82 おまけ その1(舞踏会での続き)
「ミナもすっかり貴族令嬢らしくなったわね」
フロアへ向かう後ろ姿を見つめながらリゼは感慨深く呟いた。
孤児院で初めて会った時、ミナは明らかに他の子供とは異なる気品があった。
すぐに貴族の血を引いていると気づき、本人からも大まかな事情は聞かされていた。
ミナが魔法を使えるようになった時、いずれこの子は貴族社会に戻るだろうという予感を覚えた。
だから少しずつ、貴族の事や仕草などを教えていたのだが。
それでも王太子の婚約者として立派に振る舞えるようになるほどとは———どれほど努力をしたのだろう。
「アンネリーゼ様には妹がとてもお世話になったと聞いています」
アルトゥールがそう言って頭を下げた。
「我々家族ができなかった事を代わりにして頂き、ありがとうございました」
「…私はシスターとして面倒を見ただけですわ」
「ですがミナに貴族としてのふるまいを教えたのはアンネリーゼ様と聞いています」
「それが彼女に必要となると思ったから教えただけ。ミナは素直で物覚えもいいから教えるのも苦ではありませんでしたわ」
呪いのせいとはいえ、生まれた時から実の家族に酷い扱いを受け、家を出た後も裕福ではない田舎の行商人の娘として育ち、さらに養父母を失い孤児院にやってきた。
そんな経験を持ちながらも、ミナはいつも明るく素直だった。
汚れる事のなかった清くて強い心があるからこそ、女神に愛され力を授けられたのだろう。
そのミナは今、アルフォンスと楽しそうに踊っている。
ファーストダンスは伝統的で格式のある曲だったが、今流れているのは若者が好む明るくて賑やかな音楽だ。
緊張が抜け、アルフォンスに笑顔を向けるミナはとても幸せそうだった。
(ダンスもあんなに上手く踊れるなんて…本当に努力したのね)
リゼはミナにダンスは教えなかった———いや、教えられなかったのだ。
かつて王太子ハルトヴィヒの婚約者で才色兼備と称えられたリゼだったが、ダンスだけは苦手だった。
ハルトヴィヒのリードで何とか形になっていたものの…初めて公の場で踊った時は何度も彼の足を踏んでしまい、以降も間違えないようにするのが精一杯で、ミナのように楽しく踊る事はできなかったのだ。
今日の舞踏会も、ミナの晴れ舞台を見届けたい思いで出席したけれどダンスだけは誘われても断ろう、そう心に誓ってやってきたのだ。
「アンネリーゼ嬢。一曲お相手願えますか」
早速きた。
断ろうと声のした方を向いたリゼは瞠目した。
「…ハルトヴィヒ殿下…」
穏やかな笑顔でハルトヴィヒがリゼの前に立った。
「———申し訳ございません。今日は踊らない事にしていますの」
「それは誰の手も取らないという意味?それとも…相変わらずダンスは苦手?」
「シスターにダンスは必要ありませんから」
リゼはハルトヴィヒを睨むように見た。
「追放されてからは一度も踊った事がありませんわ」
リゼのダンスの腕を一番知っているのはハルトヴィヒだ。
踊りたくないと思っている事も分かっているだろうに。
「そう…でも誰とも踊らない訳にはいかないだろう」
舞踏会はその名の通り、ダンスを通して親交を深める場だ。
一曲も踊らず帰るのは主催者に失礼とされている。
それくらいリゼにも分かっている。
それでも。
下手なダンスを見られて恥を晒すくらいなら、失礼であっても踊らず帰った方がどれほど良いだろう。
「元から苦手な上に、長く貴族社会から離れていたせいでダンスを忘れてしまいましたの」
だから踊らなくても大目に見てもらおう、リゼはそう目論んでいた。
「そうか…実は私も五年間、誰とも踊っていなくてね」
思いがけないハルトヴィヒの言葉にリゼは目を見開いた。
「だが今日は祝いの場でもある。どうしても一曲は踊れと父上から命じられているんだ」
「そういえば殿下が踊っている姿を見ていませんね」
ハルトヴィヒの言葉を裏付けるようにアルトゥールが言った。
「舞踏会に出席するのも随分と珍しいですし」
「今までは魔術団の仕事を理由に避けていたからな。だがこれからはそうもいかない」
答えて、ハルトヴィヒは改めてリゼに手を差し出した。
「どうか助けると思って踊ってもらえないだろうか」
「…私ではなく他の方を誘えばよろしいでしょう」
「長く踊っていないから、一番慣れている君がいいんだ」
「———一曲だけですわ」
小さくため息をついて、リゼはハルトヴィヒの手に自分の手を重ねた。
ダンスを終えて戻ってきたミナは、入れ替わるようにリゼとハルトヴィヒがフロアに向かうのを見て驚いたように振り返った。
「絶対踊らないと言っていたのに…」
リゼからダンスを教えなかった理由を説明された時に、今日の舞踏会にも参加はするけど踊らないとリゼは宣言していたのだ。
「あれは殿下の戦略に乗せられたね」
アルトゥールが言った。
「王子様達は女性を絆すのが得意なのね」
その隣でフランツィスカが小さくため息をつく。
「戦略?」
「相手の優しさにつけこんで逃げ道を塞ぐのよ」
「———その言い方だと私がミナの逃げ道を塞いだと?」
「あら、違うのですか?」
眉を顰めたアルフォンスにフランツィスカは笑みを浮かべると、視線をフロアへ送った。
「この場で踊るなんて、あの二人が復縁したと周知させるようなものですわ。殿下に恥をかかせる訳にはいかないというアンネリーゼ様の優しさにつけ込んだのでしょう」
話が読めず首を傾げたミナに、フランツィスカは経緯を説明した。
「…でも…アンネリーゼ様もハルトヴィヒ殿下の事、好きだと思うわ」
ミナは言った。
「だからつけ込んだという訳でも…」
「そういう女心につけ込んだという事よ。いい、王家主催の舞踏会で殿下が最初に踊るのは本命なのよ」
フランツィスカはぴっと指を立てた。
「好き合っているから結婚できるとは限らないわ。でもアンネリーゼ様が殿下の本命であると知れ渡ったら他の男性達は言い寄れなくなるの。そうやって周囲から固めて逃げられなくするのよ」
「…そうなの…色々と大変なのね…」
妙に感心しながらミナは頷いた。
本日夜にこの続きをアップ予定です。




