57 家族
「———それでだな、ヴィルヘルミーナ」
ワインで喉を湿らせると、宰相は再びミナを見た。
「その舞踏会までに、お前の婚約者を決めたいと思っている」
「え…」
社交界デビューの話だけでもいっぱいなのに、更なる父親の言葉にミナは目を見開いた。
「ごめんね、色々と急がせて。でもミーナを守るためなんだ」
アルトゥールが言った。
「宰相家に娘がいると知れ渡れば、当然縁を結びたいと望む者が多く出てくる。正式に申し出があればいいけれど、中には強引な手を使ってミーナを手に入れようとする者もいるかもしれないんだ」
「…強引…」
「だから披露前に強力な婚約者を立てる事でミーナを守る必要があるんだ。分かってくれるね?」
「強力って…もしかして…アルフォンス殿下ですか…?」
「そうだな、殿下が今のところ最有力候補だ」
宰相は頷いた。
「…あの…殿下は…国王になる可能性が高いのですよね」
恐る恐るミナは尋ねた。
「そうなったら…私は…」
少し前まで平民として生きていたミナが、王妃になどなれる気がしない。
「お前の不安はもっともだし、私もそこを懸念している」
宰相は小さくため息をついた。
「だが現状、お前以外に殿下に相応しい相手がいないのも事実だ。後は他国の姫君を娶るという方法もあるが…実はアルフォンス殿下が王太子になる事を拒んでいるのだ、兄のハルトヴィヒ殿下の方が相応しいと」
「確かにハルトヴィヒ殿下は幼い頃から国王となる教育を受けてきた。けれど魔女に魅了された結果、多くの災いを国にもたらした殿下が国王となるのには相応しくないという声も多いんだ」
アルトゥールが言葉を継いで説明した。
「この国の事を考えれば、金の魔法を持つアルフォンス殿下が王になるのがいいんだけれどね…」
貴族の世界の事はミナには分からない。
けれど確かに、ミナを育ててくれた夫婦も、彼らと暮らした町や他の地域でも。
多くの人々が疫病や魔物によって命を落としたのだ。
ミナ自身はその原因の一つであるハルトヴィヒを恨んだ事はないが…彼らに対する、庶民からの恨みや憎しみの声は何度も耳にした事がある。
「アルフォンス殿下は…そういった声を知らないのでしょうか」
「———知らない事はないが、兄が否定されていると認めたくないのだろう」
「昔から仲のいい兄弟だからね。そういう所はアルフォンス殿下もまだ子供だ」
宰相とアルトゥールは困ったように顔を見合わせた。
アルフォンスにとっては良き兄であるが、他の貴族や庶民にとっては決してそうではない。
多くの命を失わせたハルトヴィヒが国王になれば、恐らく国は乱れるであろう。
「だからミーナがアルフォンス殿下の婚約者となり、殿下が王太子になったら、王妃としての立ち振る舞いだけでなく、殿下を心でも支える事が必要になるんだけれど———ミーナにはできるかな?」
「それ…は…」
自分の事だけで手一杯なのに、王妃という貴族の頂点に立つ存在になど…まして王の心の支えになどなれる気がしない。
ミナは首を横に振った。
「この婚約話は国王が望んでいるし、何よりこれまで頑なに婚約を拒み続けてきたアルフォンス殿下が乗り気だ。宰相の立場から言えば進めたい所だが…父親としてはこれ以上、お前に苦しい思いをさせたくない」
宰相はため息をつくとワイングラスに手を伸ばした。
「お前が幸せになれる相手の所に嫁がせられれば良いのだが…」
「他にヴィルヘルミーナのお相手になれそうな方はいないのですか」
カサンドラが口を開いた。
「———実はアーベントロート侯爵から内密に打診が来ている。嫡男の婚約者として是非にと」
「…魔術団長の?」
「エドモント殿とは学園で同じクラスなんだろう?」
アルトゥールの問いにミナは頷いた。
「エーミール殿からミナの素性を聞いたらしくてね。エドモント殿もミナの事を望んでいるそうだ」
「アーベントロート家は同じ侯爵家、家柄的にも問題はない。エドモントに嫁げば侯爵夫人として社交に出なければならなくなるが、王妃となるよりは負担も軽いだろう。ヴィルヘルミーナ、アルフォンス殿下とエドモンド殿だったらどちらがいい?」
「…どちらと言われても…」
父親の問いにミナは目を伏せた。
「私…まだ自分が貴族だという自覚が持てなくて…婚約とか…そういう事まで考えられないんです…」
女神の神託の話を聞くまで、ミナはたとえ家族と和解しても平民として生きていくつもりだったのだ。
ミナの置かれている立場的に貴族になる事は仕方ないのだろうけれど…王妃だの侯爵夫人だのと、そこまで考えるのはさすがにまだ無理だ。
「———そうか、そうだな。確かに性急過ぎたな」
「いえ…」
「婚約の話は披露までに決めればいいのでしょう」
カサンドラは夫を見た。
「もうしばらく考えてみていいんじゃないかしら」
「ああ…そうだな」
「父上。困らせる事ばかりでなく喜ぶ事も教えてあげないと」
「そうだった」
宰相は懐から一通の封筒を取り出した。
「誕生日プレゼントの手続きが終わった。これは目録だ。…本当にこれでいいんだな」
「はい…!」
目録を受け取るとミナはようやく顔を輝かせた。
今月の誕生日に欲しいものはないかと聞かれたミナだったが、何着も仕立てた服やアクセサリーとはまた別に用意すると言われ、そんなにもらえないと一度は拒否をした。
だがどうしても贈りたいと言われ、ミナがいた孤児院への寄付を望んだのだ。
疫病や魔物の影響で孤児も増え、孤児院はどこも経営が厳しい。
食糧は畑を耕したり、山へ採りに行くなどして賄っていたが、最近は魔物が増えそれもままならなくなっているという。
田舎の孤児院では教会への寄付金くらいしか収入もなく、大変だと神父やリゼが言っていたのだ。
ミナの誕生日プレゼント分と、これまで世話になっていたお礼を含めて。
一度に贈るのも悪影響があるかもしれないと、十年間、毎年贈る事になったのだ。
「…ありがとうございます、お父様」
ミナは目録を開くとそれを見つめた。
…これだけあれば、食費などの必需品だけでなく、新しい服や本なども十分買えるだろう。
(家に帰ってきて…良かった)
嬉しそうに目録を見つめるミナを、家族もまた嬉しそうに見つめていた。




