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一本釣り?


「よっと、まあこんなものか」


 翌朝、私は日が昇るのと同時に作業を再開していた。

 大樹の枝に縄梯子を固定するのは少しばかり骨が折れたが、登ってみればきらきらと陽光を反射して輝く泉がなんとも美しく、流れる川のせせらぎを耳につい居眠りをしてしまいそうなほどであった。

 ともあれこれで、猪が襲ってきた場合にも速やかに避難することができるようになった。

 何ならこのまま大樹の枝を借りて、家でも建ててみようかと、そんなことを思う。

 ツリーハウスといえば男子ならば一度は夢見たであろう心躍る代物であるが、勿論目的はそれだけではない。

 地上から離れた場所に作ることで虫や獣の被害から身を守ることができるし、何より安心して眠ることができるようになる。

 熟睡できれば体力の回復も早くなり、体力に余裕ができれば昼間の作業効率も上がる。

 そして作業効率の向上は、生活の豊かさに繋がる。

 当たり前だが、やはり拠点、住居の品質というものはかなり重要なのだ。

 大樹はその逞しい体に相応しい、太く頑強な枝を多く伸ばしているし、簡単な拠点ならばなんら問題なく支えてくれるだろう。

 問題があるとすれば、それは時間。


「いったい何日かかることやら」


 枝の上で尻尾を揺らしながら、独り言ちる。

 朝から火を起こし、薪や食料を集め、罠や道具を作る。

今のところ、これだけで一日の大半が終わってしまう。

 勿論、暗くなってしまうと高所での作業などできる筈もないので、拠点作りをするとなると当然昼の間になるのだが、この時間がなかなか捻出できそうにない。

 

「どうしたものかなあ」


 ゆらりゆらりと尻尾が揺れる。

 少しずつ食料を備蓄しながら、余裕ができてきた頃に三日に一度。それぐらいなら、まだ何とかなるだろうか。

 

