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大空を夢見て




「ご馳走、様でしたっ……」


 げふり、と盛大に息を吐きながら、私は倍以上に膨れ上がった腹を晒して大の字に倒れこんだ。

 結局また丸一晩食べに食べ、半分以上は干し肉や燻製に回したが、それでも数百キロは胃袋の中に収めることができた。

 明らかに身体の質量を超える肉を食った気がするが、恐ろしきは人外の肉体か。

 腹の中に火力発電所でも飼っているのではないだろうか。

 しかし食後に言うのもあれだが、出るものは出ているのでしっかり消化はしているのだろう。

 ちなみに出すときは離れた場所に拵えている簡易トイレを使っている。

 穴を掘って屋根を付けただけだが、今のところ不便はない。

 小さいほうはその辺で片づけられるし。

 本当に、食後にする話ではないな。

 ともかく、これで肉を腐らせる心配はなくなった。

 干し肉と燻製作りも順調であるし、これでしばらくは食料に困ることもないだろう。

 まあ、当分の間は肉を見るのも辛くなりそうだが。

 かつては腹いっぱい食うのを夢見た肉ではあるが、流石にこれだけの量、それも調味料すら無くひたすらかっ食らえば飽きも来ようというものだ。

 とはいえ昨夜の狸の一件もあるので、目を離すわけにもいかず、しばらくは拠点近くで道具作りに勤しむことになりそうである。

 籠、石器、土器にシュロ縄。

 足りないものは山のようにあるので暇になることはないが、せっかく生まれたゆとりなのだから出来る限り有意義に過ごしたい。

 そうすると、今までやろうにも出来なかったことに手を付けてみるのもいいかと、そう思いついた。

 つまりは、この身体がどういったものなのか、どこまで出来るのかを試してみようかと思う。

 幸い、泉の傍であれば、派手に動き回ったとしても砂埃などで肉を汚す心配もない。

 

「そうと決まれば、よっこらせい、と」


 でっぷりとした腹を抱えながら起き上がると、私は少し、いやかなり重くなった足取りで泉の傍まで行き、ぐっと翼と尾を伸ばした。

 やはり気になるのは、この翼だろう。

 被膜があり、Wの字に折り畳むことができて、折れ曲がった、腕で例えるならば肘にあたる部分に固い爪が生えている。

 第三の腕としてこれまで活用してきたが、やはり翼の本分とは風を捕まえ、大空へと舞い上がることにこそある。

 ダチョウやペンギンなど、飛べない鳥も数多くあれども、私にはこの翼がお飾りだとは到底思えなかった。

 間違いなく、空へ舞い上がる能力はある。

 ぼんやりとした感覚ではあるが、確信にも似た思いがそこにはあった。

 足りないのは経験か、それとも身体能力か。

 だがもし空を飛ぶことが出来たのならば、周囲の探索はおろか、近くの浮島へ飛んでいくことも可能になるかもしれない。

 つまりそれは、この無人島からの脱出を意味する。

 それは、我武者羅に求めるには十分すぎる光明であった。

 

