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練る、作る、考える


「そういえば、もう一週間以上は経っているのか」


 朝日差し込む朝もやの中、ぐっと伸びをしながらふとそんなことを思う。

 ひい、ふう、みい、と指折り数えながら記憶を辿れば、なんとなんと、この無人島で目覚めてからもう九日も経っていた。

 生き残るのに必死でそんなことを気にする余裕がなかったのもあるが、それ以上に毎日薪を集め、食料を調達し、火を起こしたり道具を作っているだけで一日が終わってしまうので、時間の感覚がかなり狂ってしまっているのだろう。

 まあ今私がいるのはテレビも電車もバスもない異世界の無人島であるので、体内時計が狂っていようがさほど気にする様なことではないのだが、せめて日数ぐらいは把握しておきたい。

 まさかこの世界で地球の暦(太陽暦)が通用するとも思えないが、さすがに季節ぐらいはあるだろう。少なくとも冬は来ると考えて行動しなければ、最悪飢えて死ぬはめになる。

 そんなわけで、私は手ごろな石板に石器で傷を付ける。

 横棒を六つと、縦の線を一つ。これで七日とし、さらにその横に追加で横線を二つ引いて九日となる。

 簡易的かつ原始的だが、まあ無いよりは随分と良い。

 こうして何日経ったかを記録していくことで、この島の気温、気候がどのようにして移り変わっていくのか、それを図る指標となる。


「願わくば、冬までにこの島から脱出したいものだがなあ」 

 

 洞の中にカレンダー代わりの石板をしまい込むと、遥か遠い雲を眺めながらそう独り言ちる。

 周辺の植生や気候を鑑みるに、この島は地球でいうところの熱帯雨林に近い。

 日本人にはあまり馴染みのない単語だが、要はアマゾン、ジャングルと聞いて連想するような深い森のことだ。

 一年を通して気温が高く、日本のように雪が降るほど冷え込むことはまずない。

 ならば冬に向けてそう悲観的にならなくても良いように思えるが、そもそもが空に浮く島の話であるので、地球でこうだからここでもこうだろう、という判断はあまりにも軽率すぎる気がするのだ。

 さらには気温がそれほど高くもなく、雨の頻度も少ないのも気になる。

 素人の私でも簡単に火が起こせるほど湿度も低いし、記憶にある熱帯雨林の情報との差異がどうしても気がかりだ。

 考えすぎかもしれないが、それなりに用心して備えておいた方がいいだろう。

 その為にも、目指すべきは冬を迎えるための保存食の作成。そしてそれらを保存しておく為の容器と場所の確保である。

 その第一歩として、まずは土器を作る。

 材料はいつだったか、海へ向かう道中に見つけた川辺の粘土を使う。

木の棒を使い掘り出した粘土を蔓で作った籠に詰め込んで拠点に持ち帰ると、それを大きな平たい石の上に広げ、丁寧に細かく砕いていく。

 この時、粘土に混ざった小石や枝、落ち葉の欠片などはひび割れの原因となる為、丁寧に取り除いておく。

 それが終われば次は少しずつ水を加えながら、ほどよい粘り気になるまで練り続ける。

 最後に成形。いよいよ土器の形を作る。

 皿のように丸くして器の底部分を作った後、棒状に伸ばした粘土を使ってその縁に沿うようにして輪を作り、何段も重ねていく。

 そうしておおよその形ができたら、水で濡らした指の腹を使いそれぞれの接点を繋ぎ合わせ、表面を滑らかにする。

 ここも大事。ここで少しでもひびを残すと、焼いたときに割れる原因になってしまう。


「しかし、こんな森の中、半裸で陶芸をすることになるとは、人生何が起こるかわからんもんだなあ」


 しわがれ、ひび割れた枯れ枝のような指先はもうなく、粘土で汚れるそれはまるで瑞々しい若葉のようで。

 丸太に腰掛け、尻尾を揺らしつつ黙々と土器を作ること数時間。ようやく三つ土器を作り終えた頃にはもう空は赤く染まりはじめ、うっすらと星が顔を出し始めていた。

 大中小と、三つ。

水飲み用と、調理用と、保存用。

 昔取った杵柄のおかげか、それとも身体を借りているこの娘っ子が元々器用なのか、べちょりと潰れることも、崩れることもなく、形だけならばそれなりの見た目にはなった。

 勿論、これで完成ではない。

 ここから乾燥、そして焼きの過程が必要になるのだが、かなり時間がかかるので今日はここまで。

 出来上がった三つは崩れないように石板の上に置いて、洞の中で保管する。

 とりあえずは一晩このまま乾かし、明日の朝から火を使ってさらに乾燥させるとしよう。

 

