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竜騰虎闘


 音もなく獲物へと忍び寄り、その強靭な顎で捕らえて絞め殺す。

 あるいは、人間でさえ命を落とすほどの強力な毒をもって弱らせ、捕食する。

 蛇に対する印象は、おおむねそんなものだろう。

 だからこそ、蛇は狡猾で冷酷、そんな印象を抱く人間も少なくない。

 しかしそうして恐れられる反面、蛇は世界中で信仰の対象にもなっている稀有な動物である。 

 人を唆し、誘惑する悪魔であったり、神の使いであったりとその姿は様々だが、日本においては穀物を食い荒らす鼠を狩ることから田の神として、あるいはその姿から龍と結び付けられ、蛇神として崇められたりもした。八岐大蛇といえば、日本人ならば誰もが耳にしたことがある蛇神の代表格である。

 前置きが長くなったが、つまり蛇とは即ち悪ではなく、どちらかと言えば害獣から食料を守ってくれるありがたい存在ではあるのだが、コレ(・・)は明らかに例外であった。


「くそっ、どれだけ頑丈なんだこいつは!」


 そう悪態を吐きながら、新たに矢を放つ。矢は大蛇の腹を射抜かんと風切り音をあげて襲い掛かるが、しかしそれは大蛇の硬い鱗と滑らかな表面に受け流され、その表面をほんの少し削るだけに留まった。

 追い詰められた大虎を助けようと咄嗟に横槍を入れたのは良かったが、戦況はあまり芳しくない。というのもこの大蛇ときたら、本当に蛇なのかと疑いたくなるぐらい狡猾で、戦い慣れているのである。

 先程見せた矢を鱗で受け流すという技も偶然ではなく、どうやら狙ってやっているようで、表面の細かい鱗を器用に動かして、矢の当たる部位だけ形を変えることで威力を受け流しているのだ。

 奇しくもそれは、現代でこそある新型砲弾のために絶滅してしまったものの、第二次大戦以来数十年にわたりあらゆる戦車に採用され一時代を築いた傾斜装甲と同じ発想、仕組みであった。

 さらに厄介なのは、その速度である。

 蛇といえば蛇行移動、その身をくねらせながらゆっくりと移動している印象があるが、世界で最も恐ろしい毒蛇とも呼ばれているブラックマンバという種は最高時速二十キロで移動することが出来る。これは、一般的な自転車と同じぐらいの速度だ。

 そしてこのブラックマンバの体長はおおよそ二から三メートルで、大蛇はその三倍はあるだろう。つまり、そこから生み出される速度もそれなりのものとなる。

 

「本当に蛇なのか、こいつは!」


 森の中を縦横無尽に飛び回りながら、私は次の矢を番える。

無論、私は全力疾走しながら弓を扱えるほど器用でもなければ、空を飛び回りながら狙いをつけられるほどその扱いに長けている訳でもない。

 そもそも、空からでは鬱蒼と茂る木々の枝が邪魔をして、大蛇の姿を視認することすら難しいのだ。

ではどうするか。大蛇に追われ、苦し紛れに繰り出した戦法があった。

 それは翼と尾を使って木の枝を掴み、木から木へと飛び移りながら後退しつつ矢を射るというもの。奇怪な手段であることは承知の上だが、低空を飛行するよりも狙いがつけやすく、後ろ向きに走るより速度が出るし何より足元に気を付ける必要がない。

 そのおかげか何とかあの粘液を浴びずに済んでいるが、矢も残り少なく、体力はともかく精神的な疲弊は私から集中力を確実に奪っていた。

 いっそ、空から森ごと焼き払うか。

 いや、それをしてしまえば生き残ったところで食料が枯渇したり、住処を無くした動物たちと残った資源を奪い合う地獄が出来上がる。これは最終手段だろう。

 せめて大虎が回復し、二方面から牽制することが出来れば事態はかなり好転するのだが、こちらが大蛇の注意を引き付け、巻き込まないようにと距離を放した後、大虎の姿はおろかあの低い唸り声すらも聞こえない。

