63 望み
「あの…殿下…降ろして頂けませんか」
「駄目だ、まだ力が入らないのだろう」
呪いは解けたものの、まだ自力で歩けないリゼを抱きかかえたままのハルトヴィヒは、リゼの言葉にそう返すとミナを見た。
「アンネリーゼの部屋はどこだ。運んで行こう」
「おやめ下さい!」
「ミナ。今なら回復魔法が効くんじゃないかな」
「あ…はい」
エーミールの言葉に、ミナの手から放たれた水色の光がリゼへと吸い込まれていった。
「———殿下。もう大丈夫なので降ろして下さいませ」
急速に血の気が戻ったリゼが睨むようにハルトヴィヒを見上げた。
「しかし」
「降ろして下さい」
強い口調に、ハルトヴィヒはしぶしぶリゼを降ろした。
それでも名残惜しげに伸ばされた手からするりと逃れると、リゼはミナの前へと立った。
「ミナ、ありがとう。あなたのお陰で助かったわ」
「いえ…」
「呪いというのは恐ろしいものね。心が急に…まるで氷漬けになったように冷たくなったわ」
「そうなのですか…」
「それは…本当に大丈夫なのか」
「ええ」
心配そうなハルトヴィヒにリゼは笑顔を向けた。
「さて、私はリーベル男爵の元へ行ってこよう。エーミール殿も来てくれ。皆ご苦労であったな」
司祭長が口を開いた。
「リゼとミナ、今日はゆっくり休むといい」
「ミナ」
司祭長とエーミールが部屋から出て行くとアルフォンスが声を掛けた。
「少し話がある。いいか」
「…はい」
「ではアンネリーゼ、部屋へ送って行こう」
ハルトヴィヒはリゼへと手を差し出した。
「…いえ、大丈夫です」
「それくらいさせてくれないか」
寂しそうに眉を下げたハルトヴィヒに、リゼは小さくため息をつくとハルトヴィヒの手に自分の手を乗せた。
「アルフォンス。お前も後でミナを部屋まで送るんだよ」
「分かっています」
「ミナ、近いうちに今度は魔術団の方に来てもらうことになると思うから。よろしくね」
「はい」
ハルトヴィヒとリゼが出て行くと、部屋にはアルフォンスとミナの二人が残された。
「ミナ。君は今年社交界デビューすると聞いた」
アルフォンスが口を開いた。
「…はい」
「———その時に私も王太子となる事が決まった」
アルフォンスの言葉にミナは目を見開いた。
「私は今でも兄上の方が王に相応しいと思っている。…だがそうではなく、私が兄より王に相応しくならねばならないのだと父上に諭された」
アルフォンスは息を吐いた。
「いい加減現実を認め、王子として己の役目を果たせと」
「そう…なのですか」
ミナが知っているのは、共に魔術を学ぶ級友としてのアルフォンスの姿だ。
けれど彼にはそれ以外にも、王族として———そして未来の国王としてやらなければならない事、縛られるものが沢山あるのだろう。
ミナには想像もつかない事だけれど…それでもミナが貴族として生きていく事よりも、ずっと大変で厳しいものだという事は分かる。
王とは権力こそ持つけれど、その分責任も重く、孤独なのだとリゼも言っていた。
「…それで、王太子になるにあたり、婚約者を立てる必要があるのだ」
アルフォンスはミナへと向いた。
「ヴィルヘルミーナ・フォルマー嬢。どうか婚約者として、そして王妃として私と共に歩んでくれないだろうか」
「殿下…」
「ミナにとって王妃になる事がどれほど難しく厳しい道程かという事は分かっているけれど…それでも私は、ミナがいいんだ」
「…どう…して…私なのですか」
「初めて会った時から、気がつくと君を目で追っていた。…この感情が何なのか分からなかったけれど、エドモントが君を望んでいると知った時はっきり分かったんだ」
そっと伸ばされたアルフォンスの手がミナの頬に触れた。
「彼には…いや、ほかの誰にも君を渡したくない」
強くて温かな腕がミナを抱きしめた。
「ミナ。君が好きだ」
アルフォンスから好意を寄せられている事は分かっていたけれど。
面と向かって告白をされ、しかもプロポーズまでされてしまい、ミナは頭の中が真っ白になった。
身体がひどく熱く、心臓の鼓動が耳にまで聞こえるようだった。
「あ…あの…」
声を震わせながらミナは何とか口を開いた。
「私…まだ…先の事まで…考えられなくて…」
父親達の言うように、断る事もできるのだろう。
けれどアルフォンスの置かれた立場や…彼の自分への気持ちを思うと、自分の事ばかりで断るのも我が儘のような気がしてきたのだ。
「なので…時間を下さい…」
「———ああ。そうだな」
アルフォンスは腕を緩めるとミナを見た。
「今優先すべきは邪神の事だ」
「…はい」
「だがそれが終わったら、私との事を考えてくれるだろうか」
「はい」
ミナは頷いた。
「…ありがとうミナ、断らないでくれて」
再びアルフォンスはミナを抱きしめた。
「私は君を守る。邪神からも、その先も。だから…ずっと私の側にいて欲しいんだ」
「殿下…」
「それと、もう一つ。もうすぐ私と君の誕生日だろう」
「…はい」
「その日に王宮に来て欲しいんだ」
「王宮…ですか」
「茶会に招待したい。…だめだろうか」
「…いえ…分かりました」
「良かった。後で招待状を送るから」
ホッとしたようにアルフォンスは笑顔を見せた。




