68 誕生日
「———そういうミナは、平民でいた方が良かったと思っているのか?」
「え…」
アルフォンスの問いに、ミナは目を瞬かせた。
「…私は…まだ貴族の世界の事をよく知らないので…どちらがいいとは…」
少し前までは、平民である事を望んでいた。
今でも平民に戻りたい気持ちもあるけれど、家族の元へ戻り、共に過ごすようになり…これもいいのではないかと思えるようになってきた。
最初は息苦しいと感じた、侍女達に世話をされる生活にも少しずつ慣れてきた。
まだ学園関係以外の貴族と接した事はないし社交にも出ていないけれど、家族やフランツィスカがいれば何とかなりそうにも思えていた。
「昨日は二年生につきまとわれていたようだが…それで貴族が嫌になったりはしていないか?」
「あ…はい…大丈夫です」
ミナが学園に復学した日は遠巻きに見ていた生徒達だったが、ハンナ達が言っていたように貴族らしくなったミナを見て噂を確信したのだろう。
翌日から声を掛けられる事が増えた。
フランツィスカ曰く、ミナに接触しようとする者は宰相家と近づきになりたい親の命でそうしているか、あるいはミナ自身が狙いなのだという。
そういう者達が出てくる事は家族からも聞かされていたし、けれど学園の中では評価に関わるから強引な者はいないだろうと言われていた。
王子も在籍する学園内で問題を起こし処分を受ける事の方が、よほど家にとって痛手なのだ。
昨日も三人の二年生の男子に囲まれたが、そう怖い思いをするほどではなかった。
「これから学園にいる時はフランがなるべく一緒にいてくれると言っていましたし…昨日もエドモント様が注意して下さったので…」
「エドモント?」
アルフォンスは露骨に眉をひそめた。
魔術団長の息子であり、嫡男のエドモントは魔術団入りを目指す生徒にとって、未来の上司となる可能性が高い。
上級生といえども彼に逆らう事は無理だろうと、盾になってくれたのだ。
ふいにアルフォンスが立ち上がった。
無言でミナの隣へと座ると、膝に置かれていた手を取った。
「え、あの…」
「アーベントロート家からも婚約の申し込みがあったそうだな」
ミナの手を握ったまま、アルフォンスはもう片方の手をコートの胸ポケットへ入れると何かを取り出し、ミナの手へと近づけた。
ひんやりとした感触のものが指に嵌め込まれるのをミナは感じた。
「…え…これ…」
それは赤い小さな石を、薔薇の花びらのように組み合わせた指輪だった。
「これは私から君への誕生日祝いだ。———王家の象徴である赤い薔薇を入れたものを贈るのは、特別と決めた相手にだけだ」
ミナの前世と同じように、この国でもアクセサリー、特に指輪を贈る事には特別な意味がある。
しかもそのデザインが王家に因んだものという事は…
「あ、あの…これは…頂けません」
求婚されているアルフォンスからこれを受け取ってしまえば、それは求婚を受け入れた事になってしまうのではないだろうか。
慌ててミナは指輪を外そうとしたが、アルフォンスに両手を握り込まれてしまった。
「…君がその気になるまで待つと言ったが。正直気が気ではないんだ。待っている間に君を他の者に取られはしないかと」
「そ…んな事は…」
「どうか持っていて欲しい。誰のものにもならないように」
すがるような眼差しがミナを見つめた。
「おかえりなさい、ヴィルヘルミーナ」
屋敷へと戻ったミナを出迎えたカサンドラは、目ざとく娘の指に光るものに目を留めた。
「あら…その指輪は」
「…誕生日祝いに頂いて…お返しできなくて…」
一度は返そうとしたけれど、あまりにも悲しげな顔をされてしまいそれ以上言えず、結局つけたまま帰ってきてしまったのだ。
「ふふ、殿下も必死なのね」
顛末を聞いてカサンドラは目を細めた。
「本来ならばこういうものは婚約してから贈るものなのよ」
「…この指輪…貰っていいのでしょうか…」
「そうね、いずれお返しするかもしれないけれど。今は大切にしまっておきなさい」
「…はい」
こくりとミナは頷いた。
部屋に戻るとミナは改めて指輪を手に取った。
ルビーであろう、アルフォンスの髪色と同じ真っ赤な石の花びらが重なり合い、薔薇を形作っている。
台座の細工もとても緻密でさすが王家の宝飾品と思えるものだった。
こんなに凝ったものを、急に用意できるとは思えない。
綺麗に磨かれてはいるけれど、どこか年代物のような風格も感じさせるこの指輪は…もしかして、由緒のあるものではないのだろうか。
ミナはキャビネットから金細工が施された宝石箱を取り出し、蓋を開いた。
誕生日祝いに家族から贈られたアクセサリーが入っている、その中にアルフォンスからもらった指輪を納めた。
アクアマリンや真珠といった淡い色のアクセサリーばかりの中で、真っ赤な指輪は一際目立って見えた。
「…殿下みたい」
王家にのみ受け継がれるという赤い髪のアルフォンスは———いや、たとえ髪色が普通であっても。
学園の中で特別な存在感を放っている。
いずれはこの国の王となる、唯一無二の存在なのだ。
「本当に…私でいいのかな」
アルフォンスが自分の事を好きだという、その気持ちはとてもよく伝わってくるし、嬉しいと思う。
けれど未来の王となるアルフォンスの隣に立つのが自分でいいのだろうか。
いくら家柄が合うとはいえ、つい最近まで平民として生きてきたのだ。
お妃教育はおろか、貴族社会の常識すらほとんど知らないミナが王太子妃など…他の貴族達に反対されたりしないだろうか。
邪神の事。
婚約者の事。
「冬までに…片付くのかな」
重くてどこかふわふわしたような心をしまうように、ミナは宝石箱の蓋をパタンと閉じた。




