嵐の後には夏が来る
嵐と共に彼の龍が島を去ってから早三十日、ひと月の時間が流れた。
今思い返しても夢のような時間であったが、あの龍がもたらしたものはその言葉や吹き荒ぶ嵐だけではなかった。あの嵐は島中の木々を吹き飛ばし、巻き上げ、少なくない破壊の後を残したが、逆にその風に乗って島へと流れてきた物も多くあったのだ。
それは見知らぬ植物であったり、生物であったり、はたまた人工物であったりと様々である。勿論、あの縦横無尽に荒れ狂う嵐の中を流れてきた者たちであるので、その様相は凄惨という他なく、殆どが折られ、砕かれ、圧し潰されていた。
だがその中でも奇跡的に形を残し、生き残ったものたちもいる。
そういった漂流物を探し出し、収集するのもまた、今の私の日課となっていた。
特に海岸はまさしく嵐の後といった様子で、陶器の端っこやぼろ布、木片、鉱石の欠片など、様々なものが漂着している。しかし磯場の陰で一抱えはある大きな鼠の死骸を見つけた時などは、年甲斐もなく声を上げて腰を抜かしてしまった。
毛皮も肉も腐っていて使えそうになかったので、病気が広がらないようにと自前の炎で焼いて処理したが、それほどまでに様々なものが、今この島に流れ着いているのである。
「おっ、あったあった」
そして今日も今日とて、変わり種がこの島へとやってくる。
白い砂浜、渚のきらめきに混ざる異色。
砂に刺さったそれを持ち前の怪力で引っこ抜いてみれば、それは大きな木箱であった。胴のところは四角く、上部の蓋はアーチ状になっており、私がすっぽり収まってしまいそうなほど大きい。縁取りには金の装飾が施され、正面に拳大の頑丈な南京錠が嵌められている。
それは立派な、見れば見るほど絵に描いたような宝箱である。
しかし引っ張り出したそれを見て、私の口から漏れ出るのは落胆を含んだ溜息だった。
というのも、こういった宝箱染みた木箱を見つけるのは、実はこれが初めてではないのだ。
物置き代わりにしている大樹の洞に、同じような木箱があと三つも眠っている。それぞれ金属製の錠前が取り付けられているのだがこれがどうにも頑丈で、石をぶつけようが、崖から地面に叩きつけようが一向に壊れる兆しがない。空高くから放り投げても壊れないのだから、これはもう尋常ではない。
傾けてみると中から何やら転がったりぶつかったりする音がするので空では無さそうなのだが、思い切り踏みつけて足の爪がちょっぴり欠けてしまってからは心も折れて、どうせ食べ物ではないのだからと諦めてしまった代物であるのだ。
そしてどうやら今回の木箱もその類であるらしく、両手で抱えて振ってみればじゃらじゃらと、何やら小銭のような音がした。
どうせなら金物、鍋やら包丁やらでも入っていればやる気も出るのだが、人のいないこんな島で金目の物などいくらあっても腹の足しになるわけもなく、残念だが今回のこれも物置きで腐らせる羽目になりそうである。
「せめて鉄の外枠だけでも外せればなあ」
どちらかといえば何かもわからぬ中身より、見えている金具が欲しい。
箱の縁取りに使われている金属はどうやら鉄のようで、いつぞやか洞窟の入り口で見つけた例の石を近づけると、これが驚くことにぴったりと引っ付いてしまった。そう、あの石は大きな磁石であったのだ。
正確には磁鉄鉱、つまりは鉄鉱の一種であり、これを原料にすれば製鉄すら可能なのだが、残念ながらその設備がない。たたら場ほどの大規模なものは必要ないが、製鉄用の炉を作るとなるとさすがに簡単ではない。
幸い、今のところは鱗の鉈や斧で事足りているので、これもまた後回しになるだろう。
そんなことを考えながら拠点へ戻り、持ち帰った宝箱を洞に押し込んだ後はお楽しみ、昼餉の準備を始める。
今日の献立は小魚と貝を煮込んだ汁物と、新鮮な筍を焚火で焼いたものだ。
そう、つい最近ではあるが、ついにあの竹林で筍を見つけたのである。丸々と肥えた身は瑞々しく、焦げた表面の皮を剥がせば真っ白な湯気が立ち上がり、その奥にある黄白色の身に食らいつけばコリコリとした心地よい歯ごたえと共に、豊かな風味がふわりと鼻先に抜けていく。
実に美味い。だらしなく頬が緩んでしまうほどの美味しさであった。
ここに醤油をたらせばどれほどのものかと思わずにはいられない。だが、その願望が叶うのはまだまだ先の話。今はまだ、耐えるほかない。
筍を頬張りつつ、ちらりと我が家の方を見やる。そこには私の古臭い脳みそから絞り出した知識を元に、見よう見真似で作った魚醤の試作品が眠っている。
魚醤。
生魚、あるいは干物を大量の塩で漬け込み、発酵させた調味料である。
地方によってはいかなご醤油と呼ばれるだけあって、いわば魚から作る醤油のようなものだ。ナンプラーといえば、聞き覚えのある者も多いのではないだろうか。
これを今、我が家の枕元で作り始めている。