 どこかで息を潜め、隙を伺っているのか、それとも機に乗じて逃げ去ってしまったか。

 前者であることを祈るばかりであるが、もし後者であればこのまま逃げ回っていてもじり貧である。

 せめて、炎が自由に使える海岸までは引きつけなくては。

 そうして矢を放った直後、己の背後、海岸へと向かう道筋を確認したほんの数舜。

 狡猾な大蛇は、そのあまりにも迂闊すぎる隙を見逃さなかった。


「しまっ——」


 正しく、あっと言う間だった。

 ひと際鋭く放たれた粘液が、私の進行方向、今まさに翼で掴もうとしていた木の枝を撃ち抜く。止めようとしてももう遅い。異常な速度で腐食した枝は私が掴んだ途端に溶けるように折れ曲がり、空中に投げ出された私は勢いをそのままに固い地面へと打ち据えられることになった。

 明滅する視界の中で、それでも私の身体は自然とその状況における最適解を弾き出し、膝に小石やら砂利やらが刺さったまま、海岸に向けて飛び上がろうと翼をはためかせた。

 そこに降りかかる、無慈悲な一撃。

 今まさに飛び立たんと力を込めた翼に、大蛇の粘液が浴びせかけられたのである。

 

「あ、ぎ、き」


 熱い。

 熱した油を浴びせられたような痛みであった。

 ぐずぐずと、背後から悪臭と共に煙があがる。

 いったい何をされたのかと、痛みで錯乱した私は理性が押し留める暇もなく、己の背中へと視線を投げ、そして見てしまった。

 泡立ち、焼け爛れてどろりと落ちる、己の翼を。

 そこにあったのは黒い皮膜が腐り落ち、鱗で覆われた骨の部分だけが辛うじて残った、醜く変わり果てた翼の姿であった。

 

「そんな、そんな、くそっ、くそおっ!」


 泣き叫びたい感情を必死に押し殺し、私は駆け出した。

 背中が焼けるように熱い。翼を溶かし、なお勢いの衰えない粘液がとうとう私の背中の皮まで溶かし始めたのだ。

 だが、痛みに喚く暇など無い。

 背後から、大蛇の啜るような息遣いを感じる。

 足を止めれば、待っているのは確実な死だ。

 追撃はない。

 大蛇は知っているのだ。一度でも自分の毒を浴びせれば、放っておいても獲物は力尽きると。必死になって追い回さなくても、力尽き、動かなくなった獲物をのんびりと食らえばいいのだと。

 そしてその考えは正しかった。

 視線の先、立ち並ぶ木々の先に差し込む光。森の切れ目。波の音が僅かに私の鼓膜を打った。

 あそこまで、あそこまで行けば。

 そう少しだけ気を抜いた着後、私の全身から力が抜け、気が付いた時には頭から地面へと突っ込んでいた。

 何があった。

 腰から下の感覚がない。

 擦りむいた膝の痛みも、痙攣しそうだった筋肉の痺れすらも感じない。

 視線は、向けない。

 振り向けば、脳裏に浮かんだ最悪の光景が形になりそうだったから。

 そして辛うじて自由の利く腕と、残った片翼を使って私は這いずりながら海へと向かう。

 こんなことになるのなら、手出しなどするべきではなかった。

 いや、森への影響など気にせずに、さっさと大蛇を焼き払ってしまえばよかったのだ。

 それをせず、中途半端に先のことを考えて、そのざまがこれか。

 