「とりあえず、物は試しだ」


 大きく広げた翼を、ゆっくりと動かしてみる。

 ばっさばっさと、巻き起こしたつむじ風が泉の水面を揺らす。

 羽ばたく速度を、少しずつ上げていく。

 揺らめく程度だった水面が音を立てて飛び跳ね、泉全体に波紋を作り始めた頃。

 ぐっと、空気以外の負荷が翼にかかる感覚があった。

 何か、こう、地面から引っ張られているような、翼の先に重りでもつけられたような妙な感覚だった。

 だが、翼はまだ動く。

 動かせなくなるような重さではない。

 何の気なしに、軽く地面を蹴ってみた。

 スキップするような、そんな軽い跳躍。

 足が地面を離れた瞬間、ぐるりと世界が一回転した。


「うおおっ!?」


 思わず、素っ頓狂な声が漏れる。

 目の前には地面。顔面から、勢いよく突っ込んだ。

 真っ暗になった視界の中、自分がバク転のような恰好で後ろ向きに回ったのだと理解するのには、数秒の時を要した。

 思い返せば、私は翼を愚直に、斜め下に打ち下ろすように動かしていた。

 それがいけなかったのだろう。

 単純な動きではダメだ。それでは飛翔する為に必要な力を生み出せない。

 もっとしなやかに、滑らかに。

 顔を上げ、もう一度挑戦する。

 脳裏に描くのは、力強く羽ばたく大型の猛禽類。

 思い出す。

 飛び立つ際の彼らの雄姿を、鮮明に。

 まず姿勢は直立、ではなく、前傾姿勢に。

背骨を地面と水平に保つ、陸上競技のクラウチングスタートに似た姿勢。

 翼は斜めではなく、真下に打ち付けるように。

 しなやかに、それでいて力強く。

 力むのは振り下ろす時だけ。力を抜けば、翼は自然と元の位置まで帰ってくる。

 ゆっくり、確実に。

 一、二、三。

一、二、三。 

 徐々に、翼に込める力を増やしていく。

 ぐっと、翼が重くなる。

 大気以外の負荷がのしかかる感覚。

 同時に、地面を抉り取るぐらいの心意気で、飛び上がった。

 一瞬の浮遊感。

 下腹部から、内臓が押し上げられるような感覚。

 翼を開く。

 つま先には、何の感触もない。

 浮いた。

 浮いている。

高さにして一メートルあるかないかの、ほんの僅かな飛翔。

 それでも、それでも確かにこの瞬間、私は空を飛んでいた。


「や、やったへぶっ!」


 思わず歓喜の声を上げようとしたその瞬間。

 先程の比ではない勢いで、私は地面と熱い接吻を交わしていた。

 その姿はさながら放たれた槍の如く。

 いや、随分と見栄を張ったが、とどのつまりは墜落である。

 不格好にも、頭から。

 我ながら、頚椎を痛めてもおかしくない勢いであった。

 だが、それに相応しい成果はあった。

 私の翼は空を飛ぶのに何ら不足ない立派なものであったのだ。

 あとは扱い方を知り、経験を積むだけである。 

 よしそれではさっそく続きをと、顔を上げようとしたところで予想だにしないトラブルが発生した。

 角が刺さった。

 地面に。

 深々と。

 身体の成長と共に少し伸びていた立派な二本角が、地面に顔面を打ち付けた勢いでぶっすりと刺さってしまっていた。

 妙に反り返っているのが返し(・・)になっているのか、首の力だけでは抜けそうにない。

 くう、と、背後で聞き覚えのある鳴き声がした。


「あっ、お前こないだの狸だなっ。待て、待てお前、まさか干し肉に手を出したりはしてないかっ。ちょっ、ちょっと待てお前、すぐ懲らしめてやるからなっ」


 じたばたと、もがく。

 首をぐりぐりと動かし、翼も尻尾も総動員してのたうつ姿は、それはもう滑稽に映っただろう。

 心なしか、狸にすら笑われているような気がした。

 生娘の尻を見て笑うとは、とんでもない狸である。

 だがもがいたおかげで、深々と突き刺さった角は無事に引き抜くことができた。

 顔も角も髪も土だらけだが、それよりもまずは肉の心配をしなければ。

 土塗れの顔を振って鳴き声のした方を見やれば、そこには興味深げに干し肉を見つめ、前足を伸ばす狸の姿が。

 あと少しで届かずにぷるぷると身を震わせるその姿はあまりに愛くるしいが、それはそれである。

 私は傍に転がっていた木の枝を拾い上げると、あえて犬歯をぎらつかせながら怒鳴り散らした。

 

「こらっ、この畜生め、悪さすると食っちまうぞ!」


 棒で地面を叩きながらそう威嚇すると、狸は文字通り飛び跳ねながら森の奥へと逃げ去っていった。

 まったく。

 仏の顔も、という訳ではないが、今度見かけたら本当に捕って食ってしまうかもしれない。

 しかしあの様子では、完全に()の場所は覚えられてしまったようである。

 せめてもうしばらくはここで干しておきたかったのだが、食われてしまっては元も子もない。

 これだけの量をぶら下げる場所があるかどうかはともかくとして、今のうちに新居予定の大樹の上に運び込んでしまうとしよう。

 吊り梯子を往復するのは少し手間だが、まあ、翼と尻尾を使って運べばそう時間はかかるまい。

 鼠除けにもなるし、丁度いい機会だと思うこととする。

 手足も多少長くなったので、前ほど吊り梯子を登るのも苦ではないし。

 土塗れになった顔を泉で洗った後、私はさっそく作業にとりかかった。

干してあった肉の短冊を回収して、何本かに纏めて尻尾でくるりと巻いて持ち上げる。

 他は翼の爪に引っ掛けて、空いた両手でするするっと大樹の上へ。

 手近な枝に干し肉を吊るしていると、あの狸が茂みの中から恨めしそうに見つめている姿が目に入った。


「残念だったなあ。お前さんの短いあんよじゃ、ここまでは登ってこれないだろう」


 勝ち誇ってそう言ってみれば、奴さんは鼻先をふすふすとさせながらまた藪の中へと消えていった。

 これでもう、肉を盗まれる心配はない。

 だがああいった獣が出てくるとなると、畑を作るときにはしっかりと対策をしておかねば痛い目に合いそうだ。

 鼠なんかはもうどうしようもないだろうが、鳥や獣除けは今から作っておいて損はないだろう。

 新居に畑、ゆくゆくは石を組んで(かまど)なんかも作ってみたいものだ。

 ああいや、その前に空を飛ぶ練習だろうか。

 自由に空を飛び、他の島に渡ることができれば、そこで私以外の人間に出会うこともできるかもしれない。

 未だ人類はおろか、文明の影すら見えないありさまではあるが、希望は捨てず、夢は大きく異文化交流である。

 この身体の持ち主が目覚めてくれれば話は早いのだが、今のところ夢に出てくる様子もなし。

 であれば、日々是地道に進んでいくしかあるまい。

 

「今更生き急ぐ歳でもなし。まあのんびりとやらせてもらうよ」


 尻尾を巻き付け、大樹の枝の上で大あくびを一つ。

 暖かな日差しを浴びながら、ひとまずは食後の昼寝と相成るのであった。


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