74 闇の森
「ミナ、身体は痛くないか?」
「はい」
「疲れてはいないか?」
「…大丈夫です、アルフォンス様。さっき休憩したばかりですから」
背後のアルフォンスを振り返りミナは笑顔を向けた。
討伐隊が王都を出発して十日。
闇の森へ入り三日が経っていた。
ミナはアルフォンスと共に、彼が手綱を握る馬に乗っていた。
馬に乗る練習はしたのだが、魔物の出る森の中を一人で乗るだけの技術を身につけるには間に合わず、アルフォンスに同乗する事になったのだ。
討伐隊の出発までの二ヶ月はとても忙しかった。
団員達と共に訓練に参加し、彼らとの連携の訓練や魔術の腕を磨く事と同時にお妃教育も受けなければならなかったのだ。
アルフォンスとは討伐後に正式に婚約する事になっていた。
だがそれからお妃教育を行うのでは、婚約お披露目の場であるシーズン最初の夜会に間に合わない。
それまでに最低限のマナーやダンスを身につける必要があるのだ。
学園に行く時間はもちろん、家に帰る暇もなく、ミナは魔術団の訓練に行く以外は王宮に籠りきりだった。
王宮には父と兄が働いているし、母やフランツィスカも会いに来てくれる。
それでも慣れないお妃教育は辛く、孤児院や、あまり暮らした事のないフォルマー家の屋敷が恋しく思えた。
それでも頑張らなければ、とミナは必死に教師達からの課題をこなしていった。
そんなミナを心配してアルフォンスがこまめに会いに来るのだが、心配のあまりミナが少しでも疲れた顔を見せるとすぐに休ませようとしたり課題の量を減らそうとする。
あまりの過保護ぶりに、やがて国王の命で勉強時間の間は接触禁止令が出てしまったのだ。
ミナとしても、アルフォンスの前では疲れを見せてはいけないと思うあまり余計疲れてしまう、という悪循環から逃れられたのはありがたがったのだが。
王宮から離れ、討伐の旅に出た途端アルフォンスはミナから片時も離れようとせず、過保護に拍車がかかってしまった。
(本当に…アルフォンス様ってこんなだったかしら)
元から優しかったけれど、厳しさもあったはずだ。
こんなに甘くて王として大丈夫なのか、不安になりフリードリヒに相談すると「甘いのはヴィルヘルミーナ様の前だけなので心配不要です」と言われてしまった。
ならば良いのだけれど…いや、それでも。
(あまり甘やかされると…人としてダメになりそうで怖いのよね)
背中に感じるアルフォンスの体温に安心感と、腰に回された腕にくすぐったさを感じながらミナは森の奥へと進んでいった。
闇の森は言葉通り、昼でも暗い。
事前の話では元から多い魔物が更に増えたという事だったが、思っていたより遭遇する魔物の数は少なかった。
風もなく、森は不穏な静けさに包まれていた。
「これだけ少ないと逆に危険だな」
エーミールが言った。
「ああ…やはり祠の周辺に集まっている可能性が高いのか」
隊長のブルーノが答えながらミナを見た。
出発の前日、ミナは久しぶりに女神の声を聞いた。
そこで闇の森にある祠周辺に、非常に濃い魔物の気配があると教えられたのだ。
『ごめんなさい、私はあすこへは近づけないの…邪神の気配が強すぎて』
祠は邪神の力が蓄積された場所。
そこに溜められた邪神の魔力にあてられると、女神の力は弱まるという。
そして女神の力を宿すアルフォンスとミナの力もまた、弱まってしまうのだと。
『その時が来たら、あなた方二人に今の私の力を全て与えるわ。だからそれまで持ち堪えて』
チャンスは一回。
大量にいるであろう魔物をかわしながら、邪神にミナの力をぶつけなければならない。
(本当に…できるだろうか)
胸に湧き上がる不安を鎮めるように、ミナは胸のペンダントを握りしめた。
「ミナ」
その手にアルフォンスの手が重なる。
「大丈夫だ」
「———はい」
頷いたミナを、アルフォンスは優しく抱きしめた。