかない。
焦り、心から余裕がなくなっているのがわかる。
だめだ。
流れが悪い。
栄養が足りず、体と頭がうまく動いていないことが原因なのはわかっているが、ひとまず精神状態を落ち着かせるために、私は先程の果実を集めることにした。
また丘の方に歩いていき、幾つも散らばった果実を集める。
見上げれば、すぐ近くの枝先にいくつも同じ果実が生っているのが見えた。しばらくすればあの果実も熟して食べられるようになるだろう。
両手と尻尾を使って合計十五個。一つ一つは小さいが、これだけあれば少しは腹も満たされるであろう。
果実を寝床の傍へ片付けると、次は泉で水浴びをする。
そういえば今の私の体には爬虫類に類似する特徴が多数あるが、水浴びなどで体温を下がっても大丈夫なのだろうか。体調を崩したり、冬眠なんて始めてしまっては目も当てられないのだが。
だがそんな心配も杞憂だったようで、しばらく水に浸かっていても体の反応が鈍ったりだとか、頭痛がしたりといった変調は感じられない。
逆に尻尾を振ることで推力を得て泳ぐことができたり、不思議なことに水中でも視界がはっきりとしていたりと、どちらかといえば水中に適した肉体であるようだ。
魚や貝を獲るために海に潜ることもあるだろうから、これはかなり有益な情報だった。
翼を広げ、ぷかぷかと泉に漂いながら空を見上げる。
ぎゃあぎゃあと響く鳥の声。丁度空のてっぺんまで登っていたお日様が明るくこちらを照り付けて、とても心安らぐ時間を過ごすことができた。
そうして水浴びを堪能して泉からあがると、丘の上で体を乾かしてから再び火おこしを始める。
気分転換の効果は覿面だったようで、先程よりも体が軽く感じ、思うように腕を動かすことができた。
ごしごし。
ごしごし。
ごしごしごしごし。
火種ができますようにと願いながら、何度も何度も棒を擦る。
木屑の中に、赤い、赤い灯りが見えた。
「よし、よしよしよし!」
すかさず火口を用意し、出来上がったばかりの火種をそっとその上に落とす。
優しく火口で包み込み、空に掲げるようにして下から細く息を吹きかける。
煙が上がる。
白い煙が立ち上り、その奥でちりちりと火種が燻っているのが見えた。
さらに息を吹きかける。
火よ、火よと祈りながら、二度、三度と繰り返し、繰り返し。
ぼっと、赤い火が生まれた。
「やった! いいぞ、いいぞ!」
飛び跳ねんばかりの喜びに満たされながら、生まれたばかりの火に薪をくべていく。
小さな火はやがて炎になり、ぱちぱちと気持ちの良い音を立てながらそのオレンジ色の体を躍らせた。
「やった、やったぞー!」
感無量、まさしくそう表現する他なかった。
拳を天高く突き上げながら、私は叫んだ。
何せ、これで身を震わせながら眠ることもなくなるのだ。食物の加熱調理もできるようになるし、虫除けにもなる。
生きる為の選択肢がかなり広がったのだ。喜びのあまり、涙すら浮かぶほどであった。
「やったー!」
誰もいない密林の中に、可愛らしい叫び声がひたすら響いていた。