「全く、成長しないな、私も」


 ひたり。

 大蛇の冷たい体が私に巻き付き、じわりじわりと締め付けていく。

 決して逃がさぬよう、決して助からぬよう。

 息を吐けば、吐いた分だけ。

 ほんの僅かな胸の動きを察知して、それ以上吸い込めぬようにと万力の如く締め上げられる。

 まずい。

 意識が遠のく。

 大蛇がその大きな首をもたげ、吐き出される死臭が死神のように頬を撫ででいく。

 食われる。

 大猪を退けて、ようやくこれからというところで。

 まだ畑も作ってないし、魚醤も完成していない。

 林檎の木もまだ育っていないし、蜂蜜だってまだ十分に堪能していないというのに。

 満足し、思い残すこともなく逝った前回とは全く異なる、生へのの執着。

 それが、死を待つのみだった私に僅かな力を蘇らせた。


「死、んで、たまるかっ!」


 振り絞った力が、大蛇の拘束をほんの少しだけ緩めさせた。

 瞬間、それを押し返さんばかりに大きく息を吸い込む。全身に走る紋様が力強く光を帯びた。

 異変に気付いた大蛇が息の根を止めんと牙を剥いて襲い掛かるが、一足早く差し込んだ尻尾、その先端にある竹の盾が大蛇の大顎を食い止める。

 剥き出しの牙から滴る腐食液が鱗に触れて煙を上げるが、私の鱗はその程度で溶けてしまうほど脆くはない。

 全身の紋様がひと際強く輝いた、次の瞬間。

 かっと、私の口から放たれた紅蓮の炎が大蛇の頭を焼いた。あらん限りの力を振り絞り放った、文字通り渾身の一撃であった。

 その熱は大蛇の喉を焼き、粘液を沸騰させ、黄金の瞳を弾けさせる。

 断末魔の叫びすらも炎に溶かされ、もがき苦しむ大蛇の体から私はようやく解放された。

 いや、放り出されたといった方が正しいだろうか。

 苦し紛れに森の先へと投げ付けられた私は砂浜の上を一、二度跳ねたあと、波打ち際へと力なく横たわる。ひんやりとした感覚がなんとも心地よく、波が私の身体を洗う度に背の痛みが和らいでいくようであった。

 ちらりと、己の背を確認する。

 

「ああ、そりゃあ動かんわな」


 背中にあったのは、ぽっかりと空いた大穴であった。

 大猪の毛皮で守られた肩周りは難を逃れているが、腰の部分がごっそりと腐り落ちている。

 背骨は半分ほど繋がってはいるが、筋肉や神経は跡形もない。

 

「こりゃあ、駄目かもなあ」


 この身体の治癒能力は異常だ。それこそ、折れた腕ぐらいなら数日で治癒するほど常軌を逸している。

 大猪との戦いの折り、腹に風穴を開けられても完治したが、ここまで損傷が大きいとそれもどこまで期待できるか。

 ともかく、まずは手当てをしなければ。

 もう少しこうして波に打たれていたかったが、死んでしまっては意味がない。

 そうして砂浜に爪を立て、ひとまずは木陰にでも入ろうかと顔をあげたところで、私は言葉を失った。

 そこにいたのは頭を真っ黒に焦がし、両目も潰れ、自慢の牙も炭にして、それでもなお私を、自身をこんな目に合わせた怨敵の息の根を止めんと這い寄ってくる、幽鬼のような大蛇の姿であった。

 間違いなく、致命傷の筈だ。目も喉も潰し、あれだけ頭が潰れてしまえば蛇が持つピット機関とやらもろくに機能していないだろう。

 にも関わらず、大蛇は潰れた目で私を睨み、半ば溶けた牙を剥きだしにして迫ってくる。

 私の身体を大蛇の影が覆った。

 再び炎を食らわせようと力を込めるが、先程締め上げられた際に肋骨までやられたのか痛みが走るばかりでろくに力を練ることができない。

 

 やられる。


 そう覚悟した瞬間、こちらを嚙み砕かんと大口を開けた大蛇の動きがぴたりと止まった。

 すわ何事かと見上げていると、その背後から虎柄模様の毛皮がちらりと覗いた。

 大虎である。

 あの大虎がその強靭な顎で、大蛇の首を噛み砕いていたのだ。

 そうして大虎は大蛇を咥えて二、三度と振り回した後、その亡骸を砂浜に打ち付けてさらに喉へと牙を立て、確実に息の根を止めてみせた。

 勝鬨の声は上がらない。

 

「かっ、これは、一本、取られたな」


 まんまとしてやられたと、私は血反吐と共に笑みを漏らす。

 漁夫の利。

 自分が物陰に隠れて企んでいたことを、そっくりそのままやられたのだ。

 ちゃっかりしているというか、ずる賢いというか。

 この辺りのしたたかさこそ、私も見習うべきなのだろう。

 

 食え食え、食って腹でも壊してしまえ。


 最後の悪態はもはや声にもならず。

 薄れゆく意識の中で、金色の瞳だけがじっと静かに、こちらを見つめていた。


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