複雑な工程が必要になる醤油と比べ、こちらは容器に生魚と塩をぶち込んで発酵させるだけなので非常に楽だ。非常に時間がかかるのが難点ではあるが、一年や二年でこの島から出られないということは、先の龍が語った内容からも察することができる。
であるならば、今は焦るのではなく、落ち着いてどっしりと構え、長く安定して生きられる土台を作るのが先決であろう。
と、尤もらしいことを並べたが、実のところは味に飽きたというだけの話だ。
この試みが上手くいけば塩に加え、魚醤まで手に入ることになるのでかなり味に幅と深みが出せる。何より、焼き魚や野菜に醤油をかけられる。これに勝る喜びはないだろう。
「ゆくゆくはさしすせそを揃えてみたいものだが、難しいだろうなあ」
砂糖、塩、醤油、酢、味噌。
この内、砂糖と酢と味噌。これが実に面倒で、砂糖は蜂の巣などを探して蜂蜜で代用しようと思うのだが、酢と味噌、麹菌やら酵母菌やらが絡んでくるこれらが非常に厄介だ。
そも、簡単にどうにかなるのなら職人はいらない訳で、高野山の坊主も四苦八苦しなかった筈である。こんな無人島でそれをどうこうするのは無謀とも思える。
それにかまけて本丸が疎かになっては元も子もないし、これは諦めるのが賢明だろう。
その辺りに麹菌でも歩いていれば話は別だが。
事実は小説よりも奇なり、という言葉があるが、いくら何でも限度があろう。いや、化物染みた大猪や大鷲が襲ってきたり、龍が嵐とともにやってくる世界で限度も何もあったものではないだろうが、今のところ植物などにはそういった変わり種は出てきていないし、そうそう都合の良い生物もいないだろう。
ともかく、今はやるべきことをやる。ただそれだけだ。
と、いうわけで、私はまた洞の中に頭を突っ込んで鱗の斧を取り出すと、泉の周辺に並んだ木々の一本に力いっぱい打ち付けた。
この島に長く滞在し、生き残ること。それが目標になってから私が取り組み始めたのは、拠点周辺の整地であった。畑や家屋を作るために木を切り倒し、根を掘り起こして土地を拡げるのである。
設備が整えば、家畜など飼ってみてもいいかもしれない。いまだ野生の鶏などには出会っていないが、あれだけ大きな猪がいたのだから小さい猪も探せば見つかるだろう。
食らう為に育てるのは残酷だと思うだろうか。しかし、やはり食肉の安定した供給と保存を目的とするのならば、野生動物の家畜化は最適解に近い。
しかしどうせならば、まずは鶏を捕まえておきたいところだ。肉も卵も食用として利用できるし、何より飼いやすいし増えやすい。最近はめっきり空ばかり飛んでいたし、また地上を入念に探索する必要がありそうだ。
「ああいや、畑やったり家畜を飼うなら解決せんと駄目な問題があったなあ」
私の腰ほどの細い木を切り倒しながら、溜息まじりに泉の方を見やる。そこでは、先月よりも少しばかりしゅっとした毛玉が我が物顔で毛繕いなどに没頭していた。
やがてじとりとしたこちらの視線に気が付いたのか顔を上げ、そのくりくりとした黒い目でこちらをじっと見やり、やがて後ろ足で首筋のところをばりばりと掻きむしった。
なんともふてぶてしい態度であるが、家畜を飼うのならばこいつにもきつく言い聞かせておく必要がある。
何せ狸と言えば畑は荒らすわ家畜は襲うわ病気は移すわで、碌なことがない。私自身、友人の畑や家畜が散々な目にあっているのを幾度となく見てきたのだ。ここの狸には多少の知恵があるようだが、悪さをするようならそれなりの仕置きを考えなければならない。
私は相も変わらずぐうたらとしている狸に歩み寄り、その腋にさっと手を差し込んで頭の高さにまで持ち上げた。でろん、と小さなあんよがだらしなく垂れ下がる。
こうまでされながらもまるで抵抗しない呑気なその瞳をじっと覗き込んで、言った。
「いいか、ここが畑になっても、鶏が来ても悪さはするなよ。もし勝手に食ったり荒らしたりしたら、今度こそ鍋にしてやるからな」
こんこんと言い聞かせる私に対し、狸はいつもの馬鹿みたいな顔をこてんと傾げて、わかったのかわかっていないのか、きゅう、と一度だけ鳴いた。
本当にこいつは。
というかこいつ、結構な頻度でここに入り浸っているが、狩りは大丈夫なのだろうか。
しかもそろそろ本格的に夏の気配が漂い始める頃であるので、野生動物としては嫁さん探しに勤しまなければならない時期なのではないだろうか。
「お前さんも、もうちっとしゃきっとしていれば嫁さんも簡単に見つかるだろうに。ダメだぞお、楽ばかりしては。いいか、私が婆さんを嫁に貰った時などはそれはもう――」
夏の空に、虫の声。ところにより、年寄りのお節介。
あーだこーだと昔話を始めた爺を見て、狸はさも退屈そうに、くあ、と大あくびを漏らすのだった。
今回以降、ちょいちょい年数を飛び越えることがあります。
28年分ぎっちり書いたら三十年ぐらいかかるからね、仕方ないね。
申し訳ありませんが、宜しくお願い致します。