「これでよしっと。さて、それじゃあ暗くならないうちに今晩の御飯(おまんま)でも採ってくるかな」


 とはいえ、そう時間の余裕は無い。のんびりしていれば、あっという間に夜になってしまう。

 川でささっと手を洗い、森の中へ。開けた泉周辺はまだ明るかったが、背が高い木が多い森の中はもう夜のように暗く、まるで別の世界のような、妙な怪しさがあった。


「いや、実際に別の世界に来ているのだったな」


 そうやって呵々と笑いながら、もうすっかりこの程度なら見渡せるようになった目で、もうすっかり我が家の食事の定番となったいつもの果実を拾って歩く。

 拾った果実は、尻尾にぶら下げた籠の中へ。ゆらりゆらりと勝手気ままに揺らめきながらも、ひっかけた籠がずれ落ちることはない。我が身体ながら、器用なことである。

 いつも通りの、何度も繰り返してきた慣れた作業。そんな意識であった。

 思えば、それもある種の油断だったのだろう。

 新しい環境に慣れ、適応しつつあった意識の隙間。ほんの少しの気の緩み。

 自然は、野生はそんな生への甘えを許さない。


「……これはキツイな」


 初めに感じ取ったのは、異様なまでに濃厚な獣の臭い。

 間違いなく、猪のものである。

 それと同時に見つけた、ある異変。

 森の中に並ぶ木々の中でもひときわ太い幹をもつ大木に刻まれた、下から上に切り上げたような切り傷。

 これ自体は、猪が牙を研いだ跡だろう。昔、知り合いの畑の近くで見かけたことがある。

 だが、異様なのはその太さと、高さ。

 腕ほどはある太さの鉈で切りつけたような、巨大な切り傷。それが私の胸当たりの高さに刻まれていた。

 尋常ではない大きさだ。少なくとも、百キロ程度では収まらないだろう。

 百キロ越えの猪でも、十分に怪物サイズ。その大きさは大型犬を軽く超え、馬力は言わずもがな、丸腰の人間がどうこうできるものではない。

 瞬間、若返った脳細胞が全力で動き出す。

 拠点に残っていた痕跡から、相当な大きさとは思っていたが、まさかこちらの常識を超えるほどのものだとは思っていなかった。

 この巨体に対し、落とし穴の深さは十分か。埋め込んだ槍の長さ、耐久性は致命傷を与えるに足るか。

 いやそもそも運よく仕留めたとして、果たして石器だけで解体できるものなのか。

 あるいは罠を見抜かれ、襲われた時にどうするか。

 応戦。

下策中の下策だろう。百キロ以上の猪、いわばフロントに鉈を付けた大型バイクに真っ向からぶつかるようなものだ。

 逃げるしかない。それも、ただ逃げるだけでは駄目だ。

 猪の走る速度は最高で四十五キロ。百メートルを九秒台で走る陸上選手ですら逃げ切れないほどの速度で走ることができる。

 より確実、安全なのは高い木に登ることだろう。さすがの猪も、木の上までは追ってこれない。

 問題は、拠点としている泉周辺にそういった木がなく、開けてしまっている点。

 よーいどんで逃げ始めたら、まず勝ち目はない。私が木に登るよりも先に、猪の牙が私を貫くだろう。

 ひやりと、背中を冷たいものが伝う。

 ともかく、まずは拠点へ帰ろう。

 視界がきかず、充満する獣臭のせいで鼻も役に立たなくなった森の中では、あまりにも心許ない。

 ひとまずは比較的安全な拠点へと戻り、今後の対策を考えることにしよう。

 しかし、急いではいけない。

 慎重に、慎重に、周囲を警戒しつつ、いつ草陰から獣が飛び出してきても対応できる気構えで、すり足に近い歩みで来た道を戻る。

 いざとなれば、抱えた籠すら投げ捨てて遁走しなければならないだろう。

 だがそんな私をあざ笑うかのように、森は静けさを保ったまま。

 気が付けば私は森を抜け、泉の傍へと帰ってきていた。周囲に獣の気配はなく、辺りを浄化するような清々しい風だけが吹いている。

 一つ、二つ、三つ数え、ぶはっと息を吐いた。


「ああ、生きた心地がしなかった。しばらく、森に深入りするのはやめておこう」


 倒れるように尻もちをついて、そうぼやく。

 肉は食いたいが、バケモノ猪とやりあうなんて文字通り死んでもごめんであった。

 なんとか、しなければ。

 真っ向勝負で勝つ方法、ではなく、追い払う、この場所に近づけさせないようにする、そんな手を。

 空を、頭上で瞬く星を見上げる。

 今夜は、まるで眠れそうな気がしなかった。

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