76 闇の森
「準備は整ったな」
朝食を終え、身支度を整えた一同をブルーノが見渡した。
ここからは馬を置いていく。
いつ大規模な魔物の群れに遭遇してもおかしくないからだ。
「作戦は各自頭の中に入っているな。いいか、決して自分の役目を忘れるな。行くぞ」
歩き始めて一時間ほど経つと、急激に魔物の気配が濃くなった。
幾つもの不快な視線がこちらを窺っているのを感じる。
「…襲ってはこないのか」
周囲に意識を配りながらアルフォンスが呟いた。
「ここは人間ではなく魔物の棲家ですからね。我々が攻撃を仕掛けない限り、そうすぐには襲ってきません」
アルフォンスとミナを挟むように歩いていたエーミールが答えた。
「けれどいつ我々を敵と認識するか分かりません。気は抜かないで下さい」
「ああ」
頷いて、アルフォンスはミナを見た。
「ミナ、疲れていないか」
「はい」
「足は痛くないか?」
「大丈夫です。…孤児院では一日中、山を歩き回った事もあるんです」
ミナは普通の貴族よりもずっと健脚だ。
学園の実戦でも、他の男子達よりも疲れる事なく歩き続けていた。
「そうか。少しでも何かあればすぐに言うんだ」
「…はい。ありがとうございます」
アルフォンスが過度の心配性になったのは、ミナが一度王妃教育の疲れで熱を出してからだ。
だがあれは慣れない王侯貴族の名前や歴史を詰め込まれたからで、王妃教育と離れている今はむしろその事に頭を使わなくていい分、心も、そして身体も軽い。
(育ってきた環境が違うから…私の状況をアルフォンス様に理解してもらうのは難しいのよね)
どう伝えていくべきか、帰ってから考えよう。
そう思った時、ミナは凍りつくような空気を感じた。
「構えっ」
ブルーノの低い声に全員が身構えた。
明らかに敵意を持った気配がじわじわと近づいてくる。
「ラルゴ、状況を」
ブルーノは空間把握魔法に長けた団員に尋ねた。
「魔物の集団が広範囲からこちらへ向かって…囲まれています。祠までの距離は約三キロ」
「少し距離があるが…仕方ない。祠まで一気に行くぞ。結界準備!」
アルフォンスが剣を抜いた。
「走れ!」
合図と共にミナとアルフォンスが魔法を放った。
実戦の時は風魔法と光魔法を重ねる事で攻撃力を増したが、それを結界魔法にも使えないかと言ったのはエーミールだ。
その事は一組でも考え試したのだが、攻撃魔法と防御魔法を組み合わせるのは難しく、その時は上手くいかなかったのだ。
だが魔法研究に長けるエーミールと、そしてリゼの協力で二人の魔力を同調させる事を可能にした。
練習を繰り返した結果、ミナの結界魔法の強度を倍以上高めるまでになったのだ。
金色の光に包まれながら走る討伐隊に樹々の影や上から大量の魔物が襲ってきた。
ミナの頭上を幾つもの魔法や魔物の咆哮が飛び交う。
周囲を見渡す余裕もないミナが出来るのは、ともかく転ばずに走る事、そして結界を維持する事だけだった。
邪神を倒すのに必須なのはミナとアルフォンスの力。
この二人を守るように周囲を団員が囲む。
いつもは先陣を切って攻撃に加わるアルフォンスも、今は防御に徹していた。
「あと少しで祠です!」
息を切らしながらどれだけ走り続けただろう。
ミナの目の前に黒い闇を纏った洞窟が現れた。