「せめてもう少しましな道具があればなあ」


 何せ今使える道具は石器だけ。これでは木を切るにもかなりの時間がかかってしまう。

 鉄製の道具でもあれば文句はないが、まさか鉄鉱石から製鉄を始めるわけにもいくまい。

 となればこれはもう、地道に進んでいくしかないだろう。

 そうそう、建材の問題もある。

 太い枝を伸ばしているとはいえ、さすがに耐えられる重量には限界がある。

 となれば、家の中に食料やら道具を置くことを考慮すると、建材として利用するものはなるべく軽いものがいい。

 理想としては、やはり竹か。

 しなやかで軽く、火で炙れば簡単に曲げることができる加工のし易さ、さらには工事現場の足場に使われるほどの頑丈さ。

 建材としてみれば、これ以上のものはない。

 が、この空に浮く島でそんな簡単に、そんな都合よく竹が見つかるものだろうか。

 まだ島全体を探索した訳ではないので無いとは言い切れないが、まあ、この辺りは今考えたところでどうにかなる問題でもないか。

 ぐっと枝の上で伸びをして、私はするするっと縄梯子を伝って下へと降りる。

 ともあれまずは今日の糧だ。腹が減っては戦ができぬ、という訳ではないが、まずは食って体力をつけなければどうにもならない。

 今日は海まで行って、魚用の罠を仕掛けようと思う。

 使うのは蔓とシュロの縄で作った(うけ)と呼ばれるシンプルな罠だ。

 名前自体はあまり馴染みのないものだろうが、要は子どもがペットボトルの頭を切ったりしてよく作っているあれだ。

 大きな筒の中に先をすぼめた三角錐の入り口が付いていて、中に入った魚が外に逃げられない仕組みになっている。

 これを都合三つ。いつも貝を集めている磯場に仕掛けようかと思う。

 さすがに大物は無理だが、小魚やエビ、カニなどが獲れれば万々歳だ。

 背に腹は欠けられないとごまかしてはきたものの、精神的な面でも、栄養的な面でも、そろそろ貝と果実だけでは限界に近い。

 海岸に到着すると、私はさっそくお手製の罠を、あらかじめ目星をつけておいた場所へ設置していく。

 餌にはココナツの果肉を使う。波で流されないように石で固定し、しっかりと動かなくなったことを確認して次の場所へ。

 そうして罠を設置しているさなか、思いもよらぬトラブルが私を襲う。

 それはある意味必然であり、私がまだこの身体に馴染めていない、ある意味迂闊とも言える隙を突くような形で襲ってきた。

 始まりは臀部付近、人間では持ちえないとある部位に感じた圧迫感。ぐっと、何か石のような冷たく固い何かにつかまれる感覚。

 そしてその違和感に気が付いた刹那、それは急激に圧力を増し、万力で締め付けられたような、あるいは熱鉄を押し付けられたかのような痛みが脳天まで走り抜けた。

 そのあまりの唐突さに、年甲斐もなく私は声にならない悲鳴を上げながら磯場の上を飛び回る。


「ひい、ひい、な、なんだこりゃ……!」


 磯場から飛び出し、砂浜を転げまわった挙句に痛みの元、己の尻尾の先を確認してみれば、そこには磯場と同じ岩の色をした、私の拳ほどはある大きな鋏がぶら下がっていた。

 蟹。うん、蟹や海老によく似た鋏だ。なぜこんなものが、私の尻尾を掴んでいるのか。

 首をかしげながら考えていると、視界の隅にかさかさと動くものがあった。

 蟹だ。岩と同じ色と形をした、大きな蟹が砂浜を歩いている。

 その姿を見て、私はようやく合点がいった。

 恐らくあの蟹は、私が先ほどまで罠を仕掛けていた磯場の岩陰に潜んでいたのだろう。

 そうして隠れていた場所に運悪く私が無意識に動かしていた尻尾がぶら下がり、蟹はそれを餌、あるいは外敵と誤認して攻撃した。

 とまあ、概ねそんなところだろう。

 

「しっかし、馬鹿みたいな力で挟みおってからに……よっこら、せっと!」


 鋏の上下をしっかりと掴み、外す。挟まれたところは少し鱗が凹んでいたが、出血やら目立った外傷はなし。

 しかし触ったところ私の尻尾の鱗も相当な硬さのはずなのだが、それをアルミ缶のように凹ませるあの蟹もなかなかのものだ。

 例えば日本は沖縄で見られるヤシガニなどはその強い力でヤシの実すら割って食べてしまうというが、あの蟹もそれに近しいものなのだろうか。

 

「それにしても、でかい鋏だなあ」


 尻尾から取り外したそれはずしりと重く、私が日々集めているヤシの実と比べても遜色のない重量感であった。

 そして、重たいということは、それだけ身が詰まっているということでもある。

 ちらりと、未だのそのそと砂浜から磯場に帰らんと横向きに歩いている蟹を見る。

 鋏を見る。蟹を見る。

 だらりと、口の端から涎が滲み出るのがわかった。

 そこからはもう、手慣れたものだ。

 逃げようとする蟹の背を自慢の足で踏みつけ、押さえつける。反撃しようと振り上げた鋏を捕まえ、蔓で縛る。蟹は挟む力は強い反面、鋏を開く力はそう強くない。こうしてしまえばもうまな板の鯉、もとい蟹である。

 あとは表裏をくるっとひっくり返して、蟹の口に木の枝を差し込み、しめる。

 びくりと手足を跳ねさせ絶命する光景は残酷なように見えるが、こちらも命がかかっているのだ。可哀想だから殺さない、などと綺麗ごとを言っていれば、明日は私の亡骸をこいつらが啄んでいる、なんてことにもなりかねない。

 他の命を、己の命を繋ぐために食らう。

 それが植物だろうと、動物だろうと、その真理は変わらない。

 ただ、無駄にしない。

 硬い殻も、その中に詰まった肉も、全て余すことなくありがたく頂く。

 それが、それこそが、それだけが、今の私にできる、私が奪った命に対しての最大限の敬意であると、そう思う。

 

「これでよしっと」


 蔓で縛りあげた蟹を担ぎ、帰路へと着く。

 頭の中は、もう蟹のことでいっぱいだった。

 なにせこの島に来てから初めてのご馳走である。自然と足取りも軽くなり、心なしか翼もいつもより大きく羽ばたいているように見えた。

 拠点につくと、さっそく調理の準備だ。焚火に薪をくべ、土器に水と蟹の鋏を入れひと煮立ちするまで待つ。

 その間、残った部位は石焼きにする。

 じわりじわりと立ち上る熱気と、辺りに漂う香ばしい蟹の匂い。

 ぎゅるると、腹が鳴った。

 すきっ腹をさすりつつ、じっと蟹が焼きあがるのを待つ。

 そろそろ、いいだろうか。

 いや、もう少し待ったほうが。

 まだ、まだ。

 もう少し?

 まだ早い。

 もう少し、もう少し。

 もう、いいだろうか。

 いいだろう。

 うん。


「いただきます!」


 そうして両手を合わせ、手を伸ばさんとしてから、はっとする。

 大きな蟹。丸焼き。熱々。

 素手で、どうやって食べれば……。

 

「ど、どうすっぺか……」


 うんうん唸るも、火傷を負うリスクを冒せる筈もなく。

 長い尻尾がゆらゆらと揺れ、翼が落ち着きなく動き回る。

 ともあれ、そんなことをしても解決策など絞り出せるはずもなく。


「これは、正しく蛇の生殺しになってしもうたな……」


 そうしてとうとう困り果てた私は、頭を抱えそんなことを呟くのであった。

罠を使っての漁(遊漁)は地域により漁業調整規則違反となる場合があります。

違反者には懲役、罰金などの罰則が科せられますので、

各自治体の「漁業調整規則」や「内水面漁業調整規則」をよく確認し、使用してください。

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